Children in the darkness
三日後――。
「最近何かあったの?」
と、パルの姉、タレタイン=ウミ=アザブド=スーヴァリーガルは言った。
二人は食事を終え、大きな食堂で二人、食後のコーヒーを飲んでいた。
タレは今年十六になる少女である。多感な時期であり、繊細な心を持つ少女だ。同時にひどく勘が鋭い。
パルは当然であるが、ルシルフ村に行くことを、ブレイル以外には言っていない。だから、誰もこの事実を知らないのであるが、タレは持ち前の鋭敏な感性を生かし、パルのここ最近の変身を訝しい視線で見つめていた。
「何って、何もないよ」
パルの持つ、コーヒーカップが緊張でカタカタと震えた。
じっと天敵を見つめるかのように、タレは視線をパルに向かって注ぐ。
「嘘ね。私には分かるのよ。あなた、何か隠しているわね」
鋭い。
同時にこれ以上隠し通せるか、不安であった。それでも、隠さなければならない。言えばきっと、タレは父や母にこのことを密告するだろう。そうすれば、パルは拘束され、地下の牢に一時的に監禁されるかもしれない。
「何もない。本当さ」
と、誤魔化すパル。
しかし、彼の試みは無残にも打ち砕かれる。
「どうして嘘をつくの? 言ったでしょ、私には分かるのよ。パル、あなた、ここを出ようとしているわね」
「な、何を言っているんだ」
「図星ね。教えてよ、どうやってここを出るの?」
「出ないよ」
「言わないと、あなたを拘束するわよ。ここから出ることが、どれだけ愚かな行為か、あなたにも分かるはずでしょう」
パルはぐっと黙り込む。
どうやら、タレの前では隠し事が出来ないようである。しかし、事は内密に進めなければならない。
「父上を救うんだよ」
と、パルは言った。これは嘘ではない。
「父上を? どいうこと?」
そこで、パルは六十六年毎に、王が悪魔に取り憑かれる事実を、かいつまんで説明した。
それを、黙って聞いていたタレであったけれど、パルの話が終わるなり、
「本当なのかしら?」
と、尋ねてきた。「六〇〇年前の王様の情報なんて、きっと半ば伝説になっていて、嘘が多いわよ。伝説には尾ひれがつくって言うしね。それに、どこでそんな情報を知ったのよ?」
「それは言えない。ただ、僕は決して興味本位だけじゃないんだ。ただ、父上を救いたい。それだけなんだよ」
「そう。なら、誰があなたに助言したのかは聞かない。でも、教えて。どこへ行くのか?」
「絶対に誰にも言わない?」
「えぇ、言わないわ」
「スーヴァリーガル王国の周りに樹海があるよね。その先にルシルフ村という村があるんだけど、そこは別名前世の村と呼ばれているんだ」
「前世の村?」
「そう。僕は少し書物で調べたんだ。前世の記憶を持つ人間が多い村だそうだよ。そこに行くんだ」
「父上を悪魔から解放させるために……」
「そう。ここまで言ったんだ。秘密にしておいてよ」
「いつ出発するの?」
パルは黙り込む。 これを言えば、自分のリスクはさらに上がることになる。
「密告しないから安心してよ」
と、タレは取りなすように言うが、パルはあまり信用が出来なかった。血を分けた姉であるが、生活スタイルはほとんど違う。パルは内向的であるが、タレは社交的な性格だ。誰とでも仲良くなることができる。だから、国民の支持も厚い。
一説には、内向的なパルが次期国王になるよりも、タレが女王としてスーヴァリーガル王国の統率者になったのが良いのではないかという考えもあるくらいなのだから。
パルにとってそれはそれで良かった。
自分には国王という地位は、全く興味がない。むしろ、ならなくていいのなら、進んで辞退したいくらいなのだから。
「明後日に発つ」
と、パルは言った。
「でもどうやって? すぐに見つかるわよ」
「影武者を立てるから心配はないよ」
「影武者……」
興味を持ったようであったが、タレは不思議とそれ以上何も言ってはこなかった。
*
翌日――。
「突然すいません。ブレイル先生。ちょっと話があるんです」
そう言ったのは、他でもないタレである。
彼女は今、ブレイルの研究室の前にいる。
「用とは何かね?」
と、ブレイルは少し神経質になって告げた。
パルの出発が明日に迫っているのだ。自分の創り上げた影武者は完全ではあるが、誰かに言うわけにはいかない。
しかし、タレは勘以外にも重要な情報を知り、ここにやってきたに違いない。今まで彼女はこの研究室にほとんどやってきたことがないのだから。
「ルシルフ村と言えば分かりますか?」
ニッと笑みを浮かべるタレ。
彼女は、決してパルにブレイルのことを聞いたわけではない。ただ、推理したのだ。パルは本をよく読む。そのことを姉であるタレは知っている。ただ、読む本が、すべて教師であるルルドや召使のシーアによって検閲されており、何でも自在に読むことは出来ないのだ。
しかし、パルは通常なら読むことが許されていない外部の書籍。つまりスーヴァリーガル王国の外を描いた書物を読んでいたようである。そうでなければ、ルシルフ村という村を知るはずがないからだ。
では、パルはどこで、そんな外部の情報が書かれた書物を読んだのか?
決まっている、書物の蒐集家であるブレイルから借りたのであろう。確かブレイルはスーヴァリーガル王国の歴史を調べていたはずである。そのような事実があり、タレはパルがブレイルと関係していると察したのだ。
それ故に、今こうして、ブレイルの許まで足を運んでいるのである。
さて、当のブレイルはどうしたものかと、内心頭をもたげていた。
とにかくこの少女は知りすぎているようだ。パルが言ったのかは分からないが、今さら作戦は中止できない。となると、もう、この少女を巻き込むしか、解決方法はないだろう。
「シシ国王を救うためなのだよ」
と、神妙な声で告げるブレイル。
その声を聞き、タレはパルとブレイルが関係していると、ほぼ一〇〇%理解する。
「私は意地悪をしに来たんじゃないんです」
と、タレは言った。「むしろ逆に、パルを応援したいんですよ」
「どういうことかね?」
と、ブレイルは不思議そうに呟く。
話の流れから、タレ自身も外の世界に飛び出したいと言うものかと察していたが、事実は違うようである。
「パルをこの国から解放してあげたいんです。彼は外の世界に憧れています。なら、外の世界で暮らした方が良い」
「しかし、彼は次期国王だ。戻らぬわけにはいかないだろう」
「私が女王になります。そうすれば問題はないはずです」
確かに、王位継承権第一位はパルであるが、パルが亡くなった場合、その権利は姉であるタレに移行する。
シシ国王とキキ妃には二人の子供しかおらず、残っている王族もシシの姉である、ルルとリンの二人だけなのだから。必然的にパルが亡くなったり、消えたりすれば、タレが女王になることになるだろう。
国民や王国に関連する貴族の中に、パルではなく、タレを次期女王として推薦している話はあるが、それは極々少数である。大多数は、パルが国王になるに相応しいと考えているのだ。
「君は何を言っているのか分かっているのかね?」
と、ブレイルは、恐ろしく興奮しながらそう告げた。「君はパルがいなくなっても良いというのか?」
「そういうわけじゃありません。ただ、一番話がスムーズに進むと思うんです。だって、考えてみてください。パルは国王になりたいとは考えていない。そして外部の世界に憧れている。それに対し、私は次期国王に、つまり女王になりたいと考えている。利害は完全に一致します」
「そんなことは、私が判断することではない。少なくとも、今はシシ国王を救うことが先決なのだよ」
「父上はやはり、死の淵にいるのですね」
「有無、既に体の半分は悪魔に取り憑かれておる。早急に策を練らなければならない。そのために、パルには行動してもらうのだよ。国王を……いいや、この国を救うために」
「パルがいなくなった間、パルの身代わりはどうするんですか?」
「その点は心配いらん。万事滞りなく進んでいる」
「ブレイル先生。私を女王にするために、パルを解放させてあげてください。それが出来なければ、私はこのことを密告します」
淀みなく流れていた時の流れが、唐突に止まった。
そして、ブレイルはタレの思惑を知ることになる。彼女は、この悪魔憑き事件を利用して、自らを女王にするために、策略を練っているのである。
齢十六歳の少女だというのに、彼女もまた、国王という地位に狂っている。否、焼かれているのだ。国王は国の象徴であり、なりたいからなるものではない。スーヴァリーガル王国には一〇〇〇年間の時の流れがあり、脈々と王位継承が行われてきたのだ。
その長い歴史の中で、血みどろの王位継承争いがあったことは事実である。王位をめぐって、親が子を殺したり、兄弟が殺しあったりしたことは、負の歴史として、確かに存在するのである。
そんな不穏な争いを、今ここで巻き起こすことは、絶対的に正しい行いではない。しかし、タレには黙っていてもらわなければならない。シシ国王を救うためには、次期国王であるパルが、シシに巣食う悪魔を撃退しなければならないのだから。
そのためには、今ここで、タレに邪魔されるわけにはいかないのである。とはいうものの、どうすれば良いのか? 老齢の魔術師、ブレイルには見当がつかなかった。
*
出発の日がやってくる。
興奮からか、いつもよりも早く目が覚めたパルは、一人ベッドから起き上がり、窓の外を眺めた。見慣れた景色。朝の爽やかな空気が感じられる。いつもはそんな空気感を得ても、特に何も思わない。
ただ、いつもの退屈な日常が始まるのだと感じるだけである。
それでも、今日は違う。心の底からやる気が湧いてくるのだ。自分が思い描いていた、奇跡が本当に巻き起ころうとしている。とにかく早くルシルフ村に向いたい。
朝食中も興奮状態は続いていた。あまりに興奮していたため、パルは二つの視線が自分に注がれていることに気付かなかった。
一つは、タレが自分を見つめる視線。
もう一つは、ブレイルが自分を見つめる視線。
その視線が火炎のように熱い炎を上げている。パルの気づかぬところで……。
朝食を終えると、いつもは勉学の時間が始まる。その前に、パルはブレイルの許へ向かっていた。約束では、朝食後、作戦を遂行するという話だったからだ。
浮き立つ気分を抑えながら、パルはブレイルの部屋のトビラをノックする。今まで生きてきて、こんなにも時間が待ち遠しいと感じたことは、かつて一度もなかった。トビラをノックすることすら、煩わしいと思えたくらいである。
トビラの前で反応を待っていると、ブレイルの「入りなさい」という声が聞こえてきた。
あまり、ここにいることを誰かに見られるもの良くないと思い、パルは素早く室内に入り込んだ。
室内は相変わらず薄暗く、魔法の明かりだけが煌々と室内を照らし出していた。
そして、パルはすぐにある物体に気付く。
その物体は、まさに自分そっくりの人形。否、もう人形というよりも一つの生命体であると思えた。同時に、こんな奇跡を起こせる魔術師が、近くにいたのだと驚きを覚える。この生命体は自分と同じように意思があり、動くことが可能なのだろうか?
「これは僕ですよね」
と、パルは興奮した面持ちで告げる。
対面に立つ、ブレイルはスッと頷いてみると、
「その通りだ。もう一人の君と言っても過言ではない。魔法の意思で動く、魔法人形だよ」
と、告げるが、心なしか、不安そうな顔をしているのは何故であろうか?
そのことに、パルは気づき、そして言った。
「何かあったんですか?」
ブレイルは首を左右に振り、
「否、何でもない。とにかく急ごう。変装の準備はしてきた」
「分かりました」
パルは今着ていた自分の衣類を、魔法人形に着せ、自分は労働者が着るようなワークウエアに着替えた。こんな下賤なものを着るのは初めてであるが、興奮は冷めない。
変装を済ませると、最後の仕上げとして、ブレイルはパルの顔に変化の呪文を唱えた。
それほど長く変化することは出来ないが、この王国を出る分には十分な時間、変化をすることが出来るだろう。
「期日は一週間だ。一週間後、また戻ってくるのだよ。私が王国の前で待っていよう。王国の守衛室がある場所はわかるかね」
「多分わかります」
「一週間後の夜六時、そこで落ち合おう。君はルシルフ村へ行き、シシ国王の前世の人物に接触するのだ。そして、悪魔に覚醒しようとしているシシ国王を救うための、情報を手に入れてくる。恐らく、前世の記憶を辿れば、それが可能になるのだろう」
「そして、僕はその情報を持ち帰り、父上を助けるということですね」
「その通りだ。悪魔の覚醒を未然に防ぐためには、それしか方法がない」
「僕が仮に戻らなかったら……」
と、パルは言った。その声は若干の不安が入り混じっていた。
戻らなかったら。
パルが戻らなければ、シシ国王は悪魔として覚醒することになるだろう。その結果、どのような道を王国が選ぶかは、目に見えている。つまり、国王を処刑するのだ。今まで悪魔として覚醒した王たちが処刑されたように。
そして、シシ国王は第九十八代国王として、永遠に闇の中に葬り去られるだろう。
「君は戻る。否、戻らなければならん」
と、ブレイルはまるで自分に言い聞かせるように告げた。
その内部には何か隠し事があるような気がしていたが、今ここでそれを聞くことは、パルには出来そうになかった。あまり、ぐずぐずしていると、作戦が失敗する恐れがある。なるべくならば、早急にここを出たいのだから。
パルは速やかに王国の外に出ることに成功した。
そして、一人、鬱蒼と広がる樹海の中に消えていく。持ち物ものは、ルシルフ村に行くための地図のみ。万が一、見つかった時備えとして、王国に関連するものは一切持っては行くことはしなかった。
残されたのは、己の身一つ。
これから先は、すべて自分の力で解決しなければならない。父を救うために。