第四十一色 目覚め
あちらこちらで魔法が飛び交い、刃物が交差する。怒号が響き合い、悲鳴がまるで歌声のように不協和音を奏で出す。パリンと割れる破裂音は、きっとガラスが割れた音。ガシャンと云う鈍い音は、きっと誰かがぶつかった音。多分、そう多分でしか今はこの状況を示すことは出来ない。少し気を抜けば、絡め取られてしまう。そんな感覚だった。
〈回復魔法使える奴、連れてこい!〉
〈壁の外側の魔物、討伐完了しました!〉
〈余所見すんな、まだいんぞ!〉
〈そこ!そこを右に!〉
〈避難完了!これより町の偵察に入る!〉
「っ……」
ルシィは頭の中で反響する声に思わず耳を塞いだ。戦場とも言うべき此処に響き渡る連絡魔法。風属性に分類されるこの魔法を使い、連絡を取り合うことは間違っていない。魔物に情報を抜き取られないようにと考えられていることがよく分かる。しかし、今のルシィにとっては違った。
「(頭の中で……声が……!)」
頭の中でバウンドして、また壁に当たってバウンドし反響する多くの感情を伴った声にルシィは内心悪態にも似た悲鳴を上げた。連絡魔法は使用者が指定した特定の人物のみに声を届けるもので、その上級魔法は声と共に姿も届けることができる。上級魔法は他の指定した人物以外にも聞かれる可能性があるが、連絡魔法にそれはほとんどない。つまり、他人同士の通話なんて聞こえるはずないのだ。範囲を特定ではなく全体にしていない場合、もしくは魔法で全体にしていない場合は。おそらく、緊急で慌ててしまい、範囲を設定せずに魔法を発動してしまったのだろう。だがそう思いたくても思えるはずがない。例えそうだとしてもルシィの頭の中で声が反響するなんてまずないのだ。別の魔法、洗脳魔法関連の魔法使用者がいない限り。
「(けれど、これはっ……正真正銘連絡魔法……)」
洗脳魔法関連の可能性はない。ならば、何故?ルシィが魔法の龍の擬人化と云う類い稀なる存在だからだろうか。だからこそ、魔法が多く交差する今此処で頭痛にも似た頭の痛みを反響と共に感じているのだろうか。ヤオヨロズ共和国では風魔法は全体として扱われていた。だからこそ、その違いにも少なからず動揺していたのかもしれない。
「ルシィ、大丈夫かの?何処か怪我でもしたのか?」
ルシィの異変に気付き、サグラモールが周囲の魔物を蹴散らして近寄ってくる。ルシィは気づいていなかったが、耳を塞ぎ、苦痛に耐えるその姿は怪我が痛んでいると取られても可笑しくなかった。左肩から右腹にかけて刻まれた怪我がルシィの異変の原因ではないとサグラモールも気づいたらしく、心配そうにルシィを見上げる。原因が分からない以上、むやみやたらに回復魔法をかけるのは魔法を得意とするサグラモールには躊躇われた。
「どうかしたのかな?」
「嗚呼、師匠。助けておくれ!ルシィの様子が、ルシィが変なんじゃ!」
魔物との戦闘中、異様な雰囲気で固まる二人にグリフレットが気付き、声をかければサグラモールが彼に向かって悲鳴にも似た声を上げる。グリフレットの登場にホッと胸を撫で下ろしたのは頼れる人が登場したからだろう。サグラモールの悲痛なまでの声にグリフレットはルシィを振り返り、慌てて駆け寄った。一方ルシィは頭の中で跳ね回る怒号や咆哮に一瞬視界の歪みを感じていた。
「大丈夫?」
「……頭の中で、声が……連絡魔法の声が、反響しているのです……っ」
「魔法の龍の擬人化だからか、魔法に敏感になっているのかもしれないね」
そうだろうか?ルシィの言葉から瞬時にそう考えついたグリフレットにルシィは怪訝そうな視線を向ける。可能性は否定出来ない。『覇者』が少しずつ集まってきている以上、『覇者』を捜し出す嗅覚がその多さと偉大で威圧的な雰囲気に魔法自体に支障を来しているのかもしれない。まぁ、双神が理解していてもルシィは理解していなかった部分があったのだろう。もう、ルシィの思考は幾つもの風で麻痺しかけていた。ジワジワと傷もそれを主張するように痛み出していて、嗚呼、もう分からない。
「門にも検知されたし、跳ね返りやすくなってるのかもね。とりあえず、ルシィは撤退した方が良い」
「そうじゃな、それが良い。魔物は減ってきておる。無理するでない」
「っ、すみません」
申し訳なさそうに二人にこうべを垂れるルシィに二人は大丈夫だと笑いかける。グリフレットがルシィに手を貸そうとしたその時、ルシィは勢いよく戦場を振り返った。耳元で囁くように告げられたその言葉。誰かの呟き。魔法では決してない、いや魔法かもしれない。呂律の回らない声がルシィの頭ではなく、耳元でまるで聞いてと言わんばかりに弾けた。その不快な声はまさしく魔物で。その魔物が魔法を使い、狙っているのは、
「アーサー!!」
ルシィの緊迫した声にアーサーは「えっ」と振り返った。いや、振り返ろうとしたが出来なかった。すぐ目の前に迫った黄金色の物体。美しく輝きながらもその美貌で人々を惑わせんとするその物体はアーサーに向かって大きく口を開いていた。捕らえられればひとかたまりもないほどの鋭い刃と熱さを持った物体。その熱さにチリチリと肌が焼け、前髪が熱さの風に靡く。避けるには距離が足りなかった。魔法を放ったであろう魔物がニヤニヤと嗤っているのが遠くに見えて、危ないと叫ぶ声がする。あ、死ぬ。一瞬浮かぶ上がった恐怖に剣を握る手が微かに震える。目の前に迫った炎のような光にアーサーは思わず目を瞑った。だが一向に感じるはずの痛みも熱さもなくて。代わりに感じるのは優しくも冷たい冷気で。驚いて目を開ければ、目の前に迫っていた魔法はなく、そこにはルシィがいた。ルシィが突き出した両手からはキラキラとダイヤモンドのように輝く白い結晶が舞っており、ルシィがアーサーと魔法の間に滑り込み魔法を放ったのだと云うことは言わずとも分かった。茫然とするアーサーを振り返り、ルシィは云う。
「……ご無事、ですか?」
「……うん、無事だよ。ルシィが助けてくれたお陰で!でも、ルシィ、具合悪いんじゃ「よ、かった……」……え」
アーサーの無事にルシィは心底嬉しそうに笑うと、突然彼に寄りかかるようにして倒れ込んだ。一瞬の出来事に再びアーサーは驚愕し唖然として戦慄した。受け止めたルシィの体には焼け焦げた痕のようなものがあり、全てを防ぎ切れなかったことを物語っていた。遥か向こうで魔物が嘲笑う。アーサーの視界が一瞬、歪む。ルシィは俺を庇った。その攻撃をしたのは、誰だ。魔物か。ニヤニヤと嗤う魔物が迫って見えて、気分を害される。アーサーの脳裏にいつしか見た夢が甦る。自分を庇った誰かが崩れ落ちていく。目の前でガラガラと崩れて行く。「置イテイカナイデ」「許サナイ」そう泣き叫んでいたのは誰だっけ?嗚呼、夢の中で見た光、意志だ。
心中に浮かび上がるのは、怒り。敵にも自分にも向けられた怒りと痛み。ルシィが感じた以上の痛みだった。嗚呼、俺は怒ってるんだ。その感情に気づいた頃にはアーサーは怪我をしたルシィをサグラモールとグリフレットに預けて駆け出していた。魔物に滑るように一気に距離を縮めて接近すると剣を振り上げた。魔物はその一撃に仰け反ってかわし、後方に着地するがそれよりも速くアーサーが後方に回り込み、体勢が整っていない魔物に攻撃する。斜め上から切り下ろされた鋭い一撃に魔物は魔法を放ってかわす。その魔法を首を傾げるようにして軽く後方に下がっただけでかわすとアーサーは振り切った剣を引き戻し、次なる攻撃に備える。魔法を放った魔物の一撃を再びかわし、伸ばされたニュルニュルとした腕のような尻尾に足を振り上げて蹴りを放ち、自らの足に巻き付け一気に振り下ろす。そうすれば魔物がもう一度放とうとしていた炎のような光は上空へと検討違いの方向へと飛んで行く。その腕のような尻尾をアーサーは容赦なく切り落とせば、魔物は痛みに悲鳴を上げて後退する。そんな敵にアーサーは容赦なく懐に潜り込む。一気に詰められる距離に魔物の顔から余裕が消える。かと思いきや近距離で魔法を放った。いくらこの近距離で放てばアーサーでさえも避けきれまい。そう考えてのことだったのだろうが、見当外れも良いところだ。目の前で魔物が息を飲む音がする。煙が晴れる感覚がする。目の前がクリアになっていく。そこにいたのはしゃがんだ状態のアーサーで。魔法を瞬時にしゃがんでかわしたのだ。その素早すぎる動きに魔物が息を飲む。がそんなことアーサーには関係なかった。唖然とする敵に下から剣を殴るように突き上げれば、魔物がヨロリとよろめく。その瞬間、アーサーは足首を捻らせて地面を蹴った。魔物の肩に剣を捩じ込み、無理矢理食い千切るように動かせばブチブチと嫌な音を響かせながら魔物が縦に真っ二つとなる。魔物の背後に回り込み、折り畳まれた背中に蹴りを放てば、勢いよく吹っ飛んで行き、壁にめり込む。ガクン、と糸が切れた操り人形のように獣にも人にも似た首を凭れさせる魔物にアーサーはゆっくりと近づく。彼から放たれる怒りの殺気に倒されかけていた別の魔物がビクリと震えた気がした。壁にめり込み、身動きすらもしなくなった魔物を見下ろすとアーサーは剣を軽く持ち上げ振り払った。ビシャッ、と壁にもう一つの血溜まりが描かれる。痙攣を起こしていた魔物はそれ以降動かなくなった。
「さすがだなぁ坊主。『覇者』ってのはみんなこんな強いのか?」
カラドックの感心したような声色とアーサーの肩にのし掛かった重みにアーサーはハッと我に返った。今、自分は怒りで我を忘れかけた?戦場で何度もあったことなのに、一瞬、いつか見た悪夢が倒れたルシィと重なった。誰かも分からないあの夢と。だからだろうか?引きずられた感じはなかった。ただ、敵だと再認識しただけで。アーサーは自らが持つ剣をもう一度握り締めて納めると自分の左肩に右腕を置いたカラドックを振り返りながら言う。戦闘時よりも落ち着いて、冷静さを取り戻しながら。
「俺は『覇者』じゃないよ。『覇者』なのはサグラモールとグリフレット、そして君だよ」
俺は、あんなに強くはない。
アーサーの言い方と表情が気になったのか、カラドックはそれ以上なにも言わなかった。アーサーはサグラモールとグリフレットに支えられながら回復魔法をかけてもらっているルシィに駆け寄った。魔物はほぼ討伐されたらしく、危険はなさそうだった。回復魔法の急激な治療に顔をひきつらせるルシィをサグラモールが「大丈夫」と宥めている。その表情もとても痛々しくてアーサーは唇を噛み締めた。
「ルシィ、大丈夫?」
「当たりどころが良かった、なんて言えないけど刃物とかそういう感じの魔法じゃなくて良かったね。ちょっとずれてたら危なかった」
アーサーの問いにルシィの代わりとでも云うようにグリフレットが回復魔法をかけつつ答える。もし、自分かルシィの体勢が悪かったら……そう考えただけでゾッとする。こんなところで友人を、相棒を失いたくなどないのに。
「ごめんルシィ。俺が……」
油断したから。そう続けようとしたアーサーを治療が終わったルシィが笑顔で制すると言う。
「アーサーは悪くありません。魔物の声が魔法で反響?したせいでしょうか?聞こえて。アーサーに攻撃する気だったようで、咄嗟に動いてしまいました。それに、貴方が倒してくれたから」
クスリと心底嬉しそうに笑うルシィにアーサーも何処か悲しげで不安げだった表情が安心したようで徐々に綻んでいく。そうしてふと、ルシィが自分の名を呼び捨てしたことに気付き、小さく笑った。壁があったわけではないが、また友人として、相棒として、仲間として近づけた気がした。それにルシィはどうしたのかと、まだ不安要素でもあったのかと怪訝そうにアーサーを見上げ、「あっ」と気づいた。しかし、嫌がっている様子はない。ルシィもアーサーに釣られたように笑えば、安心した様子で二人の成り行きを見守っていたサグラモールとグリフレット、カラドックも嬉しそうに安心したように笑った。
ちょっとした予感のお話しと異変。
次回は月曜日です!




