第九十四色 目覚めた者
「……は……?」
リーセイの混乱の声が無情にも円形の牢獄に響き渡る。操り人形達も操縦者の異変に気づいたのか否や、ドロリと泥と化して崩れ去っていく。リーセイが掲げた指先にまとっていた黒い光は彼の混乱を吸い込んで消滅する。ガクガクと震えるのは恐怖か?それとも死へのカウントダウンか?それを知るのも理解するのも命を弄びすぎたリーセイには分からない。目を見開くルシィの視線の先、リーセイの左胸には紅いシミがゆっくりと広がっていた。それはまるで華が開花する瞬間のように美しく、朧気だった。リーセイがルシィの視線に気付き、左胸に目を落とす。そして真っ赤に染まったグレーの胸元に咲く華を見て我に返った。
「なんですかこれは!」
「血だよ。知らないの?」
背後から囁かれた、怒気を含んだ低い声。子供を叱るようでいて、嫌みを含んだその言い分にリーセイは再び目を大きく見開いた。あり得ない、そう、あり得るはずない!
「〈闇の剣よ〉!」
片手に闇をまとった剣を召喚し、リーセイは振り返り様に振り切った。左胸から抜かれる刃物の痛みが容赦なく彼に襲いかかり、正常な思考を遮断する。リーセイは鈍色の瞳を刃物のように鋭く尖らせながら後方を振り返った。そこにいる、いや、いないはずの人物にリーセイのなかで此処まで培ってきた全ての情報と常識、勝敗が崩れ去る。体に刻まれた魔物の象徴とも言うべき鱗をかきむしり、引き剥がすようにリーセイは怒りを叫んだ。
「何故、アナタが生きているんですか!!死にぞこないがぁああ!!」
リーセイの目の前、魔物特有とも言うべき人類全てを殺すことを目的とする震えるような敵意と殺意を受け流す人物。その人物はリーセイの怒りをにっこりと異常なまでに優しげで、なにも感情を持っていない瞳で見つめ返す。それがリーセイの怒りを逆撫でし、計画を狂わせていく。
「生きているに決まってるでしょ?俺は、選択をしていないんだから」
闇をまとう剣を癇癪を起こす子供のように振り回すリーセイの目の前に立っていたのはついさっきまで死亡したと思われ、『覇者』がまだ生きていると信じていたアーサー・ロイだった。両腕には痛々しく鎖のあとが残り、攻撃された際に切り裂かれた服の隙間からは幾つもの傷が見え隠れしている。目の回りを覆うように血が頭から流れているが、彼は出血を感じさせない力強い足取りで立っている。そしてその左胸。左胸に咲いていたはずの紅い華はなく、代わりに右胸に微かに華が咲いていた。その傷は見る限り浅いもので致命傷には到底なり得ない代物だった。信じていた、彼が生きていると。それでも時既に遅しというような状態を目の当たりにした以上、何処か怖かった。恐ろしかった。自分達が見ている幻覚じゃないかと思った。でも違う。アーサーはしっかりと立ち、その手に愛用の剣を握りしめている。嗚呼、彼は無事だ。その事実にボールスが倒れ込みかけ、フローレンスが慌てて支える。泣きわめくことも発狂することも出来なかった。だって、そうだって、知っていたから。だから今は、喜んでも良いでしょう?ディナダンが「生きてるー!」とガヘリスに抱きつき、ドラゴネットが歓喜のあまりカラドックの背中をバシバシ叩く。カラドックは苦笑していたが目に光るものが見える。ルシィは安心で崩れ落ちる体を懸命に叱咤し、リーセイの動向を伺う。計画が殺したと思っていたアーサーの復活で狂ったのだ。逆上し、一番弱っているであろう彼に向かっていく可能性もあった。だがルシィの考えは外れ、リーセイは唸り声を上げながら言う。
「どうして……確かにワタクシがこの手で殺したはず……毒もあったはずなのにどうして生きてるんですか!!」
どうやら完璧な計画を狂わされてご立腹のご様子。毒という新たな単語にルシィ達が驚く。リーセイは確実にアーサーを殺そうとしていた。だからこそ毒を盛り、短剣を使って殺害した。殺害に使用された短剣はアーサーの足元で刃を根元から折られて放置されていた。リーセイの憤慨した様子にアーサーは「へぇ」とまるでその場にリーセイと自分しかいないような親しみと嫌悪を同居させた雰囲気と声色を出すと剣をゆっくりと下ろす。
「そもそも、君は勘違いしてたんだよ」
「……は?」
「確かに毒を盛られた。でも、本当に左胸を刺したのかな?」
「はぁあ?」
怪訝そうなリーセイにアーサーはクスクスと笑い返す。噎せ返るほどの甘美な匂い。甘い夢を見させてくれる悪魔の囁き声。時にそれは使用者自身も飲み込み、操る。
「洗脳魔法は使用者をも蝕む場合がある、ごく僅かの可能性だけどね。洗脳魔法の使い手は自らの思考も洗脳し、確実に仲間として俺達の懐に入り込むはず。なら、それを利用しない手はないでしょ」
アーサーの解説にリーセイは一瞬キョトンとしていたが、次第に自分がおかした失敗に気づいたらしく、ワナワナと震え出す。リーセイは『覇者』達の懐に侵入するために洗脳魔法を周囲にもそして自分にもかけていた。完璧なアリバイ工作のつもりなのだろうが、リーセイはのめりすぎてしまった。『覇者』を殺すために行った行為は悪意という逆転の一手として自分に返ってきた。それをアーサーは利用した。リーセイが洗脳魔法を解除していないという選択を取った。友人達を死なせないために。しかしそれは一歩間違えればアーサーだけ死ぬという最悪の結末を呼んでもいた。その証拠に右胸に刺さった一撃はアーサーを毒と共に着実に蝕んでいるらしく、ゴフッと口元から血が溢れた。
「アーサーさぁあああああああんんんん!!??」
「ディナダン五月蝿いのじゃ」
突然の吐血に驚き叫ぶディナダンにサグラモールが冷静に釘を差す。アーサー自身、そんなに慌てた様子もなくのんびりと口元と手に付着した血を見下ろし、口元を服の袖で強引に拭い取った。代わりのようにリーセイが自らの失敗に憤慨していたが。この部屋に入った直後、もしくはその前から洗脳魔法に気づいていた。利用され返された。やり返された。リーセイはまさしく嵌められ、自滅したのだ。それはリーセイを本当の意味で蝕み、力を解放させる引き金には十分だった。
「ハハハ、ハハハ……嗚呼、ならば、ならば……全員殺してしまえば良い」
鈍色の瞳が狂気を孕んで血の色に染まり出す。それはまるで凶暴化する魔物のよう。三日月に口角を歪め、狂喜に染まった両手を広げる。なにかくる、そう誰もが非常事態に身構えた瞬間、リーセイから放たれたのは醜悪なほどに甘美な花の匂い。鼻腔を擽るその匂いは正常な思考を無理やり刈り取り、体の自由を無理やり奪っていく。危険信号だけが脳内でうるさいほど鳴り響き異常さを訴えてくる。ビリビリと異様なほどに空気が震え、空気が傷を抉り取っていく。
「〈精神崩壊狂いたまえ〉!」
放たれたのは身の毛もよだつほどの悪寒と蜘蛛の糸のように張り巡らされた緻密で吐き気を催すほど濃厚な香り。思考を遮り狂わせて、そこにいる者を敵と見なす洗脳がかかった最期の抵抗。「嗅ぐな!」とグリフレットが咄嗟に声を荒げ、警告するが窓もなく、ただ扉が全開となっただけのこの空間ではその抵抗は無意味にもほどがあった。換気する間もなく充満する匂いはリーセイが『覇者』同士を殺し合いさせようと画策したことだ。それにアーサーは静かにリーセイを振り返ると剣を振った。怒りに乱れた一撃はリーセイに当たることなく避けられていき、無駄に体力を消耗させアーサーに洗脳を施そうと襲い来る。
「洗脳魔法を風属性で外に流しちまえば……!」
「ダ、メ……全部、行く、と、も……限ら、ない」
「それにやり過ぎたら外で待ってる仲間にも危害を与えちゃう!」
リーセイと戦闘を繰り広げるアーサーの後方でカラドックが叫ぶがボールスとユーウェインの言う通り、吸血の城の外に洗脳魔法を放出してしまえばそれこそリーセイの思う壺だ。だがこのままでは自分達が脳をやられてしまう。全ては時間の問題だった。ふいにルシィは洗脳魔法事態を地面に埋めるかリーセイを倒せば解除されるのではないかと考えた。ならば、とるべき方法は一つ。
「(アーサーの援護が先決……)って、なんですかこれ!?」
「どうかしたかいルシィ殿……て、ええええ?!」
アーサーの援護に向かおうとしたルシィの驚愕の声を聞き、マーハウスが鼻を押さえて振り返り、驚愕した。そこにはまるでゾンビのようにコンクリートの床から蘇る無数の操り人形や魔物、先程相手をしていた無数の腕が彼らの行く手を阻み、無理やりにでも戦わせ魔法を吸い込ませるべく彼らを囲んでいた。服の袖や直接指で嗅がないようにしていたが黒いありがたくもない絨毯を寄越されてしまっては戦うしかない。サグラモールとグリフレットが想属性の防御系魔法をかけてくれるがそれでもいつまで持つか。
「どちらかの選択を選んでみんな死んでしまえば良いのです!」
「悪趣味……!」
「そうは言ってもアナタも限界でしょう?」
グイッと彼らを嘲笑うリーセイの手がアーサーの首に食い込み、再び空気を奪おうとしてくる。バッと剣を上へ殴るように振り上げるアーサーだったが、出血のせいか千鳥足でよろめいてしまう。視界がはっきりしないのは彼ら以上に魔法を吸い込んでしまったからだろか。ガヘリスがボールスとフローレンスと協力し巨大な竜巻を生み出すと魔物もろとも魔法を底知れぬ天井に向けて放っていた。ボタボタと雨のように落ちてくる魔物や操り人形をドラゴネットとパロミデス、ペリノアが容赦なく八つ裂きに切り裂いていく。それでも残ってしまう敵はユーウェインとディナダン、カラドック、マーハウスが狩り取っていた。最低限の動き、行動範囲を制限されてしまえば『覇者』の威力はガクンッと下がる。それを理解してかルシィとサグラモール、グリフレットとボールスは各々の援護に回っている。意趣返しだ。洗脳魔法を利用されたリーセイがアーサー達に洗脳魔法で意趣返しをしている。洗脳魔法で生き延びることが出来たのならば、洗脳魔法で互いを殺しあって死ねと。そんなこと
「させない」
「傷つき今にも毒で殺られそうなアナタになにが出来るんですか??」
ケラケラとリーセイは嗤う。そう、アーサーに盛られた毒はまだ抜けきっていない。リーセイの一撃は幻覚によって回避出来たが、毒はあらかじめ予測が出来なかったために回避出来なかった。だから、リーセイにとっては毒で彼が死ぬのが先か『覇者』同士が洗脳されて死ぬかのどちらでも良いのだ。殺戮し、絶望を与えた故に世界を滅ぼす。それが魔物の唯一無二の目的。
ヒュッと息の抜ける音にアーサーは喉元を押さえる。毒が回り始めている。右胸の出血でいくらか抜けたかと思ったが違ったらしい。苦しそうな彼を見てリーセイは歓喜極まり、闇に染まった剣を放り投げながら叫ぶ。
「ワタクシが死んでもアナタたちが死ねさえすれば成功なのです!〈求めよその生死を〉」
ポウとリーセイの足元に魔法陣が仄かな紫色の光を放ちながら描かれる。その魔法陣にはリーセイの左目の下に描かれたひし形が四つ不揃いに並んでいる。
「っうそでしょ、そんなのありかな?!」
「師匠!敵的にはありだと思われるのじゃ!」
「なんですかサクラもグリフレットさんも!?」
魔法陣を見たサグラモールとグリフレットが冷や汗をたらし何処か怯えと興奮を露にすれば、フローレンスが光属性の魔法を唱えつつ叫ぶ。その間にもリーセイはアーサーのふらつきつつも与える攻撃を左胸に傷があるにも関わらず余裕綽々とかわし、詠唱を続けている。
「あれさぁ、結構強力な魔法なんだよ。闇属性の〈消滅暗黒の渦〉と同等かそれ以上の想属性の魔法〈無空間再現〉!」
グリフレットの言葉にその通りだと云うように口角を上げてリーセイが笑った。洗脳魔法に大量の操り人形と魔物、そして大がかりな魔法。万事休すとしか言いようがなくて、前門も後門も敵だらけで。どうすれば良い?どうすれば全員を助けられる?救える?敵を倒せる?ぐるぐると幾つもの謎と疑問が頭を巡ってそして、思考を強制遮断させる。視界が歪む。ニタニタと嗤うリーセイの顔が遠近を忘れて襲い来る。だから、いや、そうだったからアーサーは目に見えた事実を、動き出した意志を叫んだのだろう。
だって、見えていないはずで知らないはずだったから。真っ白に染まった頭がその感覚を呼び覚ましていた。
次回は金曜日です!
色々動くーです。




