第十二色 暗闇の中で
神殿内は暗く、ルシィの手元の灯りがなければ、暗闇の中を永遠にさ迷うことになっていたかもしれない。中から吹いてくる冷たい風はまるで「入ってくんな!」と二人を拒絶しているかのようだ。それでも自分達は進むしかない。自然溢れる森と一時お別れをして二人は先に進む。神殿内を進んでいくに連れて、壁にはなにやら絵が書かれていることに気づく。何処か血生臭い匂いがするのは空気が外とは違い、淀んでいるように感じてしまうからだろうか。それとも、この神殿自体がそのような類いのものなのだろうか。アーサーもルシィも一言も喋らずに黙々と進む。後方から射し込んでいた光が消えていくうちにルシィの手元の火が大きく燃え上がって行く。それがまたこちらの緊張感と警戒を引き立てて来て、嫌気が差した。そのうち、手元の灯りだけになってしまい、二人の鼻腔を先程よりも嫌な臭いが刺すようになった。魔物か集団が突然出て来ても良いように警戒を張り巡らせていたにも関わらず、その臭いが二人の集中力を奪う。鼻を摘まんでしまいたい。そんな衝動に駆られながら一本道を進む。相変わらず、壁にはなにかしらの絵が描かれており、二人の行く末を呪っている。絵にも建物と同じように大きなヒビが入り、今にもガラガラと崩れて来そうだ。
「?!」
「!?……なんです?この悪臭!」
その時、目の前から目も指すような悪臭が二人に襲いかかった。敵かとも思ったが違う。生気が一切感じられない。ルシィが鼻と口を袖口で覆い隠しながら片手だけを掲げた。仄かな灯りのもと、現れたのは死体だった。突然の死体に驚き、思わず二人は口を塞ぐ。今朝の朝食が死体の無惨な末路に胃から戻って来そうになる。死体は腹から下半分が白骨化し、その上半分が肉が残っているという状況だった。頭辺りにはハエが飛び交い、口からは歯なのか血なのか分からない液体が飛び出し、片目はトロリと眼球が溢れ落ちている。腹に突き刺さった太い針が致命傷となったらしく、内臓も飛び出している。そして、白く濁った目は恨めしそうに今やって来た二人を見上げている。死体から見るに罠だと言うのは言わずとも分かった。だが、それよりも此処一帯に充満する悪臭に頭がクラクラし、吐き気がする。ズルッとアーサーが死体の反対側の壁に弱々しく寄りかかるとルシィが心配そうに駆け寄ってくる。込み上げて来る吐き気を、口を押さえて押し込んでいるために声が思ってもいなくても小さくなって裏返ってしまう。死体を見たのは初めてじゃない。これ以上に悲惨なものだって見たことがある。魔物に殺された子供の死体、誰かを庇って食われた死体。それよりこれはグロくない。なのに、吐き気と気持ち悪さが込み上げてくる!自分でも何故だか分からない不快感に余計に吐き気が増す。
「アーサーさん!?大丈夫ですか!?」
「……うん……でも、なん……で……」
ルシィはアーサーの様子に不安そうに、心配そうに表情を歪めると死体を振り返った。そうして死体の違和感に気づくと片手の灯りを空に浮かばせる。その間にもアーサーの様子はドンドン悪くなっていく。アーサーでさえ、自分が何故こんなにも吐き気を催すのか分からず、混乱している。ルシィは彼の顔面に両手を軽く当て、言う。
「〈幻の香り〉」
仄かな桃色と赤い色の糸のような、まるで霧のようなものがアーサーを優しく包み込む。花の香り、草花の香りに先程まで絶えず起こっていた吐き気も気持ち悪さも、自分でも分からなかった感覚が薄れていく。今までのはなんだったんだと言うほどにアーサーの容態は神殿に入る時に戻っていた。アーサーが壁を杖代わりに立ち上がろうとするとルシィが彼を支える。まだ少しだけクラクラする。だが、刺すような悪臭はもうしなかった。
「ごめん、ありがとルシィ。嫌なことだけど、慣れてるはずなのに……」
「あの、アーサーさんが謝ることではありません。あの死体、罠での死亡ですがそれ自体も罠だったようです」
「?……どういうこと?」
ルシィの手を借りて立ち上がり、アーサーは問う。あの死体が罠にかかっての死亡までは分かる。それ自体も罠?どういうことだ?
「つまり、続いて入った者ーーこの場合は侵入者の精神を汚染するために魔法がかかっていたんです。精神を汚染し、捜しに来た仲間の死に発狂し自害したように見せるために」
ルシィの説明を聞き、アーサーは目の前が真っ暗になったような気がした。つまり、つい先程まで自分は罠である魔法に引っかかるところだったのだ。ゾワッと背筋に恐怖という悪寒が駆け上がったのは云うまでもない。罠で死んだ死体もまさか自分が罠になるとは思ってもみなかっただろう。そう思うと同情してしまうし、今まさにそれに引っ掛かりそうになっていたという事実に収まったはずの吐き気がした気がした。
「あっぶな……通りで変だと思った……」
「私も気づくのに遅れてしまいました。魔法全属性が使用可能のためか、作用が遅かったことも遅くなった結果です。それに結構昔にかけられたものでしたので……」
「ん?昔?ってことは」
冷や汗をかき、この神殿の有無に気づいたアーサーにルシィが頷く。つまり、ルシィが言っていたように魔法で視覚的に見えなくしていたことが確定した。神殿全体が魔法にかかっていたお陰か否や、死体の腐敗がゆっくりだったのだろう。そのため、白骨化したのは半分だけだったのだ。
「じゃあ、あの集団」
「はい。なんらかの方法でこの神殿とも言うべき建物の魔法を解いたのでしょう」
「だね……こりゃあ、急がなくちゃ。他にも罠あるかもだけど」
「ですね」
手元に灯りを戻すルシィを振り返り、二人は力強く頷く。罠となってしまったかつての人に合掌し、再び緊張感を持って一本道を進み始める。自分達の前に入った集団はこの罠があることに気がついていたのだろうか?ルシィと同じような人材がいたとしても見破れるとは限らない。本当になんのためにこの神殿を作り、隠したのか……疑問は尽きない。とりあえず、道なき道が終わるまで進むしかない。歩きつつ、ルシィが手元の火を付け足しながら歩く。その隣を剣の柄に手を当てながらアーサーが歩く。左右の壁には相変わらず絵が続く。アーサーは知らないものだがルシィは知っているだろうか?
「この壁の絵、なんだか分かる?」
ボォ!とルシィの手元で瞬く火が壁に投げつけられるのではないかと云うほどに近距離で、絵を写し出す。火によって浮かぶ上がった壁に描かれているのは七体の龍が頭を絡ませて身動きが取れなくなっている絵だ。そんな哀れな龍の前には一人の騎士が、そのさらに後方には瓜二つと言っても良いほどにそっくりな人物が描かれている。多分、瓜二つらしき人物は双神で間違いないだろう。だとすると神話関連だろうか。この世界が誕生してからまだ一万年は経っていないと云うし、あり得ない話ではない。
「いえ。私も生まれたばかりですので正確には」
「だよね、ごめん。でもさ、なんだかこれ見てるとこの先に頭絡まった龍がいそうで怖いよね」
ハハッと愉快げに笑うアーサーにルシィもクスリと笑う。まぁ、例えいたとしても不思議ではない。何せ此処は神殿だし。そこでアーサーは嫌な予感がしてしまい、ウッと軽く呻いた。いやいや、まさか、ねぇ?
「……ルシィ」
「はい、なんでしょう?」
「もしかしてだけどさ、あの集団、此処に描かれてる龍かそれに相応するものを復活とかさせる気じゃ……」
「まっさかぁ~……あー」
「否定出来ないでしょ……」
アーサーの考えにルシィは冗談だと笑い飛ばそうとして、無理だと頭を抱えた。もし、あの集団がこの絵の通りのことをやろうとしているのならば、こんな森の中に存在も知られないように魔法がかかっていたことにも罠にも説明がつく。誰が好き好んで復活なんてするか。双神が見守っているだけな辺り、傍観者に徹底しているようだ。恐らく、絡み合った龍を前にしている騎士がこの神殿の関係者だろう。詳しくは知らないが。二人は無言で頷き合うと嫌な予感を追い払うかのように暗闇を歩く速度を早めた。
ヤバい古代神殿。




