Children in the darkness
哀愁じみた空。
まだ、午前中だというのに、空は暗黒で、雨でも降りそうであった。気温も低く、気分をより鬱屈とさせる。
ここはスーヴァリーガル王国の一室。
その一室とは、キキ王妃の一室である。石造りの一室は、全体的に華美な印象があるが、そのどれもが自分の好みではなかった。ただ、妃だからという理由だけで、豪奢な部屋に閉じ込められている。そんな印象である。
キキは決して自分の境遇に満足してはいなかった。
彼女はもともと王族ではない。
王族に近しい公爵家の人間であったが、自分の人生は親や親戚たちによって、半ば強引に決められたと言っても過言ではなかった。それくらい暗黒の時の流れの中にいたのである。何故、自分は結婚もしたくないシシと結婚をする羽目になったのか?
その理由はやはり、公爵家の繫栄なのだ。自分が王族になれば、公爵家の箔はつく。王族との繋がりが生まれるために、数ある貴族の中でも最上級の地位へ、格上げされるだろう。そのための生贄として、自分は捧られてしまったのだ。
故に、もう残された人生に、何の未練もなかった。ただ、徒に過ぎる時を待つのみ。そう、死を待つのみなのである。
そんな中、彼女の命の灯になっていたのは、二人の子供たち。
そう、タレとパルの二人である。二人は、キキにとって最後の砦であると同時に、希望そのものであった。
二人には自分のような目に遭ってほしくはない。王族というしがらみを超え、自由になってもらいたい。そう考えていたのである。しかし、人生はそんなにうまくはいかない。親の言うとおりに子供が育たないように、タレもパルもやはり、王という一つの地位に導かれるように育っていった。
パルは王には憧れていない。
むしろ毛嫌いしている。いつかはこの王国を捨て、出ていきたいと考えているのだろう。それは母親であるキキであれば、容易に察することが出来た。それと同時に、もう一つのことをも気づいていた。
それはパルが決してこの国を捨てられないということだ。
心の深い所では、スーヴァリーガルの血筋が脈々と流れているのである。だから、パルは一時的にはスーヴァリーガルを離れても、必ずまた戻ってくる。そんな思いがあったことは確かである。
もう一人子供、タレはどうだろう。
あの子は危険だ。と、キキは考えていた。彼女の内面は、国王という絶対的な地位に向けられている。それだけが生きる希望とでもいうように。彼女は人懐こい軽快な人間性があるが、裏では恐ろしい悪魔的な思想が流れている。
決して顔には出さないが、王国の混乱に乗じて、自分の野望を達成しようと、虎視眈々と策略を巡らせている。そのことも、キキは理解していた。理解していながら、彼女はタレを止めることが出来なかった。
ただ、黙って指を銜えているしかなかったのである。
それでも彼女は一つの手を打った。
それこそ、パルの脱走である。
王国外部の世界に不穏な動きがあることは、部下からの命令で聞いている。
魔の巣と呼ばれる一帯を取りまとめている魔法集団と、もう一つの魔法集団が戦争を行っているのである。その中に、スーヴァリーガル王国の国王、シシがいることも察している。シシは悪魔に取り憑かれている。六十六年周期の悪魔憑き。それが現実のものとして、顕現しようとしているのである。
魔法集団。
何故、今魔法が台頭してきているのか?
それもこの六十六年周期と深く関係している。
六十六年毎に、このスーヴァリーガル王国は魔法の力が高まるのである。少なくとも、王国の魔術師、ブレイルはそう助言している。
その時だった。
少し雨が降ってきて、地面を濡らすように心をどんよりとさせると、トビラがノックされた。
「誰かしら?」
と、キキは尋ねる。
召使だろうか?
それとも……、
「私です」
声の主は、ブレイルであった。
キキは素早くトビラを開けると、ブレイルのそばに駆け寄っていく。そして、いの一番で、
「どうでしたか?」
と、口を開いた。
「落ち着いてください」
と、ブレイル。白く伸びたひげがドアを開けた時の風によって、さらさらとなびいた。「半分は成功したでしょう」
「半分とはどういうことですの?」
「タレ王女様が勘付かれました。どうやら、彼女には協力者がいるようです」
「協力者……。それは誰です?」
「恐らくですが、ララ様とリン様でしょう。六十六年の悪魔周期である今年。彼女たち二人の魔力は極限まで高まっています。そのことを、鋭敏な感覚を持っておられるタレ王女は気づいたのでしょう。そして、ララ様とリン様を利用しています」
「それでパルはどうなりましたが?」
「無事、逃げることに成功しました。タレ王女の策略により、偽りの地図を持たせてしまいましたが、昔の仲間に助けを求めました。今頃、パル様は護衛の者と出会っているはずです」
「それなら良かったです。あの子は、この国の最後の希望なのですから」
「そのようですな。しかし危険です。王の容態は刻一刻と悪化しています。そして、魔の巣はそのこと熟知しています。王が悪魔に覚醒したと同時に、一気に攻撃を仕掛けてくるでしょう。悪魔の力を利用して」
「それを止めるのが、ルシルフ村の役目です。そして、あなたに課せられた使命でもあります」
「分かっています。そのために手を打ってあります。いずれ連絡が来るでしょう。それまでお待ちください。ただ、最初の問題はありましたが、今のところ順調に推移しています。それではまた何かありましたら連絡いたします」
そう告げ、ブレイルは足早に部屋から消えていく。
再び、一人残されるキキ。
やはり嫌な予感は当たっていた。今回の事件の根幹にはタレの姿があり、尚且つ、ララとリンも関係している。王族全体が、この六十六年周期の悪魔憑きに囚われてしまったのである。タレやパルだけは、この事件には関係してほしくなかったのに……。
重苦しい溜息をつき、キキは再び窓辺に向かい、徐に空を見上げた――。
*
一方、ルシルフ村にたどり着いたパルは、村長であるセパル・クレイヴ(通称セパ)の自宅へ足を運んでいた。隣には、トゥトゥリスの姿もある。
「大変じゃったね」
と、部屋に入って来た、パルとトゥトゥリスを見つめながら、セパはそのように告げた。全体的に小柄である。セパは話によれば一〇〇〇歳を超えるらしいが、その内面は一〇歳程度の幼女にしか見えなかった。そして、寒いというのに、部屋には火が焚かれずに、しかもローブ一枚で暮らしているようである。
「途中、魔の巣の一軍と一戦交えたよ」
と、トゥトゥリスが正直に告げる。
「そうか、それで、どうじゃった?」
「まだ、大丈夫だ。でもあまり時間はないな」
セパとトゥトゥリスの会話の内容が、パルには読み取れなかった。しかし、話を聞く限り、トゥトゥリスは何らかの任務があり、スーヴァリーガル城付近の樹海まで足を踏み入れたようである。
「何があったんですか?」
と、パルが会話に割って入る。
すると、セパが円らな瞳をパルの方へ向け、
「シシ国王の容態を見に行ったんじゃよ」
と、告げた。
「父上の容態ですか?」
「有無、あの石狂いの王には、人間としての時間があまり残されていない。既に肉体の悪魔化は始まっておる」
「はぁ。それであなたは一体何者なんですか?」
「童はこの村の村長じゃよ」
「でも、見た目は……、そ、その、子供ですよね。話し方は老成していますが」
「人を見た目で判断してはならん。童は一〇〇〇年生きる、不老者なのだから」
「不老者?」
「そう、童は死なぬのじゃ。但し、この屋敷からは出ることが出来ぬがね」
「一〇〇〇年生きているということは、六〇〇年前のスーヴァリーガルの王、アルシンハ王についても知っていますよね?」
「もちろん知っておる。アルシンハは、今のところ唯一、悪魔化から解放された国王なのじゃから」
「どうやって、悪魔化を解除したのですか?」
「悪魔の許は前世にある。スーヴァリーガルの国王の前世は、先代の国王たちなのだよ。つまり、スーヴァリーガルの国王は、生まれ、そして死んでも、また国王として蘇ることになる。そして、六十六年毎に、悪魔に取り憑かれる」
「それは何故ですか?」
と、パルが疑問を放った。
スーヴァリーガルの国王の前世はまた国王。
となれば、国王はあらかじめ決められていることにある。つまり、前世の記憶が国王だった者のみ、次世代の国王になることが出来るということだ。では、パルにはその資格はあるのだろうか?
彼は確かに王位継承順位第一位であるが、前世の記憶はない。仮にあるのだとしても、自分が先代の国王であったとは、どうしても思えないのである。そうすると、彼には、王になる資格はないのであろうか?
資格がないのであれば、それに越したことはない。何より、彼は王になりたくはないのだから。彼が求めているのは、絶対的な自由であり、身分と仕来りに雁字搦めになった王という一つの象徴ではないのだから。
しかし、……本当にそれで良いのか?
「パル。六十六年毎に、国王が悪魔に取り憑かれる。それは何故だと思う?」
パルはぐっと黙り込んでしまった。皆目見当はつかないのである。そこに潜む理由が知りたいが、今のパルには、状況を把握することが手いっぱいであり、中々先に進むことが出来なかった。
「分かりません」
「詳しい理由は、一〇〇〇年経った今も判明していない。ただ、王国を繁栄させるための神の悪戯だと考える動きもある」
言っている意味が分からなかった。
パルは答える代わりに黙り込み、次のセパの反応を待った。
「人間の筋力を例にとってみよう。筋力を鍛える場合、通常の負荷を超えて、限界を迎えると、筋肉はひどく疲労する。そして数日の回復期間を得ると、以前よりも強い負荷に耐えられる筋力が出来上がる。悪魔の例もこれと同じことが言える」
そこまで言うと、セパは一旦言葉を区切った。
どう見ても幼女にしか見えない容姿が、ある意味異常に見えたのであるが、パルは何も言わずに、ただ黙って、次の言葉に備えた。
そんなパルの仕草を、満足そうに見つめていた、セパは再び言葉を継いだ。
「悪魔に取り憑かれると、王国は甚大なダメージを受ける。長いスーヴァリーガルの歴史の中で、悪魔に取り憑かれた王の時代は、まさに波乱の時代じゃったんだよ。しかし、それを乗り越えることで、王国はより繁栄した。以前のダメージを大きく吸い込み、そして乗り越えて行ったんじゃよ」
「今回も」パルは言った。「悪魔憑きの問題を乗り越えることで、王国が大きく前進すると考えているのですか?」
「その通り。そして、それは君にかかっている」
「僕にですか?」
「古来、悪魔憑きにかかった王を救うことのできるのは、その嫡子のみされている。つまり、君か、王女であるタレ。しかし、タレは残念ながら……」
セパは口を噤んだ。
唐突な反応に、訝しいものを感じたパルは、考えを巡らせる。
やはり、タレが関係しているのである。自分を陥れようとしたのは、ブレイルではなく、実はタレなのではないか? そんな思惑を感じざるを得ない。
「姉さんが関係しているのですね?」
と、パルは言った。
言葉は出来るだけ快活に言ったつもりであるが、内面はひどく落ち込んでいた。
肉親が敵になることほど、寂しい気持ちになることはない。ただでさえ、父親であるシシ国王が悪魔に取り憑かれているのである。それだけで、重苦しいことなのではあるが、タレ自身も自分の敵であると判明した場合、パル自身、どう事態と向き合えば良いのであろうか?
「有無」と、セパは告げる。「タレは魔の巣側の人間じゃよ。まだ、本人に自覚はないがね。しかし、接触するのは時間の問題じゃろう」
「そうですか」
と、パルは意気消沈する。
例え、この事件を解決することが出来ても、この先タレとは笑って会話をすることは出来そうになかった。姉弟の絆が、完全に断ち切れるような、痛々しい感覚が広がっていく。
そんな中、パルとセパの話を聞いた、トゥトゥリスが横から口を出してきた。
「魔の巣は、ララとリンという二人の人間を引き入れたみたいだけどな」
そのセリフを聞き、セパは肩まで伸びた金色の髪を摩りながら、
「あの二人の白痴を利用したか。確かにあの二人には高い魔力がある」
「ツインクロスであることは間違いない。そして魔の巣はその力を利用して、神殺しの力を手に入れようとしている」
「ツインクロス?」
と、パルが質問を飛ばす。
恐らく魔術用語であることは察せられたが、詳しい内容は分からない。
「そう」と、トゥトゥリスが続ける。「ツインクロスは、二人で一つの力のことを言う。主に双子の魔術師が使う能力名であり、単独で行う魔術よりも高い能力を宿すことができる」
「ララ様とリン様は利用されるということ?」
「あぁ」
「なら、救わなくちゃ」
と、パルが言った時、セパが神妙な声を出して、状況を諫めた。
「待つんじゃ。パル、お前さんに一つ尋ねたい」
「何ですか?」
と、パルは聞き返す。
「お前は王になりたいのか?」
「お、王に……」
パルは自問自答する。
これまでは王にはなりたくなかった。
ただ、自由に憧れていたのである。王は自由から最も遠い場所にあり、自分の未来を暗黒に染める油絵具のようなものであった。一度塗られた油は、上書きする以外、取れることがない。だから、王という役目から逃げることは出来そうにないと思っていたのであるが、チャンスは降ってきたのだ。
それが、今の状態である。
父を救うことを止め、このまま王国から遠ざかれば、きっと自由を手に入れることは出来るだろう。しかし、その代り王国は衰退するかもしれない。
「セパさん」パルは言う。「悪魔憑きを超えると、王国は成長すると告げられましたが、それは本当ですか? 長い歴史の中で、本当にスーヴァリーガルは成長してきたのですか?」
「なるほど……」と、セパは答える。「理論的に、悪魔という強い力を跳ね返すと、王国は強さを増す。それは確実じゃ。しかし、現実はそう上手くはいかない。一〇〇〇年の長い歴史の中で、国王が悪魔に取り憑かれたのは十五回。その内、十四回は失敗しておる」
「失敗するとどうなるんですか? それでも王国は成長するんですか?」
「無論、失敗する場合もある。その場合、王国の繁栄のため、悪魔に取り憑かれた王は処刑される。そうすることで、王国はバランスを取り、歴史を積み重ねてきたんじゃよ」
「なら、今回も失敗すると、父上は処刑されるということになりますよね?」
「そうじゃね。そして、今のままでは失敗する恐れが高い。何しろ、魔の巣という魔術集団が、国王の悪魔化を利用し、古の魔術を行おうとしているからじゃよ」
「古の魔術?」
「それが、先も少し触れた、神降ろしの力。例の双子、つまり、ララとリンを利用し、高い魔力で神をこの世に顕現させる」
「何のために?」
「絶大な力を手に入れるためさ。王国を乗っ取るためのね。そのことを、ララやリンは知らない。恐らくタレ女王だってその事実を知らんじゃろう」
「黒幕は誰なんです?」
「魔の巣の魔術師。サドウェル……」
「サドウェル? それって六十六年前、処刑された国王の名前じゃ?」
すると、セパは大きく息を吸い込み、そして嘆息する。
しんとした静寂が室内を取り巻き、外の風の音だけが静かに聞こえてくる。
「サドウェルは死んではおらん。地獄の業火から蘇った。実体としてでなく魂としてね」
と、セパは告げる。あくまでも冷静に。
その言葉を聞き、パルは酷い悪夢を見た時のように青ざめていく。
蘇る? そんなことが可能なのであろうか?
「一体誰がそんなことを?」
と、なんとかパルはそれだけを絞り出す。
何となく答えは分かっていた。人を蘇らせるという魔術は、誰にだってできることじゃない。しかし、それを可能にした人物がいるのだ。高い能力を宿した人間が……。
「君も察しただろう。ララとリンだよ。二人の力を利用し、サドウェルは蘇った。六十六年前の復讐をするために……」
蘇ったサドウェル。彼は王国に復讐するために、ララとリンの力を利用して蘇った。となると、敵は遥か強大ということになる。六十六年前の国王が敵。先祖を殺すことになるのだ。しかし、国王の前世が歴代の王となると、シシ国王の前世は一体誰になるのだろうか?
そう考えている時だった。
不意に屋敷の入り口が慌ただしくなる。
騒々しい空気が流れ、そして村の青年が駆け寄ってくる。
「村長、敵襲です」
セパは立ち上がると、トゥトゥリスに目配せし、
「やってきたようじゃね」
と、告げた。
その後、トゥトゥリスも立ち上がり、
「俺がやろう」
と、答えた。
屋敷の外に出るパルとトゥトゥリス。
トゥトゥリスは屋敷の中に居ろとパルに命令したが、彼は聞かなかった。戦闘の行く末をこの目で確かに見ておきたかったのである。そうすることが、自分に出来る唯一の責務であるように感じられた。
「千手甲冑戦士」
それがトゥトゥリスの魔法名。
千手を持つ精霊と、自らの創り出した甲冑の戦士を融合した、魔術である。
基本的に操作型の魔術で、自分が行動するよりも、生み出した魔法体を操作するということに主眼が置かれる。
よって、トゥトゥリスはセパの屋敷の前に陣取り、そして千手甲冑戦士を呼び出す。
トゥトゥリスの後方に、千手甲冑戦士が現れる。一〇メートル以上はある、巨大な戦士、否、精霊と呼ぶべきか。
いずれにしても、高い能力を持っていることには違いない。
敵は総勢五○名ほど。皆、魔法戦士のようではあるが、様子がおかしい。
「同じ魔法だな」
と、トゥトゥリスは告げる。
言っている意味が計りかねる。パルは怪訝そうな顔になりながら、
「どういうこと?」
と、尋ねた。
「魔法戦士がどこかに隠れている。五〇体の魔法体を同時に動かすのだから、さっきやってきた雑魚とはレベルが違う。いよいよ、相手も本腰を入れてきたようだな」
あまりにレベルが違う世界が広がっていく。
同時に、自分が知らぬ世界がドンドンとパルの体の中を侵食していくのだ。
五〇人の魔法体が一斉に飛び掛かってくる。皆黒い装束に身を包んだ、謎の戦士である。トゥトゥリスの言った通り、かなり腕の立つ能力者のようで、トゥトゥリスの千手甲冑戦士の攻撃を事細かに避けていく。
そして、ルシルフ村の家屋を攻撃し、駆逐していく。トゥトゥリス以外にもルシルフ村の下方には戦士が次々に現れた。辺りは強烈な戦闘状態に突入する。
雨あられの攻撃。
敵の黒装束からは、巧みに電撃の攻撃が放たれ、自分たちの行動領域を広げていく。中々防戦一方のルシルフ村の魔法戦士であったが、当のトゥトゥリスはそれほど慌ててはないようであった。
次の瞬間、敵黒装束の放った電撃が、トゥトゥリスの顔面に直撃した。
すると、今まで悠然と構えていたトゥトゥリスの表情が憤怒の形に変わっていく。
「俺をあんまり舐めるなよ」
と、誰に言うでもなく、トゥトゥリスは言うと、千手甲冑戦士の伸びていた手を、一旦すべて、元に戻した。
(一旦中に戻りなさい)
と、パルの頭の中に響く声。
その声は、トゥトゥリスではなく、セパのものであった。同時に、人を従える妙な響きがある。取り憑かれたかのように、パルは一旦セパの屋敷に戻った。
屋敷の中では、やや緊張した面持ちで、セパが座禅を組んでいる。同時に、何やら念仏を唱えていたようだ。古今東西の神々の声が聞こえているような気がした。
「どうかしたんですか?」
と、パルが恐る恐る言うと、セパはカッと目を見開き、そしてパルのことを見つめた、
「トゥトゥリスが千式魔術を使おうとしておる。外にいると危険じゃよ。童のそばにいなさい」
「千式魔術?」
「そう。トゥトゥリスの持つ魔法の一つであり、千手甲冑戦士の最大の攻撃でもある」
「そんなすごい魔法を使って、この村大丈夫なんですか?」
「童が村全体を保護する魔法を構築する。攻撃は弱いが、防御には頗る自信があるのだよ」
そう言うと、セパは再び目を閉じ、何やら呪文を唱え始める。
不思議なことに、何か水の中に放り込まれたかのような気分になる。全体的に膜が張り巡らされ、そして、村を保護していく。
そんな防御の魔術、『セセトラテトス』展開している最中、村の中心では怒りに身を焼かれたトゥトゥリスが千式魔術を行おうとしていた。
完結明瞭にこの魔法の概略を説明すると、千手ある甲冑の戦士の手で敵を覆いこみ、その内部に魔法の光線を与え、内部にいる敵を一気に死滅させるという、悪魔的な攻撃魔法である。同時に、トゥトゥリスが持つ、最大の攻撃魔法であり、これを一度行うと、その日の魔力は底を尽き、千手甲冑戦士を創り出すことが不可能になる。
いわば、諸刃の剣。
よって、普段はほとんど使われない魔法攻撃なのであるが、血気盛んなトゥトゥリスは怒りで我を忘れると、この最大の攻撃魔法を見境もなく使う悪癖がある。
千式魔術、最大魔法、『リリトスの目覚め』
溢れんばかりの魔力の高鳴り、嵐の前の静けさのように、トゥトゥリスの千手甲冑戦士は千本を縦横無尽に伸ばし、その五〇体の魔法人形をすべて拘束した。その刹那、甲冑戦士に雷光のような光が溢れ出し、包み込んだ手の中に、最大級の攻撃魔法を展開した。
「ズドドドドド」
割れんばかりの大爆音が辺りに響き渡る。そして、煌びやかに光る七色の光。その光が千手甲冑戦士の千本の手によって展開されていく。内部に閉じ込められた、敵の魔法人形は逃げ出すことが出来ず、ただ時の流れと共に蹂躙され、あっさりと屠り去られていく。
すべてが終わった時、魔法人形は跡形もなく壊滅し、残ったのは、魔法人形を操っていた魔術のみとなった。魔術師はルシルフ村の入り口付近で身を潜め、己の生み出した、魔法人形を操っていたのであるが、そのすべてがあっさりと灰燼に帰すことになった。
「な、なんという……」
と、敵魔術師は唖然としながら告げる。
自分のすべての魔力を使い、魔法人形を動かしていたため、もはや攻撃の手段がない。早々に立ち去らなくてはならないだろう。
しかし、そう簡単にトゥトゥリスは逃がさなかった。
彼が扱えるのは、魔法だけではない。体術もある程度自信があるのだ。一足飛びで、敵魔術師の前まで行くと、懐から短剣を取り出し、それを振るった。
敵魔術師は、魔法に多くを依存し、あまり体術の心得がないようである。同時に、あれだけ多くの魔法人形を操作していたので、精神的にも大きく疲弊していた。もはや、勝負はあったようなものである。
トゥトゥリスは背負い投げで、相手を地面に叩きつけると、短剣を喉元に当て、
「誰の命令だ?」
と、一括した。
すると敵魔術師は「分かっているだろう」
と、一言告げる。
「サドウェルだな」
「そうだ」
「一つ聞く、シシはどうなっている? もう、悪魔に完全に取り憑かれたのか?」
「それを聞いてどうする?」
「悪魔に取り憑かれている場合、俺たちは早急にシシを悪魔から解放しなければならない。完全に悪魔になったら、面倒だからな」
「もう無理だ。お前たちの負けだ。サドウェル様は、既に実験の最終段階に進まれた」
「最終段階だと?」
しかし、その後は、高笑いをするだけで、敵魔術師は何も言わなかった。
トゥトゥリスが短剣でとどめを刺そうとしたとき、敵魔術師は、最後の防衛手段に出た。多くの魔術師が心得ている最後の悪あがき、それが魔力を使った自爆行為。
通常の魔術師は、捕まった時の備えとして、ギリギリ自爆を行える微力な魔力を残しているものである。この例に、この魔術師は漏れなかった。最後に交渉した後、トゥトゥリスを抱え込むように拘束すると、途端呪文を詠唱し、自爆したのである。
「ズドン!」
再び、劈くような爆音が鳴り響く。
魔力を極限まで使ったトゥトゥリスは、もう魔法による防御が出来ない。つまり、通常状態では、敵魔術師の最後の悪あがきが直撃し、相応のダメージを追うはずである。しかし、そうはならなかった。
それは何故か?
「終わったようじゃね。無理をしおって」
と、屋敷内いたセパは言った。
そして、徐に立ち上がると、パルに向かって「もう大丈夫じゃよ」と、告げた。
それを聞いた、パルは、オドオドとした態度で、屋敷の外に出た。
村の外は、セパの防御の魔法『セセトラテトス』により、家屋は綺麗そのままであったが、地面には無数の穴が空いている。
攻撃の凄まじさを感じ取ることができる。
さて、当のトゥトゥリスはどうしたかというと、白髪の髪の毛をぼさぼさとさせながら、フラフラとパルの前に現れた。
「だ、大丈夫なの?」
と、パルは不安そうに告げる。
「まぁな。セパに助けられたみたいだけどな」
と、トゥトゥリスは答える。
「助けられた?」
「そう、俺は千式魔術『リリトスの目覚め』っていう攻撃魔法を使ったんだけど、その所為で魔力を限界まで使ってしまったんだ。だから、相手の最後の自爆攻撃を避ける手段がなかった。普通なら死んでいたかもしれない。でも、セパの防御の魔法が俺の身体を包みこみ、相手の決死の自爆作戦を無に変えてしまったんだ」
「とにかく助かったってことだよね」
「まぁ、そういうこった。大分、村を壊しちゃったな。地面が穴だらけだ」
「家や畑なんかは大丈夫みたいだけど」
「それもセパが防御したんだ。あの婆さん、伊達に一〇〇〇年も生きはいないぜ」
(誰が婆さんじゃ)
と、再び、脳内に響き渡る声。
すぐにそれがセパのものであると分かった。
「一旦戻ろうか」
と、トゥトゥリスは言う。
断る理由はない。パルは頷いてみせると、
「ねぇ。セパが外に出た場合、どうなるの?」
「死ぬ。それだけさ。いずれは出る時が来るかもしれない」
「どうして?」
「役目が終わろうとしているからさ」
「役目?」
(それは童が説明しよう)
と、セパの声が聞こえる。
パルとトゥトゥリスの二人は、屋敷内に戻った。
屋敷内では、セパが一人座り込み、二人の姿を交互に見つめていた。
何か不満そうな表情であるが、全体的に安堵したオーラが感じ取れる。
「お前さんは、後先を考えないところが悪い」
開口一番、セパはそのように告げた。
「分かってるんだけど」と、あまり反省した素振りをみせずに、トゥトゥリスは告げる。「怒っちゃうと、止められないんだよね」
「それだといずれ死ぬぞ」
「その時はその時さ」
「お主にはまだ死んでもらうわけにはいかぬのだよ。パルの護衛をしてもらいたい」
「護衛? つまり俺がシシの前世へ行くということだな」
「その通り、前世に行くための鍵はパルにある。後必要になるのは、その護衛じゃ」
「出発は何時?」
「お主の魔力が回復してから」
「つまり二十四時間後か」
「そうなる。お前はいったん休みなさい。童はパルと話がある。それと最後に言っておく。無茶をするな。そして、生きてここに戻ってこい。それだけだ」
キツイ口調ではあるが、親が子供を心配するような雰囲気があった。
トゥトゥリスは「分かったよ」と、特に文句を告げることなく、奥の部屋に消えていった。足取りがフラフラしていたから、相当に疲弊したことは間違いないだろう。
残されたのは、パルとセパの二人だけとなった。
「さて」……二人になったことを見計らい、セパはゆっくりと声を出した。「どこから話そうかね」
「すべてを」と、パル。「すべてを教えてください。そして僕の役目も」
「ブレイルから話は聞いておるが、彼にどこまで教えてもらったんじゃね?」
「僕が父上を救うことができる、唯一の人間であるということです。そして、六十六年毎の王国の悪魔憑き。それが今年、起きようとしていることですよ」
「有無。概ねそれは正しい。シシは既に悪魔に取り憑かれ始めている。石狂いがいい傾向だよ。そして、その現実を魔の巣は利用しようとしている。つまり、サドウェルのことさ」
「サドウェルが王国に復讐しようとしていることは分かりました。し、しかし、何故、そして、僕は本当にサドウェルの野望を止めることが出来るんでしょうか?」
不安そうにパルは言う。
そう、自分にはサドウェルの野望を止めるという大いなる役目があるのだ。但し、その役目を十二分に発揮出来るかは未知数。というよりも、まったく自信はない。仮に、トゥトゥリスがついてきてくれたとしても。
それでもやるしかない。そこにしか道が残されていないのだとしたら。
とはいっても、自分はまったく魔力が使えない。魔の巣の連中は、どうやらほとんどが魔術師のようで、最低限の魔法が使えるようである。魔法がこの世にあることを知っていたけれど、自分の目の前に、このように攻撃魔法や防御魔法が展開されるとは思ってもみなかった。
パルが知っている魔法は、精々、ブレイルが見せてくれた、明かりを灯す魔力や、夏場、快適に過ごすための、空気を作り出す魔法なのだから。
当然、攻撃魔法や、防御魔法があることは知っていた。それでもやはり、命のやり取りをするとなると、話は別である。恐怖や興奮が入り混じり、その場から動けなくなってしまう。これは戦闘を行う者としては致命傷であると思えた。
「救わなくてはならん」
と、セパは告げる。
「僕は」パルは言う。「魔法を使うことが出来るんでしょうか?」
「訓練次第では可能だ。だが、時間はかかるだろう。それ故に、トゥトゥリスを護衛につける」
「前世に行くとは、具体的にはどんなことなんですか?」
「シシの前世の記憶、それはアルシンハと繋がっているんじゃ」
「アルシンハ。つまり、悪魔憑きから唯一生還した国王ですね」
「そう、彼の記憶がシシの国王には流れている、そして、童なら、その前世へのトビラを開くことができる。お主と、トゥトゥリスには六〇〇前の太古の王国へ行ってもらう」
「六〇〇年前に……」
それだけ昔に行くことが出来ること自体、不思議であると感じられた。通常状態では、恐らく、過去に遡ることは出来ないだろう。時を司る力はそれだけ稀有な魔法なのだ
しかし、このセパはそれが可能だと言ってのける。同時に、それはブレイルよりも遥か強大な力を有していると察することが出来る。
「童が」と、セパは続ける。「時の時間を開ける。時の時間を開けても、本来は資格がなければ、その内部に入り込むことが出来ない。王に近しい人間の血の流れが必要なんじゃよ。この詳しい理由は、未だに分かっていない」
「そ、そうなんですか」
と、パルは何とかそれだけを答える。
どうやら、王国の血の流れと、前世の記憶の相関関係は分かっていないようである。それでも、王国が王を必要としているように、先代の国王の記憶に接続するためにも、国王の血を引く人間の力が必要なのだろう。
とはいうものの、国王の血を引く者は、自分だけではない。もう一人いるのだ。
その人物こそ、言わずもがな、タレのことである。
「姉さんはどうなんですか?」
と、パルはふと疑問を呟いた。
タレが敵対している可能性があることは、パルにも分かっていたし、同時に大きな衝撃を与えていたのだから、運命と言うものは皮肉なものである。
姉弟でいがみ合うことほど、愚かなことはない。
如何に、背景に王位継承という絶対的な事情が潜んでいたとしても……。
「タレのことか」と、セパは繰り返す。そして「彼女は残念ながら、魔の巣側の人間だ。自覚はないがな。同時にサドウェルは彼女を利用するだろう。王になりたいという飽くなき野望を力に変えるんじゃよ」
「そ、そんなことが可能なんですか?」
「可能だ。過ぎたる力は人を狂気変えるからのぅ。きっとタレ自身、事件に巻き込まれたことすら知らないだろう。しかし、知るときは来る」
「タレは魔の巣と、このルシルフ村が戦闘状態にあることを知っているんですか?」
「知っておる」
「どこで彼女は知ったんでしょうか? 僕はまったく知らなかったのに……」
「元々、タレはこの国王の悪魔憑き事件を間接的に知ることになったのじゃよ。彼女は国王の地位に憧れていた。そして、その野望を叶えるために、ララとリンに接触していたのじゃよ」
「ララ様とリン様から聞いたと」
「否、彼女らから聞いたわけじゃないだろう。だが、彼女らの背景に、魔の巣側の人間が潜んでいること察することが出来たはずだ。そこから、聞いたんじゃよ。そして、今回の事件に合わせて、お主を亡き者にしようと考えた。きっと、背後にはサドウェルの姿があるはずだがね」
心は鬱屈としていく。
やはり、タレの精神は焼かれている。いくら国王に憧れているとしても、実の弟を手にかけることをするだろうか? 今まで十四年間、ずっと王族として一緒に暮らしていたのである。少なくとも信頼はしていた。
その信頼感が一気に崩れ去ってしまった。
「サドウェルはシシ国王の前世の記憶に接続するための駒として、タレを利用するだろう。君が六〇〇年前の記憶に接続するように、タレもまたその記憶に接続してくるはずだ」
と、セパは言う。
「な、何のために……」
パルは分かっていながら、そのように尋ねた。
恐らく、タレの目的は、自分を邪魔することにあるだろう。そして、その見返りは国王としての地位。しかし、きっとそれは偽りの情報であろう。サドウェルが何を考えているか分からないが、復讐だけが最終目的ではないだろう。
もしかすると、復讐はあくまで副産物的なことなのかもしれない。
真の目的はきっと、その後ろに闇のように広がっている。
「サドウェルは王国を乗っ取ろうとしているんじゃよ。もちろん、悪魔としてね。そうなれば、王国は死滅する。筋肉を例にとったが覚えておるかね?」
「覚えています、損傷を受けた筋肉は、休ませること、つまり、窮地を脱することで、以前よりも強くなると」
「その通り、しかし、継続的に過度な鍛錬を積んでいると、筋力は回復するより前に、疲弊してしまうんじゃよ。そうなると、強くはならず、弱くなり、やがては力尽きるだろう。そうなる前に手段を打つことが必要になる」
「サドウェルという癌を打ち砕くということですね?」
「そうじゃ。奴の野望だけは何としても止めなければならない。スーヴァリーガルを悪魔の手から解放しなければならないのだ。何度も言ってくどいようだが、それが出来るのは、パル、君だけなんじゃよ」
その声を聴き、パルは確かに自覚する。
自分に課せられた大いなる役目。
必ずその役目を果たそう。それだけが、今のパルを支えていた。今までの退屈な日常が嘘のように消え去っていく。
これはきっと、どこかで自分が待ち焦がれていたことなのかもしれない。
不安がないわけではない。
何しろ、自分はまったく魔法を使えないし、戦闘経験だってないのだから。
足手まといになることは、半ば目に見えていた。
だが、困難を乗り越えていかなければならない。それが今、必要なことなんだから。
セパとの話は終わり、パルはセパの屋敷の一室を借り、そしてそこで一人横になった。決して眠いわけではなかったけれど、疲労が溜まっていた。戦闘に次ぐ戦闘、そして王国の窮地を知り、精神だけでなく、体力も底についていた。
横になると、やがて眠気が襲い、そして眠ることになった――。
まだ太陽の光は高い。午後一時のことである。