012 貧血
――あのあと私は、急に走り出したナツカさんと追いかけ、持っていた地図を頼りに街じゅうを走り回った。それがダメ押しになったのか、ここのところ環境が変化した疲れが出て、今日は朝から体調が優れない。
「ナツカくんが謝ってましたよ。無理をさせて悪かったと」
「あっ、いえ。貧血になったのは、私が生まれつき脾臓が弱いからなんです。決して、ナツカくんのせいでは」
「おや、そうでしたか。ここの住人は、何らかの持病があるようですね。かくいう僕も、肺が弱くて喘息を起こしやすいんですけど」
「あら。それなのに、タバコをお吸いになるんですね」
「一度始めると、なかなかスッパリと断ち切れないものですよ」
そう言うとフユトは、ベッドで横になっているアキミに、赤い錠剤と水の入ったグラスを丸盆に載せて持って行く。
「まぁ、どちらにしても、今日は充分に休息をとることですね」
「すみません。ご迷惑をおかけして」
「良いんですよ。今日は、講義が無い日ですから。マスターには伝えてありますし、お節介だと思ったら、すぐに言ってくださいね」
「はい」
アキミは、水と薬を飲む。フユトは、丸盆をテーブルの端に置き、ポケットから封筒を出してアキミに差し出す。
「そうそう。昨日、カフェに見慣れない若い男性が、この手紙を持ってきたそうです。マスター曰く、その人はアキミさんと面識がある素振りを見せ、居場所を訊いてきたそうですよ」
「えぇっ! それで、マスターはココを教えたんですか?」
アキミが慌てて質問すると、フユトはゆっくり首を横に振って答える。
「落ち着いてください。素性を名乗らないので、怪しがって断ったそうです」
――そっか。誰だったんだろう?
アキミは、フユトにグラスを渡して手紙を受け取り、表にも裏にも何も書かれていないことを確かめると、封を切って中の便箋を読む。フユトは、そのあいだにグラスをキッチンに持って行き、シンクに置いて戻ってくる。すると、アキミは今にも泣き出しそうな顔でフユトのシャツの袖を掴む。フユトは、どうして良いのか分からず、眉をハの字に下げ、眉根を寄せて困った調子で言う。
「差し支えなければ、手紙に何が書かれていたか、教えていただけますでしょうか?」
「……話すと、長くなるんですけど」
そう切り出して、アキミは、これまでの経緯を語り始めた。
*
「フム。なるほど。つまり、話をまとめると、婚約破棄を申し立ててきた彼が、アキミさんを追いかけて、今夜の汽車でここへ来るというのですね?」
「はい。そういうことです。ねぇ、フユトさん。どうしましょう? 私は、もう彼の顔を見るのも嫌なんです」
「お気持ちは、お察しします。ウーン。本来であれば、面と向かって話し合ってキッパリ断ち切るべきなのでしょうが、そういう訳にもいかないでしょうね」
「そうなんです。私、どうしたら良いのかしら」
「アキミさん。一つだけ、彼との避ける方法がありますよ」
「何ですか、その方法というのは?」
「しかし、これは、問題の先延ばしにしかならない気がしますから、あまりオススメできる手段ではないのですが」
気乗りしない口調でフユトがもったいつけると、アキミはゴクリと唾を飲み込んでから、キッと決然とした表情をしてキッパリと言う。
「どんな方法でも構いません。だから、教えてください」
「わかりました。それでは、僕が考えた作戦を話しましょう」