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4/21

地獄の出社



それから2日経った月曜日。

ぽっかり空いてしまった休日はひとり家の中に閉じこもって過ごした。


楽しい気持ちにはなれず、食べるものだけを買いにコンビニに行き、それ以外はずっとだらだらとテレビを流していた。


ああ、でも……一ノ瀬くんにお礼をするために近くのケーキ屋さんに行って洋菓子の詰め合わせを箱に包んでもらった。


甘いものが好きかは分からないけど……。


仕事に出社したら、翔平さんや愛理とは顔を合わせなくちゃいけない。

正直行きたくないけれど、そんなんで休めるほど社会人というのは甘くはない。


一ノ瀬くんにお礼の連絡をしようと思ったけど、彼の連絡先を知らないことに気づいた。


そういえば、一ノ瀬くん……プライベートのものは誰にも教えたがらなかったからな……。

そんなことを考えながら会社に出社すると。


「おはようございます」


なにやら会社は盛り上がっていた。


「え~おめでとう!まさかふたりがなんてね」

「お似合いだよ~」


会社に出社するなり、人が集まっていて楽しそうにしている。


なんだろう……?


声をかけると、同じ社員の人が手招きして私を呼んだ。


「月島さん、来て来て」


私は誘われるがまま向かうと、人の囲いの中心には愛理が立っていた。


愛理……。


「あっ、遙~おはよう」

「えっ」


金曜日の日のことが何もなかったみたいな対応に私は驚いた。


もっと気まずそうな顔、すると思ったのに。

気にしてるのは私だけみたいで、ショックだった。


そして愛理は告げた。


「あの私、営業部の鳴海翔平さんとお付き合いすることになりましたっ!」

「えっ」


それをみんなに公表していたの?


確かに私は翔平さんと付き合っていたことを会社の誰かに伝えたりはしなかった。


それはお互いのためを思って、仕事に支障が出ないように隠しておこうということにしていたんだ。

だから、私が翔平さんと付き合っていることを知っている人間はいなかった。


「月島さんもお似合いだと思わない?」

「……は、はい」


そう答えるしかない。

私が付き合っていたんだ!なんて叫び出せば変な目で見られるだろう。


後ろで、愛理がニヤリと笑う。


そして私の手をぎゅっと掴んで言った。


「みなさんにお似合いなんて言ってもらえるなんて嬉しいですっ!これからも仕事たくさん頑張れちゃうかも」


そんなことを言いながら私の耳元に口を寄せて小さく囁く。


「バーカ」


その言葉は確かに私に届いた。


間違いない。

愛理は私に嫌がらせをしようと思って社内に公表したんだ……。


──ズキン、ズキン。

金曜日の夜から少し時間も経って大丈夫だと思うようにしてたのに。


こんなに堂々とされるとキツいや。

すると周りの社員の人がひとりポツンとデスクに座っている一ノ瀬くんに声をかける。


「ほら~一ノ瀬くんも祝ってあげて」

「いえ……自分は興味ありませんので」


「そういわずに~ビックカップル誕生だよ?」


そこまで伝えると一ノ瀬くんはすくっと立って愛理の前に向かった。


そうだよね……。

これだけ言われたら、さすがに一ノ瀬くんだって祝福するしかないもの。


すると、愛理の前に立った一ノ瀬くんは淡々と言い放った。


「誰と誰か付き合ったなんて公表して祝福してもらうのは、高校生くらいしかしないと思ってました」

「はぁ!?」


「ちょっ、一ノ瀬くん……!?」


な、何を言い出すんだ、一ノ瀬くんは……!


今は祝福しないといけない流れで……。


私は焦って声をあげる。


「あははは?ちょっと一ノ瀬くん、そういえば企画書の話をしたいんだった~!」


私は慌てて一ノ瀬くんをオフィスの外に連れ出した。

そして人のいない給湯室まで連れてくると、彼の方が先に口を開いた。


「どうしましたか?」


どうしましたかって……。

でもあれは私のこと庇って言ってくれたんだろうな。


だって一ノ瀬くんに話したから。


名前は出さないようにはしてたけど、だいたい誰であるのかは分かってしまうだろう。


けど……そんなことして一ノ瀬くんの評価を下げてもらいたくない。


一ノ瀬くんの良さはきっと時間があればみんな分かってくれるはずだから。


「ありがとう。でもね、私のことは全然いいから……」

「僕は全然よくないので」


──ドキン。


「……っ」


なんでこの人は……こんなことさらりと言うような人だったっけ?

あの夜の出来事があったから私がフィルターかかっちゃってるだけ!?


しっかりしろ、私。

私は誤魔化すように手に持っていた紙袋と封筒を一ノ瀬くんに渡した。


「あとこれ……金曜日のお礼とお金。飲みの場払ってもらっちゃってたから」

「ああ、いいですよ」


「よくないって……後輩に出させるなんてありえないから」


私が小声で言うと、一ノ瀬くんはくすっと笑った。


「じゃあ、せっかく買ってきて下さったのでこれいただきます。こっちは受け取りません」


そう言ってお金が入った封筒を一ノ瀬くんは返した。


「いや、そんなわけには……」


「それなら、今度またご飯に連れて行ってくれませんか?」


ご飯に……?

一ノ瀬くんはあの時間、嫌じゃなかったのかな。


「うん、一ノ瀬くんがそれでいいなら……」


あんなに迷惑かけたのに。

でもまた行きたいと言ってくれるのはシンプルに嬉しかった。


するとその時、足音が聞こえてきて誰かに声をかけられた。


「お、良かった……ここにいたか」


その声は翔平さんの声だった。


翔平、さん……。

こんなところで会うなんて……。


気まずくてうつむくと彼は言う。


「探してたんだよ」

「えっ」


翔平さんがそんな風に私に駆け寄ってくるから、もしかしてあの時のことを謝ってくれるんじゃないかと期待してしまった。


色々あって悲しかったけど、翔平さんが謝ってくれたらもう忘れよう。

それで綺麗に精算する。


「合鍵返してくんない?いつまでもお前に持ってられるといつ勝手に侵入してくるか怖えーし?」

「なっ……」


なんで勘違いしていたなんだろう。

この人の中に悪いなんて気持ちはないんだ。


「勝手になんて、入るなんてしないよ……」


「分かんねぇだろ?お前まだ俺のこと好きなわけだし」


「……っ」


私は唇を噛み締めながらポケットに入っていたキーケースをイジリ、翔平さんの家のカギを彼に返した。


「あっ、お前が家に置いてったものも邪魔だから捨てとくな?」


「謝ってもくれないんだね……せめて謝ってくれたら、私だって許せるのに……」


「はぁ?謝るのはお前の方じゃね?だいたい俺が浮気したのってお前がつまんねぇからだろ?そんな彼女として欠陥品だったんだから、お前が責める資格ねぇだろ」


欠陥品……。


──ズキン。


翔平さんに言われるとそうなのかもしれない。

私と一緒にいる時、翔平さんは楽しそうにしてた?


彼を楽しませることが出来ていただろうか。


私がつまらなかったから、彼が浮気した。


確かにそう言われたら悪いのは……。


「面白いですね、浮気をそんな風に正当化する男性がいるなんて知りませんでした」

「な、なんだよお前……いたのかよ」


私の前にすっと出てきた一ノ瀬くん。


「カッコ悪くないですか?自分が浮気しておいて人のせいにして開き直るのは」

「な、なんだとっ……!」


翔平さんは一ノ瀬くんに言われ、かっと顔を赤くしながら彼の胸ぐらを掴んだ。


「お前!知ってるぜ、後輩のインキャくんだろ?陰キャのクセに口答えしやがって!」

「しょ、翔平さんやめて……!」


焦る私に全く表情を変えない一ノ瀬くん。


「離してもらえませんか?」


睨みつけるように翔平さんを見る一ノ瀬くん。

彼はそんな彼の眼差しにぱっと手を離した。


「惚れてんのかなんだか知らねぇけどなぁ!こんな欠陥品くれてやるよ!コイツと一緒にいても何も面白くねぇけどな!」


翔平さんはそれだけを言うと、手を離してその場を去っていった。


また一ノ瀬くんに迷惑かけちゃった……。


「一ノ瀬くん……ごめんね、また迷惑かけちゃって」


一ノ瀬くんといる時に翔平さんが来るなんて思わなかったな。


「僕は迷惑なんて思いませんけど」


後輩に慰められるなんて、私も情けないなあ。

もっとこの人について行きたいって思ってもらえるようにならないといけないのにね。


「ダメダメだなぁ……私」


すると、一ノ瀬くんは言う。


「月島さんにダメなところがあるとしたら、そうだなあ……一つでしょうね」


私は顔をあげて一ノ瀬くんを見た。


ダメなところ……。


一ノ瀬くんから言われる言葉を受け入れようとした時、彼は言った。


「あんな男を選んでしまったこと」

「えっ」


「ただそれだけですよ。だからそんな男とは離れられたんですから落ち込まないでください」

「一ノ瀬くん……」


どうして彼はこんなに優しくしてくれるんだろう。

ただの上司ってだけなのに、こんなに私に優しい言葉をかけてくれるなんて……。


「ありがとう、一ノ瀬くん。しっかりしなきゃね?私……一ノ瀬くんがいてくれてちょっとすっきりしたかも」


「それなら良かったです」


一ノ瀬くんがふっと笑う。

目はいつもみたいに見えていないのに、彼の目が細くなるのが想像出来た。


いつまでも落ち込むのはやめよう。


私には仕事がある。

今は仕事に集中してやれることをやるんだ。


そうやって意気込んで仕事をしていた午後。


「遥、これよろしくね?」


いきなり目の前に立った愛理が、資料をポンッと私のデスクに置いた。


「えっ……それ、愛理の担当でしょ?」


「そうだけど~私今、忙しいじゃん?支えなきゃいけない彼氏もいるし?遥は独身だからヒマじゃん!」

「そういうプライベートのことは今は関係ないでしょ」


「でも先方にももう月島の方から連絡しますって伝えておいたから」

「えっ!」


「ってことでよろしく」


愛理は笑って見せた後、私にしか聞こえない声で言う。


「どうせ、プライベートですることないんだから仕事くらいしなさいよね?仕事だったら求めてもらえるんだからいいじゃない」


私はぐっと唇をかみしめる。

いつから愛理は私を裏切ろうって気持ちでいたんだろう。


友達だと思っていたのは、私だけだった。

昔から私のことが嫌いだったのな……。


「……わかった」


私はできる限り無表情で言った。


反論すれば、また面倒になる。

噛みついたところで、今の彼女には効かない。


それなら──やってやる。完璧に。

愛理が去った後、私は資料に手を伸ばした。


キーボードに指を置いた瞬間、指先がわずかに震えていた。


悔しい……。

翔平さんを取られたとかそういうことじゃなくて、親友だと思っていた愛理の本性に気づかなかったことが。


それから夜になると次々に人が帰っていった。


もう21時か……。

人がいなくなったオフィスで私は1人仕事をしている。


まあ、いいですよ。

本当にプライベートはすることないし……。


「はあ……」


にしてもいつ終わるかな。


デスクに積み上がった押し付けられた書類。

深いため息をついた時、誰かがその書類を手に取った。


「また人から仕事を押し付けられたんですか?」


振り返るとそこには一ノ瀬くんがいた。


「い、一ノ瀬くん!?帰ったんじゃなかったの?」


「帰ろうとしたんですけど、なかなか月島さんが上がろうとしないので気になって」


「いいんだよ、こっちのことは気にしなくて。一ノ瀬くんはゆっくり休みな」


「そうは行きません。手伝います」


「でも……」


「言ったでしょ?全部自分で抱え込まないで欲しいって」


一ノ瀬くんはそうつぶやくと、私の任された仕事の資料を受け取った。


「手分けしていきましょう」


また一ノ瀬くんに迷惑をかけてしまった。


こんな時間まで部下を残して忍びない……。


何をしても返せないくらいだよ。


それから1時間経った頃、一ノ瀬くんはこっちにやってきて言った。


「終わりました」

「えっ。もう終わったの?」


「はい、他に仕事があればやりますよ」

「もうないけど……」


すごい早くない!?


ざっと見ても一ノ瀬くんが請け負った仕事は早くても3時間はかかる仕事だ。


「一体どうやって……」


広げられた資料はざっとみる限りかなり精度が高いものであった。


「す、すごすぎる……」


私、教えた!?

いやいや、ありえない。


「教育係の方に恵まれましたので」


「いやいやいや!」


これどう考えても一ノ瀬くんのポテンシャルの高さだよね!?


じっと見つめると、「なんですか?」といいながらこちらを見てくる。


なんか一ノ瀬くんってあっという間に私を抜き去ってしまいそうな気がする。


教育係としては誇らしいよ……!


「月島さん、顔が忙しいです」

「……し、失礼しました」


私の言葉に一ノ瀬くんはふっと笑った。


思わず笑ってしまったみたいな笑顔。

一ノ瀬くんって、案外よく笑うんだよなあ。


無愛想なんかじゃない。


「その笑顔、もっとみんなに見せたらいいのに」

「秘密は大事な人だけに共有してる方が面白いですよ」


面白い?

どういう意味だろう。


「帰りましょうか」


私たちはすべての仕事を終えて帰ることにした。


駅までの道のりをふたりで歩く。

すると一ノ瀬くんはぴたりと止まった。


「どうしたの?」

「月島さん、もし僕が……」


真剣な顔をそんな言葉を言いかけた時だった。


──キィッー!!


けたたましいタイヤの音とともに、左手から猛スピードの黒い車がこっちに向かって突っ込んでくる。

よけられない!


そう思った時。


「危ない……っ!」


鋭く、聞いたことのない一ノ瀬くんの声が響いた。

何が起きたか理解するより早く、私は腕をつかまれ、ぐっと背中を引かれる。


私たちの目の前を、風のように車は走り去っていった。


「……ビックリ、した」


気づいたら、私は彼の胸元に抱き寄せられていた。

ガッチリとした筋肉質の身体付きにビックリしてしまう。


──ドキン。


華奢なのかと思ってけど、一ノ瀬くんって意外に筋肉質なんだ……。


「ごめん、ありがと……」


そうやって顔を見上げると、目と目が合う。

あの時に見たキレイな瞳に吸い込まれるみたいに見惚れてしまった。


「……すみません、大丈夫でしたか?」


一ノ瀬くんはさっと私から離れた。


「うん……」


ドキドキと心臓が鳴る。

それを誤魔化すように私は尋ねた。


「そういえば、さっき言いかけたことって?」

「いえ……なんでもありません」


一ノ瀬くんはそれだけ言うと歩き出してしまった。


なんだったんだろう。

すごく真剣な顔をして、大事なことを口走るんじゃないかと思ったのに。


気のせい、だったのかな……?


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