40.L アンナの心境
アンナは外出を諦めた代わりに、もっとリラとお喋りを続けることを選んだようだ。
2杯目のお茶をリラに勧めながら、アンナは笑顔を軽く傾げて問うた。
「リラは、どうして傭兵になったの?」
リラも首を傾げた。
友達には、自身の辛い過去を話してもいいのだろうか?
それとも、友達だからこそ、良くない話はすべきではないのだろうか?
友達など持ったことも、望んだこともなかったリラには、友達と何を話したらいいのかも分からなかった。
逡巡していると、少しだけアンナは申し訳無さそうに笑ったが、直ぐに明るい笑顔を取り戻した。
「私はね、本当は傭兵になろうなんて、思ってなかったの。でもちょっと、しつこい男の人がいてね。兄さんもウィルも居なくなったからなのか、その人が毎日家に来るようになって……。知らない人じゃないんだけど、少し怖くて、時々様子を見にきてくれてたニキータに相談したの」
「あ、それで、ニキータさんの、パーティに……」
「そうなの。ニキータもシラーを出ようと思ってるから、一緒に他の傭兵団で傭兵になろうって誘ってくれて。傭兵になれば団の寮に入れるし、面会も出来ないようにする、いい手があるからって」
「いい手? ですか?」
コクリと頷いたアンナは、少し悪戯した子供のような表情を乗せてリラの問いに答えた。
「兄さんの名前を出して、その妹の私も優秀な治癒師で、ニキータはその護衛を任されてる剣士って嘘ついてね、マリ団長に自分たちを高く売り込んだの。その上で、私を部外者には合わせないようにして下さいって頼んだの」
ああ、と思わず納得してリラは大きく頷いた。
ウィルがマリ傭兵団に入団した理由が、まさにそれだ。
「ニキータさん、頭いい……」
「そうね」
ふふふと、口の中で綺麗な笑い声を転がして、アンナは目を細めてリラを見た。
「リラに似合いそうな服とか、帽子とか、家に沢山あるんだけど……」
アンナは衣装持ちなのだろうか。
傭兵団の中で見かけるアンナは、いつもシンプルで飾り気のない装いをしている。
殆ど白一色のような印象を受ける服装が多く、確か、迷宮に行くときのローブも真っ白だった。
今日も白のワンピースだと、リラはそう思ってアンナを見る。
その視線に促されたように、アンナがまた口を開く。
「ほんとは、もっと家から持ち出したいものもあるんだけど、取りに行くのも怖くて……。たまに、その人からの手紙が家に放り込まれてるから、まだ家の方には行ってるみたいなの。」
「メンバーの皆さんに、護衛してもらうのは、ダメ……ですか?」
「今でも月に2、3回は迷宮の帰りに寄ってもらったりしてるんだけど、手紙の確認と戸締まりの確認するくらいにしてるの。荷物まで持ってくるってなると、時間が掛かっちゃってみんなに悪いでしょ?」
「あ、じゃあ、ニキータさんにだけ、ついてきてもらう、とかは……」
「それが出来ればいいんだけど、ニキータの先輩に当たる人だし、ニキータもその人が苦手みたいなの。だから私だけじゃなく、ニキータも逃げるような格好で此処に来ちゃったくらいだから、ニキータと一緒でも、万が一会っちゃったらと思うと、やっぱり、ちょっと怖いの」
「そうだったん、ですね……」
ニキータが真っ向から止めることができず、アンナを怯えさせるほど頻繁に訪問した傭兵とは、一体誰なのだろう。
アンナを女性として好いている男性なのだろうけれど、そんなにしつこくするのは、絶対に逆効果だとリラは思う。
恋人でもないのに一人暮らしの女性の家に何度も押しかけて来る男性を、全く怖がらない女性がいるはずが無い。
アンナの恐れを知った上で押しかけてきているのなら、それはそれでもっと怖いが。
そう思い、リラは少し身をすくめる。
ニキータの先輩というのだから、シラー傭兵団の傭兵なのだろう。
聞きたいという気持ちがある一方で、これ以上聞くのが怖いという気持ちも、同程度ある。
女性からすれば恐怖の対象でしかないその人を、これ以上知りたくない。
その気持が勝り、リラは口をつぐんだまま、アンナの次の言葉を待った。
アンナはまだ少し難しい顔をしたまま、首を傾げて言った。
「でも、そうして傭兵になってみたら、色々なことが、私が想像してたのと違っていて……」
「あ、私も、想像してたより、ずっと、怖くて。迷宮も、魔物も……」
「そうよね。傭兵になろうなんて思ったこともなかったから、初めて見た魔物も迷宮も本当に怖かったわ」
「はい。私も、怖かったです。でも、今は……」
ウィルが来てくれて、戦い方を教えてくれて、以前のように怖くはないのだと、そう言おうとしてリラは口をつぐんだ。
アンナに、ウィルの話をしてい良いものか分からない。
まだ、アンナがウィルをどう思っているか全く分からないのだ。
だが、途中で口を閉ざしたリラに、アンナは柔らかい笑顔を向けて小首を傾げた。
「今は、怖くなくなった?」
「あ、はい……」
「分かるわ。ウィルって見た目からして大きくて強そうだし、実際に強いものね」
「え?」
「兄さんがよく、ウィルに勝てねぇって、ブーブー文句言ってたわ」
アンナが明るい声で笑う。
やっぱりアンナはウィルを悪く思っていない。
アンナの明るい声に背を押されるように、リラは頷いた。
「リーダーは、教えるのも、とても、上手です」
「あら、そうなの?」
「はい!」
力いっぱい返事をしながら、リラはまた、アンナがウィルに治癒を教えてもらえればいいと思っていた。
だが、そこまではまだ難しいかも知れない。
アンナは少し表情を曇らせると、リラから視線を手元のカップに落とした。
「ウィルに、謝らなきゃって、思うんだけど……」
言いよどむ言葉が先を紡ぐのを辛抱強く待ちながら、リラも少しうつ向いて綺麗なティーカップを見る。
こんな小物に至るまで、繊細で美しいことにリラは感心する。
そして、アンナには美しいものが本当によく似合うと思いながら顔を上げる。
アンナに視線を戻すと、アンナもリラに目を戻して苦笑いした。
「私がこの間、ウィルを叩いちゃったの、知ってるでしょう?」
「あ、はい」
「叩こうって、思ってたんじゃないの。帰ってきてるって知らなくて、いきなり目の前にいたからビックリしちゃったの。それに、3年前からずっと、置いていかれたように思ってて、少しウィルのこと恨めしく思ってたから、それで、知らず知らずのうちに手が出ちゃったんだと思うわ」
悪さを告白する子供のように、少し慌てて言い訳するアンナに、思わずリラは笑みを漏らした。
「リーダーは、全然、怒ってなかった、です」
そう言って、リラはハッとした。
確かにウィルは叩かれたことを怒ってはいなかった。
だが、アンナに拒絶されたことには傷ついていたようだった。
そんなリラの表情の変化に、アンナは直ぐに気がついた。
苦笑いして、口を開く。
「でも、きっとウィルは傷ついたわよね。それでなくとも、ウィルは私が恨んでると思っているでしょう?」
「あっ、はい。多分……」
「そうよね。誤解を解かなきゃとは思っているんだけど、素直にウィルに会える自信が、まだ、ないの」
そう言ってまたうつ向き、膝の上に組んだアンナの手が、少し震えていることにリラは気づいた。
アンナはウィルを恨んでいないが、兄を失った悲しみや憎しみを、誰にぶつければいいのか分からないのだろう。
だから一番気安く、一番甘えられるウィルに怒りをぶつけてしまうことを、アンナは恐れているのではないだろうか。
「それにね、ウィルのこと、ちょっとは、怒ってるのよ?」
「置いてっちゃったから……ですか?」
「そう。私、兄さんを失った日、すごく悲しくて、誰かに抱きしめて欲しくて、ウィルを探したのに、居ないんだもの……」
やっぱりと、リラは納得して頷いた。
アンナはウィルを兄の仇として恨んだりはしていない。
それは間違いがない。
ただ、一番悲しく辛いときに、一緒にいてくれなかったことを少しだけ怒っているのだ。
だがそれも、本当に少し、なのだろう。
アンナはニコリとまた軽い笑みを浮かべた。
「それで私が誰に泣きついたか、分かる?」
「えっと……、ニキータさん?」
「まさか」
アンナは声を立てて笑った。
「あの頃は、そんなにニキータと親しくなかったし、他の人もそう」
「じゃあ、クライドさん?」
「え? クライドさん? どうして?」
「リーダーと、親しいみたい、だったから、ハンスさんとも、親しかったのかな?って思って……」
少し笑って、アンナは頷いた。
「確かにクライドさんは兄さんともウィルとも親しかったけど、私はあんまり話したことないの。それに後から聞いた話だと、あのときクライドさんもなんだか大変なことがあったみたいで、ニア・ハルマイルに居なかったらしいわ」
「あ、そうなんですね。じゃあ……誰に?」
「実はね、シラー団長に泣きついちゃったの。兄がよくしてもらってたし、親父みたいだ、なんて兄さんもウィルもよく話してたから、あのときまで私はあんまり面識がなかったのに、私もシラー団長がお父様みたいな気になっちゃって」
「さっき、クリスも、シラー団長は、すっごく良い人に見えたって、言ってました」
「あ、やっぱり。みんなそう思うのね」
本当に父親を褒められてでもいるかのように、アンナは嬉しそうに笑った。
しかし直ぐにまた表情を曇らせ、少し拗ねたような口調で言う。
「でもね、やっぱり私は、あのときウィルに居てほしかったの。あのときはウィルだって、きっと自分を保つだけでも一杯一杯だったろうって、頭では分かってるんだけど、私の我が儘なのもちゃんと分かってるんだけど、どうしても、恨めしく思ってしまうの」
「えっと、それは、直ぐに許さなくても、いいんじゃないかと、思います」
「え? そう? そうかしら?」
「許さなきゃって、思って、許すのって、辛いと、思うんです。すごく怒ってるのでも、嫌ってるのでも、ないなら、きっと自然に、許せちゃう日が来ると、思うんです。その方が、きっと、どっちも、いいような気が……」
目を丸くして、少し驚いたように見やってくるアンナの視線に、リラは慌てた。
生意気にも、年上の、命の恩人に意見してしまったと、そう思う焦りが口を開かせた。
「ご、ごめんなさい! よく、分からないのに、生意気なこと、言って!」
「どうして? どうして謝るの? ありがとうリラ。すごく気が楽になったわ」
満面の笑みで、アンナはリラの手を取った。
しなやかな指でそれを包みながら、更に礼を口にする。
「まだ心の準備が出来てないところにウィルが帰って来ちゃって、早く許してあげなきゃって、私、ちょっと焦ってたみたい。そう言ってくれて、本当にホッとしたわ。ウィルには可哀想だけど、もう少し、拗ねて怒ってることにするわ。ありがとうリラ」
アンナの安堵につられたように、リラもほっと息をつく。
やはりリラは、アンナにもウィルにも幸せになって欲しいと思う。
ならば、どちらかが無理をするような再会をしてほしくない。
お互いがお互いを思っているのに、傷つけ合うような再会はして欲しくないのだ。
だが、それならば、どんな形で二人は会えば良いのだろう。
同じ傭兵団の寮で寝起きしているのだから、偶然顔を合わせることが、今後もないとは限らない。
そうなれば、また気まずい思いをしかねない。
人付き合いに関しては全く自信のないリラには、再会の仕方などという難しいことは、考えても答えは出ない。
誰かに相談できないだろうか。
そう思った瞬間、直ぐに脳裏に浮かんだのは温厚なマークの顔だった
リラから見ると、優しいお父さんの見本のようなマークなら、何か良い方法を考えてくれるかも知れない。
二人を再会させる方法を考えるのは諦めて、リラは違うことに頭を巡らせた。
どうしても気になることが1つある。
アンナにつきまとっていたという傭兵のことだ。
マリ傭兵団で面会を断られ、その人は、アンナに会うのを諦めてくれたのだろうか。
まだアンナの家に手紙を放り込んだりしているというのだから、完全に諦めてはいないのだろう。
シラー傭兵団からマリ傭兵団に移籍してまでアンナに会おうとしてはいないようだが、いつその気になるか分からない。
そうならなくても、今後アンナと食事や買い物に出たときに、その人にばったり会ったら、どうやってアンナを守ればいいのだろう。
今のリラから見れば、誰かは分からぬその人は、魔物よりも怖い。
そんな不安が顔に出たのか、アンナが笑みを引き、リラの顔を覗き込んだ。
「ごめんね、リラ。私のことばかり話して、しかも心配ばっかり掛けてしまって……」
「い、いいんです! 私は今、殆ど悩むこともなくって……。なので、私でよかったら、お話とか、いくらでも、聞きます。だって……お友達、ですから」
「ありがとう、リラ……」
アンナは本当に嬉しそうに微笑み、リラに礼を言った。
リラの言葉を嬉しく思ってくれたのだと思うと、リラもとても嬉しくなった。
他人に喜んでもらえることが、これほど嬉しいことだと、リラは今まで知らなかった。
先に迷宮で食事を仲間に振る舞ったときも、美味しそうに食べてくれることに喜びを感じた。
でも今は、そのとき以上に嬉しい。
「私こそ、ありがとう、ございます。アンナさんの、お友達になれて、喜んでもらえて、私、とても、嬉しいです」
リラの途切れ途切れの礼の言葉に、アンナが満面の笑みで頷いた。




