02.L リラ・マーシュ
リラは新しく配属されたリーダーの視線から外れるよう、部屋の隅に身を寄せていた。
身分のある者、力のある者、威圧感のある者、背の高い者、体の大きな者、リラはそうした条件を満たすことの多い男性全般に恐れを抱いていた。
新任のリーダーは、アーロンの紹介にもあったが、身分の高い者であることが言葉の端々や態度などにも現れていた。
だが背丈は他を圧するほど大きくはない。細身の体は優雅だが力もあまりなさそうに見える。
威圧感は身分あるものに備わる自然なもので、軍人やベテランの傭兵が持つような他を萎縮させるようなものでは無い。
新しいリーダーは、それほど怖くないかも知れない。
だが新リーダーは、リラが迷宮では全く役に立たないと知ったら、クリスのように不機嫌に眉を寄せ、上から蔑むような目でリラを見て、出ていけと言うかも知れない。
リラはクリスが少し怖かった。いつも不機嫌に眉を寄せている。
リラが役に立たないからと怒鳴ったり手を上げたりはしないが、あまり愉快には思われていないだろう。
リラに話しかけることはまずないし、あまりリラを見もしない。
だがパーティを出ていけとは、まだ言われたことはない。
リラには、帰ることのできる場所がない。
帰ればどんな目にあうことか、怖くて家には帰れない。
3ヶ月ほど前、ほんの僅かな魔力と辛うじて使える火の魔法だけを持って、リラは傭兵団に逃げ込んできたのだ。
リラは下級貴族の生まれだったが出生と同時に母を無くし、後妻となった継母や一年違いで生まれた腹違いの妹に、物心がついたときには下女のような扱いを受けていた。
父親もリラを実の娘と見ていなかったのか、満足な衣食をリラに与えることはなく、時には暴力を振るうこともあった。
それどころか、3ヶ月前にはリラを娼館に売ろうとした。
満足な教育を受けたこともなく外に出ることも自由に出来なかったリラは、知識も常識も人並み以下だが、娼館が何であるかは辛うじて知っていた。
男性使用人たちの話を漏れ聞いたことがあったのだ。
だからリラは逃げた。
逃げて、彷徨って、行き着いた先が傭兵団だった。
「おや?」
直ぐ間近で聞こえた聞き慣れぬ声に、リラは驚いて顔を上げた。
追い出されれば行き場のない自身の身の上を詮無くも嘆いていて、新しい人が二人も入ってきたことを忘れていた。
顔を覗き込むように背を曲げてリラを見ていたのは、新しいリーダーのマルセルだった。
「傭兵には女性もいるとは聞き及んでいたが、こんなに可愛らしい女性がいるとは意外だった。君、名前は?」
紳士的な態度と物静かな笑み。
リラはほっと息を付いた。
やはりリーダーは怖い人ではない。
「リラ…です」
「リラ……。美しい名前だ。君は魔術師かな?」
「あ…はい。とても弱いですが、ほんの少しだけ、魔法が使えます」
「弱いことは気にしなくていい。そのために僕がいると思ってくれても構わないよ。レディを守るのは紳士の努めだからね」
ニコリと笑ってマルセルはリラに手を差し出した。
その意味が分からずリラは首をひねった。
握手、だろうか?
差し出された手を見下ろすだけのリラに焦れたのか、マルセルは強引にリラの手を自分の手に重ねて軽く握った。
だが直ぐに何かに気づいた様子で握手の手をほどき、リラの手をシゲシゲと眺める。
「ずいぶん荒れているね。まるで下女の手のようだ。だがまあ、傭兵は男性が多いだろうから、女性はメイドのような仕事もあるのだろう? 可哀想に。この程度の手荒れなら直ぐに治してあげよう」
リラが口を挟むまもなく、マルセルはリラの両手を自身の手で包み込み、ゆっくりと目を閉じた。
マルセルの手がぼんやりと淡い光を放ち、神聖な儀式を行うような厳かな空気がマルセルを包む。
貴族の令息が、リラのような惨めな小娘の手荒れのために、貴重な治癒術を駆使してくれている。
その事実はリラを感動させた。
治療に掛かった時間は、ほんの僅かだったろう。
リラの感動が冷めやらぬうちにそれは終わり、マルセルは軽く息を吐き出しながら目を開いた。
「どうかな? 荒れていたのが嘘のように綺麗になったろう?」
それは本当に見事なまでの変わりようだった。
手荒れのない日など1日たりとも思い出せないリラの目に、治癒を施された手はまるで別人の手のように美しく映った。
「なんて、お礼を言えばいいのか…」
「いいんだよ。君はもう私のパーティの一員だ。それに、紳士がレディに尽くすのは当然だ」
驚くほど親切なマルセルを、リラは尊崇の眼差しで見上げた。
こういう人を紳士というのだと、リラは初めて真の紳士という者を知った感動に、小さく体を震わせた。
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名前:リラ・マーシュ 【L:Lira】
年齢:16
性別:女性
呼名:リラ
貧乏貴族の長女として生まれ育った。
少し魔法が使えるが、魔力が強いわけでも魔法の知識があるわけでもない。
リラのことは下女程度にしか思っていない父親と、贅沢三昧で我儘な継母と義妹がいる。
物心ついた頃から下女のように扱われていてたが、娼館に売られそうになり、さすがに逃げ出してきた。
教育はまともに受けていないため字は辛うじて読める程度で、計算は買い物に困らぬよう足し引きだけは教えられた。