Children in the darkness
ブレイルの研究室から出てきたパルは、一人スーヴァリーガル王国の城内を歩いていた。午後からの勉学の時間が迫るが、決して勉強をしたいという気持ちにはなれなかった。ただ、父のことが気がかりなのである。
悪魔に取り憑かれる可能性がある父。
自分の父親が悪魔に取り憑かれるところなど、決して見たくはない。だが、その期限は迫っている。自分がルシルフ村に行き、父の前世を何とかしなくては、事態は解決しないのである。
しかし、不可解なこともある。
それは、何故、自分が選ばれたのかということだろう。
自分はこの王国の王族である。となれば、自由に動けないのは、目に見えているではないか。それに、わざわざ何の経験もない自分をルシルフ村に向かわせなくても、王国の護衛軍を向かわせれば、それで事態は解決する。
それなのに、ブレイルは自分にルシルフ村に行けと言うのだ。そこに、何か確固たる理由が潜んでいるような気がするのである。
自分でなければならない理由。
あえて考えるのなら、王族であり王子ということだろう。
それくらいしか考えることが出来なかった。
いずれにしても、時間は待ってはくれない。こうして考えている間にも、父の容態は悪化していくのだから……。
午後の勉学を終え、パルは夕食前のひと時を利用して、シシの許へ向かっていた。
シシは一人、石の部屋におり、そこで拾ってきた石を大切そうに弄びながら、ニコニコと笑みを浮かべている。
パルが石の部屋に入ると、シシは露骨に嫌そうな顔を浮かべ、
「何の用だ、パル」
と、一喝した。
特に用はない。
ただ、その顔を見たかったのである。シシは言われなければ悪魔に取り憑かれる可能性があるなど、まったく予想することが出来ない。こうして、シシの姿を見ていると、どこかこう、ブレイルの言っていることが嘘であるように思えてならない。
「父上、お体は大丈夫なのですか?」
唐突な息子の気づかいに、シシはやや面を食らったようである。
訝しい表情になりながら、
「何故、そのようなことを尋ねるのだ?」
と、質問を飛ばした。
「いえ。ただ、最近調子が悪いように見えたものですから」
と、パル。
「心配は無用だ。余は何の不調も感じてはいない」
「そうですか」
そう告げるパルを尻目に、シシは一人、石を布で磨き始めた。
石と言っても、宝石のような類の石ではない。川辺に落ちているような普遍的な石である。ここだけ切り取って見てみると、やはりシシの行動は異常であるように感じられる。石を愛でる国王。
こんな存在は聞いたことがない。
そして、パルは感じ取る。
父の背後にある黒い影を……。
そう、悪魔の翼のようなものを見てしまったのだ。シシは確実に悪魔に取り憑かれる。それは避けようのない現実として、迫り始めている。何とかして救わなければならない。それが自分に出来るすべてであるのだから。
シシの石の間から出たパルは、一人自室へ向かっていた。
このままでは、確実にシシは悪魔に取り憑かれ、そして死ぬことになるだろう。今まで何度も王国から出たいと、そして、自分に課せられた王族という背景に絶望していたが、今回の絶望は比にならないくらい大きなものであった。
シシを救うため、早く旅に出たいのである。
一週間がこれほど待ち遠しく、狂おしいと感じることはなかった。
夕食中も気が気ではなく、ただ、父の姿を心配そうに見つめることしかできず、自分の力のなさに、嫌気が差し始めていた。
不思議なのは誰も父の容態を気にかけないということだろう。
何となくばつの悪さは感じているが、腫れ物に触れないように接しているのだ。妃であるキキも、シシの姉であるルルとリンも皆他人事のような態度である。
その姿を見て、さらにパルは絶望に打ちひしがれる。
これが家族なのだろうか?
確かに王族の絆は通常の家族に比べれば、権威でつながっている関係上、拙いかもしれない。しかし、今はそんなことを言っている暇はないのである。
夕食を終え、自室で悶々としていると、夜着を持ったシーアがやって来て、不安そうに怯えるパルの姿を見て、訝しい視線を送った。
「何かあったのですか?」
と、シーアは尋ねる。
あまり、パルは感情を隠しておくことが得意ではない。
むしろすぐに表情に出てしまうので、困っているくらいだ。
さて、どうこの場を切り抜けようか? と、パルは考えていた。たどり着いたのは、ルシルフ村の存在である。
「なぁシーア」と、パルは尋ねる。「ルシルフ村って知っているか?」
シーアは夜着をパルの許まで運ぶと、少し思いを巡らせながら、
「ルシルフ村? さぁ分かりませんけど、何かあるんですか?」
「じゃあ、シーア。君は前世を信じるか?」
「前世って、自分が生まれる前、どんな生物であったか? ということですよね? あまり興味はありませんね。王子は信じておられるのですか?」
「あぁ、なんでもそのルシルフ村には前世の記憶を持つ者がたくさんいるらしいんだ」
「幻想ですよ」
と、寂しそうに呟くシーア。
そうかもしれない。
前世など、取るに足らない幻想のようなものであると、パルも思っている。しかし、
「なぁ、最近の国王はどう思う?」
今日のパルは質問が多い。
恐らく、そうシーアは感じただろう。
少し困った素振りを見せながら、どう答えるかを思案している。
「別に普通ではないですか?」
「今日、父上の許へ行ったんだ。石の間にいたよ。そこで何をしていたと思う?」
「さぁ何でしょうか?」
「石を愛でていたんだよ。もう普通じゃない」
「石がお好きなんでしょう。別に構わないじゃないですか?」
「アルシンハ王を知っているか?」
「アルシンハ? さぁ知りませんが、どこかの王様ですか?」
「スーヴァリーガルの六〇〇年前の国王だ」
「そんな昔の王となると、知っている人の方が稀かも知れませんね」
やはり、誰も知らない。
恐らく、悪魔が隔世遺伝しているということも、知らないであろう。
知っている人間は数少ない。
ブレイルの話では、識者の間でも、悪魔に取り憑かれた国王がいるということは、見解が分かれているのだそうだから。
翌日――。
パルは一人、ブレイルの研究室に向かっていた。
ブレイルは一人、研究に没頭している。デスクの上に、何やらフラスコやビーカーなどを置き、そして、それを細長い棒でかき回している。
ブレイルは入ってきたパルの姿を認めると、にっこりと笑みを浮かべ、彼を迎え入れた。
「よく来たね」
「聞きたいことがあるんです」
と、パルは告げる。
聞きたいこと……、それは、
「どうして僕なんですか?」
「何のことだね?」
「つまり、ルシルフ村に行く人間がどうして僕に決まったのかなって、それって不思議なことですよね。だって、僕は王族だ。この城から出られないことは、誰にだってわかるはずです。なのに、あなたは僕に旅立てと言う」
「旅に出たくないのかね?」
と、ブレイルは不安そうに言う。
旅に出たくないわけではない。
この環境を脱したいと思っているのは事実なのだから。でも、ただ、不可解なのだ。自分が選ばれた理由を知りたいと思うのは、当然のことであろう。
王子としての責務が、ヒシヒシとパルを刺激する。
「王族の血を引くものでなければ、六十六年毎の悪魔への覚醒に対抗できないんだよ」
「王族の血。つまり、僕のことですね?」
「そう、六〇〇年前のアルシンハ国王の文献はほとんど残されていないが、狂っていたという情報がある。そして、王国の勇者が悪魔を祓ったとされているのだよ」
ここで、一旦ブレイルは口を閉ざした。
何となく沈黙が重く感じられる。
六〇〇年前のスーヴァリーガルで、今と同じようなことが起きている。その時の流れに運命を感じ、そして、自分に課せられた使命感を得る。それがパルの心境であった。父を救うことが出来るのが、自分なのであれば、進んで協力をしよう。
「このことから推察できるのは」と、ブレイルは言った。「前世の存在を確認し、国王に宿った悪魔を取り祓うことが出来るのは、高名な呪術師や祈祷師ではない。同じ王の血を引く、人間でなければならないということだ」
「王の血」と、パルは真剣に告げる。
「そう。君にしか出来ないことが、今まさに目の前に現れている。だからこそ、私はこの危険な役目を君に話すつもりになったのだよ」
「分かりました。それで、いつになったら、僕の身代わりは出来るんですか?」
「あと五日もあれば可能になるだろう。それまで、暇なときはここにきて、下界の情報を集めておくと良い。ここに来たことは、誰にも言わぬから」
今まで、ブレイルを苦手であると感じていたパルであったが、それは間違いであると悟った。ブレイルはきっと、心優しき、このスーヴァリーガルの繁栄を望んでいる魔術師なのだ。そうでなければ、ここまで自分に親身になって接してはくれないだろう。
少なくとも五日後、パルはこのスーヴァリーガル王国を出ていくことになる。生れて初めて外の世界と接するのである。そこに一抹の不安はあったが、興味がそれを上回っていた。早く外の世界に行きたい。考えることはそればかりである。




