31.C クリスとリラと錬金術の店
クリスは、態度に見せないように隠していたが、今日の外出を楽しみにしていた。
リラと出かけると決まった翌日は、しっかり稼ごうと、張り切って魔物を倒して歩いた。
その甲斐あって、地下1階での訓練中とはいえ、まとまった金を持って今日を迎えることができた。
別にリラに惚れてるってワケじゃない。
クリスは頭の中でそう呟く。
ただ単に、死にかけたリラを救ったときから、少しだけ、愛着のようなものが出来たのだ、と。
共に危険を乗り越えると、そこに愛情に似た感覚が生まれると聞いたことがあるから、多分それだ、と。
「マークは朝早く出ちまったし、ウィルたちも出かけたし、そろそろ俺たちも出るか?」
そんな風に声をかけるのも、別に特別なことでも、大したことでもない。
迷宮に行くわけでもないのにローブを着て、髪を一つに括ったリラが、衝立の向こうから顔を出す。
衝立は、部屋が決まるまでの間のリラのためにと、ウィルがアーロンの部屋から奪い取るように持ってきたものだ。
そんな気の利いたものは今までなかったのだが、リラはどうやって着替えていたのだろうか。
布団の中でゴソゴソと動いてたような気がするから、多分、その時に着替えていたのだろう。
だが今は、その衝立があったことに、クリスは心から感謝した。
二人きりのときにリラの着替えを待つなど、心臓によくない。
「今、行きます」
衝立を折りたたみ、リラがクリスの前に歩いてくる。
今までは、あまり手をかけた様子のなかった髪が、今日は綺麗に整えられて、ローブと同じような布で縛ってある。
そういえば、武具屋でローブを買った夜、丈が長すぎるとリラは裾を切り落とし、せっせと縫い物をしていた。
「その、髪を縛ってるの、ローブの切れ端か?」
クリスが問うと、リラは少し照れたように笑い、コクリと頷いた。
料理も上手で裁縫も上手なリラ。
こういう子のことを「良いお嫁さんになる」というのだろうとクリスは漠然と思った。
それにしても、改めてリラは無口だと思う。
話すことが苦手なのか、話し始めても、途切れ途切れに単語を並べるような話し方をすることもある。
女は総じてお饒舌りだと思っていたクリスから見ると、リラのように無口な少女は新鮮だ。
だが二人きりの時は間が持たない。
街の喧騒の中に出てもそれは変わらず、クリスは当たり障りのない疑問を口にする。
「アンナさんに、何を買ってくんだ?」
「お菓子を、買おうかと…。甘い物は、嫌いじゃないみたい、なので……」
「そうか。いいかもな」
リラは頷いた。
そしてまた口を閉ざす。
それでも、リラと街を歩いている今の状況を、クリスは結構いいんじゃないかと思っている。
何がいいのか分からないが、悪くない。
だが、何も話さないでいても良いものか。
デートなどという洒落た真似をしたことがないから分からないが、やはり男のほうが会話もリードするべきなのだろうか。
そう考え、クリスは慌てて頭を振った。
断じて、クリスはリラとデートをしている訳ではない。
荷物を持つために付いてきただけだ。
「クリス…? どうか、した?」
いきなり首を振ったことで、リラを驚かせてしまったらしい。
下から顔を覗き込まれ、クリスは益々慌ててそっぽを向いた。
今日のリラは、少し可愛すぎるのじゃないかと、苦虫を噛み潰したような顔を作りながら思う。
「アンナさんに会ったら、どうするんだ?」
「え? どうって……お礼を、言って……」
「あ、ああ、勿論、礼は言うだろうけど、ウィルの話をするのか?」
照れ隠しに、思いつくままに放った問いだったが、思いの外、リラは深刻な顔で黙り込んだ。
考え込んでいる、というよりは、悩んでいるように見える。
出会い頭にウィルの頬を叩いたときのアンナを思い出し、クリスは首を傾げた。
恋人など過去に一人もいなかったクリスだが、ウィルがまだアンナに未練があるのは見て明らかだ。
だがアンナは、全力で拒否するくらいにはウィルを恨んでいるように、クリスには思える。
アンナはそもそも被害者の遺族で、事情はどうあれウィルは加害者なのだ。
その事実は覆せない。
「男の頬を張飛ばして拒絶したくらいだから、恨んでるかも知れないもんな」
思ったことをそのままリラに告げると、リラは眉を寄せて首を大きくかしげた。
そんなリラの表情は珍しいと、クリスはまたリラのことを考えた。
怖いという感情以外を、今まであまり見たことがなかったが、最近は表情が割と豊かだ。
満面の笑みを見ることもあったし、泣き顔を見たこともあった。
そして、こんな難しい表情も。
「リラは、アンナさんがウィルの頬を張り飛ばすとこを見てないからなぁ」
「私、よく、分からないんだけど…、本当に恨んでいる人のことを、叩くだけで、すませられるのかな?」
「ん〜、俺なら、それじゃ済ませられないが、アンナさんには、他にやりようがないだろうし……」
「どうして、罵らなかったんだろう……。どうしてアンナさんは、逃げてしまったんでしょう?」
リラの問いに、少しクリスは驚いた。
恨みを晴らすのに、確かに頬を一つ叩くくらいでは気も済むまい。
それは分かるが、そういうことを思いつくような部分が、リラにあることに驚いたのだ。
リラは人を恨んだりすることなく、ただただ自分が悪かったのだと、自分の中に溜め込むタイプだと思っていた。
「リラは、マルセルを恨んでるか?」
「え? いえ、どうだろう……? アンナさんや、リーダーに会えたので、恨んでは、いないと思います。でも……」
「でも?」
「あの人は、ひどい人だったんだと、思ってます」
その程度で許してしまうのかと、クリスは半ば呆れ、半ばリラらしいと納得もした。
「クリスは、マルセルさんのこと、恨んでるんですか?」
「恨むというか、人として、あいつのしたことは許せねぇと思ってるよ? まあ、俺がリラだったら、絶対に許さないけどな」
「私、もうあの方と、関わりたくないです。恨みとか、怒りとか、そういう感情ででも、繋がっていたくないです」
その言葉から、リラがマルセルと顔を合わせるのも嫌なほど、マルセルを厭わしく思っているのだと知れた。
むしろ恨んでいると言葉に出すよりも、ずっと、その根は深いように感じられ、クリスは内心驚いた。
僅か目を見開いてリラを見下ろしていると、ふと思い出したという様子でリラがクリスを見上げた。
「あの人のことは、思い出したくもないけど、一つだけ、気になってることが……」
「なに?」
「私の、手荒れを治してくれたときのこと、覚えてますか?」
「ああ、覚えてる。ぼんやり手元が光ってて、なにやら雰囲気があると思って見てたからな」
「あれは、回復魔法だったんじゃないかって、思うんです」
「あ、そうか、ウィルが治癒してるとき、別にどこも光ったりしねぇな」
レフとリラの治癒をするウィルを思い出し、クリスは首を傾げた。
リラはクリスの答えにこくこくと頷く。
「治癒を受けると、魂が触れるような、心が流れてくるような、全部じゃないんですけど、想いとか、分かるような気がするんです」
「心が通じ合うとか? そういう、感じか?」
「はい。お母さんのお腹の中って、こんな感じかなって、思うような。安心して微睡んで、でも、時々、お母さんの悲しさとか、嬉しさとか、愛おしさとか、自分のものじゃない感情が、耳に聞こえてくるような言葉じゃなくて、感覚で、流れ込んでくるような……」
夢でも見ているようにリラがいつもより饒舌になって語る言葉を、クリスは少し不思議に感じながら、少し苛立ちながら聞いた。
そんなに深いところで繋がった心に、外部にいるしか出来ない者は、どうやって手を伸ばせはいいというのか。
いささか不機嫌になり、クリスはリラから視線を沿道の店に反らした。
先日皆で訪れた武具の店、錬金術の店などが目に入る。
「昨日一昨日の魔晶石、あそこで売ったんだ」
リラが夢から覚めたようにハッとして、クリスが指さした方向に目を向ける。
シモンズ・アルケミーという看板は、文字も独特だったが看板の形も独特な、神秘的な感じのするもので、リラの注意と目を引くには十分だったようだ。
リラはウィルの治癒のことなど忘れた様子で瞳を輝かせた。
「あのお店、見てみてもいいですか?」
「ああ、いいけど、菓子はいいのか?」
「お菓子も、買うんですけど……。ちょっとだけ、私も、なにか、自分のものを買おうかと、思って…」
「ああ、それはいいな。リラは、自分のことを構わなさすぎだと思うぞ?」
不機嫌から立ち直り、クリスはリラに笑顔を向けた。
以前は怖がられてばかりだったのものが、最近怖がられないのは、クリスが笑顔でいることが増えたためかも知れないと、密かに思っていた。
好悪の感情は、笑顔の良し悪し、笑顔の多さに関わっているような気がするのだ。
ウィルは、あまり人を良い目で見ないクリスでさえ好感を抱くほどによく笑い、その笑顔の質も高いと、クリスは思う。
笑顔で怖さは隠せるのだと、クリスはウィルを見て知ったようなものだ。
リラに怖がられないように笑顔を保ちつつ、クリスは錬金術の店に歩を進めた。
魔晶石をウィルと売りに来た時にも思ったが、この店の女主人はそこそこ美人で少し色っぽい。
女性には低めの声は少しかすれ気味で、それもまた、彼女を色っぽいと感じさせる一因となっている。
男にモテそうな女だとクリスは思ったが、リラには関係がない。
ハンサムな男の店員などという邪魔者のいない、安心してリラを連れてこれる店だと思いながら、リラに目を向ける。
錬金術の店らしい珍しいものが並ぶ店内で、リラは目をキラキラと輝かせて物品棚を次々と見ている。
その一つで、リラは歩を止め、目を留めた。
「あら、お嬢さん、お目が高いわね」
色っぽい店主が、真っ赤な唇を僅かに開けて掠れ声で笑った。
リラに歩み寄り、リラが目を留めた髪留めを手にして、簡単にリラの髪に留める。
「これは、男性を魅了する魔力が込められた髪留めなのよ」
驚いたようにリラが顔を上げ、店主を見ると、店主はクスクスと笑った。
「冗談よ。人の心を操るような魔道具なんてないわ。だいたい、そんな魔法を使えるのもごく少数だもの」
「えっ? 少数でも、いる、んですか?」
「さあ、人間にはいなかも知れないわね。でも迷宮には、そういう魔法を使う魔族がいるそうよ。あなたも傭兵なら、気をつけてね」
リラにウィンクした店主の色香はともかく、クリスは彼女の言った魔物のことに気を取られた。
ハンス・ルシアーナの精神を錯乱させたという魔法、ソウルブレイカー。
それを放つ魔物だか魔族だかを、クリスはまだ見たことがないが、どうやら本当に実在するらしい。
同時に疑問に思う。
そんなものが出る下層を、どうやってウィルたちは攻略していたのだろう。
ハンスは何故、3年前のあの日に限って、そんな魔法に掛かったのだろう。
それ以前は、地下20階にまで行く道程で何度も通っただろう地下16階を、どうやってやり過ごしていたのだろう。
おかしい、とクリスは思った。
地下1階で訓練を繰り返すような慎重なパーティが、そんな危険な魔法の対策を取らずにいたとは思えない。
常に隊列を維持して戦い、様々な戦況に対応できるよう幾度となく試行錯誤もしただろうパーティが、危険に対する備えをしない筈がない。
膨らんだ疑念に頭が一杯になり、クリスはリラと錬金術の店にいることも忘れて、深く眉根を寄せた。




