07.L 傭兵団の治癒師
目覚めたリラが一番最初に見たのは、マリ傭兵団自慢の治癒師の顔だった。
白い肌はツヤツヤと輝き、サラサラの金の髪が小さな顔の輪郭を縁取っている。
それをリラは美しいと思った。
きっと女神様とはこういう人を言うのだと。
同時に、なぜ自分は生きているのだろう、とも思った。
迷宮で自分の身に何が起きたのか、リラは途中までしっかりと覚えていた。
魔法陣で地下10階に行き、初めてた見たキングコヨーテに怯え、マークに助けてもらおうと彼の後ろに逃げ込んだ。
そこまでは、なんの問題もなかった。
キングコヨーテは直ぐにクリスとシンによって片付けられ、リラも安堵に胸をなでおろした。
最初にアッシドスライムに気づいたのはリラだった。
地面にブヨブヨと赤黒いスライムが蠢いていることに気づき、喉の奥に引き攣るような小さな悲鳴を上げた。
行く手の道に、どす黒い血の塊のような色をした大量のアッシドスライムが、まるで血の池のような様相で蠢いていたのだ。
「リラ、マルセル、魔法を」
常よりも早い口調でマークが指示を出す。それにリラは急いで頷き、少ない魔力を指先に集中させた。
アッシドスライムは火に弱い。確かリーダーのマルセルが昨日言っていた。
リラは恐怖を噛み殺して指先に小さな火の塊を作り出す。
その指先をスライムの塊に向け、魔法を放つ。
アッシドスライムの一部に火がついた。
そこから僅かに火が周囲のスライムに燃え移る。
どうなることかと見守る中、煙が上がり視界が悪くなった。
「リーダー! 右からも来た!」
レフが叫ぶ声。
「左にもいる!」
クリスの怒声。
一本道だと思っていたその道は、左右から小道が合流する交差路だったのだ。
その交差路に向かって、アッシドスライムは血の大河のように流れ込んできていた。
一瞬でパーティはパニックに陥った。
誰が何をしているのか自分は何をすればいいのか、戸惑い混乱する中、リラは足元に忍び寄っていたスライムに足を取られて尻もちをついた。
それを待っていたかのように、リラの顔面にアッシドスライムの一匹が貼り付いた。
最初に感じたのは、ヒヤリとしてヌルっとヌメるような、ゾッと鳥肌が立つような感触。
直ぐに呼吸が苦しくなる。
口と鼻を塞がれないよう、リラは必死に手で剥がそうともがいた
思わぬ力と粘着力に、剥がすのは困難を極めた。
空気が遮断され、意識が途切れそうになる。
死にものぐるいでもがき、口とスライムの間になんとか手を差し入れる。
僅かに出来た隙間から流れ込む空気を、無我夢中で吸い込む。
辛うじて呼吸はできるものの、それ以外は何もできない。
助けてと、口にしたくても呼吸すらもギリギリの中、リラに出来るのは足をバタつかせることだけだった。
そのうち、腹や胸にも、腕や肩にも、何かが蠢く感触が伝わってきた。
あの大量のアッシドスライムが、リラの全身を覆おうとしているのだ。
それに気づき、リラはゾッとした。
死ぬんだと思った。
天罰が下ったのだと思った。
父を、義母を、義妹を捨てて、売られることを拒んだから、逃げたから。
家族を捨てたリラに、神様はお怒りなんだ。
そう思ったら、全身から力が抜けた。
手とスライムの間の空間がグッと縮まり、呼吸は益々苦しくなった。
リラは生きることを諦めた。
楽になりたいとも思った。
どうせ、リラの死を泣く人はいないのだ。
生を諦めたその後のことを、リラは何も覚えていない。
気がついたときにはリラはベッドに横になり、目の前に治癒師の顔を見ていたのだ。
この治癒師は普段からあまり表情のある女性ではなく、今も何を考えているのかまるで分からなかったが、声は優しく静かだった。
「痛むところはない?」
首を振ると、小さく「そう」と呟くように言ってリラから目を逸した。
ほんの少し表情を歪め、ため息を吐くとまたリラに視線を戻す。
見上げるリラと目が合うと、治癒師はほんの僅か眉を寄せた。
「ごめんなさいね。顔に火傷の跡が残ってしまったの。ほかは、徐々に薄くなると思うんだけど…」
「や、けど…」
「ええ。覚えてるかしら? アッシドスライムに包まれてる貴方ごと、スライムに火を付けた人がいたの」
「…マルセル、さん?」
「ええ、そう聞いたわ。大変な目にあったわね。ともかく、後はゆっくり休んでね」
そっとリラの前髪を梳いて、治癒師はリラが見守る中で立ち上がった。
この人は、立ち姿も美しいんだ。
リラはこの場で考えるには相応しくないだろうことを思った。
リラに起こったことや残された傷を思うよりは、意味のないことを思う方が楽だった。
でも私、死ななかったんだ。
リラはふと気づいて小さく首を傾げた。
神様は、なぜリラを助けたのだろうか。
誰の役にも立たず、魔法も少ししか使えず、仲間になってくれている人たちの足を引っ張ることしか出来ないのに。
なぜ傭兵団で一番だと言われる、美しい女神のような治癒師の手を煩わせてまで、自分は生きているのだろう、と。