都市の味
夜のメガシティは、絶え間ない光と影の交錯だった。
路地には冷たい雨が降り注ぎ、舗道に溜まった水たまりが歪んだネオンを映している。ここは第十六区、都市の端にある"取りこぼされたエリア"。都市計画の中心から外れ、再開発の波に乗れず、放棄されたままのビルや廃倉庫が並ぶエリア。
企業の広告ホログラムはここまでは及ばない。代わりに、違法な闇市場の小さなネオンサインが、埃っぽい空気に赤や青の光を投げかけていた。
レイジは、濡れた舗道を踏みしめながら、古びた自動販売機の横にある屋台へ向かった。
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店の名はない。ただ、"食わせ屋"と呼ばれている。
ここは、都市の下層を生きる者たちにとって、"本物の食事"が味わえる数少ない場所だった。
店主は、腕にタトゥーを入れた初老の男。彼の義眼が微かに光り、レイジの顔を認識した。
「いつものか?」
レイジは頷いた。
店主は無言で端末を操作し、調理用のオートメーションロボットに指示を送る。
システムの音が微かに鳴り、厨房の奥で人工筋肉を備えた機械アームが動き出した。**"本物の肉"は高級品だが、ここではそれに近い"培養肉"**が手に入る。
レイジはカウンターの端に腰を下ろし、コートの襟を少し緩めた。
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レイジの前に置かれたのは、**「スモークド・カーバー」**と呼ばれる料理だった。
皿には、低温で燻製された培養牛のスライスが並んでいる。口に含むと、スモークの香りとともに、人工脂肪のまろやかさが舌に広がる。
横には、サイバーシティ特製の合成ウイスキー。
**"SP-90"**と刻印された透明なボトルには、"本物の木樽"で熟成されたわけではないが、化学的に生成された"理想の熟成香"がある。
レイジはグラスを傾け、一口飲んだ。
甘みはない。アルコールの刺激と、わずかにスモーキーな香りが鼻腔を抜ける。
これで充分だった。
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「……最近はどうだ?」
店主が、義眼を光らせながら問いかけた。
「相変わらずさ」
レイジは短く答え、スモークド・カーバーの一切れを口に運ぶ。
この店に集うのは、企業に雇われない者、国家の監視を逃れる者、そして"消された人間"たち。
「企業は、相変わらず"何か"を隠そうとしてる」
「……今度は何だ?」
レイジは、目の前の料理を見つめながら、静かに言った。
「"データ"の埋葬だ」
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食事を終え、レイジはグラスに残ったウイスキーを一息で飲み干した。
都市のどこかで、また"誰か"が消される。
だが、ここでは"本物の味"だけが、確かに残る。
「また来る」
レイジはそう言い残し、濡れた街へと戻っていった。