29.L リラの意志
ウィルとレフの話を聞きながら、リラはアンナのことをずっと考えていた。
リラとレフの傷をきちんと治せなかったことを気にして、様子を見に来てくれたくらい、アンナは心優しく責任感の強い人だと思う。
その人が、経験はともかく単なる訓練不足から辛い思いをするところを、リラも見たくないと思った。
ウィルとアンナの仲が戻り、アンナもウィルに治癒を教えてもらえればいいのにと、願わずにはいられない。
ウィルもきっと、自分が教えたいと思っているに違いない。
それが出来ないもどかしさに、ウィルはあんな表情をしているのだとリラは思った。
二人の関係を元に戻すのは、やはり難しいことなのだろうか。
アンナは今、どんな気持ちでいるのだろうか。
ウィルを拒絶して、頬まで叩いたというアンナの気持ちを、リラは想像してみる。
大切な兄を大切な人に殺されて、どれほど辛く、どれほど悲しかったことだろう。
その思いは想像できないほどに、重く深いに違いない。
そんなときに、ウィルは1人去ってしまった。
もし、兄を殺したという理由からウィルを恨んだのなら、その顔を見ずに済んだのは良かったかも知れない。
だがもし、兄の死は事故で仕方がなかったと考えていたらどうだろう。
狂気を発していたとはいえ、ハンスも他のメンバーを2人も殺めたのだ。
そして3人目のニキータに狂刃を振るおうとしたのだ。
ニキータを庇ったために兄が殺されることになったとしたら、ニキータのこともまた、恨みに思いはしないだろうか?
だが実際には、アンナはニキータのパーテイにいる。
アンナは、ウィルが狂った兄を止めてくれたと、そう思ったのではないだろうか。
もしそうであれば、アンナはウィルを恨みはしなかったろう。
むしろ共に哀しみを分かち合う相手として、アンナがウィルを求めるのは自然なことではないだろうか。
だがウィルは、哀しみにくれるアンナを残して、1人で学術院に行ってしまった。
アンナはウィルに見捨てられたと思っているのではないだろうか。
むしろ、ハンスに怪我を負わされ、右手で剣を握れなくなったというウィルが、ハンスを恨んだと誤解してはいないだろうか。
ウィルはアンナに恨まれている若しくは嫌われていると、そう思い込んでいるようだが、もしかしたら、アンナもそう思い込んでいるのではないだろうか。
そんなことを真剣に考えて、ぼんやりしていたリラは、自分の名前を呼ぶ声にハッとした。
思ったよりも近くから聞こえた声に、リラは驚いて目を向ける。
「大丈夫か? 疲れたんじゃないのか?」
本当に、思った以上に近くにクリスの顔があり、リラは慌てて首を振り、無意識にクリスとの間に距離を開けた。
クリスがその様子を苦笑いして見て、肩をすくめて口を開いた。
「ぼんやりしてると、リラの分前も俺がもらっちまうぞ」
「え? わけ、まえ??」
「やっぱり聞いてなかったな」
笑いながらクリスが言う。
実際、リラは皆の話を何も聞いていなかった。
思わず恥じて顔を伏せると、クリスがリラの頭に手を伸ばした。
ウィルがよくやるように、緩く優しく、ポンと一つ、頭を撫でるように叩く。
思わず顔を上げると、少し照れた様子でクリスはもうリラを見てはいなかった。
「リーダー、リラが話聞いてなかったみたいだから、もう一度説明してやってくれ」
「ん、分かった。リラ、そんなに離れてないで、もっとこっちおいで」
コクコクと頷いて、リラは急いでウィルの手招きに応じて移動した。
クリスの顔がまともに見られない。
聞いていなかったことが恥ずかしいのか、クリスに頭を撫でられたことが恥ずかしいのか、よく分からないが、ただただ、頬が熱いことがリラの気持ちを焦らせた。
そんなリラの様子を少し笑ったウィルが、しかしそのことには触れずに口を開いた。
「これからは、迷宮で得た戦果は、例外なく全て6等分するって話をしてたんだ」
「え? 6等分?」
「うん。全員で均等に分けて、もう1人分はパーテイの貯蓄にするんだ。それで今日みたいに夕飯を買ったり、パーテイで必要なアイテムを買ったりする」
「あ、そうじゃなくて…」
リラは、今日は初めてみんなの役に立てる働きが出来たと、それだけで満足していた。
だから一人前の傭兵のように一人分の報酬がもらえると聞かされても、すぐにはそのことが腑に落ちなかったのだ。
「私は、いつも、皆の役にたてなかったし、今日はいつもよりは、色々できたけど、ちゃんと報酬貰うのは、何か、違うような…」
言葉に詰まりながら話すリラを、ウィルは最後まで笑顔で待ってくれた。
そうしてその笑顔のまま、いつものようにリラの頭に手を伸ばして、一つポンと軽く叩く。
「今日は、俺は一匹も魔物を倒してないし、魔晶石もリラの半分しか採ってない。それでも一人分の報酬はちゃんともらうぞ?」
「だってリーダーは、私達を教えてくれて…」
「うん、そうだな。確かにパーティの中には色々な役割がある。だから一つだけ、大事なことを覚えてくれ」
ウィルはそう言って言葉を切ると、全員を見回してまたリラに視線を戻した。
「パーティは、全体で一つの答えを出せばいいんだ。どれほど強い魔物だろうと、弱々しいゴブリンだろうと、最終的に勝ちという答えが出ればいいんだ。誰がどれだけ働いたか、じゃない。そんなのは、その時々で違う。一つの戦闘に、このパーティが勝利したか否か、それが全てだ」
リラはウィルの言葉に目を丸くした。
目から鱗が落ちるという言葉が、これほどしっくりと腑に落ちたことはない。
「で、戦闘というのは、開始から終了後に戦利品を得るところまでが、一つのサイクルだ」
ウィルはそう言って笑うと、リラの両手を取って一人分の報酬を握らせた。
「これが、俺のパーティのやり方だ。嫌でも従って貰うぞ?」
リラは胸が一杯になるのを感じた。
両手に、今まで手にしたことのない額の報酬が載せられている。
今までは、本当に何も出来なかったのだから、貰えなくて当然だ。
だが、リラは今日、自ら戦い、自ら戦利品を得、ようやく傭兵のスタートラインに立ったのだ。
嬉し涙がまた溢れそうになるのを我慢して、リラは報酬を黙って見下ろした。
この報酬は、紛うことなくリラのものなのだ。
労働の対価として得られた、正当な報酬なのだ。
パーティメンバー5人のうちの、リラは1人なのだから。
そう、ウィルが言ってくれた。
今までただ足手まといでしかなかったリラに、それでも幾ばくかの報酬を渡してくれていたクリスやマークに、何かお礼をしたい。
年下なのに、いつもリラを気にかけてくれるレフにも、何か美味しいものをご馳走してあげたい。
また皆に、料理もしてあげたい。
でもその前に。
リラは顔を上げて真っ直ぐにウィルを見た。
「アンナさんは、何が、好きですか?」
「え? アンナ?」
「はい。私、アンナさんに、命を助けられたのに、まだちゃんと、お礼を出来てなくて…。お金ができたら、お礼、したかったんです」
アンナがウィルをどう思っているか知りたいと、リラは思う。
アンナと仲良くなって話を聞くことができたら、二人を会わせることも出来るのではないかと思う。
だがその前に、礼をするのが当たり前だし、それが正しい順序だ。
「俺のせいで、アンナには会えないかも知れないが…」
「それでも、アンナさんの部屋に、私、行きたいです。会ってもらえなくても、ちゃんと、お礼の気持ちを、伝えたいんです」
生きていて良かったと、ずっと思っていた。
死んだほうが良かったのではないかと思ったのが嘘のように、今は生きていることに感謝している。
だからリラは、絶対にアンナに礼を言わなくてはならない。
視線をそらさずリラが見守る中で、ウィルは軽く目を閉じた。
少し考えるように首をひねり、やがて目を開きながらやや寂しい笑顔で言った。
「リラが、贈りたいと思うものを持っていくといい」
「でも、好きなものがあるなら、その方が…」
「いや、俺から好きなものを聞いたと分かれば、アンナは却って受け取らないだろう」
そこまで少し陰りのある笑顔で言って、不意にウィルは笑顔の影を取り去った。
「アンナはああ見えて、かなりの意地っ張りだから」
ウィルがようやく明るく笑う。
「でも、嫌いなものは教えてやろうな。食い物の好き嫌いが多いから、知らずに嫌いなものを持ってくとアンナの口に入らずに、あのクソ生意気なメンバー共に食われちまうだろからな」
あのアンナが、子供のように食べ物に好き嫌いをして、嫌いなものをメンバーに押し付ける姿を想像し、思わずリラは笑った。




