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Children in the darkness

 さて、場面は王国内部に移る。

 場所はタレの一室である。そこには四人の人間の姿がある。

 タレ、そしてララ、リン、……さらにもう一人。

 もう一人とは言うが、それは実体のない影のような人間である。ララとリンの魔力によって、この世界に顕現した、悪魔のような魂。そう、それはサドウェルであった。サドウェルは不気味な笑みを浮かべながら、タレの方を向いた。

「パルは旅立った。作戦は失敗したわ」

 と、タレはサドウェルに向かって言った。

「そのようだな。しかし心配は無用だ。行く場所は、余には分かっておる」

 と、サドウェルは重鎮な声で囁く。

「どこに行くの?」

「六〇〇年前の国王、アルシンハの許だ」

「何のために」

「決まっておろう。この国を救うため時だ。愚かなことをしておる」

 国を救う。その言葉を聞き、タレは自分がやっていることが、本当に正しいのか分からなくなった。自分が行っている行為は、まさに王国に対する反逆である。そのくらいのことは分かっていた。

 同時に、そのくらい大それたことをしなければ、きっと国王の地位を手に入れることは出来ないだろう。それも分かっていたのである。

 しかし、現実には予想い以上に茨の道であった。

 否、茨どころでない。鋭利な刃物で皮膚を切り裂かれるような、鋭い痛みがあることは確かである。

 それでも一度決めた道。

 最後まで進むしかないだろう。自分はこの国の覇者になる。それだけが自分の存在意義を高める手段であり、大いなる野望なのだから。

「私はどうすれば良いの?」

 と、タレが聞くと、サドウェルが重苦しい溜息を吐いた後、

「パルを止める必要がある」

 と、答えた。「お主がパルを殺すのだよ」

「わ、私が……」

「そう、ララ、そしてリン、お主らにも協力してもらうぞ」

 唐突に言われ、ララとリンは固まる。

 白痴の彼女らは、タレやサドウェルが言っていた話の内容が半分も理解できなかった。ただ、自分たちの目的はただ一つ、この国の覇者になることだ。

 どういう因果か、この場にいる四人は、皆同じ野望を抱いている。しかし、王の席は一つである。それが誰に与えられるのか?

「協力?」と、ララ。

「何をするの?」と、リン。

 その言葉を受け、サドウェルは言った。

「六〇〇年前の記憶に接続する。その魔術を二人には行ってもらう。そして、六〇〇年前のカギを開くのは、お主だ」

 と、サドウェルはタレに向かって言った。

「わ、私が……」と、タレは驚きに目を見開き、「出来るのかしら、戦闘経験はないのに」

「その点は心配いらん」とサドウェルは言う。「紹介しよう。お主の護衛となる人間だよ」

 その時であった。

 突如部屋の後方に黒穴が生まれ、そこから黒いローブを纏った白髪の少女が現れた。歳はタレと同じくらい、少女は恭しく挨拶をすると、

「私はマルハザード。マルって呼んで」

「マル。よろしく」

 と、タレは言った。何となくではあるが、快活な印象を受けた。自分の護衛。つまり、味方となってくれるのであろうか?

「パルは明日出発すると思うわ。今日、ルシルフ村に討伐に行った、ヤヤクルとの通信が途絶えた。彼は死ぬ寸前、自爆を試みたわ。敵は恐らく、トゥトゥリス。奴にやられたのよ」

「トゥトゥリス?」

「そう。私の憎き仇みたいなものよ。向こうの魔法戦士。恐らく、パルの護衛。私たちの敵ってこと」

「強いの?」

「そこそね。でも大丈夫。私の方が強いから。私の『大インカの雪崩』なら、奴を飲み込むことが出来るから。きっと倒し見せる。待っていなさい、トゥトゥリス」

 そう言うと、マルは不気味に笑みを零した。


          *


 荒くれた戦闘から一日が経ち、朝を迎えた。

 夕食を摂り、早めに休んだためパルの体力は完全に回復していた。トゥトゥリスもどうやら回復したようである。夕食時には顔を出さなかったが、朝食には顔を出してきた。屈託のない笑顔を浮かべ、

「おはよう」

 と、一言告げる。

 そして、セパの対面に座り込んだ。

 朝食は簡素なもので、セパの自宅にいる使用人が作った、パンとスープと野菜のサラダであった。

 セパは朝食を頬張るトゥトゥリスに視線を向け、

「大丈夫なのかね?」

 と、尋ねた。

「あぁ。問題ない。完全に回復したよ。千手甲冑戦士も自在に操ることが出来る。だから、もう大丈夫だ。いつ頃出発すればいい?」

「早い方が良いだろう。朝食後、動き出そう。準備は良いかね、パル?」

 唐突に言われたが、特に文句はない。早くシシ国王を助けることが先決なのだから。作戦だって早いに越したことはないだろう。

 朝食を終えると、トゥトゥリスがパルの許へやってきて、

「出発間近だが、調子はどうか?」

 と、尋ねてくる。

 問題はない。パルは頷き、

「大丈夫……だと思う」

 それでも緊張はある。

 だけど、今やるべきことは決まっている。怖くても大丈夫だ。一歩を踏み出すことさえできれば、後は何とかなる。それに、トゥトゥリスだってそばにいてくれるのだから。

「なら良いんだ。なぁパル、一つ聞いても良いか?」

「何?」

「お前は王になりたいのか?」

「正直分からない。今まではずっと嫌だった。だけど今はそれが宿命だと思っているし、やっぱりならなくてはならないのかもしれない」

「なら、良いんだ」

「どうしてそんなことを聞くのさ?」

「確かめたかったんだ。お前に王になる意思があるのかを。なければ、わざわざ危険を冒してまで、シシを救う必要はない。悪魔に取り憑かれ、処刑されることにはなるだろうがな」

「だけど、僕は父上を救いたい。それが出来るのは僕だけなんだ」

「タレの存在もある。奴も動き出すだろう」

「姉さんは王に憧れているからね。きっと僕を殺したいと思っているはずだ」

「それを守るのが俺の仕事だ。とにかくしばらくは一緒なんだ。よろしく頼むぜ」

「こちらこそ」

 二人は固く握手をする。

 そして、とうとう出発の時間がやってくる。

 屋敷の中はしんみりとした空気が流れ、そして出発前のパルとトゥトゥリスの二人を緊張感で包み込んだ。トゥトゥリスはそれほど緊張していないようだったが、パルはガチガチに緊張していた。早くすべてから解放されたい。

 自分は自由を目指していたはずだ。 

 そして、実際に今、自由を手にしてはずであった。なのに、この圧倒的な不安は一体なんなのだろう。この恐怖はどこからやってくるのだろう。呪縛の代わりに得た自由。自由は広大だが、その分責任も発生する。 

 何もかもから解き放たれ、本当に自由になることなど、本来はありえない。

 その事実を、パルは痛感し始めていた。

「時間じゃね。行こうか」

 と、催促するセパ。

 彼の声を聴き、パルはゆっくりと頷き、そして意を決し、身を固める。隣には涼しい顔をしているトゥトゥリスの姿がある。

 全く正反対の二人であるが、セパは上手くいくだろうと思っていた。相反する関係ほど、上手くいくものなのである。一〇〇〇年という長い月を経て、セパはそのように人間を見ることが出来ていた。

 セパは部屋の中心に円を描き、その中にパルとトゥトゥリスを立たせる。

 その後、瞳をゆっくりと閉じ、そして呪文を詠唱する。

 体中に染み渡るように、呪文が浸透していく。

 次の瞬間、不意に見ていた景色が途切れた。自分ではない、誰かの心の中に飛び込んだという感じだ。辺り全体は漆黒の闇包まれている。しかし、数秒後、針の孔くらいの小さな光が見え、やがてそれが、辺り全体を侵食していく。

 すると目の前に大きな門が見えた。

 見たことのない巨大石の門。その前には、白いローブを身に纏い、背中から翼をはやした、かなり怪しげな生命体が、パルとトゥトゥリスの二人を待っていた。これは天使だろうか?

 しなやかな体躯。そして太陽光のような金の髪の毛が、印象的である。天使のような生命体は、パルとトゥトゥリスに近づき、

「やってきたね」

 と、言った。

「ここはどこだ?」

 と、平然とトゥトゥリスが言った。

「僕は天の門番、君たちの目的は分かる。悪魔憑きを解決しに来たんだろう」

「そうだ」

「なら資格があるか見せてもらうよ」

「資格……だと」

「そう。王子は君だね」

 門番はそう言うと、視線をパルに向けた。

 パルは黙って頷き、相手の次の反応を待つ

 門番はパルに近づき、そして額に手を当てる。するとどうだろう、パルの額が煌々と輝き、額に紋章が現れる。

「スーヴァリーガルの紋章。奇翔紋。君には資格があるみたいだね。さっきの少女と同じだ」

「さっきの少女?」

 と、パルは繰り返す。

 どうやら、自分たちの前にも、ここにやってきた人間がいるらしい。

 その人物は大体分かる。恐らくタレであろう。タレもまた、王国の紋章である奇翔紋を持っている。となると、この門を通過する資格があるということだ。

「姉さんが来たんだね」

 と、パルは言う。

 門番は素早く頷いてみせる。同時に、その目には爛々と興味の色が垣間見える。あまり、この空間に来る人間は多くないのかもしれない。それは当然だろう。誰にだって奇翔紋があるわけではないし、自在に現世と前世を行きかうことは出来ないだろう。

「タレは一人で来たの?」

「否、護衛の人間がいたよ。白髪の少女さ。多分、歳は君たち同じくらいだと思う」

「白髪の護衛士。誰だろうか」

 と、パルが考えを巡らせていると、横からトゥトゥリスが口を開いた。

「多分、マルだな」

「マル?」

 と、パルは聞く。

「そう。マルハザードという、元ルシルフ村の人間だよ。だが、裏切り、今は魔の巣の魔法戦士として、俺たちの前に立ちはだかる。目には目を歯には歯をってことか」

 言っていることがすべて呑み込めなかったが、どうやらタレの護衛士をトゥトゥリスは知っているようである。元同僚、それが敵側についてしまった。どう思っているんだろう。飄々とはしているものの、トゥトゥリスは少しだけ負の感情を発生させた。

「さぁ行こうか」と、門番は言う。「あまり時間はないのだから」

「具体的には何をすればいいの?」

 と、パルは尋ねる。正直な話、この先何をするべきなのか分からない。恐らくではあるが、六〇〇年前の王、アルシンハと接触することになるのであろうが。その先は不透明である。セパの話では、前世の世界に行き、現国王、つまりシシの悪魔憑きの原因を探るとのことであったが、上手くいくかは分からない。

「とにかくアルシンハに会うことだね。彼には強い力があるからね」

 門番は大きな門に手を触れる。痩身の彼が、この巨大な門を開けられるのか、最初は首をかしげざるを得なかったが、奇跡はすぐに舞い起こる。

 ガタガタと大きな音を上げながら、門はゆっくりと開いていく。開かれた先。そこはまさにスーヴァリーガル王国であった。六〇〇年前のスーヴァリーガル王国が、今まさに広がっているのである。

「健闘を祈る」

 と、門番は言い、パルとトゥトゥリスを門の先に進めた後、今度は逆に門のトビラを閉めた。トビラがしまると、いつの間にか、完全に門は消えていたし、なによりも門番の姿がなかった。煙のように消失してしまったのである。

「スーヴァリーガル王国だな」

 と、隣に立つ、トゥトゥリスが言った。

 外観は完全にスーヴァリーガル王国であるが、細かい部分は現行の王国とは違う、城門のわきには、本来守衛室があるのであるが、このスーヴァリーガル王国には守衛室がない。代わりに小さな塔のようなものがあり、そこから衛兵がこちらを睨み、見張っている。

「まず、何をしようか」

 と、パルが言った。

 とは言っても、するべきことは決まっている。

 アルシンハ国王に会うのだ。それが先決であろう。しかし、どうやって会うのだ? 歴代の王の警備がどのようになっているのか分からないが、パルがいた時代の王、つまり、シシ国王には滅多なことがなければ、一般の人間は会えない。如何に奇翔紋を持つ、パルであっても、容易に会うことは難しいであろう。

 しばらく城門の前に佇んでいると、一人の衛兵がパルとトゥトゥリスの前までやってきて、そして訝しい視線を送りながら、

「貴様ら何者だ。ここで何をしている?」

 と、低い声で告げた。

 声を聞く限り、完全に警戒している。そもそも、パルは誰かに『貴様』など呼ばれたことがなかったから、自分が本当に王族から解放されていることを改めて感じ取り、どこか嬉しくなった。

「僕たちは、アルシンハ王に会いたいんです」

 と、パルは正直告げる。

 すると、隣にいたトゥトゥリスは激しく吹き出す。さらに、衛兵は唖然としながら、

「こ、国王に会いたいだと、貴様らのような下賤な人間が国王に会えるわけないだろう」

「そ、それはまぁそうなんですけど……、なんとか会わなくちゃならないので」

 二人のやり取りを見ていた、トゥトゥリスはスッと、衛兵に向かって指をさし、

「どうする、殺っちまうか?」

 と、サラッととんでもないことを言った。

 確かに、トゥトゥリスほどの力があれば、この衛兵を打ち倒すことくらい訳はない。だが、事を大きくすることは、あまりメリットにはならないような気がした。

 もっと穏便に進めたいと思ったのである。

 さて、どうするべきか、パルが考えを巡らせていると、不意に城内から、巨大な呻き声が聞こえた。

「ぐるるるるるるぐがぁぁぁぁ」

 それは魔獣のような雄叫びであった。

 完全に常軌を逸している雄叫び。一体何があったのであろうか?

「またダメだったか」

 と、衛兵は意気消沈する。

「何か?」と、パル。「あったんですか?」

「悪魔祓いに失敗したのさ。国王に会いに来たと言うのは、街に貼られた紙を見てきたんじゃないのか?」

「まぁそんなところです」

 と、パルはあえて言葉を合わせた。

 何か街には重要な達示がされているようで、それが悪魔祓いと関係しているようである。

 そこで、パルは一つの事実を思い出す。

 それはアルシンハ国王が、六十六年毎の悪魔憑き被害者であり、唯一の生還者であるということだ。つまり、今この瞬間、アルシンハ国王は、悪魔に取り憑かれ、生死をさまよっているのであろう。

 推理すると、それを止めるために、王国中の魔術師が総動員され、悪魔祓いに参加しているようだ。

「城内に専用の受付がある。そこで必要事項を書き、悪魔祓いを行うのだ。どう見ても、俺には貴様らが腕の良い魔術師であるとは思えないのだがな」

 いずれにしても、パルとトゥトゥリスは城内に入ることが出来た。

 そして、言われた通り受付に行くと、そこである人物と邂逅することになった。

 ある人物。

 それは、

「姉さん」

 と、パルはやや大声で言った。

 その声に、当然ではあるが、タレも気づいたようである。タレの隣には、見たことのない、小柄な少女が立っている。これが、門番の言っていた護衛士なのだろうか? だとすると幾分か興を殺がれる気持ちがする。人を見かけで判断するわけではないが、どう見ても、この少女は護衛士には見えなかったのである。

「パル。久しぶりね」

 と、あっさりと言うタレ。

 その声からは、まるでここで会うことが分かっていたかのようである。同時に、それはパルの知らないタレの内面を覗いたかのようで、不思議と疑心感が湧いてくる。

 姉は、自分を殺そうとしている。

 その思いがパルの心を支配し、正常な思考をすることを阻害させた。

「な、何やってるの?」

 と、パルは尋ねる。

 決して会話をしたいわけではなかったが、何か言わなくてはならないような気分に駆られた。

「決まってるでしょう。王になるのよ」

 と、タレ。

「王。父上を殺すつもりなのか?」

「そんなことはしないわ。ただ、父上はいずれ死ぬ。あなたも知ったはずよ。既に悪魔に取り憑かれているということを」

「それは知っている。だから、僕がこうして救いに来たんだ」

「何故、あなたは国王になるのが嫌だったんじゃないの? なら、このどさくさに紛れて、王国を後にすればいいのよ。自由になりなさい。王国は私が責任をもって繁栄させていくから」

「僕は……、王にはなりたくない」

「なら、すぐに帰りなさい。そして、ブレイルに状況を説明し、一人王国をあとにするといいわ。きっとうまく取り計らってくれる。安心しなさい」

「でも王になることは僕の役目だ。宿命なのさ。だから、そこから逃げることは出来ない。今までは逃げたくてたまらなかったけれど、魔法を知り、自分の小ささを知った時、王となる生き方を模索したくなったんだ」

 すると、穏やかであったタレの表情が変わる。

 みるみると能面のように無表情になり、声が機械的になる。まるで魔法人形になったかのように……。

「王になるですって」

 と、タレは言う。

 声は凍り付くように冷めたものであった。

「そうさ」

 と、パル。彼も負けてはいない。

 王になると誓ったからには、もう逃げだすことは出来ないのだから。

「後悔するわよ。自由を捨て、王を選んだことを」

「自由なんて、本当はどこにもないんだよ。人は自分が置かれた場所で、生きなくちゃならない。王が嫌だから逃げる。故に自由になる。そんなことはない」

「なら、あなたを殺す必要があるわね」

 ピンと張り詰めた空気が、界隈に流れた。

 タレの後ろにいるマル。

 そして、パルの後ろにいるトゥトゥリスがサッと身構える。

 こんな城のど真ん中で戦闘を行うというのか? パルの顔が青ざめていく。タレは本気で自分を殺そうとしている。それは間違いない。

 どこで、こんなにも狂ってしまったんだろうか?

 タレの知らない内面を覗くことで、パルは己の境遇や宿命が嫌になった。

 神がいるのなら、何故、自分をタレとしてこの世に生を与えず、パルとして……次期国王の地位を持つ人間として、この世界に生を与えたのであろうか?

 タレとパルの立ち位置が逆だったら、もしかすれば、話はうまくまとまったかもしれないのだ。王に憧れるタレ、それに抗うパル。二人の立場が逆であれば、すべては上手くいくような気がした。

 しかし、既に賽は投げられたのである。

 魔法によって、悪魔の呪縛を断ち切ることができても、自らの運命を変えることは出来ない。変えるためには暴挙に出るしかない。殺戮と言う暴挙に……。

「ここで殺すの?」

 と、パルは囁くように呟いた。

 数秒後、ここは戦場になるだろう。

 そう思った瞬間であった。突如、辺りを雷光が包み込み、強烈な爆音が鳴り響いた。

「ぐるるるるるるぐがぁぁぁぁ」

 この雄叫び。

 先ほど聞いたものよりも強い。

「マズイな……」

 と、トゥトゥリスが言った。「悪魔が完全に顕現したみたいだ。この時代の国王、つまりアルシンハは一度完全に悪魔となり、その後、そこから脱却したみたいだ。何らかの手段によって」

 城内に轟く、怨念じみた声が消えると、やがて、奥の部屋から悲鳴が聞こえてきた。

 絹を裂いたような悲鳴。女性の声である。恐らく、魔術師が悪魔憑きの除霊に失敗したのだろう。除霊の失敗は、そのまま死に直結する場合がある。故に細心の注意を払い、魔術を行わなければならない。

 叫び声が聞こえると、一瞬沈黙が訪れたが、すぐに慌ただしくなる。衛兵や王国の魔術師が何人もやってきて奥の部屋へと消えていく。

「このままで良いのか? トゥトゥリス?」

 と、パルは神妙な口調で尋ねる。

 尋ねたが、どう考えもこれは良い状況ではない。

 アルシンハが悪魔に完全に取り憑かれたのだとすれば、誰がそこから解放するのだろうか?

 彼は悪魔憑きから解放された唯一の国王ではなかったのか? 状況が状況だけに、どんどんと困惑していく。

 問われたトゥトゥリス自体、除霊や悪魔祓いが専門ではないので、どう、この場を打開するのか、迷っているようであった。

 同じことがタレとマルにも言える。

 但し、タレと、マルの場合、アルシンハからシシ国王の悪魔を解放する手段を学ぶのではなく、むしろ逆に崩壊を夢見ている。よって、この状況は彼女らにとっては好ましいものなのだ。

「始まったわね」

 と、マルが言った。「一旦行きましょうか。いつでも戦闘は出来る。いえ、私なら、いつだってパルを殺せる」

「無理さ……」

 と、容喙するトゥトゥリス。「俺がいる限り、パルには指一本触れさせない」

「千式魔術の使い手が、何を言うのかしら。自分では行動せずに、常に魔法人形である千手甲冑戦士に命令を下すだけ。そんなあなたが、パルを守れるわけないわ」

「言ったな、お前の大インカの雪崩だって似たようなものだろ。あんな技、俺がへし折ってやる」

 ピリピリとしたムードがマルとトゥトゥリスの間に流れる。

 この二人、どこか似たような雰囲気があるが、己が持つ魔術は相反する物らしい。

 いずれにしても、戦闘は今ではなくても、早いうちに行われることになるだろう。その先に、何が待っているのか? 考えるのは容易ではない。王位を争って姉弟がいがみ合うことは、何もこの時代だけじゃないのだ。

「逃ゲロ」

 ふと、そんな声が聞こえた。

 そしてその声は、奥の悲鳴が聞こえてきた部屋から聞こえてきた。

「早ク逃ゲロ」

 一体誰が発しているのか?

 その答えはすぐに判明する。

 奥の部屋から痩身の男性が現れたのである。

 黒髪に堀の深い顔立ち、そして、フラフラとしている。顔は完全に常軌を逸していて、普通ではない。

「悪魔に取り憑かれながら、ギリギリの精神で、俺たちに注意を喚起している。もう、人間として時間は限られているだろう」

 と、トゥトゥリスが言った。

 となると、この痩身の男性が、

「王! お待ちください」

 と、魔術師の声が聞こえる。

 やはり、アルシンハ国王、それで間違いないようである。

 アルシンハの表情が一八〇度変わる。同時に、背中から黒い羽が生えてきて、そして、パルのことを睨みつけた。

「奇翔紋か。お前、王国の人間だな」

 完全に声が変わっている。

 そして次の瞬間、アルシンハは短く呪文を詠唱し、そして、何もなかった空間から、魔獣を数体召喚し、その魔獣をパルに向かって放った。

 魔獣は狂ったように、パルに突進してくる。 

 それを防いだのは、トゥトゥリスの千式魔術『魂の揺篭』であった。

 この魔術は千手甲冑戦士の手を使い、対象者を保護し、あらゆる攻撃から身を守る魔術である。とはいっても、防御が苦手なトゥトゥリス。完全な魔法ではない。

 その証拠に、魔獣の牙を避けることが出来たが、魔獣の放った炎の魔術の残り火が、パルに軽く当たった。焼けつくような痛みがあったが、耐えられぬ痛みではない。パルは千手甲冑戦士の手掌の中でひたすらに耐えた。

 それを見たトゥトゥリスは責任を感じ、すぐに別の魔術を構築する。千本ある手の縦横無尽に使い、あっさりと魔獣を駆逐する。

 その一連の流れを見ていた、アルシンハは「ほぅ」と、感嘆の声を上げながら、呪文を詠唱し、その場から消えていった。

 辺りは、王を探す衛兵や魔術師の叫び後でぐちゃぐちゃになった――。


          *


 パルやタレが過去のスーヴァリーガルに行っている間、現代のスーヴァリーガルでも大きな動きがあった。

 それは、シシ国王に悪魔の手が伸びてきたということである。

「ぐるるるがぁぁぁぁ」

 突如、王国内を劈く怒声が聞こえた。

 王国の地下室にいたブレイルもその声を聴き、そして素早く身を動かし、老齢の体に鞭を打ちながら、国王の間へ向かう。

(とうとう、この時が……、間に合わなかったのか?)

 そう考えるブレイルであったが、今は何よりも先に国王の許へ向かうことが先決であろう。蛮勇を振るったパルが必ず戻って来ることを信じ、そして、ブレイルは国王の間のトビラを開いた。

 国王の間には、既に数名の人物やって来ていて、事態の収拾に勤めていた。

 その中には妃であるキキの姿と、もう二人、ララとリンの姿もあった。三人とも青白い顔をしながら、必死になって状況を見つめていた。

 さて、そんな事態の中心にいるのが、我がスーヴァリーガルの国王、シシである。

 シシは操り人形で操作されているかのように、だらりと腕を下げながら、胡乱な目つきで部屋にやって来た人間たちのことを見つめた。部屋の内部にある石たちが妙に光り輝いて見えて、不思議さを助長させる。

「シシ国王……」

 と、部屋に入るなり、ブレイルはそのように告げた。

「余は、今覚醒した」

 と、シシはひっそりと告げた。

 覚醒。つまり、それは悪魔に完全に取り憑かれたということなのであろうか?

 急激に室内には魔力の高鳴りが発生し、そして辺りを包み込む。嵐の前の静けさではないが、室内は圧倒的な沈黙に包まれる。沈黙と言っても、それはただ静かなだけではない。鋭利な刃物で刺されるような痛烈な痛みがある。

 一体、どうすれば良いのか?

 悪魔憑きを解除する呪文でも唱えれば良いのか?

 否、高度な超自然的な存在である悪魔のことを一介の人間が支配し、コントロールすることは難しい。というよりも不可能であろう。悪魔憑きを遅らせることは出来ても、完全に食い止めることは出来ないのである。

 悪魔に取り憑かれたシシは、ゆっくりと部屋の中心まで歩みを進めると、そこでなにやら呪文を唱えた。

「い、いかん!」

 と、ブレイルが叫び、忽ち室内に防御の呪文を唱える。

 薄い膜のようなオーラが室内を包み込み、寸前のところで、シシの偉大な魔術の攻撃を封じ込む。しかし、シシが放った攻撃魔法はあまりに強大で、ブレイルの魔力を吸い込み、やがてそれがエネルギーとして大きくなっていく。

 二発目が来る。

 そして、それを防ぐ手段は……。

「危険だね」と、ララ。

「危険だよ」と、リン。

 二人は、この異常な状態が、生命を左右する地獄絵図と化することを見抜いた。そして、素早く呪文を唱えた。

 二人の魔術は、悪魔に取り憑かれたシシに匹敵するくらい巨大なものであった。

 圧倒的な白いオーラがシシのことを包み込んだ。

「『大天使の息吹』だよ」

 と、ララが言い、

「そう、これでシシを封じることができるよ」

 と、リンが告げた。

 しかし、二人の強大な魔力をもってしても、完全にシシを鎮静化することが出来なかった。確かに、シシは、白い天使が放つ息吹の中に封じ込まれたが、それは時間の問題のようである。

 ミシミシと割れるような音が、白い息吹の内部から聞こえてくる。

 早い話、悪魔となったシシが、この息吹の魔法を侵食しているのである。というよりも食っているのだ。

「恐ろしいことだ……。一旦この場を離れましょう」

 と、ブレイルは言い、気休めであるが、全員を一旦部屋の外に避難させると「オールロック」という敵の魔力を封殺する魔法を発した。しかし、あまり時間を持たせることは出来ないだろう。

「大丈夫なの?」

 と、キキが不安そうな顔つきでブレイルに向かって言った。

「持って一週間」と、ブレイルは答える。「これが国王を封じていることのできる時間でしょうな。それ以上は持たない。ララ様やリン様の魔術も打ち破られてしまうでしょう」

「そうなったら、どうなるの?」

「王国の崩壊。それが目に見えています」

「そ、そんな……」

 激しく項垂れるキキ。

 そしてそれを見つめるブレイル。

 最早、頼みの綱は、パルだけである。彼が前世に行き、そして、このシシ国王の悪魔憑きの原因を知り、解決することだけが、唯一、この場を打開する手段なのだ。しかし、間に合うだろうか?

 タレという敵もいるのだ。

 彼女のことを魔の巣の人間が仲間に引き入れたことを、ブレイルは先ほど知った。ララとリンが正直に告白したのである。

 タレのことを止められなかった自分の不甲斐なさ。

 絶対に守らなければならなかった人物を、簡単に奪われてしまった。

 タレは騙されている。

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