第六十七色 その者、狂おしき者
アーサーが呟いたまさかの事実を掻き消すように響かせられた声。愉快げな、何処か楽しげなその声はまるでワクワクが止まらない子供のように無邪気に笑いを喉から響かせる。その声は、彼らの後方からしていた。全員が一斉に後方、扉の方を向けばそこにいたのは一人の人物。気配も扉の軋んだ音もしなかったのにどうやって、なんて愚問だろう。逆行でその姿ははっきりとは見えなかったが、体格からして女性で、そして恐ろしいほどに口角を上げて目は弧を描いて笑っているのは分かった。そうして彼女から漂う異様な殺気は魔物よりも凶悪で狂気染みていて、嗚呼、今まで会ったことはない。つまり。それに気づいてしまい、フローレンスが声にならない悲鳴を上げながら真っ赤に血走った女性の獣のような瞳から逃れるように水色の扇を広げた。そんな彼を庇うべく、カラドックがフローレンスとボールスの前に立つ。グリフレッドも怯えるサグラモールの前に立ち、刃物のように尖った視線と殺気から彼女らを守る。そんな彼らを見て女性は嗤ったまま首を無邪気に傾げる。いや、無邪気なのにその目は一切嗤っていない。
「あれぇ~?なんで殺したのに立ってるの~?」
「……殺した?」
女性の高い声にルシィが鸚鵡返しする。自分達の他にいるのは誰かの死体数体と魔物の亡骸だけ。しかも、立っていると言っていることから女性は、この正体不明の数人を殺した張本人ということになる。それに全員が無意識のうちに武器を構えていたことは言うまでもない。静かに響いた刃物の音に女性は怪訝そうに嗤ったまま彼らの足元から見える血と黒の絨毯を見ると、先程よりも大きく凶悪な狂喜的な笑みを浮かべた。それに一瞬にして気温が十度ほど低下する。一度や二度の脅威ではなかった。彼女は、明らかに狂っていて強敵だった。
「なぁ~んだぁ~新しい玩具かぁ~嗚呼、ならならならならならならならならならなら!!もう一回、楽しめるねぇぇえええええええええ??!!」
そう叫んだかと思えば女性は扉を蹴り上げ大きく跳躍し、何処からともなく出した刃物の切っ先をアーサー達に向けた。頭上からまるで叩き落とすように落下してくる女性に誰もがまともに攻撃を受けようものなら骨が折れると理解した。いやそれは彼女の危機迫る表情がそうさせたのかもしれないが、どうでも良かった。一斉に女性の攻撃範囲であろう場所から飛び退くと同時に女性の攻撃が床に直撃し、凄まじい風圧が衝撃波となって彼らに容赦なく襲いかかる。規則正しく並べられていた長椅子が衝撃波でボロボロと崩れ落ち、壁際にまで吹っ飛んでいく。それにサグラモールとフローレンス、ルシィが巻き込まれたらしく、長椅子と共に吹っ飛ばされ、瓦礫の山に消えていく。女性の一撃は魔物を完全に消滅させ、バラバラに切断されたもと人間であろう死体は祭壇に打ち付けられて再び真っ赤な血を吐き出し、巨大な華を描き出す。なんとも悲惨で不気味で、気味の悪い華であろうか。それを視界にはっきりと入れてしまい、アーサーは咄嗟に口を紡ぐんだ。先程は見えなかったはずの肉や骨が大きくはだけ出されておりまるで標本のようだった。いつも以上に悲惨で残酷な光景。これを人間がやったと言うのか。信じたくはない。だが、これが真実だった。女性は軽やかに床に着地するとその場で半回転し、一番最初に視界に入ったボールスに向かって滑るように接近した。瞬きをしたその一瞬で目の前に現れた女性にボールスは辛うじて杖を前に押し出すようにして防ぐが、女性の攻撃の威力が凄まじく風圧だけで吹っ飛ばされそうになってしまう。だがボールスは懸命に足を踏み込み、耐えると目の前にいる女性に向けて魔法を放つ。
「〈月の石から残った短剣〉!」
ピィと口笛のような音と共に女性の背後に月を象った石の短剣が数本現れ、彼女を狙ってその切っ先を向ける。だが女性はボールスがなにか指示を出すよりも先に背後の短剣を一瞥すると、ニィと嗤った。
「遅いよ~?」
そう女性が言った次の瞬間、ボールスが召喚した短剣は空中から叩き落とされ、刃物を持った手が後ろ手で空中を滑っていた。女性のもう片方の手はボールスの首を締めるように首に伸び、肉に指を食い込ませていた。突然やってくる圧迫感と自分にのみのし掛かる恐怖と殺気にボールスの体が固まる。足りないように感じる女性の指に意識が行ったのは恐怖からに他ならない、現実逃避なのだろう。女性の血走った『ヴェグス』特有の瞳が視界に入る。それと同時にボールスの視界の隅に写ったこちらに向かって振り回される刃。
「ボールス!!」
ブンッとヒヤシンス色の前髪が少量、宙に浮いて去っていく。嗚呼、前髪が少し切られてしまったな、なんて呑気に思ったのはどちらだっただろうか。ボールスの体を背後から抱き締めるようにして抱き抱え、アーサーは自身の背後にボールスを押し込むと剣を女性が振る刃物、剣の軌道に差し込み、動きを逸らす。がすぐさま女性はずらされた軌道を訂正し、上段から剣を振り下ろす。アーサーはボールスを後ろに押し込みながらその一撃を防ぐ。ガンッと重い一撃が剣を通じてアーサーの腕に伝わってくる。ビリビリと痺れるような痛みにアーサーは顔を歪ませるが、手首を捻ると剣と剣に隙間を作り、相手の剣を大きく弾く。と仰け反った女性の背後にカラドックが迫り、ナイフを首筋に向けて振り回す。すると女性は不安定な体勢から床を蹴って跳躍し、空中で一回転すると素早く着地しカラドックからの一撃を防いだ。風属性の魔法を付与していたのだろうカラドックの足元から薄緑色の風が巻き起こり、女性の髪を掻きあげていく。掻きあげられた髪が目に刺さったのか女性の動きが鈍った。そこをカラドックは見逃すはずもなくナイフを振り切ると、それと同時に片足を振り上げた。その足には風属性の魔法がカラドックの意志に同調して刃となってまとわりつき、女性を切り裂こうと迫る。だが、弾かれた手中の剣を握り締めた女性は迫り来る刃物に臆することなく、右の二の腕辺りに絡み付く布に触れた。その布は女性を優しくそして残酷に四つほどブレスレットのように彼女の両腕に付着していた。布を女性が指先で弾いた次の瞬間、足を振り上げていたカラドックは後方で様子を伺っていたルシィのもとまで吹っ飛ばされていた。瓦礫の山に叩きつけられ、埋もれて身動きが取れないカラドックをルシィが救出しようと駆け寄る。吹き飛ばされたカラドックの顔や露出した左肩には火傷のような赤黒い痕がついている。所々に響く痛みにカラドックが顔を歪めるのを見て、グリフレッドが女性の懐に素早く潜り込み薙刀を振りかざしながら叫ぶ。
「魔具を持ってる!気をつけて!〈闇の月光〉!」
グリフレッドが振りかざした薙刀に薄黄色の何処か暖かい光が纏い、女性の視界を副作用で惑わせる。その背後にはアーサーが同じように回し蹴りを放とうとしていた。おそらくカラドックが吹っ飛んだのは女性が装備している布、魔具と呼ばれる魔法を込めた武具だ。火傷のような痕が見えることから火属性であろう。その証拠に女性の右の二の腕辺りに絡み付く布には赤い一線が無数に刻まれていた。それはまるで血走った女性の目のよう。女性は前後から来た二人の攻撃にニヤァと笑うと爪先を跳ねさせ、軽く跳躍すると両足を広げ、薙刀と足技を空中で弾く。そしてついでと言うようにグリフレッドの肩を蹴って大きく跳躍し、上空に飛び出す。そんな彼女を見上げ、クッとアーサーとグリフレッドは歯を食い縛る。動きが尋常じゃないくらい速すぎる。
「〈強風よ吹け〉!」
「〈水よ沸き上がれ〉!」
上空に足場があるかのように跳躍していく女性に向けてサグラモールとフローレンスが魔法を放つ。だが強風と水が合わさった水飛沫は女性に当たることなく空中で霧散してしまう。再び二人が魔法を放ち攻撃するが、女性はクルクルと足場があるかの如く空中で回っている。
「あの人、『ヴェグス』だよ!」
「っやっぱり!ボールス、なにか知ってる!?」
上空に飛び回る女性を見上げながらアーサーとグリフレッドが叫ぶ。近くに来たボールスは二人の問いに頷き、記憶を探る。いや、彼女に聞かなくても大方予測は出来るではないか。凄まじい速度と恐ろしい殺気、そして女性が殺したと思わしき同じ『ヴェグス』と魔物。そこから導き出されるのは、
「……『ヴェグス』……最恐……!?」
「はぁ?!それって主犯かもしれない『ヴェグス』?!」
「そりゃあ強いわ!」
『ヴェグス』最恐の、ダイヤ魔導国の町を襲った『ヴェグス』襲来の主犯の可能性がある人物。だがそうすると、どうして『ヴェグス』を殺す必要があるの?
「あの人、〈空を飛びましょう〉と〈風に乗って空を飛びましょう〉二つ使ってる可能性があります」
「魔具?だっけか?四属性だぞ多分」
考え込むアーサーにルシィとカラドックが歩み寄り言う。確かにルシィの言う通り、女性は二つほど魔法を使っているらしくいまだに空中を悠々と漂っている。サグラモールとフローレンスをおちょくるようにヒラリヒラリと舞い踊っている。
「とにかく、危険人物に代わりはない。逃げるが勝ちじゃないかな?!」
「グリフレッドに私も同意です。これ以上は、危険過ぎます……!」
片手に魔法を展開させながらルシィが叫ぶ。『ヴェグス』である女性が何故同類を殺したのは分からない。だが此処で『覇者』を失うわけにはいかない。全員で挑めば勝てるかもしれないが、それはごく僅かな可能性でしかないとアーサーは知っている。多勢に無勢なのはこちらなのに女性は余裕綽々としている。そこから導き出されるのは戦力的撤退。これ以上此処にいて、最恐と言う女性に殺されない保障は何処にもない。
「ルシィとボールスはサグラモールとフローレンス連れて出口向かってもらえる?」
「い……け、ど……アーサー、は?」
大丈夫なの?と言いたげにアーサーを見上げるボールスに彼の頭に右肘を乗せてカラドックが言う。
「オレたちと時間稼ぎ、だろ?坊主」
「うん。グリフレッドもカラドックも魔法的に言えば『ヴェグス』の弱点持ちだし、あとはどうにかなる」
大丈夫!と胸を張る三人にボールスは心配そうにしつつも頷いた。そしてルシィを振り返ると頷く。それにルシィも頷き返し、いつの間にか飛ばしていた連絡魔法でサグラモールとフローレンスに告げる。
「聞いてましたね?」
〈嗚呼。フローレンス、行くぞ!〉
〈うん!〉
ニヤリと笑ったルシィに答えるべく、二人が駆け出す。それを見て女性が再び二の腕の布に触れかけるが、それよりも先にアーサーは二人分の魔法を足に受けて跳躍する。まるで羽が背に生えているかのように軽やかにステップを踏む自分にアーサーは驚きつつも空中で女性と刃を交差させる。魔具を使用するつもりだった女性はアーサーを視界に入れるとその血走った目を向けた。包み込むような殺気に全身に悪寒が電撃の如く駆け巡る。剣と剣が空中で交差し、二人同時に地面へと落下を開始する。どうやら二人同時に魔法の期限が切れたらしい。それでも女性は攻撃の手を緩めることはなく、アーサーに鋭い一撃を叩き込んでくる。グリフレッドやカラドックも跳躍して攻撃する機会を狙っているが、同時に落下を開始したためタイミングを見計らっているようだ。アーサーは横目に傷だらけになったルシィ達が開け放たれた扉に駆け寄ったのが見える。時間稼ぎはもう大丈夫だ。アーサーはガッと足を振り上げ、女性の腹に蹴りを入れれば、女性は空中を滑るように飛んで行き壁に張り付いた。ギロリと睨まれ、一瞬アーサーの動きが止まる。と、次の瞬間、女性は壁を蹴り上げアーサーに向かって跳躍し、お返しとばかりに彼を蹴り飛ばした。剣で辛うじて防いだにも関わらず、ボールスの時のように凄まじい衝撃がアーサーを襲う。ビリビリと空気が震える。剣に稲妻が刺さったかのように腕に痺れを伝達させてくる。それでもアーサーは歯を食い縛り、女性の剣を弾き返す。が女性の剣は先程よりも重さを増し、うんともすんも言わない。というよりもアーサーの持つ剣の方が鋼に当たって弾かれたような感じだった。クッと顔を歪ませたのはきっと自分の歯痒さもあったに違いない。と、途端、剣と剣の攻防を縫うようにして女性の手がアーサーに向かって伸ばされた。その右手の指は一瞬しか分からなかったが数本が切断されているように見えた。だがその一瞬もアーサーの首に鎖のように巻き付いた女性の右手で儚く破壊される。女性は驚くアーサーを掴むと空中で振り回す。突然の圧迫に息が出来ず、脳内で火花が散る。恐怖と混乱が脳を支配して、咄嗟の行動を防ぐ。その火花はいつか見た悪夢と同じだった。
「アーサー!」
誰かが名前を呼ぶ声が聞こえる。だが今のアーサーは女性に首を掴まれ振り回されてしまっているため、判別の仕様がなかった。それでも、アーサーは女性の右腕を切断する勢いで剣を下から振り上げる。それに女性は切断することを恐れてか手を離した。脳内に空気が入ってきて浸透する。すぐに体勢を立て直そうとするも既に落下は終了しており、アーサーは瓦礫の山に上空から突っ込んでしまった。間一髪で剣を剣山になった瓦礫の山の頂上に突き刺していたためか、背中を打ち付けたことと頬を軽く切っただけで大したことはなかった。血反吐を吐き出しながらアーサーは剣を杖に立ち上がる。と視界の隅でグリフレッドが女性と対峙しているのが入る。
「っ!?」
立ち上がろうとして足に電流が走った。その痛みにアーサーは足を見た。どうやら着地した時に足を捻ったらしい。ジンジンと焼けるような痛みに喉元を捕らえられた恐怖を思い出してしまう。
「ったぁ……」
「アーサー、無事か?!」
そこにカラドックが瓦礫の山の下から手を差し伸べてくる。その手を痛みを堪えながらアーサーが掴むとカラドックは彼が怪我をしていると察したらしく、肩を組むようにアーサーの片腕を首に巻き付けた。カラドックも怪我をしているはずなのになんだが申し訳なくなり、アーサーは顔を俯かせてしまう。
「ごめん」
「良いんだよ。時間稼ぎは出来たしなぁ。頼れって」
な、と父親のように笑うカラドックにアーサーはしばしキョトンとし、小さく笑う。捻った足は右足で軽く捻っただけのようなのですぐ回復するだろうが、アーサーはカラドックの言う通り頼ることにし、体を預けた。ヒョイ、ヒョイと右足を庇うようにして歩こうとするアーサーにカラドックは女性と激闘を繰り広げるグリフレッドに叫んだ。
「グリフレッド!手際の良いとこでやめろ!」
「分かった!っと!」
「逃がさないぃぃぃぃいいいい!!」
グリフレッドの薙刀に絡み付く勢いで攻撃してくる女性をグリフレッドは軽くいなすと、足元に広がっていた砂を足で撒き散らし、目眩ましとすると二人のもとに撤退する。そうして女性が目をやられている隙にルシィ達がいる扉へと急いで駆ける。距離はそんなにないが、女性の速さからしてすぐに追い付かれてしまう。その前に早く!声を上げて三人に向かって手を伸ばすルシィ達が見える。あともう少し!恐ろしい『ヴェグス』から逃れられる興奮と歓喜は戦場からの生還にも類似していて。だがそんなこと、女性には関係なかった。
ウチが作るキャラに一人は絶対いる感じの子。
次回は月曜日です!




