第九十八色 上空より侵入者あり
「あれ、今のって……?」
「ノア様か?」
「グリフレットの声も聞こえましたよね?なにかあったんでしょうか?」
白黒の盤上を睨み付けていた四人は唐突に響いたペリノアとグリフレットの緊迫した声に首を傾げた。連絡魔法を特定の誰かに使うはずがエーヴァ防衛城全体に魔法で響いてしまった……わけではないようだ。不安に刈られながらアーサーは床を蹴り上げると窓際に跳躍した。中庭を見下ろすと先程まで訓練に勤しんでいた仲間達が憤然と上空を見上げていた。射ぬかさんばかりの鋭い視線と警戒心の先をアーサーは窓を開け放ち見上げれば、遥か青い頭上に人影があった。空中浮遊している。しかも、新たに張った防御壁のちょうど真上に。その人影の視線の先は屋上に注がれており、屋上警備に当たっていた仲間の姿が一人も見えず、代わりにペリノアとグリフレットらしき人影が屋上で空中浮遊する人影と対峙している。言わずとも分かった。これは緊急事態だ、しかも自分達が考えているよりも遥かに警戒度の高い。
「屋上でノア様達が誰かと対峙してる」
「えっ!?」
「なんか分かんないけど行くっきゃない!」
「ちょっと、アーサー?!」
窓枠の壁と床を同時に蹴り、アーサーは大きく飛び出すと背後から響く止める声も聞かずに娯楽室を飛び出した。ペリノアが「屋上に来るな」と言ったのは多くの犠牲者を出さないためだ。つまり、それほどまでに空中浮遊している人影は強者であり危険ということだ。だからこそ屋上に近寄らぬよう警告した。だがそれでも防御壁を一番乗りで破壊しない理由が分からない。エーヴァ防衛城の防御を破壊してしまえば、上空に浮遊しなくても良いはずなのに何故しない?なにか目的があって浮遊を続けているとしたら警戒をしたペリノア達も危険だ。娯楽室を飛び出し、一気に五階分の階段を駆け上がった。寂れた殺傷力を失った鉄格子の下をくぐり抜け、生活区域を走り抜ける。嫌な予感がした。空中浮遊している人影を見上げた時、アーサーは悪寒を感じた。底知れぬ深い深い負の感情。復讐を越える醜悪とも絶望を与えるとも言うべき異様な感情と魔物とは比べ物にならないくらいの殺気。触れれば霧散してしまいそうなほどに儚げではあって、濃い。それはかつて先代『覇者』がその身に全てを投げ打つかの如くに受けたもの。世界戦争信仰者』が、ラヴェイラが、受け継いだ感情のよう。だがその矛先は『覇者』ではなかった。ならその矛先は何処に向かっているのだろうか?答えをアーサーは少なからず感じ取っていた。多分、これは、世界。両手に抱えきれぬほどのそれを彼らも感じ取った。だからきっと遠ざけようとした。
屋上へ行く階段の踊り場には屋上警備を任されていた仲間が険しくも困惑した表情で立ち尽くしていた。少し薄暗いその空間はまるで彼らの焦燥感を表しているように感じてしまう。踊り場にやって来たアーサーは肩で大きく息をしながら困惑する仲間に「状況は?」と訪ねる。突然娯楽室を駆け出したアーサーを追ってルシィとユーウェイン、パロミデスも後ろからやって来る。
「分かりません。突然、現れて……」
「ノア様もグリフレットさんも出ろって言うしで……もうなにがなんだか!」
大声を上げ、不安と混乱を露にする仲間にユーウェインとパロミデスが落ち着くようにと肩を叩く。ペリノアに入るなと命じられれば彼らは入室することが出来ない。例え緊急事態で危険な状況だとしても。アーサーは深呼吸をすると仲間の波を掻き分け、屋上へと続く階段を一段一段上っていく。その先の左右にあるのは見張り番が常時いる部屋と武器庫だが、本日に限ってはどちらの扉も誰かが屋上に侵入し危険行為をしないようにと魔法で錠がされていた。全く準備が良いんだが。クスリと用意周到すぎる現状に苦笑を漏らしつつ、アーサーは進んでいく。その先にあるのは二部屋分が屋上にて突起し壁となり死角と屋上への出入口となっている場所。扉がないため、屋上からの緊迫感溢れる冷たい風がアーサーの前髪を撫でていく。石畳の出入口には先客がいた。
「サグラモール!?何故此処にいるんですか!」
「おや、来てしまったのか」
片膝をつき、通せんぼするように座っていたのはサグラモールだった。ペリノアとグリフレット、とくればサグラモールもいると考えていたアーサーは自分のあとに着いてきたルシィを彼女が背を向ける方に行かせ、自分はその反対側の壁に片膝をついてしゃがみこんだ。ある意味此処は小部屋となっているので二部屋があるところと踊り場で仲間と共にユーウェインとパロミデスが大丈夫かと顔を出している。アーサーは壁を背に屋上を慎重に覗き込む。アーサーの行動にペリノアから命じられているのかサグラモールが止めようとするが、それよりも先につき出した頭を引っ込める。一瞬だけ視界に納めた光景は、やはり空中の人影と二人が対峙している状況だった。険悪、というよりも一本の見えない糸を探しているように静まり返っており、剣呑で、肌に緊張感がピリピリと静電気を浴びせてくる。仲間達に大丈夫だとアーサーが親指を立てれば、ひとまず安心と言った空気が流れた。入るなと言われても不安だったのだろう。見張りをしているようなサグラモールしかり。よく分からない大物と対峙する二人しかり。アーサーはふっと息を吐き、問う。
「なにがあったの?」
「やはり皇子様の言う通りじゃのぅ。連絡魔法で知らせたのに来おった」
「それは悪いと思ってるけどお説教はあとでお願い……ん?ノア様、俺達が来ること分かってたの?」
サグラモールのまさかの単語を拾い上げ、アーサーは言う。サグラモールはケラケラ笑いながらルシィの肩に頭をちょこんと乗せる。
「嗚呼、屋上警備の者達は分かるとして『覇者』に至っては二、三人来るだろうと言っておった。そこにアーサーとルシィがおれば運が良いとものぅ」
「何故?私とアーサーなんですか?」
何処か気の抜ける、緊張し続けている空間に放たれる癒しというか姉妹のような和ましい雰囲気に一瞬現実逃避する者多数。戻ってきてと言わんばかりにサグラモールはペリノアの予知能力とでも言うべき発言を伝える。
「ルシィは状況把握で絶対と言っても良いほど来ると言っておったなぁ。双神からのアドバイスが『覇者』関連なら一人でも欠ける可能性のある状況は把握するに越したことはない。で、アーサーは皇子様や師匠、仲間が心配で来る。もう一つはもしもの場合に備えて来る」
「………………ノア様ぁ」
さすがのペリノアの観察眼を通りすぎた千里眼、いや予知能力か?は侮るどころではない。この間の一件から進化しているような気がして、アーサーは脱力と呆れを滲ませた。ちなみにそれを聞いたルシィも友人達も目が点になったあと、「まぁノア様だしなぁ」で決着がついた。
「まぁ先代も速さと闇の座が恐ろしいくらいに頭が切れたとも言われてますからねぇ……想の座がそこに入ればほぼ怖いもの知らずだったとか。人心掌握も思いのまま……?」
「それに加え今代は頭良い三人全員、話も合うから……」
「ちなみに先代の『色無き王』は三人を凌ぐ頭脳の持ち主だそうじゃよ。先代・知識の座は研究によってじゃったから分野が違うんじゃろうなぁ」
「今、それは違うかなサグラモール……」
ハッハッハッ、と豪快にサグラモールが笑う。『色無き王』、『覇者』を支える器であるアーサーにそこまで多大な期待をしていないのも無茶を押し付けていないのも知っているが改めて考えると……先代すげぇ、である。ペリノアとグリフレット、サグラモールがもし先代の時代に一緒に生まれていたら歴史書に作者と彼以外の名前として載っていたであろう。味方で本当に良かった。とアーサーは違う違うと軽く頭を振り、もう一度サグラモールに問う。
「で、状況は!?」
「そうじゃったそうじゃった。うんとのぅ、防御壁を皇子様は助言、師匠と構築中に突然現れたんじゃよ。おそらくリーセイと同じ魔牙じゃろうな。あとはご想像通りじゃ。皇子様ーーノア様が異変と危険を察知し、屋上にいた者を避難させ師匠が護衛及び参謀として留まった。ノア様は師匠が残ることも想定してたんじゃろうなぁ」
「最高責任者だからですかね、残ったのは」
「多分」
サグラモールからの状況に今まで以上に危険であると察知する。魔牙が侵入ではなく留まっているのだ。攻撃もせず防御壁を破壊もせず。それが何処か思惑染みていた。
「誰か全部隊の隊長に連絡魔法繋げておいてくれる?これ全部行ってるわけじゃないだろうし、もしもの場合に備えてすぐに連絡飛ばせるように」
アーサーが一応で後方を振り返って言えば、仲間の一人が「は、はいっ!」としっかりとした返事をし、何人かが分担して連絡魔法を繋げていく。それにパロミデスも加わるようで少しだけ石畳の中に声が反響する。やっぱりやってくれたと言わんばかりのニヤリとしたサグラモールの笑みが視界に入り、アーサーは軽く手を振った。サグラモールはクスリと袖で口を隠して笑い、ルシィにも小声で「一応、連絡魔法頼むのぅ」と頼んでいた。誰に向けて、かなんて聞かなくても分かっていたのでルシィは片手間に素早く自分を含めた全員分の連絡魔法を繋げれば、様子を見ていたであろうグリフレットの声が屋上から聞こえてきた。
「で、何用かな?それとも、誰かと聞けば満足かな?」
煽るように、挑戦するようにグリフレットは上空に浮遊する人影に問う。逆光になっているために正確な姿までは分からないが、だがそれでも全てを恨み憎み蔑む感情は分かった。人影はグリフレットの問いかけにフッと鼻で嗤うと言う。
「聞かぬとも分かっているだろうに」
「魔牙ってことは分かってるけど?」
「お前らが言う魔牙、つまり魔物は正解だ」
「じゃあそっちにしてみれば僕達の正体も知ってるわけだ。裏切り者は処分されたんだから」
「嗚呼、リーセイか」
グリフレットの言葉に人影が反応する。それだけでもう分かる。何処か疑問だったリーセイの執念の如く殺意と彼の言葉の意味。おそらくそれは浮遊する人影を指すのだろう。人影は見えない瞳を三日月のように歪ませ、笑みを作る。
「あそこまで知能が高い魔物、魔牙は初めてだよ」
「だろうな。アレは特に上出来な玩具だった。だが、そのせいか強大な力の引き金を引いた。後先も考えずに破壊のみを求めた。この世界の怠慢な神のように」
「……は?」
クスクス、クスクスとその時を思い出したのか微かに痙攣して嗤う人影に、グリフレットの怪訝な声が投げ掛けられる。今、人影はなんと言った?この世界には双神が神の頂点に君臨し、現在は神々の誕生は行っていない。と言うことは人影が言う怠慢な神とは双神を示すのか?主人を侮辱され、次なる言葉さえも侮辱だと捉えたルシィが怒りのあまり飛び出しそうになるのをサグラモールが両腕をルシィの腕に絡めてひき止めれば、ハッと我に返り済まさそうに腰をおろした。と同時に人影がまるでルシィの怒りを感じ取ったかの如く、告げる。
「そうだろう?アレは偽物だ。このオレを、神であるはずのオレを否定したのだから、当然だろう」
「!?……双神が交渉した、化け物か」
人影の言葉が波紋となり衝撃波となり、全員を、アーサー達を意図も簡単に傷つけていく。空気が触れ合い雷を起こす。それは小さな火花とか可愛らしいものでは決してない。狂気と底知れぬ殺意は全てに向けられていた。それらは足を重く頑丈な鎖で拘束し身動きを封じ、罰を受けろと頭を押さえつけてくるかのよう。その何処か理不尽なまでな空気を薙ぎ払うようにペリノアが呟く。その声はアーサー達と同じように驚愕を示していようともしっかりと地に足をつけ、先を見据えていた。
「この世界の創造神は双神だ。創造も破滅も、神々の生死さえ。双神が造り上げた神ではないと認めたならば、それが事実だ」
「悲しい事を言うじゃないか。だが神々の生死観がそうだとしてもオレは、そうやって生まれ落ちた。神と言っても問題ないだろうさ。だからこそ神なんだ。誰とも違う新種の神。人類と同じ、魔物と同じだ」
それでも双神は「違う」と考えた。この世界の神ではないと。そのため、人影の言い分は検討違いとも言えた。新種も人類も神が生み出す。それを創造神が知らないわけがない。魔物の糧となるであろう感情は神でさえも操れない。操ってしまえば、それこそ真の神の降臨だ。それを双神は否定した。神は創造神であるがために世界の理を重視する。理を根本から覆してしまえば、全てが崩れてしまうから。それをアーサー達は多少は理解している。そのため異物とも言うべき魔物が現れたのだ。
「それでも双神の想定外のことが起こらないとは言い切れない。予知能力を持たず奇跡を持つのだから。だからこそ双神は交渉を与えたんだろうが。手を差し伸べたんだろうが。想定外を受け入れるために」
想定外を覆し、受け入れるための手段が交渉だった。時間を与え、考える時間を与える、その先の交渉。魔物も一度は起きそうになった世界の崩壊も双神は相手を重視することで理と世界を守った。だがそれを根底から破ったのはこの世界での神と名乗った異形な化け物だった。つまり、人影はこの世界の新種でもなんでもなく、完全なる異物なのだ。余所者とも言えた。そのため双神は「違う」と否定したと言っても良い。だがそれを人影は踏み誤った。両者共に意図を読み違えた。
ペリノアの低い声色に人影は「おやおや」とおちょくるように悲哀を滲ませるがそれさえも嘘で人影の策略だった。
「嗚呼、交渉。交渉なんて、アレがオレを否定した時点で不要だ。想定外でも異物でも否定し拒絶したならそれは全てオレだ。受け入れてくれなかったのだから、壊したって問題ないだろ」
「そんなわけないでしょ!」
噛みつくようにグリフレットが一歩足を踏み出して叫べば人影は「おお怖い」と口元を押さえて嗤う。クッと歯を食い縛るグリフレットをペリノアが片腕を横に出して制した。落ち着け、そう言っているのは無理もなかった。理不尽極まりない言い分で侵略に遭っているこちらからすればたまったもんじゃない。ただ人影はこの世界と神に否定された事実を強調し誇張したいのだ。否定したからこんな目に遭っているんだぞ、と。悪いのはお前達だぞ、と。だが、
「破壊だけが目的ではないのだろう」
次回は金曜日です!さぁて、やってきましたね……!




