スモッグを裂く青
街のネオンが滲む濡れた路面を蹴り、バイクが加速する。スロットルを開くたびに、空冷Vツインの重低音が都市の壁を揺らし、電動モーターの高音がそれに絡む。メカニカルな唸りと爆発音が、街の空気を震わせる。
湿ったアスファルトが光を反射し、街の色が滲む。ヘルメットのシールド越しに、歪んだネオンの輝きが流れるように過ぎていく。レイジはスロットルを軽く煽り、コーナーへと進入する。
ブレーキを掛けはじめ、スロットルを軽く煽る。シフトダウンで高まる回転数を感じながらバイクを寝かせ、タイヤが水膜を切り裂く。バイクが生き物のように応え、カーブを駆け抜ける。立ち上がりながらコーナーの出口へ加速。タイヤが路面を強く噛み、ハンドルに伝わる微細な振動が手のひらを刺激する。路面の水が巻き上がり、背後の世界に消えていく。
都市の空気は重く湿っている。遠くで救急車のサイレンが響き、監視ドローンが空を滑るように飛んでいるのが見えた。
ギアを落とし、再びスロットルを開く。トルクが背中を押し、バイクが跳ねるように加速する。電動モーターの即応性とVツインの荒々しい鼓動が絡み合い、まるで心臓がむき出しになったような感覚が襲う。
高架橋を駆け上がると、風が一気に強くなった。背後のビル群が沈み、目の前の景色が開ける。雨雲とスモッグの切れ間から、わずかに青空が覗いた。ほんの一瞬だった。だが、確かにそこにあった。
息をのむ。
この都市では、空は常に灰色だった。ビルの隙間から見えるのは、薄汚れた雲か、人工の光に照らされた霧ばかり。だが今、ほんの一瞬だけ、本物の青があった。
胸の奥が微かに痛む。都市の色に埋もれた日々の中で、忘れかけていたものが、ふいに目の前に現れる。
「ちっ……何を感傷に浸ってる」
ヘルメットの内側で呟き、グローブの親指でシールドの内側を拭う。だが、その一瞬の感情は否定しようがなかった。スロットルを軽く煽る。バイクが応えるように低く唸り、青空が再びスモッグに飲まれていくのを感じながら加速した。
高架橋を降りると、ダウンタウンの空気が重くのしかかる。排気ガス、湿ったコンクリート、古いオイルの匂いがヘルメット越しに漂う。都市の雑踏が遠くから響き、警察ドローンの赤い警告灯がちらついていた。レイジは無言のままバイクを操る。長いライドの余韻が、まだ指先に残っていた。
街の雑踏が近づき、熱が肌にまとわりつく。路地裏ではホームレスが焚き火を囲み、道端では薄汚れた服の男が何かを売っている。監視カメラが視線のように動き、都市の目がこちらを見張っている。
やがて、裏通りに入る。倉庫街の奥にある、自分だけの隠れ家。ガレージの前でエンジンを切ると、静寂が訪れる。空冷Vツインの熱が冷える音が、かすかに響いた。シャッターを下ろす。鉄の扉が軋み、闇に沈む。
ジャケットを脱ぎ、グローブを放る。ブーツを乱雑に脱ぎ捨て、浴室へ向かう。シャワーの湯をひねる。熱い水が肌を叩く。長いライドの余韻が、ようやく静かに消えていく。湯気の向こうに映る自分の姿が、曇った鏡にぼんやりと揺れた。
ふと、脇腹に手をやる。
古い傷がじんわりとうずいた。銃弾が抉った跡。時間が経ったはずなのに、傷はまだそこにあり、痛みだけは消えていなかった。あの時の光景が、記憶の奥から蘇る。思わず、息を止める。
湯を浴びながら目を閉じる。
忘れたことはなかった。ただ、今は深く考えたくない。シャワーの水が静かに落ちる音だけが響いていた。
湯を止め、滴る水を手で払う。バスタオルでざっと拭き、湿った肌にシャツを羽織る。キッチンへ向かい、棚の奥からボトルを取り出す。ラベルの剥がれた合成ウイスキー。深みも余韻もない一瓶7クレジットの酒。だが、舌には妙に馴染む。
ショットグラスに注ぎ、一息で流し込む。喉を焼くような刺激が、さっきまでのバイクの振動を思い出させる。すぐに水を口に含み、アルコールを薄める。もう一杯。ウイスキー、水、ウイスキー、水――交互に喉を潤す。
椅子に座る気にはなれなかった。湿ったケツを椅子の座面で拭く趣味はない。グラスをシンクに置き、裸足のまま無造作に歩く。床に直置きのマットレスに倒れ込む。エンジンが完全に切れたように、全身から力が抜ける。
意識が遠のく。
最後に見えたのは、スモッグの隙間から覗いた青空だった。
「あれは……幻だったのか……?」
だが、それを確かめる気は、もうなかった。心地よい気だるさと夕闇が、彼を飲み込んでいく。