Children in the darkness
翌日――。
いつものように日常を送り、昼食を終える。
昼食後は一時間程度の休憩がある。その時は、本を読んだり、外を見たりして過ごしているのだが、前述の通り、魔術師であるブレイルに呼ばれている。だから、彼の許へ行かなければならない。
パルはブレイルのことがあまり好きではなかった。老齢の魔術師であり、父、シシの信頼を抜群に得ているブレイルは、このスーヴァリーガル王国の裏の支配者でもあった。表向きはシシに遜っているように見えても、心の底では何を考えているのかわからない。
そんな独特のオーラがあるから、パルは必要なことがなければ、ブレイルに近づく事はなかったのである。
ブレイルの研究室兼自室は、王国の地下にある。
地下という関係上、日は全く射さず、昼間だというのに、ろうそくの明かりがなければ、どこにいるかさえ分からない。
ブレイルは研究室の中で、何やら書物を読みながら、パルのことを待っていた。部屋には火の魔術で引き起こされた明かりが煌々と降り注いでいる。王国の明かり類は、すべて、このブレイルが生み出した炎の魔術『ファルス』で成り立っている。
「何か用ですか?」
と、パルは入口のトビラの前で、そう呟いた。
しばらくすると、ブレイルは書物に栞を挟み、そして丁寧に木製のデスクの上に置くと、視線をパルの方へ向けた。
「座りなさい」
身分はパルの方が上であるはずだが、この老人の前では、身分という柵が崩れ去っていくような気がした。特に文句も言わず、パルは部屋の中央にあるソファに座った。オーガ鳥という大型の鳥の羽をクッションにしたソファは、ものすごく座り心地が良い。
ブレイルは痩身の男性で、真っ白な髪の毛に、真っ白なひげ、そして透き通るような白い病的な肌を持つ、如何にも物語の中に登場しそうな仙人である。
パルはソファに座りながら、大型の書棚に収納された本を見つめていく。
古今東西のあらゆる書物がここにはある。魔術関連の書籍が多いが、中には小説もあるようで、それは意外に思えた。
「本が好きかね?」
と、パルの態度をみたブレイルがそのように告げた。
「い、いえ」と、パルは慌てながら、「そういうわけじゃ」
「好きな本があれば持っていても構わんよ」
「しかし、読んでいることが見つかれば、ルルド(パルの専属の教師)に没収されますよ。父上は僕が本を読むことをあまり好んではいないのです」
「そのようだね。君が本が好きなように、王は、石がお好きなようだからね。それに夢中だ」
シシは石を集めている。それも半ば気が狂ったかのように。自分のコレクションした石の数々を収納し、管理する部屋まで作ったくらいなのだから。王族をはじめ、国民もそのことを知っている。だから彼は、影で石狂いの王と呼ばれていた。
「君をここに呼んだのは、君を自由にしてやろうと思ってね」
と、ブレイルは告げた。
自由にしてやるとは、どのようなものなのであろうか?
このスーヴァリーガル王国の王族に生まれた時点で、自由など約束されていない。全く興味のない地位を得る代わりに、自由は根こそぎ奪われる。だから、王族は狂った人間が多い。シシの石狂いもその影響の一つであろう。
「自由とはどういうことですか?」
と、パルは当然の疑問を吐く。
ブレイルは薄っすらと白いひげを摩りながら、
「王国を出たくないかね?」
と、尋ねた。
「王国を出る、ですって?」
「そうだ。私なら、その手引きが出来る」
何を言っているのだろうか。
王国を出てみたいというのは、パルの長年の夢である。
しかし、それは儚い夢だ。決して叶うことのない夢。それが脱王国ということなのだ。そんな夢話のようなことを、ブレイルが平気な口調で言うものだから、パルはいささか面を食らった。それでも興味はある。
「無理ですよ。僕がいなくなれば、王国中が騒ぎになるはずです」
と、残念そうに現実を告げるパル。
そう、パルはこの国の王子なのである。
王子が失踪すれば、国中は騒ぎになるだろう。そのことを知らぬブレイルではないはずだ。彼の思惑は一体どこにあるのだろうか。
「その点は大丈夫だよ」
と、ブレイルは自信満々に告げる。
「どういうことです?」
「君の身代わりを用意しよう。そうすれば、問題はない」
「身代わりなんてできるんですか?」
「君の血を少し分けてくれたまえ。そうすれば、君の身代わりを用意できる。見つかる心配はない」
「でも、僕は外の世界のことを何も知りません。王国を出てもどこに行ったらいいのか」
「行ってもらいたいところがある。一つ本を授けよう」
と、言うと、ブレイルは書棚に足を運び、そして一冊の本を取り出した。
羊皮紙で製本された、古びた書物である。印字された文字が若干薄くなっているが、読み取れないほどではない。
ブレイルはその書物を、パルに渡す。
パルは丁寧に両手で書物を受け取ると、ぱらぱらと中身を見つめる。大分読み込まれているのか、本は酷く痛んでいる。それでも、パルの興味を引くフレーズが、事細かに並んでいる。
輪廻転生。
その言葉が、パルの興味を大きく引いた。そして、
「輪廻転生の本ですか?」
と、パルは尋ねる。
ブレイルはニッと口角を押し上げ、不気味な笑みを浮かべると、
「その通り。王国の外に、ルシルフ村という村がある。王国を取り囲む樹海を抜け、サッペンド山脈を目指して、北に進むのだ。そうすると、ルシルフ村はある」
「この村には何があるんですか?」
「輪廻転生だよ。君もその言葉を知っているだろう。本を読むことが好きなのだから」
「えぇ。知っています。でも、それが僕をこの王国から解放することと、何か関係があるんですか?」
「輪廻の謎を解けば、君はこの王国の重圧から解放されるだろう」
「僕は次期国王です。その呪縛は誰にも解けない」
「その通り、今のままではね。だが、輪廻を知ることで、重圧から解放されることはある」
パルには言っている意味が測りかねた。
一体、この老齢の魔術師、ブレイルは何を言っているのだろうか?
「僕に死ねと言っているのですか?」
と、パルは神妙に言う。
確かに、次期国王としての呪縛を解き放つためには、自らが死ぬことが一番効果的な手段であろう。国王になり、つまらない人生を送るくらいなら、死んでしまっても良い。そんな風に考えた時期が、パルにもあった。
けれど今は、死は考えていない。
死は逃避である。
逃げるだけで、何も解決しない。国王になる気がないのなら、その呪縛を自分の力で解き放つことが肝要なのである。そのために出来ること。……それは、このスーヴァリーガル王国からの脱走。
今までは、それが不可能であると感じていた。絶えず監視はついているだろうし、逃げてもすぐに追手はやってくるだろう。仮に王国から逃げることが可能であるとしても、その後、あっさりと捕まることは目に見えている。
捕まってしまえば、二度と脱走のチャンスはないように感じられた。つまり、失敗は出来ないのである。幽閉される可能性だってあるのだから。
「死ねと言っているわけではない。ただ、君のような年の人間は、本来自分を知るために、旅をするものなんだよ。しかし、君は王族だ。それができない。そのことが不憫に感じたから、私は一つの策を考えた」
「どうして、僕に協力してくれるんですか?」
「シシを見ているからだよ」
「父上、国王をですか?」
「有無、ここだけの話、彼はかなり狂っている。彼の専属の医師がそう告げている。となれば、君が即位するときが近いということだ。そうなる前に、君には広い世界を見てきてもらいたい。この隔絶された王国を再び反映させるためには、アウトローな精神が必要」
「父上が狂っているだって……」
「その通り。彼は狂いつつある。そして崩壊は時間の問題だろう。事実、国王の亡き後、君を早急に即位させるという考えも、識者の考えの中には存在している」
全く知らないことであった。
父が狂っていることは、何となく想像できる。
このスーヴァリーガル王国の王族は、様々な仕来りに雁字搦めになっており、自由がないのだ。自由を失った人間が狂うのは、半ば必然的な精神の防衛の結果なのである。
「いつ、脱出するんですか?」
「一週間あれば、君の疑似体を創ることができる」
「魔術でですか?」
「その通り。先も言った通り、君の血を少し分けてもらおう。それを培養し、魂を生成するのだ」
「そ、そんなことが可能なんですか?」
「可能だ。但し、長い期間は作用しない。一週間が限度であろう」
「ブレイル、あなたの目的は何なんです? 父上を救ってください。僕の疑似体を創ることが出来るのなら、父上だって治すことが出来るはずです」
「有無」と、ブレイルは言う。そして遠い目をしながら「当然の疑問だな。先も言ったルシルフ村、そこには輪廻転生の言い伝えがある。そして、そこには国王の狂った精神を解き放つ鍵が隠されているはずだ」
「何故です?」
「国王の中に、前世の記憶が流れているからだ」
「前世の記憶?」
「そう。国王の中に流れる前世の記憶。また悪魔とも関係している。それがこの王族というストレスフルな環境と融合し、彼を狂わせることに一役買っているのだよ。それを治すためには、ルシフル村に行き、前世の秘密を探るしかない」
「父上を放っておくと、どうなるんですか?」
「悪魔に取り憑かれ死ぬ。それもそう遠くない未来、彼は精神崩壊し、結果的に死に至るだろう。それを救うためには、前世の記憶を消去することにある」
「どうやってそれを行うんですか?」
「ルシルフ村にそのヒントがある。同時に、国王を救うということは、君の未来を救うことになる」
そう言うと、ブレイルは再び立ち上がり、そして書棚に向かった。
ぼんやりとした明かりが、薄暗い室内に染み渡り、老年のブレイルの顔に影を作っている。書棚の中にはかなり古い書物がしまわれているようで、幾分か埃が被っている。その埃を綺麗に布でふき取ると、それをパルの前まで持っていく。
それはスーヴァリーガル王国の家系図であった。九十九代続く、血の流れがそこにすべて集約されている。
何故、そんなものをここで見せるのだろうか?
理由が分からず、パルはその家系図を見つめる。
「家系図がどうかしたんですか?」
と、パルは尋ねる。
ブレイルはパルの対面に座ると、次のように言った。
「これはこのスーヴァリーガルのすべての国王が記されている。このデータを私は分析した。その結果、恐るべきことが分かったのだよ」
「どういうことです?」
「六十六年毎に、とある隔世遺伝が起こる」
隔世遺伝。
つまり、時代を超えて、親の持つ潜在的な性質が、子の時代によって現れる。
多くは祖父が白い髪の遺伝子を持っていた場合、それが子の世代には反映されず、孫の世代に反映される場合がある。このことを隔世遺伝と呼んでおり、パルはその昔、とある書物でそれを読んだことがあったのである。
しかし、六十六年毎に訪れる隔世遺伝など、存在するのであろうか?
「俄かには信じられぬ話だが、六十六年毎、その時の国王に異変が走る。これはデータを見て明らかである」
「どんな異変なんですか?」
「狂う。それも悪魔的に……」
狂気の言葉が囁かれた。
自分の父親が悪魔的に狂う姿など見たくはない。しかし、その兆候はある。異常な石集めもそのうちの一つかもしれない。
「悪魔に身を滅ばされるってことですか?」
と、パルは恐る恐る告げた。
恐ろしい事実を聞いてしまった。もう後には引けない。そんな気がする。ただ、漠然とではあるが、この事実を告げたということは、きっとブレイルは解決の道も模索しているということだろう。
「その通り」と、ブレイル。彼は続けて、「悪魔が隔世遺伝するというのは、王族の研究者の中でも少数の人間が提唱していた理論だ。私もその賛同者の内の一人で。確かに悪魔は存在するのだよ」
「悪魔に取り憑かれるとどうなるんですか?」
「王国を滅ぼす。その重大な因子になる。そして、六十六年前、当時の国王は悪魔裁判によって処刑されている。悪魔は隔世遺伝する。しかし、それは通常の遺伝子の仕業ではない」
「つまり、前世が関係しているということですね?」
「その通り」
と、ブレイルは告げ、白く伸び切った髪の毛を摩りながら、フンとため息をついた。
自分の父であり、現国王であるシシが、悪魔に覚醒しようとしている。その事実を知り、パルは鋭利な短剣で突き刺されるような痛みを感じた。
決して、父と自分は仲がいいわけではない。
国王と王子という間柄だから、通常の親子関係が形成できないということは、誰の目にも明らかであるが、血を分けた親子であることには違いない。肉親が亡くなれば、……あるいは、悪魔に取り憑かれれば、誰だって悲しみの底に沈むことになるだろう。
不運な時代に、父は生まれてしまった。そして、悪魔に取り憑かれ、死の淵をさまようことになる。
六十六年前の国王のことを、パルは良く知っている。
負の遺産を作った国王として、王族だけでなく、国民にも認知されているからである。早い話、悪魔に魂を売り、王国を滅ぼそうとしたと、言われているのである。過去の経歴などのデータはすべて処分され、残っているのは家系図に残されている名前のみである。
確か、名前は……。
「サドウェル」
と、パルは呟いた。
「知っておるか」
と、ブレイルは目を瞬かせながら、答えた。
闇の中に放り込まれた名前。
名前だけが亡霊のように、この場に沸きあがってくるように思える。
「サドウェルという六十六年前の王が、悪魔裁判によって、死に至ったことは知っています。王族だけでなく、スーヴァリーガルのタブーになっていますから」
と、パルは囁くように言った。
その後、ブレイルは手をこすり合わせながら、答える。
「九十九代続く、続く国王の中で悪魔に取り憑かれたとされる国王は、十五人いるとされる。今回のシシ国王で十六人目ということになるのだが、興味深いデータがある」
「それは何です?」
「シシ国王を除く十五人の国王、その内の十四人が、悪魔裁判をはじめとする、国家反逆罪にて処刑されている」
「一人を除いてですか?」
「そう、その一人が、アルシンハという国王だ。知っておるかね?」
「知りません」
「それはそうだろう。今から六〇〇年くらい前の話だ」
「六〇〇年前!」
あまりの時の流れに、パルは愕然とする。
それだけ前の時代、このスーヴァリーガル王国がどのようなものであったが、想像することは難しい。ただ、遠い過去の話として、人々の記憶には残らないだろう。
決して、王族の歴史に詳しいパルではないが、ある程度有名な国王の名は知っている。しかし、アルシンハという遠い昔の国王に名は、全く心当たりがなかったのである。
「どういう人物なんです?」
と、パルは興味津々に尋ねる。
羊皮紙が油を吸い込むように、急速に興味の色が生じてくる。
「悪魔から唯一解放された人間なんだよ。同時に、ルシルフ村という村と関係があるのだ」
「関係が? でも六〇〇年前にルシルフ村は存在するんですか?」
「私も最初はそう思った。ルシルフ村は六〇〇年前に存在しない」
「そ、そうですか……」
「だが、話はこれで終わりではない。ルシルフ村は、現在では前世の村と呼ばれている。つまり、前世の記憶を持った人間が数多くいるのだ。その中に……」
「六〇〇年前の記憶を持つ人間がいるってことですか?」
「その通り」
俄かには信じがたい話であった。
そもそも、前世など宗教の中にだけ存在する架空の概念なのではないか? 少なくとも、パルはそう考えていた。だから、簡単にこの不思議な村であるルシルフ村のことを信じることは出来ない。
それでも興味はある。
(行ってみたい。今すぐにでも……)
若い感性がそのように告げた。
パルは今までの鬱屈した表情が嘘のように、色めき立っていた。その姿を、確かにブレイルは確認し、自分の作戦の成功を垣間見た。