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001 転機

――(いただき)に登りつめたら、あとは転がり落ちるだけだ。

 底にわずかなコーヒーが残ったカップと、冷めた紅茶が半分ほど入っているカップが置かれたテーブルの席に、一人の女が、俯き加減で涙をこらえながら座っている。その女の他に、店にはカウンターの奥で新聞を広げる初老の男しかいない。

――何がダメだったんだろう? どうして、こうなったんだろう?

 女は、シュガーポットからトングで角砂糖を二つ入れると、ティースプーンでゆっくりと八の字にかき回し、すっかり渋くなった紅茶を甘くしていく。

  *

 さかのぼること、小一時間。 

「もうすぐ、お誕生日でしょう? 去年はキーケースだったから、今年はお財布かなぁと思ってるんだけど」

「あのさ、アキミ」

 嬉々としてプランを話す女とは対照的に、向かいの席の男は、思い詰めたような表情で話を遮る。女は、男の態度が変化したこと気付き、話を中断して続きを促す。

「なぁに?」

「色々考えたんだけど、やっぱり、君と結婚することは出来ない」

「えっ。……それって、どういう」

――ことなの? と続けることは出来なかった。

「ごめん。あの約束は、無かったことにしてくれ!」

 そう言うと男は、席に置いていた荷物と上着、それからテーブルに伏せられていた伝票を慌ただしく引っ掴み、急いでカウンターで勘定を清算して、店をあとにした。男が立ち去ったあとには、カウベルが空虚に響くばかりであった。

  *

――婚約破棄がニュースになったら、今の職場にはいられなくなるだろう。そうなる前に、私から事務所に、最後の挨拶をしておこう。向こうだって、もう三十三になる私をアイドルとして雇い続けるのは、いい加減、負担になってるはずだ。幸か不幸か、これまで十年余り馬車馬のように働かされたおかげで、私には、いくばくかの貯金がある。スッパリ辞めて新しい生活を始めるには、好条件が揃っている。

 ファンシーな部屋の片隅で、女は荷造りをしながら、かすかに疲労の色を滲ませつつ、ぶつくさと心の声をもらす。窓の外は、すっかり夜のとばりがおりている。

「若いとは言えない。言えないんだけど、もう若くないさと諦められる歳ではない。ではないんだけども」

 そこで言葉を区切ると、女はボストンバッグの口を閉め、大きく溜息を吐いた。

――今の私には、失うものは何も無いんだから。怖いもの無しよ。

 女はバッグを持つと、あちらこちらを指差しながら見回してから、部屋をあとにした。

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