表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/21

新しい一面


社長が一ノ瀬社長に変わってから経営方針ががらりと変わった。

名ばかり経営陣たちの一層も行われ、新しい布陣が組まれた。


営業部もかなり評価体制が代わり、出世確実と言われていた翔平さんも改めて実力判断を行われることとなり、今は実力次第で出世できるかは分からなくなったらしい。


そして私は……マーケティング部の部長としてリーダーを任されることになった。


【マーケティング部部長:月島遥】


私が部長となったことも社内の掲示板に張り出された。


「月島さんが部長に就任だって」

「まぁ……面倒見いいもんね!納得」


周りは祝福してくれたけれど、当然愛理はよく思わなかった。


「突然部署リーダーになるとか、あんたどんな手使ったわけ?」


愛理は私を呼び出し、給湯室で攻めよった。


「社長に呼び出されて使えないから解雇とか言われるんだと思ったら、出世ってどういうことよ?色目使ったんでしょ?」


「やめて……色目なんか使うわけない!」


私が反論していると、いつ来たのか翔平さんがやってきて愛理の前に出た。


「なんでお前ごときがいい思いしてんだよ!」


翔平さんは苛立ったように吐き捨てる。


「そんなの、私だって分からな……」

「これ、やれよ」


すると、翔平さんは私の言葉を遮るように私にデーターの入ったUSBを手渡してきた。


「前みたいによろしく!これから成果主義になるから、お前のデーターがないとマズくなるしな」

「待って!それは翔平さんの仕事でしょ?」


私が伝えると、彼は不機嫌になって言う。


「はぁ?お前さ……誰がお前の面倒見てやったと思ってんだよ?付き合ってる時、いい思いさせてやっただろ?それくらいやれよ」


いい思いって……本気で言ってるの?


もうしっかり断るって決めたんだ。

これからリーダーとなるなら、チームを背負っていく必要がある。


自分以外の仕事に手を出している暇はない。


「やらない。これはもう私がやることじゃないから」


私がハッキリ答えると、翔平さんはかっと顔を赤くした後、私の髪の毛を掴みかかった。


「きゃっ!」

「お前なぁ、調子に乗ってんじゃねぇぞ!」


「い、痛い……っ」


後ろで愛理が楽しそうに笑っている。

ぎゅうっと目をつぶって耐えていた時。


「何をしてる?」


低い声がどこからか落とされた。


ぱっと手を離され、振り返ってみるとそこにいたのは一ノ瀬社長だった。


「しゃ、社長……」

「何をしていたんですか?」


「ち、違うんです。これは虫がついていたから取ってあげただけで……」


誤魔化している翔平さんをじっと見つめる社長。


「本当に?もし暴力行為をしていたんなら……」

「ち、違います……本当に虫がいて……」


私はとっさに翔平さんを庇った。

それは社長になった一ノ瀬さんにこれ以上迷惑をかけたくなかったからだ。


「…………」


一ノ瀬さんは私の言葉を聞いて深くため息をついた。


「関係ないおしゃべりをしている暇があったら他にやることがありますよね」


低い声で伝える一ノ瀬さん。

すると、ふたりは焦ったように声を揃えて言った。


「す、すみません」


そそくさと立ち去るふたり。


「大丈夫ですか?」


一ノ瀬社長が優しく声をかける。


「あ、ありがとうございます。大丈夫です!」


もう昔のように一ノ瀬くんは部下じゃない。

気軽に頼っていい存在じゃないんだ。


そう伝えると、社長は少し寂しそうな顔をしているように見えた。


ううん、気のせいだ……。

私も都合よく考えすぎ。


私は頭を下げると、すぐにオフィスに戻った。


一ノ瀬くんとまた一緒の会社で働けるのは嬉しいけれど、距離が出来てしまったな。


まぁ……当然か。今は社長なんだもんね。

それから私は仕事に取り掛かることにした。


チームリーダーを任されたからには、周りの相談に乗ったり企画の提案をしてあげたりしなければならない。


すると、一つ下の後輩の新堂さんと辻島さんが会話している声が聞こえてきた。


「どうだった?」


「またダメ、ひと目見ただけでやり直しだって。怖くてすぐに出てきちゃった」


「一ノ瀬社長厳しいよね。私も、詰めが甘いってもう少し情報をよく調べてくださいって追いかえされちゃったし~」


「社長狙っちゃおうかなと思ったけどあれだけ厳しいと付け入る隙も無さそう~」


「他部署でも一ノ瀬さん狙いで社長室に企画見せに行ったらこてんぱにされたって言って嘆いて出てきた子たちいたよ」


「やっぱり一ノ瀬グループの御曹司は狙ってる子多いか~」


一ノ瀬社長は妥協を許さない人だ。

浮かれた気持ちでいったら、それはこてんぱにされるのも無理はないだろう。


私もこてんぱにされる覚悟で行こう。


企画書が出来て、印刷すると私は立ち上がった。


直接一ノ瀬くんとやり取りをするのはこれが初めてになる。


どれだけ厳しいんだろう……。

私はドキドキしながらも社長室の扉をノックする。


「……月島です、失礼します」

「どうぞ」


声が聞こえて中に入る。

私は少し汗ばむ手で資料を差し出した。


「企画がまとまりましたので、確認していただけますか」

「分かりました」


社長は資料を受け取るとすぐに目を通してくれた。


「今進めている地域特化型PRイベントの件で、有名インフルエンサーを起用して瞬間的な話題性を狙おうと考えていまして……」


真剣な瞳。

ついこの間まで私がこの人を教えていたのだから人生何が起きるか分からない。


「なるほど……よく調べられてますね。ただ、あまり振り切れていない。迷いがあるように見えますが」

さすが一ノ瀬くん……じゃなくて社長。


実はこの企画ものすごく悩んでいたんだ。


「正直言うと、二案、軸がありまして……。ひとつは、地元の小学校と連携する地域参加型。もうひとつは、有名インフルエンサーを起用。ただ、それぞれにメリットとリスクがあって……」


私が続けると社長は答えた。


「インフルエンサー案は即効性があるけれど、地域への根付きが浅くなる」


「はい。私としては、イベント後も地元企業と連携できる持続性を大事にしたいと思っていて……。ただ、それだと最初のインパクトが弱くなりますよね……」


言いながら私は、一ノ瀬さんの表情をうかがった。


彼は静かに頷きながら、資料に目を通している。


「そうですね……ボツにしたものの資料もありますか?」

「はい!」


私は一応印刷しておいたものを社長に見せた。


「この地域参加型の案。確かに最初のインパクトは弱い。でも、連携した小学校の卒業制作としてイベント装飾を任せる案はいいですね。“子どもたちが作る街の風景”っていうテーマは、感情を動かす力がある」

「……ありがとうございます」


思わず、口元が緩む。

ちゃんと出来てるところは褒めてくれる。全然優しいじゃん……。


「両取りする案はどうだろう?」

「両取りですか!?」


「何も一つに絞る必要はない。いいところを全部持ってくるのも手としてある」


なんて大胆な戦略なんだろう。

そんなこと、私1人では思いつかなかったな……。


「……すごい。そこまで考えが及びませんでした」


やっぱり一ノ瀬くんはすごい。

御曹司と聞くと、名ばかりで社長にされている人もいるかもしれないけど、この人は違う。


知識も、知能も圧倒的に人よりある人だ。


「この案でまとめてみます!」


私はばっと笑顔になった。

すると一ノ瀬社長は優しい顔で私を見つめる。


「そうやって壁打ちをしてくれたのは、月島さんだけでした」

「えっ」


「みんなそそくさと帰ってしまったので……厳しくいいすぎたかと思いましたが、自分を壁打ちに使っていいものを作ってもらいたいと思ってます」


社長は嫌がらせでノーと言ってるんじゃない。

よいものを出すために、こうやって時間を使ってくれているんだ。


「みんなにも呼び掛けてみます。一人でやるより、色んな人の意見が聞けた方がいいですからね!」

私が告げると、社長はおだやかな顔で笑った。


「……やっぱり一ノ瀬さんを部長にすること、推薦してよかった」


「最初は驚きました。私が教育係だったから推薦してくれたと思うんですが、期待に応えられるように頑張ります」


笑顔を向けると、一ノ瀬さんはすっと立ち上がった。


「それは違うな」

「えっ」


「私が推薦したのは、能力があると判断したからですよ。決して僕の教育係をやってくれたからなんかじゃない。分かってくださいね」


そう言って社長は資料に私に返した。


「しかし月島さん、働きすぎもよくないですよ。みなさん今日は飲み会に行くと言って帰っていきましたよ」


「いいんです、どーせ家に帰ってもすることなんかないので」


金曜日の夜だから飲み会でもしようと同じ部署の人が集まっていたけれど、そこに愛理も来るみたいだし、私は参加しないことにした。


もちろん、彼氏がいるわけでもないし、家に帰ってしたいことはない。


自分をあざ笑うように笑って見せると、社長は言った。


「それなら、この後食事にでも行きませんか?あの時の約束、まだ叶えてもらってなかったですし?」

「あの時の約束……?」


そう言いかけて、思い出す。


『それなら、今度またご飯に連れて行ってくれませんか?』


そうだ。

私が一ノ瀬さんに払ってもらった飲み代を返したのだけど受け取ってくれなかったんだ。


その代わりに、またご飯に連れて行って欲しいって言われて……。


あれは、一ノ瀬くんが後輩だった時の話しだから無効かと思ってたけど、社長に言われたら断れるはずもない。


「えっ、社長がいいのであればぜひ……」


「では決まりですね。1件メールを送ったら、向かいましょうか」


「はい」


社長とディナーなんてしていいんだろうか。

社内には、少しでも社長に近づきたい人がたくさんいるのに。


「お待たせしました」


社長は数十分後にエントランスにやってきた。


ふたりで外に出ると、いつの間に呼んでいたのかタクシーに乗ってお店にやってきた。


駅から少し離れた隠れ家のようなイタリアンレストラン。

看板も控えめで、知らなければ通り過ぎてしまいそうな店だ。


すごい、オシャレなお店……!


「一ノ瀬くんってステキなお店たくさん知ってますね……あっ!」


私は興奮してしまって思わず一ノ瀬くんと呼んでしまった。


それを見た一ノ瀬社長は、どこか楽しげな表情を浮かべた。


「今は一ノ瀬“くん”で大丈夫ですよ。そっちの方が話しやすそうですし……僕も月島さんと後輩ってことで」

「そ、そんなことは出来ません!」


「ふっ。それは残念」


さっきよりも柔らかく見える表情に、私も緊張感が溶けた。


店内は温かい照明に包まれ、ワインの香りとともにゆったりとした時間が流れている。


アンティーク調の木製家具と、淡いベージュのクロスが落ち着いた雰囲気を醸していて、気持ちが自然とほどけていく。


窓際のテーブル席に案内されて壁際に寄せられた二人がけのソファ席で、夜景が遠くに滲んでいた。

メニューを開くと、どれも美味しそうで目移りしてしまう。


「パスタもリゾットも……前菜の盛り合わせも気になる~~!」


こんな美味しそうなお店に連れてきてもらえるなんて幸せ……!


本当は私がお店を見つけるべきだったんだけど、一ノ瀬さんが決めてくれたし、支払いはきっちり私がしないと……。


「何度か来てるんですが、ここのアクアパッツァは絶品ですよ」

「美味しそう……!」


「じゃあ頼みましょうか」


何度か来てるってことは、社長もいい人がいるのかな。


こんなところに男友達と来るとかはなさそうだし……。


じっと一ノ瀬さんを見つめていると、彼は私の頭の中を読むように言った。


「言っておきますが、来たのは取引先の方ですよ」

「えっ」


「……前から思ってましたが、月島さん。けっこう思ってること顔に出てます」

「やだ、ウソ……」


私、そんなに出てた!?


「まぁ……そういうところが僕は好きでしたけど」


──ドキン。


「す、好きって……そういうの気軽に言ったらダメですよ!」


「気軽に言ったつもりはないですけど」


「一ノ瀬さんは社長なんですから……!」


みんな一ノ瀬さんのこと狙ってるんだから、というのはさすがに言えなかった。


「今日は飲めますか?」

「はい……明日もお休みですし」


「なら良かった」


そういうと、一ノ瀬さんがワインをボトルで頼み、グラスに注いでくれた。


琥珀色の液体が、照明に照らされてきらりと揺れた。


「ゆっくり食事をするのはあの日ぶりかも……」


「働いていると、食事ってないがしろにしがちですよね」


「一ノ瀬さんもそうなんですか?」


「ええ。2年前にイギリスの会社で経営を学んで帰ってきたんです。その時に父に社長になれと命じられました。それからは会社を知るために寝る暇もなかったですね」


そうだったんだ……。

一ノ瀬くんって若いのに、めちゃくちゃすごい経験してるじゃん。


そりゃあ……仕事出来るに決まってる。


彼に仕事を教えていた頃を思い出して、私は思わず顔を赤らめた。


「あーあ、騙されたなあ。必死に一ノ瀬くんに教えてたの、笑ってたんじゃないですか?出来ることばかりだなぁって」


冗談ぽく伝えると、一ノ瀬さんは静かに笑って首を振る。


「そんなまさか……こんなに人に寄り添ってくれる方がいるんだと思いましたよ」


その言葉と同時に、注ぎ終えたグラスを私に差し出す。


「月島さんだけが自分に優しく接してくれましたから。心の優しい人だなって」


「分からないですよ?私も一ノ瀬くんの教育係じゃなかったら、そうはならなかったかも」


「それはないな。断言できる」


──ドキン。

急に真剣な顔をするから心臓がドキドキしてしまった。


それから、グラスを合わせて乾杯をした。


料理も順番にやってきて美味しい料理とお酒を堪能して……。

話の話題に困るかも、なんて思っていたけれどそんなことは一度もなかった。


「どうぞ飲んでください」


ごくりと飲むと、ワインのふわりとした果実の香りと、ほんのりとした酸味が舌を撫でて、喉の奥へと流れていく。


「……あーもう、美味しい」


アルコールが入ると、だんだん軽口になっていて、私はあの時のことを話し始めた。


「あのとき辞めるなんて言われて。私、すごく……寂しかったんですからね!」


一ノ瀬さんは、意外そうに目を見開いてから、ふっと表情を緩める。


「それは本当にすみませんでした」


「もう許さないです!一生根に持ってやる……!」


なんて冗談を言うと、一ノ瀬さんはふわりと笑った。


「月島さんと一緒に過ごしたら毎日が楽しんでしょうね」


一ノ瀬さんの言葉が心にしみる。


本当かな?

本当にそう思ってくれるのかな?


私は翔平さんにも一緒にいてもつまらないって言われてきた。


前付き合っていた彼氏にだって、お前には飽きたって言われたし……一緒にいても相手のことを楽しませることはできないんじゃないかと思う。


「私なんかただのつまらない女ですよ。ほら、浮気されちゃうくらいだし……」


私がそう言葉を発した時、一ノ瀬さんはすっと人差し指を私の唇に持っていった。


「ダメですよ。そうやって自分をけなすのは。月島さんはステキな女性です。僕が保証します」

「一ノ瀬くん……」


ああ、いやだな。

なんか一ノ瀬くんのことを見るといつも胸が音を立ててしまう。


ドキドキとうるさくて、これはお酒を飲んでるからだって心の中で言い訳するしかないんだ。

それから少し話すとこの場はお開きになった。


食事を終えて外にでる。

気づけば一ノ瀬さんは私よりも早く支払いを済ませてしまった。


「社長……!私が払う約束でしたから、払わせてください!」


私が必死にそう伝えるけれど、一ノ瀬さんはいたずらっぽい笑みで言った。


「残念ですが、今は私の方が上司ですので払わせることはできません」


「ズルいです!あの時は私の方が上でした!もう一度この一瞬だけ部下に……」


「残念。できないなぁ」


社長は無邪気に笑った。

けっきょく支払いをすることが出来ず、一ノ瀬社長は帰りのタクシーまで呼んでくれた。


「ではまた」

「はい。今日はご馳走様でした」


「僕が言ったこと忘れないでくださいね」

「えっ」


「何かあったら頼るってこと」


──ドキン。

一ノ瀬さんはそれだけ言うと、車は走り出してしまった。


何かあったら頼る……。


「そんなこと出来ないよ……」


ドキン、ドキンと心臓が鳴り響く。


自分だけが特別なんじゃないかと期待してしまう。


ダメダメ。

ちゃんとしなきゃ。


自分の頬を手のひらで覆ってみると、熱を帯びていた。

これは、お酒のせい……だよね?





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ