うらやましかろう
むかしむかし、などではなく今現在。
浦田太郎という、中肉中背、さしたる特徴はなく、死んだ目で職場と自宅を行き来する生活を何が楽しいのか繰り返している23歳の成人男性がいました。
その日は風が強く、何時ものように最寄り駅で降りて、大量に自転車が止められている駐輪場の横を通っていると、
「助けてくれえ!」
と、声から小汚い事が伝わるおっさんの声が聞こえてきました。驚いて駐輪場に目を向けますが、人影は見えません。ああ、遂にメンタルをやったか、と近くの心療内科を後でスマホで調べようと思いながら再び歩き出すと、また駐輪場から、
「誰か、助けてえ!!」
と聞こえました。少し不気味に思いましたが、もうお化けを信じる歳でもない浦田は、駐輪場の中に入りました。
砂利が敷かれただけの簡素な無料駐車場は、放置、転倒当たり前の、非常に管理が杜撰なもので、一応通路は確保されておりますが、休みの日などは明らかにそこからはみ出して止められているせいで中野方の自転車は取り出せなくなるという、『無料だから仕方ないよね』のギリギリのラインの駐車場でした。
声のした方に倒れた自転車を跨ぎながら進んでいくと、
「そこの兄ちゃん、ちょっと助けてくれよ!足が挟まれて動けねえんだ!」
と、先程よりはっきりと、浦田に向けられた声が聞こえました。そこで、ようやく浦田は倒れたおっさんの存在に気が付きました。おっさんは禿げをスキンヘッドで誤魔化し、黒い半袖に純度の低そうな金のネックレスをしていて、筋肉も脂肪も両方ある体型のおっさんでした。
どうやら、禿げ頭のおっさんは、倒れた自転車に足が挟まり、その上に雪崩式にいくつもの自転車が積み重なってしまったせいで動けないようでした。浦田は自転車をどかしてあげると、おっさんは無事立ち上がり、痛そうに膝をさすっていました。
「いやあ、助かったよ。このままずっと動けなくなって死ぬかと思った。」
がはは、と豪快に笑いながら、おっさんは浦田の肩を叩きました。あんまり関わりたくないタイプだったなあ、と助けた事を少し後悔しながら、浦田は愛想笑いを浮かべて曖昧に頷いて、とりあえずなんとなく会話が成立している風を装いました。
「それにしても、この駐輪場、もう少し管理しろよな!あのチャリなんか、ずっと止まってるぞ!」
「まあまあ、無料ですから。」
怒りが収まらない様子でその後もとても汚い言葉でブツブツと言っていましたが、しばらくすると溜飲が下がったのか、
「そんな事より、お兄ちゃんにお礼しないとな!」
とまた浦田の肩を叩きました。
「いえ、別にそんなのは気にしないでいいですよ。」
正直、早く帰って推しのゲーム配信を見たかったし、これ以上関わり合いになりたくありませんでした。
「気にすんなよ。そうだ兄ちゃん。おっぱい好きかい?」
「大好きです!」
おっぱいが関わってくるのならば、話は変わります。何を隠そう、浦田は大のおっぱい好きでした。あまりの即答ぶりに、おっさんはガハハ、と豪快に笑い、
「いい返事だな、気に入った!」
と先程より強く浦田の肩を叩きました。
「そしたら、俺が経営してるおっぱぶに連れて行ってやるよ!」
「ありがとうございます!」
90度の綺麗なお辞儀を決めた浦田は、おっさんに連れられておっぱぶの方に歩き出しました。おっさんは自転車を押して歩いていました。
「俺は亀山って言うんだ!兄ちゃんは?」
「ああ、浦田と言います。浦田太郎です。」
「ガハハ!亀と浦田を連れて、か!浦島太郎みてえだな!」
上機嫌に亀山は言いましたが、シチュエーションとしてはどう考えても『鶴の恩返し』だし、竜宮城ではなくおっぱぶに案内する童謡があってたまるか、と思いましたが、それはそれとして亀山の機嫌を損ねたくなかった浦田は、
「確かにそうですね!」
とそれは見事な太鼓持ちをしました。
もう数分程歩くと、中古ビルの3階を押して亀山は言いました。
「ここが俺の店だ。『はっするキャッスル』て名前なんだけどな。」
どう考えてもキャッスルには程遠そうでしたが、『はっする』の方は自分次第だな、そんなくだらない事をエレベーター内で浦田は考えていました。
チン、という音と共にエレベーターの扉が開くと、暗い店内で、ミラーボールがキラキラと乱反射していました。ソファの席には男女が並んで座っていたり、良くは見えませんが、何故か男性の上に女性が跨っていました。
「おい、この兄ちゃん席に案内してやって。あと、いい子付けて。俺の恩人だから。」
受付の人を顎で使い、亀山はそう言いました。
「承知いたしました。お客様、こちらへどうぞ。」
「あ、はい。………亀山さん、ありがとうございます!」
浦田は慌ててお辞儀をすると、亀山は気にするな、とでも言うように手を振りながら、
「こっちこそ、ありがとな!まあ、楽しんでくれや。」
と言いながらスタッフルームに引っ込んでいきました。
ソファに座ると、膝を付いてボーイが浦田に説明をし始めました。
「当店ですが、基本的にはフリードリンク制で、テキーラショット、ボトルなど、は別料金、また女の子の飲み物も別料金です。今回は初回ですのでフリーで女の子を付けますが、延長の際に同じ女の子を指名する場合は指名料がかかります。また、当店はハッスルタイムはなく、オールダウンタイム制となっております。ここまでは大丈夫ですか?」
恐らく何百回としている説明を、ボーイは淀みなく説明しました。
「え、ああハイ。」
あまりおっぱぶの制度に詳しくないので、聞いたところで正直「何を言っているのだろう?」という気持ちでしたが、おっぱいに対する高揚感で浦田はそう返事をしました。
「今回、オーナーからは基本料金はお取りしないように、と聞いておりますので、掛かる料金は基本料金と延長料金を除いて先程説明したオプション料となります。最初のドリンクはいかがいたしますか?」
「あ、じゃあビールで。」
浦田は別にビールが好きなわけではありませんでしたが、正直飲み物は何でも良かったのでビールにしました。
「承知いたしました。」
そう言うと、ボーイはすっと立ち上がり、「それでは、お楽しみください」とお辞儀をしてその場を後にしました。
すぐにドリンクが届き、喉を潤すようにちびちびと飲んでいると、女の子が近づいてきました。
「どうも~。『乙葉』って言います。よろしくお願いしまーす。」
端正な顔立ちと、胸元の大きく開いたドレスから見える深い扇情的な深い谷間に、私は期待に胸を躍らせます。彼女は私の左隣に座ると、身体を密着させました。
「お兄さん、お名前浦田さんて言うんですか?」
「う、うん。」
「えー、めっちゃ緊張してない?」
「まあ、ちょっとだけ。」
そう言いながら、浦田はビールに手を伸ばし、熱くなった身体を冷ますように一気に飲みました。そうすると、一瞬口腔は冷えましたが喉の奥から胃が熱くなり、身体は更に高揚します。
「なにそれ、めっちゃ可愛いー!」
くすくすと笑いながら、反対側に手を回し、ぎゅ、と浦田を抱きしめました。弾力のある胸の感触が、強く身体に押し付けられ、気もそぞろになって、今や空になったグラスを、もう一度飲み干すように傾けました。
「あ、お兄さんグラス空っぽじゃん。何か飲む?」
そう言って乙葉ちゃんは机の上のメニュー表を手に取り、浦田に見えるように近づけました。
「じゃ、じゃあビール。」
これも、別にビールが飲みたかった訳ではありません。もはやおっぱいの前には、何を飲んでいるかなど些細な事なのです。
「ねえ、私も何か飲みたいなあ♡」
顔を寄せ、耳元で乙葉ちゃんは囁きます。熱い吐息が、浦田の耳にくすぐるような甘い快楽で入り込み、彼の身体は小さく震えました。
「もし何か飲ませてくれたらあ………。お兄さんの事、『可愛い』から『かっこいい』って思ってぇ………♡いっぱいサービス、しちゃうかも////」
「す、好きなの飲んでいいからっ。」
「えー///お兄さん、だーいすき♡」
そこからは、鯛やヒラメの舞い踊りです。あまりの夢のような出来事に、浦田の脳はパンク寸前になりましたが、ミラーボールがキラキラしていたのは覚えています。
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「お会計、8万5千円になります。」
「………ハイ。」
あの後、浦田は基本料金を除いてその位の値段になる位遊びました。ずっと乙葉ちゃんを指名したまま、鯛やヒラメの舞い踊りをし続けたのです。それを考えれば、むしろ安いくらいです。
「乙葉ぁ、浦田さんとずっと一緒に居られて嬉しかったよ♡」
「………うん、俺も。」
浦田の言った言葉は、別に強がりではありません。ただ、8万5千円はまだ若い彼からしたら、後悔をしない金額と言ったら嘘になります。
「また来てね~♡」
エレベーターで見送られながら、浦田は『はっするキャッスル』を後にしました。一階について外を見上げると、既に太陽は昇っていて、一睡もしていない、アルコールの入った浦田の視界からはキラキラと眩しい程に輝いていました。
家路につきながら、浦田は考えました。
貰ったのは玉手箱ではなく名刺とラインIDだったし、もちろんそこには財宝はなく、むしろしっかりお金を取られた。自分と浦島太郎、どちらが悲惨だろう、と。
でも、浦島太郎はもう乙姫には会えないけれど、自分はまた乙葉ちゃんに会えるんだ。そう思うと、自分の方がましに思えてきました。どうだ、羨ましいだろう、と浦島太郎に自慢するような、そんな気持ちすら芽生えてきました。
そうして彼ははまって何度も足を運ぶようになり、『はっするキャッスル』から抜け出す事が出来ないまま、気が付くとお爺さんになっている、のかもしれません。
おしまい




