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大迷宮の闇  作者: 文弱
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08.R 新しい治癒師



レフの右目は視力を完全に失っていた。

アッシドスライムに顔面を覆われて倒れたリラをマルセルの炎から守ろうと、リラの傍に身をかがめたとき、スライムに何かを目に吹き付けられた。

途端、焼けるような激痛が右目を襲い、たまらず床に蹲った。


そこからの記憶は曖昧だ。

まだ足元にヌルヌルとスライムがいることに気がついて、立ち上がって逃げようとした。

それは覚えている。


マルセルは、リーダーはどこにいるんだろう?

目が痛い。

助けて。


手をさまよわせて、治癒師のマルセルを必死に探したことも覚えている。

マルセルが見つからぬまま彷徨い歩く中、不意に何かが焼け焦げる匂いが鼻をついた。

ツンと目頭が熱くなって左目から涙が流れ、レフの視界は益々悪くなった。

視界が覚束ない中、喉に絡む煙と鼻をつく不快な香りがレフの恐怖を更に煽る。


とにかくそこから逃げようと、レフは必死に歩いた。

そのとき、誰かに腕を掴まれた。

痛みを感じるほどに強く掴まれたことに、レフはむしろ安堵の息をついた。




掴んでくれたの、マークだったかな?


レフはそう思い、寝転んだまま室内を見渡し、マークを見た。

マークは部屋の片隅に座り込み、さっきから同じ姿勢で白紙のスクロールを見下ろしている。

そういえば、マークにはいつも大事にしていたスクロールがあったことを思い出す。

レフやリラを助けるため、マークはそのスクロールを使ったのかも知れない。

通常スクロールは一回限りの使い捨てだと聞いている。


悪いことしちゃった…


そう思い、レフはマークに謝ろうと思った。

立ち上がろうと、身体を起こす。

途端に、目の中に鉛を詰め込まれるような鈍い痛みが右目を襲う。

思わず呻いて目を抑える。


「レフ? 大丈夫か?」


いつもは不機嫌なクリスが、レフを気遣うように優しい声をかける。

その声に泣きそうになる。

僅かに滲み出た涙に、右目が痛くてたまらない。

助けてと、悲鳴を上げたくなる。

怖くてたまらない。痛くてたまらない。泣きたくてたまらない。

それでも歯を食いしばって、全てに耐えようと身を縮める。


クリスが近寄ってくる気配がする。

その気配に背を向けたまま、レフはまた涙を流した。

だが涙は、キズに塩をすり込むような容赦のない痛みを右目に与えるばかりだ。

身を震わせ、痛みに呻きながら、いっそ死んでしまいたいとレフは思う。

片目のレフは、もう迷宮に入ることもできないだろう。


レフが先行きになんの希望も持てず悲嘆にくれたそのとき、部屋のドアが外から開いた。

レフは振り返らなかったが、大きなどら声に誰が来たのか直ぐに分かった。


「調子はどうだ?」


愉快そうな大声は、マリ傭兵団の団長アーロンのものだった。


「昨日の今日で、まだ落ち込んどるようだな」


殆ど笑っているような大声が、酷く癇に障る。

レフやリラがひどい目にあったというのに、二人を傭兵として雇っているアーロンは何がそんなに可笑しいのか。

悔しさと痛さ、憤りと悲しさ、次々と押し寄せてくる強い感情の波にレフは身を震わせた。

口に出さぬ感情が伝わる筈もない。アーロンは容赦なくまた笑った。


「それにしても、お前らはついてるな。昨日は昨日でリーダーに逃げられて散々な目にあったというのに、迷宮に入る前の治癒師に助けられて、十分な治療を受けられたんだ。これを幸運と言わずして何と言う? 昨日、彼らは16階に行く予定だったのに、それを断念してお前たちを診てくれたんだぞ?」


十分な治療を受けて尚、痛みが引かない右目をそっと押さえ、レフはため息をついた。

地下16階なんて下層に行けなくてもいい。中層の10階だって、もう行けなくてもいい。

人に笑われても1階で十分。

すごい宝箱を開けたいなんて欲張りな我儘も絶対に言わない。

だから、神様……


レフの祈りなどアーロンに分かろう筈もない。

アーロンは上機嫌に喋り続ける。


「後でちゃんと礼を言っておけよ。まあ、それはともかく、お前たちは本当に運がいい。昨日リーダーに逃げられて、今日早速新しいリーダーが見つかったんだからな。しかも新しいリーダーも、アルヴィ魔術学園の治癒師殿だ!」


アーロンの笑い声が響く中、レフの心は冷たく凍えた。

団長のアーロンがどんなつもりでマルセルと同じ出身の者をリーダーにと連れてきたのか、アーロンの思惑はどうでもよかった。

新しいリーダーがマルセルそのものであるかのように、レフは新しいリーダーの顔も見ぬうちに憎んだ。

貴族たちにとって、やはり最底辺にいるレフたちは石ころほどの価値もないのだ。

だから傷ついたリラとレフを、回復魔法を掛けるでもなく治癒するでもないまま、迷宮に放置した。

湧き上がる強い怒りは消化しようもない、ただただ呪わしいほどに憤ろしい。

そう思ったのは、レフ一人ではなかったらしい。


「ふざけるな! もう貴族なんざ御免だ! もうリーダーなんかいらねぇ! 出てってくれ!!」


怒鳴ったのはクリスだった。

だが、アーロンはそのくらいで驚いたり恐れたりするような肝の小さい男ではない。

まだ笑い声でそれに答えた。


「リーダーがいるかいらないか、決めるのはお前かクリス? まあ、マルセルが期待外れだったからな。お前たちの気持ちも分からなくないが、今度はもう少しマシかも知れないぞ? マルセルと同じ治癒師だと言うし、折角だから、もう一度キズを見てもらったらどうだ?」


ギリギリとクリスが悔しさに歯ぎしりする音が聞こえてくる。

レフも憤怒に涙が溢れそうになるのを必死にこらえて歯を食いしばった。


「おお、こっちだこっち! 君に預けるメンバーを紹介する」


廊下に向かってアーロンが声を張り上げる。

重い足音が聞こえてくる。

室内に入ってくる気配。


「今、君に傷を診てもらったらどうかと言っていたところだ」

「治癒師に診せたと言わなかったか?」

「もちろん、昨日のうちに診せているが思うようには治らなかったようでね。メンバー全員がこの通り、尖ってどうしようもない」

「そんなに酷いなら、なんで先に言わないんだ」

「おいおい、雇い主に酷い言いようだな」

「どっちが酷いんだ。団員がそんな状態でへらへら笑っていられるあんたの気が知れない。さっさと出てってくれ」


アーロンの笑い声が廊下に押し出されるように消えていく。

ドアの閉まる音と同時に、レフの背後に歩み寄る気配がする。

レフの身体が自然に強張る。


「やめろ! そいつに触るな!」


クリスの怒鳴り声。

歩み寄る気配が、レフの後ろ数歩のところでピタリと止まった。


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