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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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光るだけの没落令嬢を笑った俺が、ダンジョンで命を救われた話 ~なお、魔物を斬ったのは執事の方だった気がする~

作者: 黒い招き猫
掲載日:2026/11/03

冒険者ギルドの朝は、酒と汗と、安い煙草の匂いがする。


 俺――ヨハンは、掲示板の前で依頼書をにらんでいた。


「一階の鼠退治、三匹で銅貨六枚。……やってらんねえな」


「文句言わないの。先月それで三日食べたでしょ」


 隣で弓を背負ったリッタが、ため息まじりに言った。同じ村から出てきた幼なじみで、組んでもう一年になる。一年やって、俺たちはまだ一階と二階を行き来しているだけだ。


 村を出るとき、俺は言った。一年で名前を売って帰ってくる、と。


 一年経った今、売れたのは剣の刃こぼれと、ブーツの底くらいだった。


「三階の依頼、ないのかよ」


「あるけど、あたしたちには早いって。受付の人にも言われたでしょ」


 分かってる。分かってるけど、分かりたくない。


 そのときだった。ギルドの扉が開いて、空気が少しだけ変わった。


 入ってきたのは、二人。


 ひとりは、俺と同じくらいの年の女の子だった。背筋がまっすぐで、歩き方がやけに綺麗だ。けれど着ている服は、袖にも裾にも、色の違う布で丁寧な継ぎが当ててある。手には、古びた杖。


 もうひとりは、黒い燕尾服の男。執事、というやつだろう。腰に剣を一本さげて、女の子の半歩後ろを歩いている。穏やかな顔をしていて、強そうには見えない。


「お、来た来た。光るだけのお嬢様だ」


 奥の卓から、誰かが言った。何人かが笑う。


「今日も光りに来たのかい、お嬢様。ダンジョンが明るくなって助かるぜ」


 笑い声が広がる。俺も、知っていた。最近ギルドに出入りしている、没落した貴族の娘。魔法使いを名乗っているが、使える魔法は「光るだけ」。燃やすことも、凍らせることも、傷を治すこともできない。ただ、光る。


 どうしてだろう。そのとき俺は、笑い声に混ざりたくなった。


 たぶん、自分より下がいると思いたかったんだと思う。


「光るだけなら、ランタン買えばいいんじゃねえの」


 俺の声は、思ったより大きく響いた。笑い声が、もう一段大きくなる。


「ちょっと、ヨハン」


 リッタが袖を引いた。


 女の子が、こちらを見た。


 怒るかと思った。泣くかと思った。どちらでもなかった。


「はい。今は、光るだけです」


 はっきりした声だった。


「ですから、光る以外のこともできるようになりたくて、ここに来ています。失礼します」


 それだけ言って、彼女は受付へ歩いていった。後ろの執事が、俺に向かって軽く頭を下げる。笑ったままの顔で。


 笑い声は、なんとなく尻すぼみになった。


 俺は、なぜか負けた気がした。


「……最低」


 リッタが小声で言った。


「うるせえ」


 俺は掲示板に向き直って、一枚の依頼書をはがした。


 三階。牙狼の毛皮、二枚。銀貨三枚。


「ヨハン、それ」


「行くぞ。光るだけのお嬢様に負けてられるか」


 負けるも何もない。分かってる。


 分かってるけど、分かりたくなかった。


   *


 三階は、二階とは匂いが違った。


 湿った土の匂いに、獣の匂いが混ざっている。壁に生えた光苔の明かりが、二階より少しだけ暗い。


「ねえ、やっぱり戻ろうよ」


「一体だけだ。一体狩ったら戻る」


 言いながら、俺は自分の声が小さくなっているのに気づいていた。


 牙狼は、すぐに見つかった。


 通路の先で、一体が骨をかじっている。思っていたより大きくない。犬より少し大きいくらいだ。


 いける、と思った。


 リッタの矢が肩に刺さり、跳びかかってきたところを俺の剣が受ける。重い。腕がしびれる。けれど、二度、三度と斬りつけるうちに、牙狼は動かなくなった。


「……やった」


「やった、じゃない。手、震えてるよ」


「お前もな」


 二人で笑った。笑えるくらいには、まだ余裕があった。


 皮を剥ぎ終えたころ、ふいに、息が苦しくなった。


 走ったわけでもないのに、胸が重い。空気そのものが、肩にのしかかってくるような感じ。


「ヨハン……なんか、変」


 リッタの顔が青い。


 ギルドで聞いたことがあった。強い魔物や、強い魔力を持つものの近くでは、空気が重くなる。耐えられないなら、そこはまだお前の来る場所じゃない、と。


 聞いたときは、年寄りの脅し文句だと思っていた。


 通路の奥で、何かが動いた。


 牙狼だった。さっきと同じ、灰色の毛並み。


 ただ、大きさが違った。


 馬ほどもある。背中の毛が逆立ち、口の端から垂れた涎が、床の石を焦がしている。目が、赤い。


「……三階に、あんなのいるのかよ」


「いない。いないって、図鑑には」


 逃げろ、と頭では分かっていた。けれど足が動かなかった。重い空気が、膝を床に縫いつけている。


 巨大な牙狼が、こちらを向いた。


 次の瞬間、リッタの体が横に吹き飛んだ。


「リッタ!」


 壁に叩きつけられた彼女の腕から、血が流れている。弓が、二つに折れて転がっていた。


 俺は剣を構えた。構えたつもりだった。切っ先が、みっともないくらい震えている。


 一年。一年やって、俺は何をしてきたんだろう。


 牙狼が、低く唸った。


 ああ、死ぬんだな、と思った。


 村を出るとき、母さんは泣かなかった。泣かないで、黙ってパンを焼いて持たせてくれた。あのパンの味を、なぜか今思い出した。


「――下がって!」


 声がした。


 背後から、光が差した。


 ランタンの明かりとは違う。もっと白くて、もっと柔らかい光。それが通路いっぱいに広がって、牙狼の赤い目を照らした。


 牙狼が、止まった。


 ほんの一瞬。振り上げた前脚が、宙で迷うように揺れた。赤い目から、何かが抜け落ちたように見えた。


 振り返ると、継ぎはぎの服の女の子が、杖を突き出して立っていた。


 光るだけのお嬢様。


 その後ろで、執事が言った。


「お嬢様、お下がりください」


「いや」


 彼女は、震えていた。杖を握る手が、白くなるほど力んでいる。額には汗が浮いて、息が荒い。きっと、この重い空気の中に立っているだけで精一杯なのだ。


 それでも、一歩も下がらなかった。


「目の前で、人が倒れてるの。下がる理由なんて、どこにもない」


「……かしこまりました」


 執事は、なぜか少しだけ笑ったように見えた。


「では、もう少しだけ照らしていてください」


 光が強くなった。


 牙狼が、苦しそうに首を振る。止まっている、というより、何かを思い出しかけて戸惑っているような、不思議な動きだった。


 そして――光が、ふっと消えた。


 女の子の膝が、崩れた。杖が床に落ちて、乾いた音を立てる。


 牙狼の目に、赤が戻る。


 まずい、と思った。


 その瞬間、俺の横を、黒いものが通り過ぎた。


 風、だったと思う。


 足音は聞こえなかった。剣を抜く音も聞こえなかった。


 俺の耳に届いたのは、ただひとつ。


 かちん、という、刃が鞘に収まる小さな音だけだった。


 巨大な牙狼が、こちらに向かって一歩踏み出した。二歩目は、なかった。


 首が、ずれた。


 ずれて、落ちて、それから胴体が、思い出したように横倒しになった。


 重かった空気が、嘘みたいに軽くなる。


 牙狼の向こうに、執事が立っていた。息ひとつ乱れていない。燕尾服の裾が、ゆっくりと元の位置に戻っていくところだった。


 俺は、何が起きたのか分からなかった。


 分からなかったけれど、ひとつだけ分かったことがある。


 あれは、たまたま入った一撃なんかじゃない。


   *


「お嬢様。お嬢様、聞こえますか」


 執事が、倒れた女の子を抱き起こしていた。さっきまでの風みたいな動きが嘘のように、手つきはひどく丁寧だった。


 女の子が、うっすらと目を開ける。


「……カイト。魔物は」


「倒れました」


「倒せ、たの……?」


「はい。お嬢様の光で、魔物の目が眩んだようです。その隙に斬りつけたら、運良く首に入りました」


 俺は、耳を疑った。


 運良く?


 あれが?


「……本当に?」


 女の子が、じっと執事の顔を見た。まっすぐな目だった。ギルドで俺を見たときと、同じ目。


 執事は、少しも表情を変えなかった。


「本当です。借り物の剣ですから、まぐれでも当たってくれて助かりました」


「…………そう」


 女の子は、何か言いたそうに唇を動かして、それから小さく息を吐いた。


「……前にも、同じ顔をしてた」


「そうでしたか」


「……分かった。それより、あちらの方を」


 彼女の視線が、俺と、壁際のリッタに向く。


 俺は慌ててリッタに駆け寄った。腕の傷は深いけれど、意識はある。歯を食いしばって、「生きてる」と言った。


 ふらふらと、女の子がこちらへ来た。執事に支えられながら、リッタの横に膝をつく。


「ごめんなさい。わたくしの光は、傷を治せないんです」


 本当に申し訳なさそうな顔で、彼女は言った。それから自分の服の袖を――継ぎの当たった袖の端を、ためらいなく引き裂いた。


「おい、それ」


「布なら、また継げばいいんです。慣れていますから」


 彼女はリッタの腕を縛った。手つきは不器用で、結び目は少し曲がっていた。それでも、血は止まった。


 俺は、黙ってそれを見ていた。


 何か言わなきゃいけなかった。言わなきゃいけないことは、分かっていた。


「……なんで、助けた」


 口から出たのは、それだった。


「俺、あんたを笑っただろ。ランタン買えって。なのに、なんで」


 女の子は、きょとんとした顔で俺を見た。


 それから、少し考えて、言った。


「笑われたことと、あなたが死んでいいことは、関係ありません」


 当たり前のことを言うみたいな口調だった。


 俺は、何も言い返せなかった。


「それに」


 彼女は、自分の手のひらを見つめた。まだ少し震えている手を。


「光るだけでも、今日は、少しだけ役に立てた気がします。……だから、わたくしのほうこそ、お礼を言いたいくらいです」


 そう言って、ほんの少しだけ笑った。


 疲れきった顔で、それでも、うれしそうに。


 そのとき俺は、ギルドで彼女を笑った自分を、殴りたくなった。


   *


 帰り道、女の子は執事の背中で眠ってしまった。


 魔法の反動というやつらしい。力を使い切ると、しばらく立てなくなるのだと、執事は穏やかに説明した。


 俺はリッタに肩を貸しながら、二人の後ろを歩いた。


 二階への階段の手前で、俺は口を開いた。


「なあ」


「はい」


「あんた、何者だ」


 執事は振り返らなかった。背中の女の子を、少しだけ背負い直す。


「フォンブルク家の執事です。それ以上でも、以下でもありません」


「嘘つけ。あれが、まぐれなもんか」


 足音だけが、しばらく響いた。


「――見えましたか」


 執事の声は、さっきまでと同じように穏やかだった。けれど、ほんの少しだけ、温度が違った。


「見えなかった。見えなかったから、言ってんだよ」


「そうですか」


 執事は、小さく笑った。


「では、見えなかったことにしておいていただけますか。お嬢様には、内緒で」


「……なんでだよ。あんたが倒したって言えば、あの子だって」


「お嬢様は、ご自分の力で前に進もうとしておられます」


 執事は、前を向いたまま言った。


「俺の剣があれば大丈夫だ、と思わせてしまったら、あの方はきっと、どこかで足を止めてしまう。それは、あの方の望みではありませんので」


 背中の女の子が、むにゃ、と小さく寝言を言った。


「お母様……」


 執事の歩みが、ほんの一拍だけ遅れた。


 執事は、何も言わなかった。


 俺も、聞かなかった。聞いちゃいけない気がした。


「……でも、それって嘘だろ」


 俺は言った。


「あの子、あんたの顔、じっと見てたぞ。たぶん、気づいてる。気づいてて、信じようとしてる。そういう顔だった」


 執事は、しばらく黙っていた。


「ええ」


 やがて、ぽつりと言った。


「嘘をつかれる方は、たまったものではないでしょうね」


 その声が、少しだけ寂しそうに聞こえたのは、俺の気のせいだったのかもしれない。


 そのとき、背中の女の子が、また寝言を言った。


「カイト……嘘ついたら……許さないから……」


 執事は、何も答えなかった。


 ただ、彼女がずり落ちないように、そっと背負い直しただけだった。


 隣で、リッタが小さく吹き出した。


「……あんたたち、変な主従ね」


「よく言われます」


 執事は、今度こそいつもの顔で笑った。


   *


 三日後。


 腕に包帯を巻いたリッタと一緒に、俺はギルドにいた。


 掲示板の前には、相変わらず一階と二階の依頼書が並んでいる。俺は鼠退治の紙をはがした。三匹で銅貨六枚。


「三階、行かないの?」


「まだ早い。……受付の人にも言われたしな」


 リッタが、驚いたような顔で俺を見て、それから笑った。


 奥の卓から、聞き慣れた声がした。


「おい、聞いたか。光るだけのお嬢様、三階で倒れて執事に担がれて帰ってきたんだと」


「ははっ、だろうな。光るだけで三階なんて――」


「あの光がなかったら、俺は死んでた」


 気づいたら、口に出していた。


 卓の連中が、ぽかんとして俺を見る。三日前、一緒になって笑っていた連中だ。


「……は? ヨハン、お前何言って」


「三階に、馬みたいな牙狼が出た。空気が重くて、足が動かなかった。あの子の光が、そいつを止めたんだ。俺とリッタは、それで生きてる」


 嘘は、言っていない。


 全部は、言っていないだけだ。


 卓の連中は顔を見合わせて、それから、なんとなく黙った。


 受付の奥で、白髪まじりの年配の職員が、こちらを見ていた。目が合うと、ほんの少しだけ口の端を上げて、また書類に目を落とした。


「……あの子たち、今日は来てないのか」


 受付で鼠退治の手続きをしながら、俺は聞いた。


「フォンブルク様なら、しばらくダンジョンには来られないそうですよ」


 若い受付嬢が、帳面をめくりながら言った。


「魔法学院の入学試験を受けられるんですって。それまでは、魔法の修行に専念されるとか」


「学院……」


 魔法使いの卵が集まる場所だ。貴族の子どもや、才能のある連中がうようよいるという。


 光るだけで、そんなところへ行くのか。


 前の俺なら、きっと笑っていた。


 今は、笑えなかった。


 あの子は、きっとまた笑われる。継ぎはぎの服で、光るだけの魔法で、貴族の子どもたちに囲まれて。


 それでも、あの子は下がらないんだろう。


 目の前で誰かが倒れていたら、震える手で杖を握って、「下がる理由なんて、どこにもない」と言うんだろう。


 そしてその後ろには、たぶんあの執事がいる。


 鞘に収まる音しか聞かせない剣を、腰にさげて。


「ヨハン、行くよー」


 リッタが入口で手を振っている。


「おう」


 ギルドを出ると、空がやけに高かった。


 あの二人がどこまで行くのか、俺は少しだけ、見てみたくなった。

お読みいただき、ありがとうございました!

番外編として短編を書きました。

(本編とは、一部の設定や時期が異なる「もう一つのお話」としてお楽しみください)


光るだけの没落令嬢エリアナと、力を隠した執事カイトの物語は、連載版『「光るだけ」と笑われた没落令嬢、ツギハギのローブで魔法学院に挑む ~なけなしの金で買った奴隷執事は、なぜかわたくしより強いらしい~』で続いています。


エリアナが魔法学院を目指す修行の日々、入学試験で出会うライバル、そしてカイトが隠しているもの――。

二人の歩みを見届けていただけたら嬉しいです。


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― 新着の感想 ―
魔法学校へ行く前のエピソードの一つで、二人で最初にダンジョンに潜った後のお話だと見受けられます。この頃には、カイトも、まともな剣を持てるようになったのですね。連載版も更新を楽しみにしています。
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