22.W ニキータ
忘れていたわけでは決して無い。
むしろ、忘れようとて忘れられるような相手でもない。
彼女に再会するためにマリ傭兵団に入団したのだから。
「アンナ……」
マリ傭兵団の玄関口で、出てくるアンナと入ろうとしていたウィルは、唐突に再会した。
敢えて訪ねたのではなく日常の流れの中でアンナと再会したウィルには、僅かながらの心構えもなかった。
だがそれは、アンナも同様だったのだろう。
ウィルがアンナの名前だけを呟いて立ち尽くしたように、アンナもまた、わずか目を見開いただけで暫し呆然と立ち尽くした。
立ち直ったのは僅かウィルが先だった。
会話を交わすに相応しい距離までアンナに歩み寄る。
そうして、もう一度名前を呼ぶべく口を開きかけたそのとき、アンナも我に返ったように立ち直った。
パーン!
乾いた音と共に、ウィルは頬に衝撃を感じた。
瞬時に、アンナに頬を叩かれたのだと理解する。
衝撃に傾いた顔はそのままに、目線だけを僅かに動かしてアンナを見る。
唇を噛み締め、全身を小さく震わせ、強い目線で睨みつけてくるアンナと目が合う。
「アンナ」
無意識に名前を呼び、無意識に手を伸ばす。
涙をこらえる時のアンナは、時に血が出るまで唇を噛んでしまうことを、ウィルはよく知っている。
泣き虫のくせに涙を我慢するアンナの負けず嫌いは、出会った頃から変わらない。
自然に伸ばした手がアンナの唇に届く刹那、今度は手を払われた。
ウィルとアンナの関係はすっかり変わってしまった。
そのことを、嫌が上にも思いしる。
かつて二人の間にあった親密さは過去に押しやられ、お天気の話すらも出来そうにない。
「すまなかった」
謝罪を受けいれて欲しかったのでも、受け入れてもらえると自惚れたわけでもなかった。
ただ他に、言葉を見つけられなかったのだ。
だがアンナはその言葉に更に唇を強く噛み、一瞬間、ギュッと目を閉じた。
そしてその目を開いたと同時に、アンナは身を翻して駆け出した。
ウィルは殆ど条件反射のようにアンナに手を伸ばした。
だがその手がアンナに届く前に、横合いから伸びた第三者の手がウィルの手を掴んだ。
アンナが踵を返すまで、ウィルとアンナは二人きりでいるような錯覚に陥っていた。
だかウィルの側にはクリスとマークがおり、アンナの側にはニキータパーテイのメンバーが居たのだ。
その中から、ニキータがウィルの眼前に進み出た。
ウィルの手を掴んでいた男も、ニキータに制されて直ぐに手を離して後ろに一歩下がる。
先に、ニキータが言った。
「お久しぶりですウィルさん」
「ああ、久しぶりだ。元気か?」
「ウィルさんのお陰で、変わらず傭兵を続けてます」
「パーティリーダーになったそうだな」
コクリと頷いたニキータは、ウィルの記憶が確かならば、今は21歳になる筈だ。
背丈はあまり変わったようには見えないが、身体は一回り大きくなった。
そして、随分と雰囲気が大人びた。
「パーティリーダーとしてお願いがあります」
そう言いながらウィルを見る目には僅かな敵意が認められ、ウィルは苦笑いした。
三年前にはまだほんの駆け出しで、幼い子供のように無邪気だったニキータが、随分と立派になったものだと思う。
「アンナに近づかないで下さい」
パーティメンバーを守ろうとしているのだろうことは想像に難くない。
「アンナ……か。偉くなったな、ニキータ」
「茶化さないで下さい。貴方こそ、いつまでアンナを呼び捨てにするつもりですか? アンナにあんなことをしておいて……」
「ハンスを斬ったことを言ってるのか?」
「あ、いえ、それは……」
口ごもって視線を逸したニキータを、3年前、ハンスの剣から守ったのはウィルだった。
その時の光景は、月日を重ねてもまだウィルの脳裏から消えない。
白刃がニキータに振り下ろされる。
二人の間に滑り込み、その白刃を受ける。
目の前に、狂気を発して別人のように凶悪な目をしたハンスの顔がある。
ハンスの名を呼び正気を促すが、その間も、間髪で受けたハンスの剣はジリジリとウィルに迫る。
切っ先がウィルの肩に届き、少しずつ肉に食い込んでくる。
苦痛に思わず顔が歪む。
それを見たハンスの狂った目に、ほんの僅かに灯る光。
ハンスの目から涙がこぼれて、ニキータを背に庇いながら体勢を崩していたウィルに落ちる。
耳に、ハンスの声が2つの言葉を告げた。
その言葉の意味に気を取られかけたウィルの名を、ニキータが鋭い声で呼んだ。
現実に引き戻され、ウィルはため息を吐く。
ニキータは尚もアンナに構うなと喚いていたようだが、ウィルは軽く首を振ってその申し入れを拒絶した。
「アンナに、落ち着いたら話がしたいと伝えてくれ」
「もうアンナは放って置いて下さい! 最近ようやく笑顔が見られるようになったばかりなんです!」
「メンバーが誰と話すか決めるのはリーダーの役目じゃない。お前は伝えてくれればいい」
「そんなことはわかってます! でも今更なんの話があるって言うんですか!? 放っといて下さいよ!」
首を大きく振って、ニキータは言葉を切ると鼻息も荒くウィルを睨みつけた。
深呼吸を繰り返して息を整え、やがてため息を一つ吐き出す。
ウィルを睨む剣呑な光も薄れた。
「ウィルさんに助けられて、今の俺があります。だから、ウィルさんの頼みは断りたくない。でも、ようやく落ち着いて、傭兵としても名が揚がってきて、治癒師としても信頼感が出てきたアンナに、今は傭兵業に専念してほしいんです。辛いことは忘れて、気楽に過ごしてほしいんです」
「同感だよニキータ。俺だってそう思う。ハンスのことも俺のことも、いっそ忘れて暮らせるなら、そうして欲しいよ」
「じゃあなんで!」
「アンナと話さなきゃいけないことがあるんだ」
「アンナにはありません」
「そうだろうな。それでも、アンナに話さなきゃならないことがある」
ウィルが食い下がるとニキータは苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。
またため息を吐く。
「何の話がしたいんですか? 伝えるなら、その話自体を伝えます」
「お前に話す気はない」
埒のあかないニキータとの会話に、ウィルは苛立ちを感じ始めた。
口には出さないものの、アンナと呼び捨てにするその態度も腹立たしいのだ。
「それじゃあ、伝えられません」
フンと鼻を鳴らしてそっぽを向いたニキータに、一歩詰め寄る。
その耳元に身を屈め、低い声で恫喝する。
「いい加減にしろニキータ。俺にアンナの部屋のドアを壊されたくなかったら、大人しくアンナに伝えろ」
「……何を…」
「落ち着いたら時間をくれと伝えてくれればいい」
「…詫びを?」
「詫びは、いずれこの命で贖う。その前に、アンナと話がしたい」
ニキータが目を瞠ってウィルを見た。
そのポカンと虚脱した表情は、かつて見慣れたニキータと被る。
身を起こしながら、思わずウィルは笑った。
「大分大人になったと思ったが、変わらねぇなぁ、ニキータ」
笑いながら、数歩下がって肩をすくめる。
「しつこくして悪かったな。だがこれだけは譲れない。だから少しでも俺に恩を感じてるなら、ちゃんとアンナに伝えてくれ」
「……分かりました」
「うん、頼む」
ニキータに頷いてみせ、ウィルは直ぐにニキータからニキータのパーティメンバーに目を移す。
「騒がせたな」
「いえ…」
メンバーの一人が、幾らか不貞腐れた様子ながらも曖昧な会釈と共に答えた。
それを苦笑いして見やり、ウィルはクリスとマークを振り返った。
案ずる様子の二人の表情に少し心を和ませて、ウィルは肩をすくめて苦笑いした。
「二人が待ってるだろうから、戻ろう」
何も聞かずに頷いて、気遣うような笑みを返してくれるクリスとマークに、内心深く感謝する。
そして、今頃はお菓子を頬張って満面に笑みを溢れさせているだろうレフとリラを思えば、ザラついた心も和む。
ニキータが伝えたところでアンナが会ってくれるとは限らない。
それでもウィルはアンナに会いたいと思い、その声を聞きたいと願う。
たとえ嫌われ、憎まれ、恨まれても。
アンナに伝えなければならないことがある。
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名前:ニキータ・コーエン
年齢:21
性別:男性
呼名:ニキータ
17歳のときに傭兵に憧れて故郷を離れ、ニア・ハルマイルにやってきた。
実家は農業を営んでいて、帰郷すると今でもたっぷり野菜を持たされる。
シラー傭兵団では『ニキータを家に帰すと、しばらくメンバーが菜食になる』
などとからかわれていたが、当時は最年少であったため皆に可愛がられていた。
3年前の事故のときには、ハンスに殺されかけたところをウィルに助けられている。
ウィルのことは以前から先輩として慕っているし、恩も感じているが、
マリ傭兵団で築いた地位と名声を守りたいと願うあまり、矜持が高くなっている。
パーティメンバーに甘く見られないために、多少傲岸に振る舞うときもある。




