第七十五色 事実は地獄
その時、ケラケラ、ケラケラとまるで虫が這うような不気味な笑い声が響いた。カタカタと笑うその声に足元から恐怖と不快感が体を襲い、動きを意図なく濁らせ、思考を恐怖と悪寒で覆い隠される。何事だと不快な不協和音の方向を一斉に振り返れば、その主はラヴェイラだった。魔法で拘束され、首筋にはグリフレットの薙刀が添えられまるで処刑されるのを待つ囚人のよう。少しでもどちらかが動けば首を切り落とされてしまうにも関わらず、彼女はケラケラと嗤っていた。その手からカラドックが剣を抜き取っても、指先はウゴウゴと蠢き、彼女の不気味さを際だ出せる。こちらが勝ったのにラヴェイラのの異様な様子に誰もが異変と恐怖を感じ取った。
「なに嗤っているのかな?君はこれから、ダイヤ魔導国かカラルス聖王国に引き渡される。君は『ヴェグス』として犯した罪は裁かれる」
「キャッハハハハ!!!!殺せなくて残念~♪でも、裁くなんてムダッ」
薙刀の切っ先を押し付けられていてもなお、ラヴェイラはケラケラ、ケラケラと笑う。誰かが助けに来てくれることを信じているように。まだ策があるとでも言うように。まるで死ぬことを望んでいるように。
「ワタシはずっと、ずっと、ずっと、ずぅうううううううううとっっ!!『覇者』を殺したかった!ご先祖サマの仇をっ!ぐちゃぐちゃに壊して解体して捌いて殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して!!!!」
血走った目がまるで血のように真っ赤に染まり、ラヴェイラの感情が高まるあまり片腕からは鮮血が溢れ出す。傷ついたことに慌てることもなく狂喜染みた言葉を吐き出すラヴェイラは美しいほどに恐ろしかった。いつしかドラゴネットが言ったように死を望んでいるようにし見えなかった。それが『世界戦争信仰者』の末路なのかは、もう誰にも分からなかった。分かるのは多分、ラヴェイラだけだった。ラヴェイラの恐怖の急変にフローレンスがアーサーとルシィの背後に身を隠し、彼女を拘束するサグラモールとボールスも恐怖で震える身を寄せ合う。
「だからずっと『覇者』を付け回した。ずっとずっとずっとずっと!!そうすれば、あの人は殺せるって言った!ワタシのために!ご先祖サマのために!!」
天を仰いでラヴェイラが叫ぶ。彼女の発言にアーサー達全員は息を飲んだ。独白にも似たラヴェイラの英雄譚。やはりラヴェイラは『覇者』だと気づいていた。ずっと、が何処からなのかは分からない。ただ、ボールスがいた町より前と言うことは確かだ。また、フローレンスは魔物による誘拐事件。これに関して言えば、ラヴェイラの関連は薄いだろう。例えラヴェイラが古代ダイヤ魔導国語を使い、魔物を召喚したとしても全てが理性を持って誘拐事件を起こすとは到底考えにくい。ましてやラヴェイラは魔物と『ヴェグス』の同族殺し疑惑もかかっている。そんな彼女が魔物を統制出来ていたとは到底思えない。ダイヤ魔導国での襲撃はラヴェイラの「最恐」と言う名と実力を持ってすれば出来ないこともないだろうが、此処まで恐ろしいほどに狂っているところを見るにラヴェイラの原動力は『覇者』を殺すことだ。しかもラヴェイラが使っているのは魔具という武具での魔法。ダイヤ魔導国での巨大な迷宮へと落とす想属性の魔法を使えるかと言われれば答えはいいえ。彼女に使えるはずがない。だってラヴェイラの適応属性は風属性のみなんだから。そして恐ろしいほどのスピードだ。想属性も使えているとしたらもう一度迷宮内に閉じ込めれば良い。それをしなかった、と言うことは使えないと言うことに他ならない。また古代ダイヤ魔導国語はもちろんラヴェイラが知るはずもない。おそらく、共犯者が教えたのだろう。だからこそ魔物の死骸があった。ラヴェイラを頼って逃げた『ヴェグス』がいた。それをラヴェイラは自らの快楽のために殺した。
そして彼女の発言。ラヴェイラの背後には魔牙がいる。洗脳魔法を使う強大な敵が。おそらく、ラヴェイラはその魔牙と手を組み、魔物を召喚したのだろう。魔物による誘拐事件も魔物にやらせれば、倒されたとすれば証拠は残らないし、もしラヴェイラがあの町に侵入していたとしても絶対的防御力を誇る壁の崩壊に混乱を極めていたため、気づかなかったとしても可笑しくない。となるとサグラモールの誘拐未遂の主犯で間違いないだろう。だが、ラヴェイラはどうやって『覇者』と知った?ダイヤ魔導国での襲撃がラヴェイラ含む『ヴェグス』の仕業であるのは疑いようがない事実だ。そこでラヴェイラがボールスが『覇者』だと知ることは出来る。しかし、こう言ってはなんだがラヴェイラが優先するのは快楽。ラヴェイラの思考が正しく『覇者』を弾き出すのだろうか?アーサー達の様々な疑問をそのままにラヴェイラは自身の英雄譚を走馬灯を眺めるかの如く叫ぶ。
「だから襲撃も手伝った。でも、でもさぁ、失敗したんだよね?バカが、馬鹿がいたから!ハハハ!ワタシが殺した。ぐちゃぐちゃにバラバラにして!『覇者』もそうして殺したかった。そうすれば、ワタシたちが望むものが出来るんだもの!!」
「世界は『世界戦争狂信仰者』だけのものじゃないでしょ!」
「ご先祖サマが滅びされるべきだったと考えれば、それはこの世界の命運。誰だってそうでしょぉぉおおおお?あの人だってそうだった。作り直すべきなのよ!!」
叫ぶラヴェイラにドラゴネットが堪らず反論するが彼女は曲げない。双神にもその思考は覆せない。だって、人の意志だから。だからそれは執着に過ぎなかった。
「『覇者』はそれを邪魔したのよ。先代であろうとも今でも関係ない。悪いのは全て『覇者』。力を持つべきでは決してなかった!」
「……彼らを侮辱するのは、それで満足?」
甲高い高笑いをあげるラヴェイラの演説を遮る低い声。その低い声に混ざるは偉大なる、善であり悪である『覇者』を侮辱された怒り。全てを擲つ覚悟を持っていた、意志を持っていた彼らを、何も知らない君が侮辱する権利はあるの?低い低い、地を這うような声はアーサーの声だった。彼に支えられたルシィは憤怒にオーラを陽炎の如く漂わせるアーサーに少し驚いたようで、彼の肩に回していた手に無意識のうちに力を込めていた。ラヴェイラはアーサーの言葉に「なぁに?」と殺気に満ちた瞳で挑発する。
「君だって言えた事ではないよね?」
「はぁあああ??」
「ドラゴネットが言ったようにあの時はみんな自分の理想や意志、未来のために人を殺した。けれど、それが今、人を殺す理由になってはならない。例えそれが『覇者』だとしても。それは僅かでも『世界戦争狂信仰者』の糧になっているのならば」
『世界戦争狂信仰者』は裏を返せば、『覇者』と世界戦争があったからこそ存在している。それを殺すということは未来を殺すと言うこと。自分自身の存在を殺すと言うこと。相手のことなんて誰にも分からないのに知っているふりをする。きっとそれが彼らの盾だった。アーサーの言葉にラヴェイラは意味が分からないと言いたげに目を見開く。それにアーサーは理解されなくても良かった。すでに彼らとの間にはなにもないのだから。
「世界戦争は全ての源、ご先祖サマの意志。だからワタシは、嗚呼!楽しい愉しい楽しい愉しい楽しい愉しい楽しい愉しい楽しい愉しい楽しい愉しい楽しい愉しい楽しい愉しい楽しい愉しい殺したかった!!」
「……救いようもないほどに狂ってますね……」
金切り声を笑い声に、狂喜を快楽に、殺意を執着に変えてラヴェイラは叫ぶ。もはや支離滅裂でアーサーの言い分さえ理解しているのか否やの状況にルシィが顔をひきつらせて呟く。ルシィにとってラヴェイラは異端だった。もはや、理解の範疇を大幅に越えていた。『ヴェグス』であるラヴェイラが望むのは、もう分からない。どうすれば良いか、最善策さえ分からないアーサーの脳内で唐突にラヴェイラの数秒前の発言が甦った。襲撃を手伝った、でも失敗した。それはボールス殺害もしくは『覇者』全員の殺害のことだろう。だが、そのあとの言葉。馬鹿がいたから、ワタシが殺した。つまり、もう一人共犯者がいた。主犯であろう洗脳魔法使用の魔牙とは違う誰か。あの時、『ヴェグス』に襲撃された惨状で誰が死んでも可笑しくはない。それはその中に裏切り者がいても可笑しくはないと言うこと。その裏切り者が『覇者』の情報を魔牙やラヴェイラに流していたとしても可笑しくはない。それに町の中にまで侵入を許したということは、
「……っ」
「ボールス、大丈夫じゃよ」
ボールスもその事実に気づいたらしく、手元が揺れた。それをサグラモールが寄り添って支える。そう、あの中に、町の何処かに裏切り者がいた可能性も否定できない。『ヴェグス』にかけられた洗脳魔法、ラヴェイラによる爪痕、そして紛れ込まされた裏切り者。点が線になるにはまだ足りない。嗚呼、けれどもこれではっきりした。『覇者』の情報は僅かながらに漏れている。それが何処までかは分からない。だが三人は確実に漏れている可能性がある。そうして、魔牙の正体。それはおそらく双神が出会った神を名乗る異形なもの。魔物のボス、本当の指揮官。確証はない。だが状況証拠から言えば明らかだった。動揺を隠しきれないアーサー達をラヴェイラはケラケラと嘲笑い、身を捩っては肩の出血を意図的か否や増やしていくこのままでは引き渡す前に死んでしまう。そう考えたグリフレットが片手で回復魔法をかけようとしたその時、ラヴェイラの瞳から光が消え、何も持っていないはずの右手が蠢いた。まるで空中に文字を刻むように。空中に無我夢中で書き殴った、いや、ただ腕を振り回したような動作の意味に気づいたのは一握りしかいなかった。
「っ!みんな、避けて!」
「キャッハハハハ!!もう遅い!!ワタシはご先祖サマのために殺すの!!『覇者』に破れた、ワタシの仇のために!!」
グリフレットの声とラヴェイラの声が緊迫感と緊張感と恐怖と狂喜を伴って交差し、響き渡り、反響する。グリフレットの言葉に誰もが驚愕し、目を疑う。それはラヴェイラの言葉も同じだった。彼女の仇はもはや過去と現在が入れ混じった紛い物でしかなかった。だからこそ、空中に浮かんだ憎悪は勘違いを引き起こす。グリフレットの指示に従い咄嗟にラヴェイラの視界や今いた場所から飛び退くアーサー達をラヴェイラは嘲笑うかの如く、唯一自由な指先を蠢かす。そうして指先がなぞる旋律、言葉、文字に反応し紡ぎ出したのは濁った灰色をした文字の羅列。いや文字と云うよりもミミズが這ったような文字には見えない模様。ラヴェイラを包むように展開されたソレは古代ダイヤ魔導国語を用いた古の魔法。つまり、魔物を召喚されるアレと同じ。ニヤリと嗤ったラヴェイラと視線が合い、アーサーは背筋が凍る悪寒と違和感を感じ取った。途端、ラヴェイラの周囲を囲んでいた不思議な円盤は傷ついた肩に吸い込まれ、消えてしまった。「え」と驚くラヴェイラの声が空気に溶ける。そうして、
「アハハハ、ハハハハハハハ!!」
失敗したことをようやっと理解したラヴェイラは笑顔で笑い出す。バキバキと不気味な音を立てて負傷した片腕の血管が青白い色を浮きだ出せ、出血を増やす。真っ赤に染まり上がった片腕はまるで悪魔の腕のよう。異様な音を響かせ、片腕は白い骨が浮き出す。小さな穴は骨が飛び出たことによって巨大化し、多量出血し、骨を花にように咲き誇らせる。片腕が異変を表すたびにラヴェイラは悲鳴にも似た笑い声をあげる。それに誰もが理解した。青白く変貌する顔、焦点が定まっていない目、そして震え出す拘束された体。ラヴェイラの異変に拘束魔法は切れていて。それに気づいていながらラヴェイラの体は天を仰いで悶絶する。回復魔法が効く可能性だってない。痙攣するラヴェイラは魔法を失敗した。その代償がどうなるか、魔物以外がどうなるかは分からない。けれどもこれだけはわかった。主犯であり共犯者はラヴェイラを殺そうとしている。それがラヴェイラの意志か失敗した代償なのかは分からない。だが、ラヴェイラは。それが確信に変わった途端、アーサーはラヴェイラに向かって手を伸ばしていた。理由はきっと……自分に向かって伸ばされたアーサーの手を死ぬ間際の視界に入れ、ラヴェイラは彼に向かって小さく微笑んだ。
「……どうでしょう?キャッハハ♪」
それは『ヴェグス』でも狂乱者でもなく一人の少女だった。そしてラヴェイラの体はプツン……と糸が切れた操り人形のように横に倒れた。バシャッといつの間にか出来た血の池に倒れ込んだラヴェイラはまだ生暖かい感触に目を閉じた。死んだのか?そう一瞬の静寂に誰もがそう思う。アーサーがゆっくりとラヴェイラと血溜まりに近づくと、突然血溜まりが意志を持ちラヴェイラを包み込む。それはまるで魔物が生まれる瞬間のようで、眠る我が子に毛布をかける親のよう。血は生き物のようにラヴェイラを包み込み、片腕の穴に全てを吸い込んでいく。そうして全員が呆然とする中、血溜まりは先程まであったなんて嘘のように姿をなくし、代わりにそこにあったのは大事そうに錆びた剣を抱きしめる白骨死体だった。しかも所々に煤けて綻びた、ラヴェイラが着ていた服を身に着けていた。
目の前に突きつけられた事実は、あまりにも残酷で、儚くて、恐ろしいものだった。
そのままの意味です(笑)ラヴェイラにとってはきっと天国楽園に近い。




