42.R 情報の対価
クリスと一緒に酒場を出たが、直ぐにレフはクリスと別れ、トリス傭兵団のイヴァルを訪ねた。
「君が来るだろうとは思ってたけど、今日のうちに来るとは思ってなかった。早かったね」
差し出されたカップとソーサーに目線を落とし、レフは頷きながらそれを受け取った。
香りの良いお茶が、高価そうな白磁のカップの中でゆらゆらと揺れている。
スンと香りを吸い込むと、イヴァルが少し笑った。
「お茶は嫌いだった?」
「ううん。おいら人間が口に入れても大丈夫なものなら、なんでも飲み食いできるよ」
「頼もしい胃袋だね」
無表情から紡ぎ出されたユーモラスな言葉に、思わずレフは笑った。
トリス傭兵団に来たばかりの緊張が、良い具合に解けた。
レフは単刀直入に言った。
「おいら、3年前の事故の情報が欲しいんだ」
「危険が伴うかもしれない情報だけれど、それでもいい?」
「おいらとリラ……えっと、うちの魔術師は、この間迷宮で死にかけたんだ。おいらは失明するとこだったし、リラは本当に死ぬとこだった。だからって命が惜しくないってことじゃないんだけど、おいらたちを救ってくれたリーダーを失いたくないんだ」
「それは、ウィルが今も危険に晒されてるのかも知れないって、君は思っているということ?」
レフはうなずいた。
酒場でクライドの話を聞きながら、ずっとレフは考えていた。
迷宮で魔物に殺される者は後を絶たない。
だが、パーティメンバーが迷宮内で狂い、それに殺されたという話はついぞ聞かない。
ということは、人を狂わせる魔法を使うような魔物は滅多に出ないか、そんな魔物が出現する階層に行く者たちは、その備えを万全にしているということだ。
魔物自体がいなくなったとか、全て狩り尽くしたということも聞こえてこないのだから、そう考えるのが妥当だ。
それなのに、傭兵の中でも極めて有名なルシアーナパーティが、有り得べからざる事故を起こした。
それがただの事故と思う方が難しい。
「あれは、事故じゃないんでしょ?」
「確証はないけど、僕もあれを事故とは思っていないよ」
レフはまた頷き、イヴァルの目をまっすぐに見た。
もしイヴァルがあの事故を引き起こした者であったら、今まさに、レフは危険の渦中にいることになる。
だが、レフはイヴァルは事故とは無関係だと信じたからこそ、此処に来た。
レフが注視する中、イヴァルの表情はほんの僅かも変化しなかった。
初対面のときと同様の無表情。
思わずレフは苦笑いした。
「イヴァルさんは、感情がどこ向いてるのか分かんなくて、ちょっと怖いね」
「ああ。緊張させてしまったならゴメンね。養父の真似をし続けていたら、表情筋が固まってしまったようだ」
「養父? イヴァルさんは養子なの?」
「あっ、うっかり口を滑らせてしまった……。これ以上の僕の個人情報は有料で、とても高いよ?」
うっすら微笑んだイヴァルをマジマジと見つめ、レフはそれ以上の詮索は止めた。
イヴァルのことが聞きたくて来たのではないのだ。
レフが知りたいことはウィルのことで、3年前の事故前後の詳細だ。
その情報がどれほどの値がつくのか、正直全く見当もつかない。
情報などという高額なものを、レフは買ったことがないのだ。
「イヴァルさんの個人情報が高いのはわかったけど、3年前の情報は? やっぱりすごく高い?」
素直に尋ねると、イヴァルは軽く首を振った。
「もし君が、一つだけ条件を飲んでくれるなら、3年前の情報は無料で共有できるよ」
「無料は却って怖いけど……。その条件って?」
「僕を信じて疑わないこと」
「……今日が初対面のイヴァルさんを?」
「ここに来たのは、既に僕を信じたからでしょ? だから、僕が3年前の話をしてからも信じると、約束して欲しい」
人に疑われることを厭い、恐れているわけではなさそうだ。
そんな人の思惑など、イヴァルは気にするような人には見えない。
「疑われて気持ちいい人なんていないけど、どうして、そんな条件を出すほど疑って欲しくないの?」
「僕を疑えば、僕の口にすることも疑わしく感じられるようになるでしょう? そうなると僕が提供する情報はほぼ無価値になるし、なによりも真実が君に伝わらなくなってしまう。誤った答えに君が行き着いてしまったら、本当の答えを見逃してしまう。それじゃ、困るんだ」
「……イヴァルさんは、おいらに、3年前の事故の真相を解明して欲しいの?」
「君はあの事故に関して完全な第三者だけれど、ウィルを大切に思っているという点で真剣に事故に向き合っている。そんな君が真相に行き着いてくれたらいいと思っているよ」
「おいらに目をつけた理由は分かったけど、それ、イヴァルさんが真相を知るんじゃダメなの?」
「僕はね、3年前の事件の真犯人だと、一部の人たちに思われているんだ」
レフはポカンと口を半開きにしてイヴァルを見た。
まさか、そんな背景がイヴァルにあったとは、夢にも思っていなかった。
もし知っていたら、レフはここに来なかっただろうか。
自答自問して、レフは軽く首を左右に振った。
イヴァルを信じるという条件を突きつけられたばかりだ。
「おいらが条件を飲むかどうかの前に、イヴァルさんがどうして疑われてるのか、聞いてもいい?」
「もちろんだよ。シラーに行けば分かることだし、この情報の対価は要求しないと約束するよ」
イヴァルの返事に少し笑い、レフは頷いて先を促した。
ほんの少し表情を和ませてイヴァルが話しだす。
「あの日の朝、僕は高熱ではないけれど、微熱と言い捨てられない熱を出したんだ。それでハンスに、迷宮に行くのを見合わせたいと言いに行った」
「イヴァルさんも、迷宮に行く予定だったの?」
「ハンスとウィルが迷宮に行くときはいつも一緒だったよ。彼らは僕の技能を高く評価してくれていたし、必要としてくれていたから」
人に必要とされる嬉しさは容易に理解できる。
だが、イヴァルの口調からはそれを喜んでいるという感じは受けなかった。
ただそうした事実があったのだと、淡々と口にしたようだった。
イヴァルはその口調のまま続けた。
「僕はこうみえても健康で丈夫な方で、パーティが迷宮に行くときに体調不良を理由に休んだことは、その時まで一度もなかったんだ」
「あの事故の日に限って熱を出した、ってこと?」
「その通り。子供の頃から熱を出すことが殆どなかっただけに、僕自身が驚いたよ。ハンスにも珍しがられたし、心配もしてくれた」
「熱を出した理由に、心当たりは?」
「前日の夜、ルシアーナパーティのメンバー10数名で飲みに行ったんだけど、その日はいつもより多めに飲んだように思うんだ」
「まさか二日酔い?」
イヴァルは軽く首を振り、優雅な仕草でお茶を飲み、音を立てずにカップを戻した。
この様子を見る限りでは、イヴァルはあまりお酒に強いようには見えない。
そんなレフの考えを見透かしたように、イヴァルが少し笑った。
「僕はあまりお酒に酔わない体質でね、お酌された分は全部飲んでしまう方なんだ。その日は、本パーティのメンバーのハンスとウィル、レイモンドの3人がお酌をしてくれたよ。それからサブパーティの方はニキータ、ロキス、コーネル、マックの4人が酌をしに来た。ニキータとコーネルは2回酌しに来たし、僕自身で勝手に飲んだ分も含めれば、ボトル一本くらいは余裕で空けていたと思う」
「凄い飲むんだね……。クリスより飲むなぁ」
レフは思わず感嘆して呟いた。
小柄なイヴァルのどこにそれほどのお酒が入るのか。
そんなレフの無遠慮な視線に、イヴァルが苦笑いした。
「いつもそんなに飲むわけではないからね?」
そんなことを言い訳するイヴァルが可笑しくて、レフは少し笑った。
大人なのだし、酔って人に迷惑をかけるようなことがないなら、いくら飲んでも構わないのにと思う。
だが、ボトル一本もお酒を飲めば、味覚が常より鈍くなったりすることもあるだろう。
何か発熱を伴うような薬剤を酒に混ぜられていて、それが多少味のあるものであっても、気づかない可能性は十分にありそうだ。
問題は、いつ混入され、誰がそれをしたのか、ということだ。
笑みを引き、レフは口を開いた。
「置いてあるグラスに、何かを入れられたりってことはないかな?」
「あり得るね。一度も席を立たなかったわけじゃないから、目を離したときに入れられてても分からない。むしろ、そっちの方が怪しいと思ってるよ」
「お酌じゃなくて?」
「うん。お酌はボトルから直接注ぐ人が殆どだけど、もしボトルに薬を混入させてたら、そのお酒を注がれた他の人も熱を出すと思わない?」
「あっ……」
「ね? お酌した人の容疑がこれで晴れるわけじゃないけど、酌するときに薬も一緒に注ぐのは難しいと思うから、やっぱり僕がグラスを置いて離れたときにやられたのかな?って思うんだ。でなきゃ、グラスを取り替えられた、とかね」
「そっか〜、沢山人がいる中で起きたことだと、余程気にかけて見てないと、何を混ぜられたかも混ぜた人が誰かも分かんないね」
「そうだね。でもその時に何か一服盛られたんだろうと、僕は思ってるんだ」
頷き、レフもそれに同意した。
だが3年前の飲み会のとき怪しげな行動を取った人を今更探そうと言っても、それが難しいだろうことも理解できた。
ただ、その時にイヴァルが一服盛られた可能性があり、翌朝発熱して迷宮に入れなくなったという事実は重要だ。
「事件が起きたときに、イヴァルさんが迷宮にいると困る理由が何かある?」
「僕は闇系の魔法が得意なんだ。だから、ハンスが掛かったと言われてるソウルブレイカーを魔物が使えば直ぐに分かるし、僕自身がその魔法を使えるんだ」
イヴァルが犯人と目された理由がわかったと、レフは吐息を漏らした。
発熱したと迷宮に行くのを断っておいて、こっそり後をついて行き、ハンスに魔法を掛けて転移で戻る。
そうしたことを、目の前のイヴァルは、顔色一つ変えずにやりそうだ。
初対面のレフがそう思うのだから、シラー傭兵団の傭兵たちがイヴァルを疑うのも無理はない。
「僕がなぜ疑われているのか、これで察しはついたでしょう? でももう少し補足しておくね」
僅か眉を顰めたレフに一瞬だけ苦笑いして見せ、イヴァルはまたほんの少し表情を変えた。
今度はやや厳しい表情だ。
「この国の貴族は魔法に対する耐性を持っている人が多いのは知ってるかな? ハンスとウィルも例に漏れず、傭兵の中では耐性が高い方なんだ。だから、魔物のソウルブレイカーにかかる可能性は庶人に比べて低い。更に彼らは迷宮の深部に行くときは、必ず魔法耐性の高い術具を身に着けてた」
「じゃあ、イヴァルさんの魔法もかからないんじゃ?」
「それがね、僕の魔力は少し異質で人間には極端に効きやすい。ハンスが何度か「イヴァルの魔法だけは避けられない」って、当たり前のように口にしてたから、シラーの傭兵はみんなそれを知ってる。これで僕を疑う理由はハッキリしたでしょう?」
レフはイヴァルの説明にため息を吐いた。
「それだけ聞いたら、イヴァルさんを信じるのはすごく難しいね」
「うん。状況だけみれば、僕が一番怪しいと思うよ」
イヴァルはそう言って少し笑った。
「悪いけど、おいらもそう思う。でも、こんだけ怪しいのに、誰も何も言わなかったの? どっかに訴えられたりとか」
「何も証拠がないからね。僕がやったという証拠も、やっていないという証拠もない」
「やってない証拠かぁ。イヴァルさんは熱出して寝てたんでしょ? ずっと部屋にいたの? 誰か看病しに来たりしなかったの?」
「一人部屋だったから、現場不在の証明も出来ないんだ。お昼すぎにお腹が空いて部屋を出て、何か食べに行こうとしてたところに、ウィルたちが戻ってきた」
レフは我知らずきつく眉を寄せた。
そのとき、ウィルは大怪我をして戻ってきたと、先にイヴァルは言っていてた。
だが、魂は抜けたように呆けていて、傷の痛みすらわかっていなかったろう、とも。
目の前のイヴァルでないならば、誰かそんな酷いことをしたのだろう。
ハンスを狂わせ、ウィルを傷つけ、親友同士を殺し合わせるような真似をした者が本当にいるならば、絶対に許せないとレフは思う。
目の前のイヴァルではないならば、もう一度そう思って、レフは更に眉間のシワを深くして視線をうつむかせた。
イヴァルを信じなければ、情報の有料無料に関わらず、その情報そのものを信じることが出来なくなる。
「君が、僕を信じることが難しいのは、よく分かるよ」
レフは静かに紡がれたイヴァルの言葉に顔を上げた。
無表情ではあるか、イヴァルは思ったよりも強い目線でレフを見ている。
目が何かを訴えるというならば、この強い目線は何をレフに伝えているのだろう。
深い緑の瞳の奥を見透かすように真っ直ぐに見て、レフは一度強く息を吐いた。
「おいら、イヴァルさんを信じるよ」
「そう。君は勇敢だね」
「そういうんじゃないよ。そうじゃなくて……」
レフは困ったように首を傾げた。
上手く説明できないが、イヴァルは、もっと確実にハンスたちを死に至らしめる方法を持っているように思ったのだ。
極めて人間に良く効くという闇魔法の、その種類がどれほどあるのかレフは知らないが、直接死に至らしめるような魔法もあるだろう。
たとえそんな手がなかったとしても、イヴァルは自分が最も疑われる方法を好んで使うような、そんな阿呆にも見えない。
そして何よりも、信じると言い切ったレフの言葉を、イヴァルはとても喜んでくれたようなのだ。
柔らかい微笑みに、その感情が溢れている。
事故からの3年間、イヴァルは1人で周囲の疑いの眼に耐えていたのだと気づく。
「ありがとう。助かるよ」
そう言ったイヴァルの言葉に、嘘は全く感じられなかった。




