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何を考えているか分からない一ノ瀬くん



朝のオフィスは、いつもと変わらないざわつきに包まれている。

営業が飛び回り、デザイナーがバナーを作り直し、私たちマーケティングチームは今日もクライアント向けの企画を練っていた。


月島遥、27歳。

肩書きはマーケティングプランナー。


大手広告代理店で働いてもうすぐ5年になる。

新卒から入ったこの仕事はとても気に入っていて、忙しいけれど、充実した毎日が送れている。


「遥~、この企画書、先にざっと見てくれない?上に出す前にちょっと不安でさ」


デスクの向かいから身を乗り出してきたのは、私の親友の三谷愛理だ。彼女は同期で高校生の頃から付き合いのある友人だ。


大学は別々のところに行ったものの、久しぶりに会社で再会。

まさか同じ会社に勤めることになるとは思ってもみなかった。


愛理とは会わなかった間を埋めるかのようにたくさん話をした。


愛理は見た目はキラキラしていて、女子力高めで誰とでもすぐ打ち解けるタイプ。学生時代からの付き合いで、今でも一緒にランチを食べる仲だ。


親友と一緒に働けるなんてめったにないよね。


「うん、あとでチェックするよ。午後イチの会議までには返すから」

「ありがとう~!遥大好きっ」


「はいはい」


私は苦笑しながらPCに向かい、資料を開いた。


今日プレゼンがある案件は、スキンケアブランドのリブランディング。ターゲット層の分析と新キャッチコピーの提案。昨夜遅くまで修正していたせいで、まだ少し頭がぼんやりしているけれど、頑張らなくちゃ。

そう意気込んでいると、机の上に置いていたスマホが小さく震えた。


画面をのぞくと、彼からのメッセージだった。


《今日、仕事早く片きそうだからうち来る?晩ご飯一緒に食わねぇ?》


翔平さん……。


彼――鳴海翔平。

三つ上の先輩で営業部に所属している。


翔平さんとは付き合ってもうすぐ一年になる。


見た目は爽やかで清潔感があり、社内の評判も良くて、仕事でもいつも堂々としていて頼れる存在だ。


マーケティング部と営業部は協力が必要な部署で何度も関わっていくうちに私は翔平さんに惹かれていくようになった。


嬉しいな、今日会えるなんて……。

しかも翔平さんから連絡を送ってくれるなんて珍しい。


いつも忙しい翔平さんとは会える日が限られている。

でも仕方ないよね。


今、彼は仕事が頑張りどころだと私に話してくれた。

営業成績で出世が決まるので出来るだけのことをしたいのだろう。


決して奢らず、努力を惜しまないそんな翔平さんが私も大好きだから、彼のことを応援したいって思ってる。


わがまま言って困らせる彼女にだけはなりたくないもん。


《今日、行きたいです!良かったら私がご飯作りますよ》

《まじ!?それめっちゃ嬉しい》


ふふっ、今日の夜楽しみだなぁ……。

そんなことを考えていると、女性社員たちの声が聞こえてきた。


「鳴海さんって、次の課長ポスト有力って聞きましたよ」


聞く気はなかったけれど、自然と耳が向いてしまう。


「この間の大手案件、鳴海さんの交渉で決まったって聞いたし、あの人、ほんとに仕事できるよね~」

「それに顔もいいし、誰にでも優しいじゃない?あれで独身なんて、キセキだよね」


翔平さんのことなのになんだかくすぐったいような嬉しい気持ちなる。


すると愛理がこっちにやってきて、私の耳元で小さくつぶやいた。


「オタクの彼氏さん、めちゃめちゃ評価されてるじゃん」

「あ、愛理……!」


私が翔平さんと付き合っていることは、翔平さんとも話し合って内緒にしておこうってなっているけれど、愛理だけは知っている。


愛理はその話を聞いた時、すごく喜んでくれたんだ。


私が誰にも言わないでほしいと告げていたこともあり、彼女の中で秘密にしてくれている。


「すごいよね、将来有望じゃん!」

「本当……私にはもったいないくらいの人だよ」


「ふふっ」


愛理は笑顔を作ると戻っていった。


今日早く帰れるようにするためにも仕事頑張らなくちゃ。


思わず口元がゆるんだ瞬間、不意に視線を感じて顔を上げた。


すると目の前には2つ下の後輩一ノ瀬くんがぬっと立っていた。


「わあ、一ノ瀬くん……!ビックリした!」

「月島さん、おはようございます。これ確認していただけますか?」


彼は目立たない無口な後輩、一ノ瀬涼真くん。

2カ月前にこの会社にやってきたばかりだ。


私は彼の教育係を任されていた。


彼は、いつもフロアのざわめきに混じらず、存在感を消すようにしてパソコンに向かっている。黒縁の眼鏡をかけていて、少し長めの前髪は斜めに流れていて、表情は読めない。


視線は伏しがちで、人の目をまっすぐ見ることがないせいか、何を考えてるかよく分からないところがある。


「OK確認しておくね!」


社内のみんなは一ノ瀬くんのことを「怖い」とか「不気味」って言っているけれど、一ノ瀬くんって真面目だし資料の精度も高くて教えたこともあっと言う間に吸収してしまう力があるんだよね。


真面目だし案外いい子なんだけどな。


「あと、先日はありがとうございました」

「先日……?」


「先週の、クライアント向けの提案資料です。プレゼンする時に大事なところ書き出してくれてましたよね」


ああ、あの件か。


「全然!初めての時は緊張して飛んだりしちゃうでしょ?私もそうだったから」

「すごく助かりました」


「一ノ瀬くんの教育係ですから!」


そう言ってわざとらしく肩をすくめると、彼はふっと、息を漏らすように笑った。


いつも無表情だった彼の顔が、ふわりと柔らかくなる。


え……?一ノ瀬くん、今笑った!?

私は思わず、まじまじと彼の顔を見つめてしまう。


「どうかしましたか?」

「あ、いや……っ」


はじめて見た。

一ノ瀬くんって笑ったりするんだ。


ここ3カ月教育係をしてきたけれど、あまり笑顔を見せることはなく淡々と仕事をしていた彼。

一ノ瀬くんも少し心を許してくれたって思ってもいいのかな?


それから仕事をして昼休憩になると、愛理が私の肩を叩いた。


「ねぇ、遥。ランチ行こう〜!」

「うん」


愛理とのランチの時間は私もほっとできる時間の一つだ。

仕事の話をしている時がお互いに切磋琢磨しているようで楽しかったりもする。


「えっ、じゃああのクライアントさん、遥の案件で決まったの!?」

「うん、かなり迷ってたみたいなんだけど決めるって言ってくれたんだ」


「すごいじゃん!やっぱ遥はさすがだね」


「ううん、私だけじゃないよ。その時一ノ瀬くんと一緒にやってたんだけど、女性の視点だけじゃ分からないアドバイスを貰えたの。それも契約に繋がったのかなって思って」


会社近くのお気に入りのお店でパスタを食べる私たち。


「あーあの不気味な後輩くん?遥もさ、お人よしだよね?」

「お人よし?」


「だって普通嫌じゃない?会社で気味悪がられてる後輩の面倒見なきゃいけないなんて。ほら、一ノ瀬ってさ笑いもしないし前髪で顔も隠してるから、絶対ブサイクだってみんなウワサしてるわけよ」


ニヤニヤしながらそんなことを言う愛理。


「ぶさいくって……」


そんな言い方なぁ……。

愛理は基本的に仕事の話しとする分にはいいのだけど、人のことを見下したように言う性格はどうも合わない。


「一ノ瀬くん仕事も出来るし、きっとみんな知らないだけでもう少し会社に慣れて打ち解けていったら、いいところ見れると思うな~」


「陰キャ後輩くんのことなんか誰も知りたくないでしょ」


はぁ……。

嫌だな。


仮にも教えている直属の後輩をそんな風に言って欲しくない。


「あっ、そうだ。そういえばまたこのブランドバック買っちゃったの~見て、かわいいでしょ?」

「うん、素敵だね!」


まぁ、話題も変わったからいいか。

でも愛理、お金がないって言ってたなかったっけ……?


そんなことを考えていると、彼女は言う。


「ねぇ、遥……ここのお会計お願い出来ない?」

「えっ、また?」


「お願い……!今月ちょっと厳しくて」

「でも……」


新しいバッグは買ったんだよね?


「ほら、遥は仕事も出来るし出世できるでしょう?」

「出世ってうちは年数だから愛理も一緒じゃない」


うちの部署は成果で昇進するわけではなく、年数で大事な仕事を任されるようになってくる。


「ね〜もっと成果が認められれば私も頑張るんだけどなあ〜」


愛理はそうつぶやいてから私に伝票を渡してきた。


「ってことで、お願い!」

「もう……」


頼まれるとどうにも断れないこの性格。

一生治らなそうだ……。


私たちは食事を終えると、午後の仕事に戻った。


早く終わらせるぞ!なんて思っていたけど、案外仕事が立て込んでしまっていたり、愛理から「お願いできないかな?」と任された仕事が以外にも重かったりして時間がかかってしまった。


「19時か~」


翔平さんは、営業先からそのまま直帰してもう家にいるらしい。


【お腹空いた~待ってるな】


翔平さんからはそんなメッセ―ジが届いていた。


急いで帰らないと。

翔平さんを待たせることになっちゃう。


「お疲れ様です。お先に失礼します」


社内にいるメンバーに声をかけて会社を出る。


もう時間も遅いし、簡単に作れるものにしよう。


「お邪魔します」


私は会社を出て買い物を終えると、そのまま翔平さんの家に向かった。


翔平さんの部屋に入ると、ほのかに柔軟剤の香りがする。


「もうお腹ペコペコ、早く遥の飯食いたいわ~!」

「うん、遅くなってごめんね。すぐ作るね!」


ソファに座ったままテレビをつける翔平さんの声に返事をして、私はキッチンに向かった。


今日買ってきたのは、鶏もも肉としめじ、玉ねぎ、にんじん。

今日は親子丼にする予定だ。翔平さんは親子丼が大好きだから喜んでくれるかなって思って。


鍋を火にかけ、卵をといてだしの香りが立ち上ってくる頃には、お腹がペコペコになっていた。


翔平さん、喜んでくれるかな?


「はい、できたよ。ちょっと甘めにしてみました」


テーブルに丼と味噌汁を並べると、翔平先輩はちらりと画面から目を離して座り直した。


「お~うまそう。やっぱり遥の飯だな」

「ふふっ」


翔平さんの言葉に私は嬉しくなる。

翔平さんのためだったらいくらでも作ってあげられる。


「じゃあ食べようか」

「おう」


いただきます、と手を合わせると翔平さんはすぐにお箸を手に持って親子丼をかきこむように食べだした。

どうかな?美味しく出来てるかな。


そんな風に期待していると……。


「……あ、そういえばさ、今度の営業先、A社のデータまとめてくれた?ターゲット層と施策の比較資料、例のやつ」

「……あ」


その件か……。


「うん、作ってきたよ。これファイルね」

「サンキュー!遥って、本当最高の彼女だよな」


ニコッと笑顔を見せる翔平さん。

最初はその笑顔が嬉しくて何でもやりたくなってしまったけれど、最近はこのデーターが欲しい時だけ呼び出されてるみたいで少し寂しいんだ。


「あの、翔平さんにずっと協力してあげたい気持ちはあるんだけど……最近ちょっと忙しくなってきてて協力できないことがあるかも」


「え~忙しいならさ、その分俺と会う日減らす?」


「えっ」


私はビックリして目を丸める。


「でも最近あんまり会えてないし……」


「俺はさ、遥の負担になりたくないわけよ。ほら、付き合う時に約束しただろう?一緒に切磋琢磨できる関係でいようって。もしそれで忙しくなっちまうなら、会う頻度減らしてお互いに仕事に集中した方がいいと思うんだ」


仕事って……営業先のデーター収集は私の仕事じゃないのに……。


でもそんなこと翔平さんには言えなかった。


これ以上会う頻度が少なくなるのは嫌だ。


「それならもうちょっと削れるところ削って頑張ってみる」


私は慌てて笑ってみせた。


「おう。一緒に頑張ろうな」


それから食事をとると、翔平は残った仕事をこれからするからと私に告げた。


「明日は大事な取引があるから、その資料をまとめておきたいんだ。だから泊めてやれなくてごめんな?」


そんな風に言われたら、当然わがままなんて言うことが出来なくて、私は帰ることにした。


本当は泊まりたかったな……。

なんだかご飯を作りに来て、データーを渡しただけで終わっちゃった……。


駅までの道は、ほんの数分。

だけどその短い距離が、今日はいつもよりずっと長く感じる。


もっと一緒にいられると思ったのに、なんか浮かれてたな……。


駅前のロータリーは、金曜の夜にしては意外と静かで、少し肌寒い風が吹いていた。


私はコートの襟をぎゅっと握りしめながら、足早に改札へ向かおうとする。


すると、ふと、見覚えのある横顔に目を奪われた。


「……愛理?」


駅の近く、カフェ前のベンチに立っていたのは、愛理だった。


ヒールにトレンチコート、手にはブランド物の小さなバッグ。会社の時とは違う、ちょっと気合の入った私服。


彼女は驚いたように振り返ると、すぐにいつもの笑顔を浮かべた。


「わ……遥!こんなところで会うなんて偶然~!」

「愛理こそ。こんなところでどうしたの?」


「んー?友達とご飯いくの。ちょうどこの駅で待ち合わせしてて」

「そうだったんだ」


この駅ってあんまり女性がご飯食べるようなオシャレなお店少ないけど、なんか隠れ家的なところがあるのかな。


「じゃ、また会社でね」

「うん、またね」


私は愛理の前を去っていく。

彼女が口角をあげて笑っていたことも知らずに──。



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