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僕の弟

僕が初めて澄人に会ったのは、中学二年生の夏だ。

 車窓からのぞく青々とした山々に僕は率直な感想を漏らした。

「うわー、すげー田舎」

 その瞬間、ぽかりと優子から頭を殴られる。

「いてっ」

「失礼な事というんじゃないの。まったく。この子は口が悪いんだから」

 咄嗟に僕は反論した。

「だって、見てよこの風景。田んぼ田んぼ田んぼばっかじゃんか。田舎を田舎って言って何が悪いんだよ」

 都内で生まれ育った僕にとって、それは見たことのない景色だった。どこまでも広がる田園風景、ぽつりぽつりとだけ建つ古びた民家、連なる巨大な山並み。それまでTVでしか目にした事のない景色が車窓には広がっていた。

 すると、珍しく優子がしおらしい声を出した。

「やっぱり、東京から離れるべきじゃなかったのかな。そしたら、あんたも転校しないですんだしね」

「・・・そこまで子どもじゃないよ」

 そう、そこまで子どもじゃない。

 優子、僕の母親の再婚が決まったのは今年の春だ。相手は地方でそこそこの会社を経営する社長。この再婚は、慎ましい母子家庭を営む僕ら親子にとっては、まさに晴天の霹靂な出来事だった。

 優子が女手一つで苦労して僕を育ててくれたことは知っている。自分のおしゃれや趣味を我慢して、少ない給料をやりくりして僕の大学進学のための費用にと貯金してくれていることも。

 反対するわけがない。この再婚は優子の人生にとって、やっと訪れた幸せなのだから。

「お義父さんの息子、僕より年上なんだっけ」

 重くなった空気を換えるため、僕は新しい話題を出した。

「そうなの。でも、あちらは三月生まれであんたは四月生まれだから、一ヶ月しか変わらないわね」

「へえ」

 新しい父親に息子がいるのだという話は聞いていた。義父とは何度か会ったことがある。ハンサムだが飾り気のないさっぱりとした人で、悔しいが好印象だった。その息子には会ったことはない。何でも、体が弱いらしくあまり家から出れないらしい。

「澄人くんっていうそうよ。兄弟になるのだから仲良くしなさいね」

「はいはい」

 このとき、僕は澄人という人物にまったく興味を示さなかった。「澄人」は話題の転換にたまたま使ったワード。僕にとって、義理の兄弟はそれくらいの存在だったのだ。

「見えてきたよ。あそこが新しい家ね」

 車を運転していた優子が前方を指差した。おいおい、危ないからハンドルから手を放すのはやめろっていつも言って・・・

 僕はぽかんとしてしまった。

 山の中腹あたりにのぞむ家は、まさに洋館と呼ぶに相応しい建物だった。まず、大きさが違う。遠目だからはっきりとはわからないが、この距離からあれだけの存在感があればかなりの大きさだろう。きっと部屋数もあるはずだ。建物は、白を基調としたデザインで、まるでヨーロッパの貴族の家みたいだ。白い壁には半分くらい蔦が絡まっていたが、それがまた歴史的な重厚な雰囲気を醸し出していた。

「す、すごっ。なんか、なんとかの一族とか住んでそう」

「あはは、確かに私も最初に見たときはそう思ったわ」

 車が山へ入る。優子の話ではこの山も洋館の敷地だそうだ。つまり、この道路は私道ってことか、すごいな。

 車の音が聞こえたのか、洋館から中年の男性が出てきた。

「優子さーん、夏生くーん」

 義父だ。前に東京で会ったときは仕立ての良さそうなスーツだったけど、今日はラフなポロシャツ姿だ。それでも充分格好よくて、優子はいい男を選んだなと思った。

「今日からお世話になります、清さん。ほら、夏生もあいさつして」

「お義父さん、よろしくお願いします」

 義父はくすぐったそうに笑った。

「そんなに他人行儀にしなくていいよ。これから家族になるんだから。でも、よろしくね」

 さりげなく義父が優子の荷物を持ってくれる。優子は息子の手前か新婚のせいか、女子大生みたいに照れくさそうな顔で微笑んだ。熱々なことで。

「息子を紹介するよ。今日は体調がいいみたいなんだ。家のことも色々と案内しないとね。何せ無駄に広くてややこしい家だから」

 冗談っぽい口調で義父が最後の言葉を付け加える。

 初めて家の中に入り、僕は自分の認識の甘さを痛感した。うん、やばいな。まず目に入ったのは、優雅にうねる螺旋階段だった。たぶん、ここはまだ玄関の段階だろうな前に住んでいた東京のアパートより広いぞこんちくしょう。おまけに無意味にも吹き抜けになっていて、ステンドグラスと思しき巨大な窓からは色鮮やかな光が降り注いでいる。飾られている調度品は決して豪華なものではなかったが、それは品格を重視した結果と見えて、地味な色目のわりにどれも値段の張りそうなものだった。

 本当にお金持ちはいたんだ。TVの中だけではなく。

 それが僕の感想だった。唖然とした僕とは反対に、数度目の訪問の優子は落ち着いている。最も、一度目は僕と一緒だったろうだろうけど。

 すると、吹き抜けになっている二階の廊下から、こちらを窺っている人物に気が付いた。

 かわいい。すごくかわいい。このとき僕は生まれて初めて本物の美少女というものを見た。

 短くショートカットにされた髪は黒く艶やかて、色白で小ぶりな顔に小鹿のような濡れた瞳が浮かんでいた。唇はほんのりとした赤。華奢な肢体を水色のパジャマで包み、肩からベージュのカーディガンを掛けている。

「父さん」

「おお、澄人。起きていたのか」

「寝るのに飽きたんだ。・・・その人たち、もしかして?」

 この日一番僕は驚いていた。ほんの数秒前までは、洋館を見たことが一番の驚いたことにするつもりだったのかもしれないが、そんなものはもう地平線の彼方に押しやられていた。

「紹介するよ。この子は澄人。僕の息子だ。澄人、新しいお母さんになる優子さんと、新しい弟の夏生くんだ」

 いつの間にか二階から降りてきていたらしい澄人は、僕たちに微笑んでみせた。

「こんな恰好でごめんなさい。初めまして、澄人です。お母さん、夏生くん、これからよろしくお願いします」

「まあ、澄人くんは本当にいい子ね。こちらこそよろしくお願いします。仲良くしましょう。・・・ほら、夏生もきちんとあいさつしなさい」

 優子にせっつかれて、僕も慌てて口を開いた。

「な、夏生です。よろしく・・・」

「よろしく」

 にっこり。

信じられない。生まれて初めて見た本物の美少女が、男でしかも一歳年上なんて。詐欺だ。詐欺だ。

 僕の中で「詐欺」という単語が渦巻いている間に、三人は別の部屋へ移動していった。

未だショックから立ち直れずにいた僕の耳に、しわがれた声が届いた。

「夏生、さん」

「ひっ」

 振り返ると見知らぬお婆さんが立っていた。いくつくらいだろうか。腰の曲がり具合からして、九十歳くらいいっていそうな気がする。そもそも、さっきこんなお婆さんなんて紹介されなかったぞ・・・

「す、澄人くんのお祖母さんですか」

 僕の問いに、お婆さんが口を開いた。ああ、歯が数本しか生えていない。

「いえいえ、わたくしはこの家にお仕えしております。富という者でございます」

「お仕え・・・、家政婦さんということですか?」

 僕はまじまじと富を見た。家政婦をやっている人を見るのは初めてだった。一般庶民の家にはいないからね。しかし、こんなお年寄りに家事ができるのかな・・・。歩くのも精一杯そうだぞ。

「夏生くん?みんな集まっているよ・・・おや、富さん。だめじゃないか、こんな所へ来ちゃ。みんなが心配するぞ」

 扉から顔をのぞかせた義父が驚いた声を上げる。

「清坊ちゃま、ですがお夕食の支度が」

「大丈夫だよ。夕食は優子さんが腕を振るってくれるって言うから。ほら、富さんはみんなが待っているから帰ろう」

 優しく義父が富の小さな肩へ手を添える。

 それは一瞬の出来事だった。義父が手を添えると、すうっと富の姿が消えた。

「え?」

 僕は目を瞬かせた。だが、そこにはお婆さんの姿はどこにもなかった。僕と義父が立つのみだ。

「え、あれ、あれ。お婆さんは?」

「お婆さん?何の話だい?」

「いや、だから富さんが・・・」

「ははは、おかしなことを言うな、夏生くんも。ずっとここには僕ら二人だけだったよ。ほら、行こう。あっちで優子さんと澄人が待っているよ」

 義父が朗らかに言う。

「父さん、どうかした」

 奥のほうから澄人の声が届く。義父が答えた。

「今行くよー。さあ、行こうか夏生くん」

 その後、再度玄関を見回してみたが、富というお婆さんの姿はどこにも見付からなかった。義父にも尋ねてみたが、「何のことだい?」と不思議そうな顔をされてしまった。途中からあれは本当に夢だったのかもしれないと思い始めたこともあり、結局僕は富婆さんの捜索を諦めた。

 このときの出来事がほんの始まりに過ぎなかったことは、後々にわかっている。

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