ましら亭の不思議なご飯
そうだった、このレストランが普通にフェアなんてやるわけがなかったんだ。
いまさらそんな後悔をしたところで、時既に遅しだ。
話は今日の朝にまでさかのぼる。
私がパジャマのまま朝刊を取りに行くとポストには新聞の他に一枚のチラシが折りたたんで入っていた。
新聞をテーブルにおいて一緒に入っていたチラシを開いてみると、
真っ赤な文字で『ましら亭本日より流しフェア!!そうめん半額!!』と書いてあった。
「うわぁ、猿渡さんまた変なことやってるや。」
ましら亭というのは近くにあるご飯屋さんだ。一見すると洋食料理屋なんだけど、実際は和食洋食関係無しに何でも作ってくれる。そして、そのお店を一人で切り盛りしている主人が猿渡さん。ご飯はとってもおいしいんだけど、時々こういう変なイベントをやったりする。先月は確か巨大イカの解体ショーだったかな。海が近いわけでもない普通の町内に突然巨大なイカが現れたときには驚いたなぁ。そもそも普通はマグロでしょ。
「猿渡さん今度はなんて?」
テーブルに朝食の準備をしながら母が尋ねてきたので持っていたチラシを母に見えるようにひっくり返した。チラシにデカデカと書かれた文字を見て、あらまぁと一言だけこぼして母が再び朝食の準備に戻る。
「お母さん、このチラシ見てそれだけ?猿渡さん絶対また変なこと始める気だよ?」
私は母の態度に不満があったので少しだけトゲのある言い方をしたが母はどこ吹く風だ。
「猿渡さんだからきっと大丈夫よ。猿渡さんとこのご飯はおいしいからねえ。」
食事の準備を終えた母が理由になっているのかいないのかよくわからない事を言いつつ、椅子に腰かけ、食事を始めた。そしてみそ汁を一口すすったあと、そうそうと言いながらいまだに納得のいっていない私の方を見てくる。
「今日お母さん用事があって夕方からいないのよ。なんか作っていこうかと思ってたけど、ちょうど良いじゃない。あんた今日のご飯、猿渡さんとこで食べてきなさいよ。」
母の急な提案に思わず吹き出しそうになる。
「え!ちょっと待ってよ。そんな話聞いてないし、大体私の晩御飯はそうめんだけってこと?育ち盛りだよ?高校生だよ!?」
母は私の言葉が聞こえてないみたいに食事を続けている。
こうなったらダメだ。何をいっても聞いてくれない。
「はぁ、お金ちゃんと置いていってよね」
私はため息を一つついて朝食を食べはじめた。
その日の夕方、私は学校からの帰り道に直接ましら亭へ向かった。
ましら亭の入口には今までなかった大きな立て看板に本日流しフェアと書いてある。
若干の嫌な予感を感じながらも私はましら亭の扉を開いた。
ここで食べなきゃどうせ家に帰っても何にも無いんだしね。
カランカランという軽いベルの音を鳴らしながら開いた扉の向こう側に髪を茶色に染めた30代後半くらいの男性がテーブルを熱心に拭いているのが見えた。
店内は普段の間取りとは変わっていてキッチンから半円に切った大きなパイプみたいなものが席に向かって突き出していてカーブしながら最後は再びキッチンに戻っていくように設置してあった。お客が座る席はそのパイプを囲むように置いてある。なんだか回転ずしの席みたいだな。
「いらっしゃい、みくちゃん。どこでも好きなところ座ってよ。」
この人がましら亭店主の猿渡さん、ウデは良いけど変わり者だと近所でも評判だ。
「聞いてよみくちゃん。実は今日から流しフェアやってるんだけどね。お客さん全然来てくれなくてさ。せっかくこんなノボリとかも作ったのに失敗しちゃったかなと思ってて。みくちゃんが来てくれて良かったよー」
「さてと、どうする?ハンバーグにする。みくちゃん確かハンバーグ好きだったよね。」
猿渡さんがニコニコしながら私の座った席へ水とメニューを持ってきた。
「いやいや、流しそうめんフェア中なんでしょ?そうめん勧めなよ。そんなんだからフェアにお客さんが来ないんじゃないの?」
私の突っ込みに猿渡さんがキョトンとしている。いや表情自体はニコニコしたままだが、あれは私の言っていることが一切わからないという顔だ。長い付き合いでわかる。
「みくちゃん違うよ?今日は流しフェアであって流しそうめんフェアじゃないよ。そうめんを半額にしたのは夏にあんまりさばけなかったからいっその事半額で出しちゃおうってだけだし」
猿渡さんは私にそう言うとまだハンバーグって言ったわけじゃないのに、ハンバーグセットいっちょーと言いながらキッチンへ消えていった。
一人残された私。キッチンから何かを焼いているジュージューという音が聞こえてくる。それと一緒にチョロチョロという音も聞こえる。横に置いてあるパイプを流れる水の音だ。
ここに至って私の嫌な予感は最高潮になった。テーブルに置いてあるメニューを見るとそこには今日家に置いてあったのと同じチラシがはさんである。
よく読んでみると今朝見たのと同じ真っ赤な字で書かれた「流しフェア」の横には「本日はすべてのメニューを流しで提供させていただきます」との文字が書いてあった。
なんだ?ハンバーグがくるんだよね?流しフェアって一体なに?
私の不安をよそに猿渡さんのみくちゃんいくよーという声がキッチンから聞こえてきた。
声が聞こえてすぐあとにパイプの上流からは美味しそうな湯気を立てて出来立てだとすぐわかるソースたっぷりハンバーグ、シャキシャキ新鮮なサラダ、普通のパン、がひとつづつ順番に皿に乗ってどんぶらこっこと列をなして流れてきた。
まさか、どんぶらこっこをモモ以外で使う日が来るとは夢にも思わなかったなぁ。
近づいてくる私の好物たちをタイミングよく受け取ってテーブルの上に並べていく。
真っ白のテーブルクロスの上に並べられたハンバーグセットは水の上にあった時よりずっと美味しそうだ。
ただ、皿の下が濡れてるせいで置いたテーブルクロスがびちゃびちゃだ。
あぁ、だからさっき猿渡さんはあんなに一生懸命にテーブル拭いてたのか。
私がビチャビチャのテーブルクロスに悪戦苦闘しながら食事を終え、最後に流れてきたサクランボをデザートとして受け取った頃に猿渡さんが厨房から出てきてこっちにやってきた。
「どうかな、みくちゃん?流しフェア。人気が出るようならフェア延長も考えてるんだけど」
私はそんな満面の笑みの猿渡さんの頭を手元のメニューでポコンと叩いた。
「食べ物で遊ぶな!」