第百三色 彼らの覚悟
「あっ、美味しい!この紅茶って何処産なのかな?」
「確か……パール、王国……産」
「へぇ、今度の旅の目的地はパール王国だね!教えてくれてありがとうボールスちゃん」
ありがとう!と微笑みながらドラゴネットは隣に座るボールスの頭を撫でる。ボールスはドラゴネットの感謝に嬉しそうに身を捩りつつ、両手で持っていたカップの中に並々と注がれた紅茶を飲んだ。そんな二人を向かい側に座るマーハウスが微笑ましげに見つめ、紅茶を一口口に含んでいる。三時をすぎ、早々に夕飯の匂いが充満した食堂で三人は訓練後のお茶会と洒落込んでいた。三人が座る場所のテーブルの上には食堂担当の仲間から借りたティーセットが香ばしい匂いを漂わせながら鎮座している。マーハウスは残り少なくなった紅茶をカップに注ぎ足しながら茶菓子が入った受け皿に目を向ける。三時と言うことでお菓子を用意したが、そろそろなくなってしまいそうだ。取りに行った方が良いだろうか?そう脳の隅で考えるマーハウスの前に「あたしにもちょうだい♪」とドラゴネットがお代わりを要求してくる。しょうがないなぁと苦笑し、マーハウスは顎でドラゴネットにカップを出すよう要求し返し、並んだ二つのカップに紅茶を注ぐ。此処まできたらボールスの分もやってしまおうとマーハウスが彼女を見ると察したらしく、少しだけ遠慮がちにカップを差し出して来た。ゆっくりとした遠慮がちなのに何処か警戒する猫のように見えてマーハウスは内心クスクスと笑ってしまった。トポトポと響く注ぐ音に夕飯の美味しそうな匂いが混ざり合う。今にもお腹が減ってお腹の虫が悲鳴をあげそうだ。女子だけではあるがボールス以外は歳上の女性ということもあってか、ボールスはお腹の虫が咆哮を上げる前にと菓子を口に放り込んだ。
「そういえば、マーハウスさんってどうしてそんなに強いの?」
マーハウスが二人にカップを戻していると突然ドラゴネットが言った。ドラゴネットの問いにマーハウスはキョトンとしていたが、カップを二人に差し出すと椅子に座り直し、ソーサーに乗った新たな紅茶を持った。指先にまで優雅な仕草が染み付いており、紅茶を飲む動作一つでも惚れ惚れとしてしまうほどに優雅だ。マーハウスは一口新たな紅茶を楽しむ。ドラゴネットはマーハウスが一向に答えようとしないので聞いてはいけなかったかと萎縮してしまい、気に入った紅茶に手を伸ばしかけては手を引っ込めるという動作を繰り返している。
「言いづらいことだった……?」
「いいや。そうじゃなくてね……思い出していたんだ」
優しく、萎縮するドラゴネットに肩の力を抜くよう笑顔で語りかけるマーハウス。彼女の「思い出す」という言葉にドラゴネットはボールスと顔を見合わせる。ボールスも意味がよく分からなかったらしく、首を傾げている。クスクスと楽しげに笑いながらマーハウスは菓子を一つ摘まむ。
「私の一族、レオネス家は由緒正しき戦士一家なんだよ。だから私も漏れなく戦士になるものと信じて疑わなかった。けれど、強くても全て思い通りになるわけでもないことを、弱き者を助け悪を挫くことなど出来やしないことに気づいたんだ」
「……騎士、みた、い」
「ふふ、そうかい?でも私はいくら一番と言われようと大切な友人を守れなくては意味などないと考えている……最近になって打ちのめされた気分だよ」
カリッと砕いたクッキーが乾いた音を食堂に落とす。マーハウスが言っているのはアーサーが誘拐された事を言っているのだろう。あれは誰もが悪くて誰も悪くない。それでも心の中では罪悪感と怒りが蔓延っているのだ。此処にいる三人も例外ではない。「けれどね」とマーハウスはクッキーを噛み砕き、紅茶で体の中に流し入れ言う。
「改めて意志が固まったんだよ。そうして本当に私が強くなりたいと願った理由もね。私は、大切な友人や家族を奪われたくなかったから、守りたかったから強くなりたかったんだ。この戦いもその一環の一つなんだよ。ドラゴネット殿が言うように私はまだまだ強くないよ」
ニッコリと笑ってマーハウスは言う。どんなに強くても大切な者を守れなくては意味がない。そう改めて理解した。決心した。もう奪われてはならない。この幸福を、大切な人生の運命を奪われはしない。力強く言い放ったマーハウスをボールスは尊敬の眼差しで見つめると小さく挙手した。「なんだい?」と首を傾げて聞いてくるマーハウスのルビーレッド色の瞳がまるで母親のような包容力と慈愛を持ってボールスを見つめてくる。しかし、その中には強い別の色があって。揺るぎない意志があった。
「わた、し……火事、で、姉弟……いなく、な、た……でも、アーサーたちと会って……嬉しかったの」
包帯で覆われた先に刻まれた火傷の痕をボールスは何処か愛おしそうに撫でる。それとは裏腹に二人はボールスの告白に息を飲んだが、彼女の言葉を遮ることはしなかった。過去を話し未来へと繋げる事こそがボールスにとっての覚悟であり意志であるから。ボールスは包帯に触れた手を胸元でまるで祈りを捧げるように組む。その手が何処か震えているように見えたのは目の錯覚だろうか。
「……もう一度、わたしは、光を、見つける事が出来たの……だから、今度こそ、守りきる。姉弟が、みんなが、愛する世界を、守りたいと思うから」
力強く言い放ったボールスの青藍色は美しいほどに澄んでいてまるで宝石のようで、過去を感じさせないほどに立派だった。もう二度とわたしと同じように悲しんで欲しくないと願っていた。この力が、平和をもたらしてくれるのならば、大切な者を守れるならば覚悟は既に決まっているから。それが意志だから。そう告げるボールスをマーハウスは身を乗り出すと彼女の頭を優しく撫でた。ポワポワと暖かな気持ちに胸が舞い踊るボールスをマーハウスは再び優しい笑みをこぼす。
「苦悩や苦痛の先にそれに見合っただけのなにかがあるものさ。ボールス殿は」
「……ボールス」
「はいはい、ボールスは凄いよ。それはきっと貴殿の支えとなり、なおかつ引き金ーー脆い部分にもなり得る。私らもだが、十分に注意せねばね」
うんと頷くボールスにマーハウスは満足げに笑うと席に戻った。二人の会話を聞きつつ紅茶を嗜んでいたドラゴネットは話の区切りがついたとみて声を上げる。
「でも、全部が全部、都合良くいくわけでもないし全て正しいとも言い難い」
「……な、に……言、たい、の?」
ボールスの怪訝そうな表情と声色にドラゴネットは苦笑する。なにも間違ってはいないと誰もが分かっているし間違っていないとも言えない。ハハッとドラゴネットは空元気に喉から笑い声を絞り出すと両腕をテーブルに置き、片手で頬杖をつく。カーマイン色の瞳は遠くを見据えていた。
「あたし、これでも放浪者だから色々見てきたんだよね。エディアスの破壊が違う意味にしろそう思っちゃう『ヴェグス』もいたし、そうなってしまえと思ってしまう光景も見て来ちゃった。見て来ちゃったからこそ目の前の幸福が嬉しく感じるんだよねぇ~」
「なるほど、そうかもしれないね。でも、ドラゴネット殿が……ドラゴネットが言いたいのはそう言うことではないのだろう?」
ドラゴネットの発言にマーハウスがそう言えば、彼女は同意とも否定とも取れる曖昧な笑みを浮かべる。まぁ笑みと言っても口角をちょっとだけ上げたようなものでマーハウスとボールスにしてみれば同意の笑みにしか見えないのだが。ともあれドラゴネットは頬杖をついたまま中央の菓子を一摘まみし、目の前に持ってくるとユラユラと揺らす。
「うん、マーハウスさんの言う通り。だからってあたしは全てを無に返して良いとも思えないし、失いたくもない。だって、欲しかった後輩も先輩も友人も手に入れちゃったんだから!この幸福を幸せを失わせない、それがきっと今あたしが戦う理由」
口の中に菓子ーークッキーを放り込み、ドラゴネットは笑う。理由や目的は違えどその頂点は、目指す場所は同じで。それこそ『覇者』という訳ではないだろうが、だが確かに先代も同じだったのだ。ただ対象が違うだけでそれはまさに決意で色で意志だった。「おいしい!」と頬に手を当て乙女のようにピンク色に染まるドラゴネットの肩にボールスは甘えるように寄りかかるとドラゴネットは最初驚いるようだったが、フワリと表情を綻ばせた。
「……大丈夫……『幻想』、さん……『紅蓮』さ、ん……」
まるで眠いからそばにいてねと言わんばかりの小声でボールスは呟く。誰にも聞こえていないと思っていたが、案の定聞こえていたらしく頼もしい『覇者』は力強く、瞳に意志を宿し、頷き返してくれた。
「頼りにしてるね『千夜』ちゃん!」
「私らなら出来るさ」
そうして三人は夕飯時になるまで、菓子がなくなっても紅茶がなくなっても楽しくお洒落を続けていた。
……*……
多くの情報を抱え、帰って来た仲間の報告から相手の実力を紐解き結論付け、作戦を寝る間も惜しまずに隊長クラスの面々と熟考して早数時間。ようやく相手の実力も地理も含めた完璧な作戦が完成した。あとは明日、正式に全員の耳に作戦をぶちこむだけだが悠長にしてもいられない。これ以上の情報の変更がないことを祈るばかりだ。星座の間では往来する仲間達は各自休憩を取ったりはたまた敵の偵察に行ったりとてんやわんやしている。星座の間はいつも以上に緊迫感に包まれていた。それは来る戦いの日が明日に近づいていることに他ならなくて。それを考えると何処か悲しくなるのはもしかするとの最悪を一瞬でも思い浮かべてしまったからだろうか。ぺリノアは少しだけオレンジ色に染まり始めた空を眺めながら、片手間に報告書類に目を通す。今のところ、敵側に変更なし。この状態を維持できるなら、作戦は変更しなくてよさそうだ。ペリノアがトントンと書類を纏めていると視界の隅に紅茶が淹れられたカップが入り込んできた。
「ノア様、一息ついたらどうですか?」
「最終確認が終わったらな。ありがとうグリフレット」
カタンと音を静かに立てて置かれるカップに視線を向ければ、先程までペリノアと共に作戦会議に参加していたグリフレットが立っていた。既に最終確認すらも済んでいるのにまだやる気なのかとグリフレットは少々呆れた表情でペリノアを見ている。その隣にはいつの間にか同じく会議に参加していたサグラモールがおり、グリフレットと自分の分であろうティーセットを持っている。サグラモールはペリノアの近くの席にティーセットを置くと彼が手にする書類に視線を投げ掛けた。
「最終確認ってのぅ、既に終わっておるんじゃろうて」
「嗚呼、まぁそうだが。だが見落としがあってはいけないしな」
「じゃったら余計に休息が必要じゃよ。師匠の言う通り、一息つかぬか?」
自分とグリフレットの分のカップに紅茶を注ぐサグラモールにペリノアはスッと肩を竦めるとグリフレットに座るよう促す。友人に睨まれるてまで休憩を入れないつもりはない。自身の要求が通ったことにサグラモールが紅茶を淹れつつグリフレットに笑顔を向ければ、彼からもお見事と笑みが返ってくる。さては仕組んだな?そう思いペリノアが二人を下から睨むように見れば、グリフレットはクスクスと笑うだけでなにも言わない。ペリノアはすぐさま諦め、書類を紅茶とは反対側にまとめて置くとカップを手に取る。鼻腔を包む香ばしい匂いを堪能し、ペリノアは一口紅茶を飲む。本日の紅茶はパール王国産の物らしい。パール王国にのみ咲く花の香りが練り込まれたパール王国王妃イチオシの紅茶は思考の底に沈んでいた感情を徐々に呼び覚ましてくれる。グリフレットとサグラモールも紅茶に口をつけ、美味しそうに頬を綻ばせている。
「もう少しだな」
「なんです?いきなり……言いたいことは分かるけど。無理はしないでくださいね」
「師匠もの」
なにを当たり前なと言わんばかりにサグラモールが二人の会話に割り込めば、なんだか可笑しくなって笑ってしまう。暫く笑ってサグラモールがポツリと呟いた。
「終わるんじゃろうかのぅ……」
その言葉の意味が分からない者はいないし、誰もが本当に終わるかも分からない。ねぇ、だから確かめ合いましょう?戦いに向かうだけの決意があるかどうか。カップを置いてグリフレットは流し目でペリノアを見やる。するとペリノアは誰が先に喋っても良いと言わんばかりに静かに紅茶を楽しんでいた。とその時、カタンッとカップをソーサーに置いてペリノアが近くの書類をペラペラ捲りながら言った。
「いつかは終わるんだろうさ、それは十年後か百年後か……そういうのがある限り『覇者』は存在するんだ」
「そう、ですね」
「だが」
だが、とグリフレットを遮って力強く言い放ったペリノアに二人の「えっ」という表情をする。そんな二人の表情にしてやったりとペリノアは笑う。
「もしそうなったとしても私達が遺したものが後世の役に立てば、これほど嬉しいことはないんだ。そのためにも諦めてはいけない。私には……私達には、失ってはいけないものが抱えきれないほどにある。それら全てを守るというのは難しいかもしれない。しれないが決意するのは自由だ」
ニッコリと慈悲深げにペリノアが笑う。ペリノアの言う意味全てが分からないほど一緒にいたわけではないし、細かいところを汲み取るほど彼を知っているわけではない。ただ、彼の決意は寝る間も惜しまず制作された作戦が物語っている。誰一人として犠牲を出さないなんて傲慢だがそれでも望んでも願っても良いでしょう?腕をテーブルにつき組んだ両手に顎を乗せるペリノアはまるで寝る前の物語をせがむ子供のように微笑む。そこには確かな先代にも衰えぬ意志が宿っている。グリフレットは年齢で見れば遥か下もはや孫の存在であるペリノアの意志を微笑ましく思い、微笑を浮かべる。彼の微笑にサグラモールが「どうしたんじゃ?」と不思議そうにカップを両手に持って首を傾げる。そんな彼女の頭をぐしゃぐしゃと意地悪のように撫で回し、グリフレットは頬杖をつく。
「ノア様の言うことは正しいです。それでも僕達は絶望的であっても自分に失望しても立ち向かうんだろね……まだまだ若い人がいて未来を夢見ている。それを奪っては可哀想だし、何より籠っていた僕も見つけちゃったしね」
「グリフレットは容姿的にはまだ若いだろう」
「じゃが、籠っていたのは多分否定出来ぬ」
「少しは否定してよー」
ハハハ、と互いに笑い声が漏れる。そうしてほぼ一斉に紅茶を飲んで一息つけば、グリフレットは続けて言う。その瞳が優しく弧を描いていることを二人だけが知っている。
「この世界には、まだまだ輝くものがあるよ」
その言葉が誰を指して誰を望んで、なにを望んでいるかなんてもう知っているでしょう?だからこそ失ってはならない。いや、奪われてはならない。
「のぅ、妾の話を聞いておくれ」
「どうぞサグラモール」
もう一度カップを両手で咲き誇る花のように包み込みサグラモールが子守唄を歌うように告げれば、ペリノアは片手を振って促す。それにサグラモールは軽く会釈すると香ばしい花のような匂い漂うカップの温もりを感じながら一瞬顔を俯かせる。と懐かしんで言う。
「妾は誘拐されそうになって、本当は少し怖かったんじゃよ?これでもまだ子供じゃからのぅ」
「大人っぽいけどねぇ」
「ふふ、それは皆に追いつきたかったからじゃ。追いつきたかったのは怖かったからじゃない、助けたかったからじゃ。妾なりの、妾のやり方で新しい人生と世界を守りたいんじゃ。それに、まだノア様とも師匠とも皆とも一緒にいたいしのぅ」
ふふっと笑いつつカップで口元を隠すサグラモールにグリフレットは心中にじんわりとするものを感じ、二人から数秒だけ視線をずらした。目尻に溢れかけた涙は優しさか歓喜か。嗚呼、もう分かりきっているでしょう?だからこそ、大小あろう恐怖にも果敢に立ち向かって守ろうとした。救おうとした。それが先代も感じた苦痛で苦悩で喜びだと知っているから。ペリノアは静かに立ち上がると身を乗り出し、ティーポットを手に取る。サグラモールとグリフレットが一瞬慌てるが周囲の右往左往する仲間が微動だにしない状況に「嗚呼」と納得してしまい、落ち着きを取り戻す。これがペリノアなりのもてなし方でもあるとアーサーやルシィ達から聞いていたから。
「では皆様方、カップを拝借。休憩の終わりにもう一度誓い直そうじゃないか。なぁ、『妖術』、『叡智』?」
片目を閉じてウインクをするペリノアは多くの上に立つ気高くも凛々しい皇族と云うよりも無邪気な子供のように見えた。それに呼ばれた二人は顔を見合わせニッコリと笑い、カップを持ち上げる。
「仰せのままに『大地』」
「右に同じく、じゃ」
カツンと二人が掲げたカップがぶつかり、甲高い音を奏でた。
決戦まで、残り一日。
ボールスの姉弟話、入れる場所此処しかなかったぁぁあ。
はい、次回は金曜日です!




