第九十ニ色 彼の覚悟
目の前が真っ赤に染まった。最悪の結末を想像してしまい、思わず目を瞑った。けれど瞑ってもそこに広がるのは暗闇だけで。不安と心配、絶望感を孕みながら目を開けるとそこにはもうなにも広がっていなかった。広がっていたのはリーセイの愉悦に歪んだニタニタという笑みだけで。しかしその片目にはいまだに〈透視が指し示す先〉が付与されているらしく水色の粒子がリーセイの眼球を包むように舞っていた。時折、リーセイの鈍色と合わさって瞳が濁った色になると左目の下辺りに刻まれた模様が鮮明に見える。模様はひし形が三つ連なったものでそれがまるで第三、第四の目だと言わんばかりにリーセイが表情を歪ませるたびに弧を描く。嘲笑い、絶望感を煽って来てアーサーはリーセイを睨み付けるしかなかった。なにも出来ない自分がなんとも惨めで憤りを感じた。グイッと力なく両腕を捕らえる鎖を引っ張れば、チャリッと頭上で音がした。どう頑張っても鎖を引きちぎることは出来ない。チャリチャリという鎖が奏でる甲高い音にリーセイがアーサーの方を向く。とニィと口角を上げた。おそらく、意図的にアーサーの目に無理矢理かけた〈透視が指し示す先〉を解いたのだ。アーサーに恐怖と絶望感を味わわせるために。それがどうアーサーに対して影響を及ぼすか推測して。リーセイは片目に魔法を付与させたままアーサーを振り返ると腰を屈めて中腰になり、彼の顔を覗き込む。
「アナタを助けに来た『覇者』は全員、罠に嵌まってしまいましたね」
リーセイのなにか含んだ言い方といまだ晴れない魔法にアーサーは違和感を持った。もし、ルシィ達が本当に罠に嵌まって死亡してしまったとしたらリーセイは魔法を解除するはず。だってもう動かない脅威であり侵攻の邪魔が消えたのだ。有無云わずにアーサーを殺すはずだ。『覇者』以外に残った脅威とすればアーサーだけで殺す以外使い道はない。アルヴァナ帝国を揺する材料にはなるかもしれないが、箝口令が敷かれておりほとんどが『覇者』を意図せず守る壁になっていたとは知らない以上、交渉材料としては薄い。となるとリーセイが魔法を解除さず、アーサーに話しかけて来たと云うことはルシィ達が生きている可能性がある。いや、ほぼ確実に生きている。もし死亡しているのを悟られずに話しかけているとしたら相当の詐欺師だ。リーセイは洗脳魔法を使うのでその可能性も否定は出来ない。だが、アーサーには確信があった。友人、仲間としてずっと側にいたからこそ分かるとでも言うような絆。それとも気配か、嗚呼、自分達には分からない
「生きてる」
「はい?」
「彼らは生きてる。そうでしょう?」
自信ありげにアーサーが言えば、リーセイは一瞬キョトンとしたあとクスリと柔らかく笑った。それが答えだ。ニヤリとアーサーが安心と希望を称えて小さく笑みを溢した途端、数分前にリーセイに与えられた毒が彼を襲いかかった。チカッと目の前で火花が散り、視界を包み込んで見えなくする。ルシィ達の無事に気を取られていたせいで毒の存在を忘れてしまっていた。先程まで感じなかった痺れが瞬く間にアーサーに牙を向き、両足の動きさえ封じ込めていく。ビクビクと痺れが体中を駆け巡り、痙攣を催す。もしかすると今から死んでしまうのではないかとアーサーは苦笑し、毒を深呼吸することで静める。自分の血の臭いが肺に染み込んでいく。時間の感覚がずれた脳が毒を克服しようともがき苦しむ。それを見ていたリーセイは良いことを思い付いたと言わんばかりに表情を歪め、呼吸を整え毒に一時的に堪え忍んだアーサーの顔を覗き込む。空色の瞳と鈍色の瞳が相手を貫く。
「交渉しましょう」
「……は?何度言われても俺は」
「条件を飲めば『覇者』には手を出しません。無事にお帰し致しましょう」
リーセイの大きく歩み寄った突然の提案にアーサーは面食らった。ニコニコと笑う彼の顔はアーサーに交渉の真意を読み取らせない。嘘臭い笑みなのに何処か彼を信じてしまいそうになってしまう。洗脳魔法が漂っているのかと不安に駆られるがその事実をアーサーが確かめるすべはない。
「……その、条件は」
「アナタがワタクシに『覇者』の情報を全て吐くことです。その場合、アナタを毒と共にこの短剣で刺し殺します」
「なっ」
「反対に情報を吐かない場合、『覇者』をワタクシの力でアナタの目の前でなぶり殺します、一人残らず。代わりにアナタを生かしましょう」
目を見開くアーサーにリーセイは淡々と告げる。リーセイの片手にはいつの間にかキラリと切っ先を煌めかせる短剣が握りしめられていた。リーセイの言葉がアーサーの脳内をボールのように跳ね回る。
「まぁ、その『覇者』も後がない状況ですし、罠に耐えられるのはあと一分以内と言ったところですかね」
「っ!どっちにしろ君の、お前達が得するだけじゃないか!」
怒りと憎悪を吐き出し叫ぶアーサーにリーセイは「それが?」と無邪気に首を傾げる。逃げ道を塞ぐのは当たり前でしょ?と言わんばかりの表情がアーサーの怒りと絶望を再び露にさせてくる。
「そうですよ。今アナタたちはワタクシたちの手中にあるのです。その命はまさにワタクシが握っているも当然でしょう?嗚呼、ちなみにあと五秒で答えを出してください。出さなかった場合、アナタも『覇者』も死にます」
「っ!卑怯者!」
「なんとでも言ってください。世界を滅亡させるためなら卑怯者は褒め言葉です。では、五」
アーサーに考える隙を与えずリーセイが手元の短剣を弄びながらタイムリミットを刻み出す。短剣の切っ先を口元に当て笑うリーセイが憎らしい。だがそれよりも先に決断しなければ。
『覇者』の情報をリーセイに渡してはいけない。渡したら最期、こちらの敗北は決定したも当然になってしまう。だが情報を渡せば自分の命と引き換えに『覇者』達は、ルシィ達は絶体絶命の危機から逃れる事が出来る。
「四」
後者はどちらにも絶望を与えるものだ。今『覇者』達は絶体絶命のなかにいることは確かだ。そこからうまく逃れたとしてリーセイがそんな簡単に終わらせるとは到底思えない。仮に生き残れたとして仲間を失った『覇者』に何が出来る?と言うことなのだろう。双神は「十二人の『覇者』」と言ったのだ。欠けていては意味がない。
「三」
三つ目の選択肢は防がねばならない。まず確実にアーサーは死ぬだろう。毒が体に回って死ぬ。短剣はそのあとだろうか。どちらにしろその間にルシィ達が罠を突破している可能性に賭けるしかなくなる。その可能性も低いが。罠に嵌まる直前をアーサーは魔法越しに見ているのだ。
「ニ」
三つ共、どれにしろ片方は絶望を味わう。いや、楽観的に見ればそれで命が助かるならいい方なのか?ただ、その後はどうなっても保障は出来ない。それにリーセイが交渉を破らないとも限らない。
「一」
みんなを助けたい。みんなの隣にいたい。俺の手には、もう抱えきれないほどの感情も希望も願いもあって。どっちも失いたくないし手離す事も出来ない。嗚呼、俺には多すぎるほどに膨れ上がってしまった色も意志も大切で大事で選ぶことさえ出来ない!それは傲慢と云うのか、強欲と云うのか。はたまた怠惰か。毒と恐怖と絶望と、微かな希望に支配された脳ではもう分かりっこなかった。
「ゼロ」
無情にも嘲笑うリーセイの声がよく聞こえた。
……*……
「貴方は、それで良いの?」
「ーーえっ」
その声にアーサーは固く瞑っていた目を開けた。目の前に広がっていたのは寂れた憎々しい壁でもリーセイでもなく、夜のように漆黒の空間だった。何処までも何処までも続く夜のような不思議な空間を目の前にしてアーサーは驚くしかなかった。先程まで重かった体も拘束されていた腕も傷も何処にもなかった。まるで捕まる前に戻ったかのような錯覚に陥る。だが、アーサーには分かっていた。この、ふわふわとした雲の上を歩いているような浮遊感と不安感。何処か微睡んだ状態の意識。間違いない、此処はいつも見ている夢の中だ。地獄のような悪夢を、夢のような悪夢、悪夢のような夢を見せて来て、なにかを告げようとするあの夢で間違いなかった。夢すらも現在は怪しいが。
「貴方はそれで良いの?良いわけないよね。それを僕も貴方も知っている」
その声にアーサーは聞き覚えがあった。夢で聞いたいつも聞こえそうで聞こえなかった声。自分の声に何処か似た、覚悟を内に秘めた声。アーサーが顔を上げるとあの時の夢と同じ場所に紅い華を咲かせた少年が立っていた。見えなかったその姿が露になると同時に何故かアーサーは確信してしまった。「歴史書『伝説の物語』」に出てくるエルフが付け加えたともいたとも言われていた想像上の人物だと。と同時にアーサーは驚愕してしまった。だって、目の前でふわふわと浮遊するその姿は、
「父さん?」
アーサーの父親であるエクター・ロイに瓜二つだったから。太陽のように輝く金髪に全てを見据える月の如く金色の瞳。アーサーは母親の髪色や瞳の色を強く引き継いでいるため父親似ではないが、父親は多くの愛情と戦い方を教えてくれた恩師だった。そんな彼を間違うはずはない。間違うはずはないのに、思わず言葉が転げ落ちてしまうほどによく似ていた。姿は少年ではあるが、以前アーサーが自宅で両親の幼少期の肖像画を見た時に描かれていた父親そのもののように見える。成長すれば父親に、父親が幼い頃は少年に、と言った風にそっくりだ。他人のそら似が凄すぎる。まぁ纏う雰囲気は全然違うが。少年はアーサーの言葉にキョトンとするとクスクスと笑った。十四、五に見える少年の笑い方はなんとも年相応でやはり他人のそら似なのだとアーサーに教えてくる。けれど、どうして似ているのだろうか?
「世界には顔のそっくりな人間が三人はいる……そういう事だよ。もしくは神様のイタズラか……僕達に分かるはずないじゃない。神様が司る輪廻の理なんて」
ふふっと悪戯っ子のように笑う少年にアーサーは面食らう。確かに彼の言う通りだ。自分達には分かりっこない。もっと簡潔に言うならばそれは偶然と云うものなのだろう。微妙に納得しつつもアーサーが少年を見上げる。その首からはペンダントがかけられていて、ユラユラと少年の動きに合わせて揺れている。
「君は、誰?」
アーサーの問いに少年はもう一度クスリと笑うとペンダントを指先で見ずに弄る。
「貴方にはまだそれを覆す力がある。立ち向かう力がある。なにも目の前にあるものだけが選択肢じゃない。天秤もサイコロも、どちらかが傾けばそちらに動く代物。諦めも時には肝心だけど……此処で貴方は諦める?」
抱えきれないならば、全て捨ててしまえば良い。そうすれば悩むこともない。少年はそう言いたいのだろうか?だが、アーサーは違う。両手に抱えきれないから俺にとっては愛おしい。きっとそれは少年も同じ。だから。
アーサーは少年を睨むように見上げ、力強く告げる。
「諦めたくない」
その答えに少年はニッコリと微笑むとペンダントに刻まれた、いやペンダントとなっていた半分だけの紋様をアーサーに見せるように右の人差し指と親指で挟んで固定した。その紋様には見覚えがあった。それは先代・地の座を示す紋様の半分。確信が確証に変わる。先代・地の座『地震』を司ったアグラヴェインが証を分けた人物、幼馴染。隠された人物。驚くアーサーに少年は笑いかける。
「もう一度聞く。貴方は、それで良いの?敗北を、絶望を受け入れ、死ぬ?」
「違う。俺は、最期まで抗う。もう一つの選択肢を信じたい……いや、掴みたい!」
拳を握りしめ、アーサーが力強く、希望を、信頼を、未来を、思いを乗せて叫べば少年は満足そうに微笑み、指を鳴らした。すると少年とアーサーの足元に何重にも重なった色とりどりの紋様が現れる。それは暗闇に浮かぶ月のように美しく儚げで、まるで太陽が昇る瞬間のようでもあった。あまりの美しさにアーサーは驚嘆の息を吐きつつ後退する。爪先が重なり分かるようで分からなくなった紋様に触れた途端、光はアーサーを優しく包み込み、蝶が優雅に空へと羽ばたくかのような錯覚に陥る。頭上、見えない空彼方まで飛んで行く光の粒子、鱗粉、片鱗に思わず手を伸ばせば、指先に止まるように優しく触れることが出来る。まるでずっと前から知っているような懐かしい感覚と、何処か悲しい感覚……いや、愛しいからこそ悲しかった感情が、光が幾多も伝わってくる。それらに見とれていたアーサーはハッと我に返り少年を振り返る。だがその瞬間、激しい眠気に襲われた。だんだん落ちていく瞼と意識の中、アーサーは懸命に少年を視界に納めると云う。
「君は、誰……」
知りたかった。まるで手に取るようにわかってしまう覚悟も彼の正体も事実も。俺が目を背けていた真実も。けれど、嗚呼、時間切れだ。無数の光と紋様に包まれて意識が闇へと消えていく、沈んでいく。答えを聞く間もなく。だが、アーサーの意識が目覚めるなか、少年は儚げな笑みを浮かべて、夢の中と同じように言った。
「僕は、アルトゥーロ。『色無き王』と言われたただの一般人だよ、アーサー」
その声は何処までも清らかで優しくて、子守唄のようだった。
次回は月曜日です!
アルトゥーロは結構好きなキャラです!




