第五十七色 迷宮
まるで金切り声を上げるように、地響きを上げるように裏広場に響き渡ったのは悲鳴と恐怖と騒音と、不安で。それら全てがなにもかも、奪っていく。
「『世界戦争狂信仰者』が出たぞ!」
その叫ばれた言葉に全員が固まった。その動揺は恐怖もあったが、驚愕も混じっていた。途端に表の噴水広場から響き出す悲鳴となにかを切り刻む音。そして興奮したように呂律の回らない声が大きく反響して響き渡る。それを耳にした途端、人々は蜘蛛の子を散るように逃げ出し、人が生み出す恐怖の波を作り出す。咄嗟にグリフレットとカラドックが壁際に全員を押し付け、悲鳴と怒号を伴った群れから逃れることに成功する。悲鳴の先、裏広場の入り口には『世界戦争狂信仰者』から逃げ惑う人々が我先にと這い出ており、その顔は恐怖と混乱で修羅と化している。それが子供や多くの人々を更なる恐怖に陥れることを誰もが知っていて知らない。その背後では遠目なので確かではないが、紅い血のようなものが風に拐われるようにして噴水の水飛沫と混ざって美しく舞っている。本当に血なら美しくもないのだが、確実に現実逃避だった。あの勢いの良い弾け方からしてやはり、誰かが叫んだ『世界戦争狂信仰者』の可能性が高いだろう。仮に魔物の侵入だとしても侵入経路が判断出来ない。それになにより、『世界戦争狂信仰者』という証拠があった。アーサー達を『世界戦争狂信仰者』と間違った、と言うことはいる可能性が高いと言うことでしかない。ボールスの召喚獣は間違っていなかった、と言うことだ。ただ、その犯人を特定するまでは至らなかったようだが。多くの感情と悲鳴にフローレンスが不安そうに小さく声をもらす。魔物に誘拐された時の恐怖を思い出したのだろうか。そんな彼を安心させるようにサグラモールが優しく頭を撫でる。サグラモールも未遂だったが、その恐怖が分かるのは彼女だけだ。
「〈合成獣召喚〉!」
後ろ腰から短い杖を奪うように取り上げながらボールスが叫ぶ。丸い杖の切っ先が数色に光輝くとその光は粒子となり、あるものを空中で形作る。杖をクルクルとボールスが円を描くように回せば、そこに現れたのは純白の翼が生えた白い猫だった。全てが真っ白でこの混沌の中に溶けて消えてしまいそうだが、それを吹き飛ばすように顔には大きく何かの紋様がクモの巣のように描かれており、何処か恐怖を煽る。
「伝えて……!」
召喚獣にボールスが緊迫した表情と声で伝えれば、召喚獣は「ヒヒーン」と猫ではない鳴き声を響かせながら、人々の頭上を縫って飛んでいってしまった。おそらく師団に伝えに行くのだろう。『ヴェグス』がいる可能性がある町でバラバラに探し回っているであろうボールスの仲間がこの現状に気づいて救援に来てくれれば良いのだが……なにせこの人だかりでアーサー達は壁際から逃げることも出ることも出来やしない。
「……道間違えたかもなこれ!」
「二人のお陰で巻き込まれずに済みましたから、大丈夫です!」
右腕で押し寄せる波の圧力に耐えながらカラドックが叫べば、ルシィも叫び返す。悲鳴と怒声その他諸々が不協和音を奏で過ぎていて、怒鳴らなきゃ何が言いたいのかさっぱり分かりゃしない。人々に押されてカラドックが危うく壁に顔から激突しそうになる。慌ててフローレンスがカラドックの胸元をつくように両腕を出せば、間一髪でカラドックは顔が変容することを免れる。巻き込まれた人々は建物を縦横無尽に暴れ回りながら紅い血を纏い、撒き散らす同族殺しから逃げ惑う。自分の命が、大切なあの人の命が惜しい。必死になるのは無理もなかった。
「これ、結構な数いるってことで良いのかな!?」
「多分そうだろうね!物凄い殺気が伝わってくるよ!」
人の波に流されそうになるボールスの手を掴んで壁際にもう一度引き寄せながらアーサーが言えば、グリフレットが返答する。いつの間にか片眼鏡と魔法を駆使して入り口付近を見ており、その顔が彼の言う殺気で大きく歪んでいた。まるで刺すような殺気、殴るような殺気、切り刻むような殺気。全てに、敵味方関係なく露にするそれは獰猛な獣よりも恐ろしくて、獰猛な獣が可愛く見えてしまうようだった。そのんな殺気を感じ取り、アーサーは軽く舌打ちをかますと足元を一瞥した。みんなで楽しく観光してたのになぁ。彼らが楽しんでいたことを示す名物の宝石が多くの人々に踏み潰されて、跡形もなく消えていく。それはまるで噴水広場で起こっているであろう惨劇を物語るようで、アーサーは無意識のうちに腰の剣に手を伸ばしていた。すると両手で杖を持ったボールスがアーサーを見上げ、青藍色の瞳で彼を覗き込む。
「きみ、たち……は、逃げて……!」
「この状況で逃げると言うのは些か問題……あああああああ!!!」
ボールスの訴えにサグラモールが反応した、かと思うと突然大声を上げた。逃げ惑う人々の悲鳴で掻き消されてしまったが、その大声は彼女の近くにいたルシィとフローレンスの耳に直撃したらしく、驚いたように片耳を覆っていた。サグラモールの突然の大声に叫び返すように「なんだ!!」とカラドックが叫ぶと彼女は少々興奮したように言う。
「師匠!転移魔法、転移魔法じゃ!」
「?!え、あ、そっか!」
「なに!?二人して納得しないで!?」
グリフレットにすがり付くようにサグラモールが叫べば、「なるほど!」と理解した彼が叫ぶ。転移魔法と言う言葉でアーサーもルシィも二人が何を言っているのか理解出来たが、なにも知らないカラドックとフローレンス、ボールスに至ってはなんのことだかさっぱりだ。案の定、「どういうこと!?」と叫んだフローレンスとボールスの頭上には無数のはてなマークが浮かんでいる。
「転移魔法じゃよ転移魔法!転移魔法で此処から移動するんじゃ!わかれることは無理じゃからな、同じ場所になる!」
「……ええええ!?転移魔法使えたの!?スゴーイ!」
「色々あって説明省きましたからねぇ!」
驚くフローレンスにルシィが叫び返す。カラドックも目を丸くしており、早く現場に向かいたいボールスは一瞬それだ!と言わんばかりに目が弧を描いたがどっちにしろ彼らを巻き込んでしまうことに不安と心配そうに顔を歪めていた。ボールスの肩をポンッと叩き、アーサーは言う。
「俺達さ、君が思うよりは強いと思うよ?なにかあったら逃げるし」
「おいアーサー?フローレンスは人相手初めてだぞ?」
「だから無理しないで逃げてね?!気絶させるだけだけどね!」
不安そうにカラドックが言えば、アーサーがそう返す。アーサーとルシィだってサグラモール誘拐事件の被害者であり加害者の集団を気絶させたくらいで本気で人を殺したことなどない。訓練等では殺すではなくあくまで訓練でしかない。グリフレットもないだろう、カラドックは知らないうん。魔物に人型がいることを考えれば出来なくもないのだろうが、『世界戦争狂信仰者』は違う。魔物と同じ目的を持つからこそ、躊躇も戸惑いもない同族殺しと言われるのだ。そんな不安を感じ取ったのかボールスが口元を優しく綻ばせて言う。その表情は仕方ないなぁと下の子を慰めるような優しくも暖かい綻びだった。
「大丈夫……『ヴェグス』、は……捕獲、だから……正当防衛……」
ニッコリと笑っていない笑みで言うボールス。何が大丈夫なのかは敢えて聞かないでおく。人の群れはいまだに引く様子はない。それほどまでに裏広場が安全だと避難してきているからだろう。だからこそ苦渋の決断だった。ボールスはサグラモールとグリフレットを見て力強く頷くと両手で握り締めていた杖を天高く掲げた。それはもし敵に見られていた場合のフェイクだった。それに気づきつつ、サグラモールは壁に両手をつけ、グリフレットは空に両手をかざし、唱える。
「〈場所的瞬間移動〉!」
「〈転移場所確定、噴水広場〉」
途端に彼らを包む異様な、何処か心地よい夢見心地のような感覚。足元が地面ではなくて柔らかいクッションのような、雲の上を歩いているようなそんな感覚。暖かくも優しいその光と感覚がしたのはたった数秒間のことだった。ハッと夢から覚めるように、悪夢から飛び起きるように我に返った。その瞬間、目の前に広がっていたのは血に濡れた噴水広場。紅い色を吐き出す噴水には突っ伏すように誰かが倒れており、その近くには誰かを守ったのか、片腕と顔半分が切り刻まれてなくなっている。他にも噴水広場には血溜まりを作って死を待つ人々やすでに冷たい中で息絶えた人々で溢れかえっていた。中には原形を保っていないものさえある。その悲惨な、人が生み出した惨劇に誰もが口を閉ざし、息を飲み、目を逸らそうとする。だが、決して逸らしてはいけない。これが、この世界だから。
「う……すみません、吐かせてくださ……うぇぇ」
「大丈夫か?フローレンス。無理はすんなよ?」
まさかの光景に吐き気を我慢できなかったフローレンスが後ろを向いて恐怖と惨劇の悲劇と共に気持ち悪さを吐き出す。フローレンスの背をカラドックが優しく擦る。それだけで少しだけでも恐怖も気持ち悪さも緩和されて。サグラモールもリーナル公国の町での事を思い出したのか、口を軽く覆う。だがその瞳は惨状から目を逸らすまいと、現実を見据えていた。鼻をつくような硝煙と腐った血の匂いにアーサーは吐き気を耐えながら鼻を覆った。胃からなにかが込み上げてくる。それはフローレンスのような初回に感じるものかそれとも嫌悪感か。分かるはずなかった。
「!おったぞ!」
惨状から目を逸らさず、凝視していたサグラモールがある場所を指差した。その先にいたのは紅い刃物を持った数人の、真っ赤に染まった人物。数人中何人かは応援に駆けつけた師団の仲間と激しい戦闘を繰り広げており、実力差は五分五分のようだ。若干人数と感情的になっているせいか、『ヴェクス』を圧倒しているようにも見える。捕らえるには良いだろうが、過剰防衛で殺さなければ良いが。と、残り数人……二人ほどの『ヴェクス』がこちらに気付き、大きく跳躍してきた。咄嗟に武器を構えるアーサー達に彼らは魔物のように血走った、狂った目で殺気をまるで刃物のように研がさせて攻撃してくる。バッと瞬時に前に出たアーサーとカラドックが間一髪で上段からと、横から振られた攻撃を防ぐ。刃に付着した血が剣と剣の交差から逃れるようにヌルヌルと滑り、刃物の切っ先を二人に突きつけようとしてくる。そこに死角を狙ってルシィとグリフレットの強烈な蹴りが襲いかかる。しかし敵二人はその攻撃を軽々と避けると後方に一時撤退する。
「〈式術・桜ノ礫〉!」
「〈水の嵐よ吹き荒れよ〉!」
そこに石の礫のように硬い桜の花びらと巨大な水飛沫を伴った嵐が敵二人を狙って左右と頭上から襲いかかる。絶体絶命、かと『ヴェクス』が思うはずもなく、ニヤァと口裂け女のように口元を大きく歪ませると興奮したような悦に入った瞳を交わした。それに今までの魔物とは違うと一瞬で理解してしまった。いや、嫌でも理解されてしまった。背筋を駆け上がったのはきっと、殺意。世界も魔物も人間も殺してしまおうと言う殺意。それは『ヴェクス』の血濡れた刃から放たれる。刃と腕に巻き付くように現れたのは赤と青の獣。その二つの獣は二人の『ヴェクス』を包み、サグラモールとフローレンスが放った魔法を一振りで簡単に掻き消してしまう。目の前で起きた出来事に息を飲んだのは『ヴェクス』の実力を目にしたからかもしれない。
「魔法を一発で消すって、どんだけだぁ?!」
「多分、武器に魔法が付与されているんだ。弱点なんか吹き飛ばすほどに力づくのがね!」
あまりの驚きにカラドックが叫べば、グリフレットが唇を噛み締めながら言う。基本、属性にはそれぞれ弱点があるが、『ヴェクス』は弱点なんて知らんと言うような戦法を取っている。弱点ならば、力任せでも良いだろ!と言うように。『ヴェクス』二人の魔法属性で攻撃してもそれ以上の力で弾かれる可能性もある。いや、多分、弱点の属性で行けば大丈夫だろうが、しかし油断は禁物だ。その時、『ヴェクス』二人がこちらを見てニヤリと笑った。そのいびつな笑みにアーサーは首を傾げ、剣の柄を強く握る。相手の異様な視線を目だけで追うと、その先にいるのは、
「ボールス!」
「……えっ」
師団の一人、ボールスだ。ボールスは仲間と連絡中だった。まさか敵二人の目的は師団!?そう気づいた時にはアーサーは周囲にいた友人達を押し退け、ボールスを突き飛ばしていた。一気にアーサーの回りにできる空間を狙ったかの如く、その足元にポッカリと黒い穴が広がる。黒い色をした水溜まりのように見える穴から吹き上げる強風にアーサーの前髪が揺れる。嗚呼、誰がなんと言おうとこれは
「〈その迷宮に迷い込めば良い〉」
想属性の魔法!足元から落下しそうになる中、空中で手足をじたばたさせるアーサーだったが、穴が思ったよりも大きく、誰の手も届かない。何処か悲しげで、それでいて決意を持った一人のボールスの瞳を最後にアーサーは、意識を手放した。
迷宮やってみたかったんですよね!
次回は月曜日です!




