002 仕事
――新生活を始めようとすれば、仕事と居場所を探さねばならないのは、自明の理である。
一台のシングルベッドと小さなテーブルと丸イス、そして、天井から吊るされた裸電球と明かり取りの窓があるくらいの簡素な部屋で、アキミはベッドから半身を起こし、シーツの上に、おもむろに大判紙を広げた。
「世界帝国地理院の精密地図じゃなくて、フロントで手作りしてる観光マップだけど、この街のことを大雑把に知るには、ちょうど良い」
アキミは、テーブルに置かれたペン立てからホテル名の入った鉛筆を抜き取ると、道や店の上に、二重丸や三角、バツ印を書いていく。
「このあたりは、住み心地が良さそうだから二重丸。この辺は、何も無さそうだから三角。この界隈は、治安が悪そうだからバツっと」
半時間ほど呟きまじりに鉛筆を走らせたあと、アキミは書き物をする手を止め、地図を両手に持って目線の高さに掲げると、しげしげと仔細を検めてから、満足げに頷く。
「うん。これで、良し!」
アキミは、ペン立てに鉛筆を戻すと、地図を細長く折りたたんでポーチにしまい、それを肩に斜め掛けにしつつ、三号室と書かれた大きなキーホルダーの付いた鍵を持って部屋をあとにした。
*
――さすがに、一日では見つからないかなぁ。
シワが寄って薄汚れた地図をポーチにしまうと、アキミは頬を膨らませ、地面に向かってフーッと息を吐く。そのとき、アキミは、向かいのカフェの軒先に出ている瀟洒な鉄の立て看板に、一枚の紙が貼られているのに気付く。
「歩き回って疲れたから、ちょっとティーブレイクしようかな。おすすめメニューか、割引の案内なら好都合なんだけど」
誰にともなく小声で独り言ちつつ、アキミは立て看板に近付き、紙に書かれている文字に目をやる。その途端、彼女はニッコリと口角を上げ、足取り軽く扉を開く。その紙には、赤文字で「給仕係募集中」と書かれていた。
*
――渡りに船とは、まさしく、このことを言うのだろう。都合が良すぎて、そら恐ろしいくらいだ。だけど。
「いやぁ、助かるわ。あなたみたいなグラマーが働いてくれたら、お店は繁盛すること間違いなしよ」
和装で恰幅の良い中年の女が、年相応にせり出た腹を揺らしながら快活に言うと、白いブラウスの上に赤いエプロンドレスを着たアキミは、営業スマイルを浮かべつつ、もじもじと落ち着かない様子で女に質問する。
「あのっ。私から応募しておいて、こういうことを言うのも心苦しいんですけど」
「何かしら? 何でも遠慮なしに言ってちょうだい。言ってくれないと、勘違いしちゃうから」
カウンターに逞しい腕を置き、ずいっと身体を乗り出しながら女が言うと、アキミは、スカート部分の裾を片手でつまみながら言う。
「このお洋服、もっと若い人が着るもののように思えてきて。あぁ、別に、イヤな訳じゃないんです。ただ、年甲斐もない恰好をしてると思われないかと心配になって」
「心配いらないわよ。もし、そんな失礼なことを言うお客があったら、私のサウスポーが黙っちゃいないから」
そう言うと、女はボクサーのように、左腕でアッパーカットをする動作をしてみせた。