神官03
階段を上がってくる足音がここまで届く。普通ならば聞こえないはずのそれが聞こえるのは、それだけ私が意識を集中させているからに違いない。
ユーディに視線を送れば、彼は一つ頷いて「アルを呼んでくる」と耳元で囁いて消えた。微かに聞き取れる程度の声だったのは、ユーディも警戒しているからだろう。
「あぁ、よかった。まだいらっしゃった」
屋根へと出られる窓を開いた人物は当然のことながらフィラルト・ロイズ神官だ。塔へと続く長い階段を上がってきたというのに、彼の呼吸は一つも乱れていない。この辺りは流石、主人公パーティメンバーだと思う方がいいのかな。
今はゲームでの物語が始まったところとはいえ、現実の彼は生きてきた分だけの経験を経ている。当然ながら、レベル1からスタートなんてことは有り得ない。
常日頃から穏やかに微笑んでいる彼の性格は、別に腹黒くもなく極々普通の、普通すぎるが故にこの時代に葛藤を抱えた人物だ。私はそのことを前世で得た知識として知っているというのに、いざこの状況で彼の笑顔を目の前にすると、何か裏があるんじゃ? と勘繰ってしまう程だった。
「あなたは、アルフレッド殿と関わりがあるのですか」
問いかける、というよりは確認の様だった。私の姿を上から下まで、フィラルト様はしげしげと眺めている。ねちっこく嫌な視線とは感じなかったけれど、少し居心地が悪くて私が顔を伏せると「すみません」とすぐに謝ってくれた。
「いや、その。アルフレッド殿のお傍にいらっしゃるのはお見かけしていたのですが、こんなに近くで見ることは初めてですから」
そう言われ、たしかにと納得してしまった。私はアルの傍を離れない……というより実際のところは誰かが居る状況で離れることをアルが嫌がるので傍に居る。
私は不安定で不確定な要素が多い状態だから、他の魔力が多い場所で私を自身の魔力で保護しなければならない。という建前を言われているけど、多分アルはとことん人間嫌いだから私は中和剤扱いなんじゃないかと私は思っている。
……魔力とは性質が違うけれど、神力の強いフィラルト様なんてアルからしてみると避けなければいけない候補の上位なんだろう。姿を見られていると気がつく前から、アルがフィラルト様と接することは最低限だった。
一言もまだ発していない私を安心させる様にフィラルト様はやわらかく微笑んだままだ。そもそも、私の声ってフィラルト様に伝わるんだろうか?
アルは一旦置いておくとして、ユーディは私とアルが許可をしているから見ることも話すこともできる。私から触れた場合は触れることも、アルと同じだ。
ユーディはロイズ神官について、『許可を与えた人間』だと判断していた。でも、やっぱり私は許可を与えた記憶なんて一切ない。
「あなたのお名前は何というのでしょう?」
今度ははっきりとした問いかけだ。声は届くのだろうか? 少し不安になりながらも私は口を開いてみた。
(……あの神官様)
「はい」
私の声はしっかりと彼に届いたらしい。いつもの穏やかな表情に少し嬉しそうな色が載せられる。
それを見てこの人も少しポーカーフェイス気味なんだなと今更ながらに思ってしまった。まぁ、神官なんて職業をしてるとそうなのかもしれない。
さて、声が届くことがこれでわかったけれどどうしよう?
私が何処の誰であるか。ということは実はエルフの種族としての秘匿事項だ。
二百年ほど前に滅んだ村の生き残りであり、半死半生の身。キルリルの奇跡なんて仰々しい名前をつけられている。
半ば死に抗い、覆そうとしているのが私という存在だ。……もしも今後アルフレッド・クロスビー程の魔力所持者のエルフが現れたとしたら、その他の条件さえ揃えばこの事象は再現できるかもしれない。
生の長いエルフはまだいいとして、他の種族にこんなことが知られてはならない。だからこそエルフの指導者達は、私という存在を上層部だけの秘匿事項としたんだ。そのくらいのことは私もよくわかっている。
まぁ、私やキルリルの雫はともかく、アルみたいな魔王級の魔力所持者が現れる確率なんて無いと思う。
だから私は、人を選んで本当に信用のできる相手なら伝えてもいいと思っている、んだけど。
「お嬢さん、どうかしましたか?」
……問題は、この人が神官だということだ。相手としたら最悪だ。
いや、フィラルト様が悪いわけじゃない。この人は良くも悪くも普通の人間の感性を持った人だった。優秀で、心配りができて、だからこそ立場の弱い神殿と皇家と貴族の軋轢に巻き込まれてしまっている人。
だから余計に駄目だというか。神殿関係に死という現象に抗う私とか一番ダメなやつに違いない!
口に出せずにいる私を待ってくれている様な人だから、やはりいい人ではあるんだろうけれど。どうしても私一人では判断ができないので、心の中で必死にアルの名前を呼んでいた時だ。
「お嬢さん!」
急に強い突風が吹き、フィラルト様は窓から身を乗り出すと屋根の上に立つ私へと手を伸ばして、空を切った。ぎょっとした様に彼の目が見開かれる。
バランスを崩してしまった彼を支える様に私が慌てて支えると、更に彼の目は大きく見開かれた。
(大丈夫ですか?)
「え、あぁ……ありがとうございます。今のは、一体」
彼が戸惑っていることが何なのか気が付きつつ、フィラルト様が自身でバランスをとったことを確認すると離れようとした。
はずなのに、強く腕を掴まれて引き寄せられてしまった。
「……やはり、今は触れる。先程のことは一体……。私以外には見えているものはいないのか? 常々疑問だったのです」
さっき思わず支えてしまったからだ!
離す前に触れられたことで掴まれてしまい慌てて離れようとしても、私の力ではロイズ神官の手を引きはがすことができない。逆に引き寄せられてしまった程だ。
「生者でないことには違いない、屍人にしては肉体がない。でも何故私はこうして触れられる? まぁそれはいいでしょう。魔のモノではなさそうですが、あなたは一体何なのですか。見たところエルフの様ですが、アルフレッド殿に憑いてるゴーストか?」
(わ、たしは……)
答えようかとも思った。けれど、それ以上に震え上がってしまって声が出ない。
いつもの穏やかな表情が鋭くなっているというのに、彼の目は濁ってみえた。この目、記憶の中で知ってる。
気味が悪い。そんな感情が掴まれた腕から直接伝わってくる気がした。
「――僕の大切な彼女に、不躾な真似はやめて頂けませんか」
突如吹き抜けた強い風に煽られてたたらを踏んだロイズ神官の腕が離れる。さっき吹いた風とは感覚が違う。これは魔術で吹いた風だ。
私がそんなことを考えた一瞬の内にロイズ神官との間に現れたのは、自身の操る風で白金の髪を靡かせたアルだった。




