21.M 訓練階
訓練階
誰がそう言い出したのか定かではないが、その呼び方は10年くらい前から聞こえてきたような気がすると、マークはクリスとウィルが真剣に言い合うのを聞きながら記憶の底を探っていた。
「1階は幾らなんでも、俺達のことを軽く見過ぎだ。リーダー、あんた俺たちをそこまで能無しだと思ってたのか?」
「なんで1階に行くと能無しなんだ?」
「当たり前だろ! 上層階も上層階、駆け出しだって3日で行かなくなるような、子供の遊び場みたいな場所じゃねぇか!」
クリスが苛立つのも分からなくはないが、それでもマークがまだ若い頃は、上層階だけを徘徊するパーテイも存在していた。
クリスの言うように、戦いに慣れた傭兵にとって、地下1階など子供の遊び場のように安全だ。
だからこそ、安全確実に魔物を狩りながら、売却できるアイテムなどをかき集めるパーティもあったのだ。
新人の育成や鍛錬のために上層階を利用するパーテイも、今よりもずっと多かった。
そのために、いつしか訓練階などと呼ばれるようになったのかも知れない。
それがやがて、訓練階をうろつく傭兵を馬鹿にする者が出て来ると、様相は一変した。
傭兵たちの中で、下層階を目指すことが強さの証のような風潮が出来上がり、上層階を利用する傭兵は物笑いの種にされるようになった。
ウィルもそれを知らぬ訳ではないだろう。
だがウィルは、クリスの言葉に軽く首を振った。
「そう言うな。お前から見ればただのガキの遊び場にしか見えないだろうが、迷宮での戦い方が身についてないリラやレフには、1階だって危険なくらいだ」
「それは、そうかも知れないけど……」
「新人が入ってくれば、例え今までは15階だ20階だと息巻いてても、また1階に戻って戦い方を指導したり、自分たちも訓練したりする。それが仲間を守る一番の方法だと思うし、俺たちはずっとそうやってきた」
クリスもウィルの言には随分と驚いたようだが、マークも驚いた。
正直、ここまでルシアーナパーティが慎重であったとは思ってもみなかったのだ。
全傭兵たちの中で、唯一地下20階にまで到達したパーテイのサブリーダーだった男が、多くの傭兵が馬鹿にする地下1階に新人育成のために戻るのだと言う。
誰がそこまでの慎重さを予測し得ただろう。
クリスもその慎重な意見に納得はしたようだが、それでも諦めきれぬ様子で眉をしかめた。
「でもよ、それでなくとも無能扱いされてる俺たちが、益々バカにされることになるんだぜ?」
「バカにされたからって死ぬわけでも怪我するでもないだろ? 名誉は多少傷つくかも知れないが、そんなものはいつでも取り返せる」
ウィルはウィルで名誉や栄誉が分からなぬわけでもないようだが…。
マークは二人のやり取りを、今では興味深く見守った。
「取り返せる? そもそも、そんな簡単に名前が揚がるんなら誰も苦労しやしねぇ」
「名を揚げたいのか? 名を揚げるのと名誉を取り返すのじゃ、やることが全く違ってくるぞ」
「……いや、どうせ今も、大した名なんてねぇし、ホントは馬鹿にされんのが我慢ならねぇだけだけど……」
クリスはともかく、マークは人に馬鹿にされたくらいで怒り出したり、己の名誉なども考えないほうだ。
多少馬鹿にされようとも、能無しと罵られようと、家族を養えるだけ稼げればいい。
だから二人の勝負の軍配はできればウィルに上げたいと思いつつ、クリスの気持ちも汲んでやりたい。
ウィルも、同じような気持ちでいるのかも知れない。
急にクリスを褒める方向に話を変えてきた。
「お前の実力ならそうだろうな。むしろ今のお前の評価が低すぎるんだと思う」
「まだ見てもいねぇのに、俺の実力なんて分からねぇだろ?」
「10階から生きて帰ってきたじゃないか。しかも、まともに戦ったのはマークと2人か? それとも、マルセルもちったぁ役に立ったのか?」
「マルセルが護衛を連れてた。少なくともそいつの腕は確かだった」
「でも最後には、お前とマークがリラとレフを守った」
「そりゃ、仲間を守るのは当たり前だし……」
「当たり前? そうか? 一人の剣士が人一人を守るのは、言うほど簡単じゃない。でもお前とマークはそれをした。実力のない傭兵には無理な芸当だ」
「そう、かな?」
クリスはすっかり照れたように鼻の頭をこすり、視線をフラフラと彷徨わせた。
その様子を可笑しく思いながら、マークはその視線をウィルに転じた。
ウィルはクリスの機嫌を取るつもりなのかと思ったのだが、どうもそんな意図はなく、ただ単に事実を述べているという感じがする。
更にウィルは言った。
「お前もマークも、他のパーティからの誘いがあってもおかしくない実力だと思うが?」
「いや、誘いが全くなかったわけじゃねぇんだけと…。マークも、あるだろ?」
初めてマークに話題が振られたが、マークは肩をすくめて苦笑いした。
若いクリスと違って、自ら引退を考えるような歳のマークを誘おうという者は、そうはいない。
適当に小首をかしげると、察したらしいウィルはマークに少し笑みを見せ、クリスに問いかけた。
「なんで誘いに乗らなかったんだ?」
それには少し逡巡する様子をみせ、やがてクリスも肩をすくめた。
「見捨てられないだろ?」
レフとリラを見捨てられない。
いつも不機嫌そうにしているばかりのクリスだが、根が優しいのだと、マークは薄っすらと笑みを浮かべた。
ウィルも柔らかく笑んで頷くと、軽くクリスの肩を叩いて言った。
「この話は、これで終いでいいな?」
「ああ、従うよリーダー。少々馬鹿にされても我慢する」
多少不貞腐れた様子はあるものの、クリスが折れてこの話は終わりかと思いきや、終いと言ったウィルがクリスの返事に笑った。
「我慢はしなくていいぞ? 馬鹿にするヤツがいたら街に戻ってからぶっ飛ばせばいい」
「えっ? 本気で言ってんのか?」
「ああ、もちろん本気だ。でも迷宮ではなしだ。馬鹿にされようが能無しと笑われようが、そのときは我慢してくれ」
最後には表情を引き締めたウィルに、マークは感心した。
ここまで迷宮を舐めない傭兵には初めて会った。
子供の遊び場などと言われるほど傭兵にとって安全な階層で、傭兵同士の喧嘩すらも止めるのだ。
迷宮では何が起こるか分からないということを、骨身に染み込ませ、頭の中にも叩き込んでいるのだろう。
大迷宮のたとえ地下1階であっても、舐めず、侮らず、常に警戒を怠らない。
これが、地下深い20階層にも辿り着いたパーテイの考え方なのかと思えば、さも有りなんという気もする。
だが、やり返すところはきっちりとやり返す。
そういうところは、いかにも若い傭兵らしいとマークは思い、忍び笑いを漏らした。
それには気づかず、ウィルは尚もクリスに笑顔で話す。
「馬鹿にしたヤツを覚えておいて、後で仕返しすればいい」
「仕返しはするのか……」
「するさ。街に戻ってぶん殴るんだ」
「嘘だろ?」
「いや、ほんとに」
ウィルが笑うのを呆れたように見やり、クリスはため息を吐いた。
「もしかして、名誉を取り返すって、即日って意味だったのか?」
「目当ての傭兵が直ぐに見つかれば即日殴って取り返したが、何日も掛けて探すのは面倒だから、見つからなかった連中は放置だな」
「見つからなかった連中は運がいいな」
「ハンスは喧嘩も強かったからな」
「ウィルも強いんだろ?」
「そりゃ、親友が喧嘩っ早かったからな。鍛えられて強くもなる」
クリスが笑い出し、ウィルと喧嘩のことを楽しそうに話すのを聞きながら、マークも笑みを浮かべた。
もう少し自分も若ければよかったと、今まではあまり考えたことのなかった歳のことを思う。
クリスは20歳、ウィルは28歳。
二人の中に混ざってはしゃぐには、マークは少し年を取りすぎた。
だが引退するのは、もう少し後でいいかも知れない。
マークは昨日の、引退しようという決意を取り下げるくらいには、彼らとの迷宮探索が楽しみになった。
貰ったばかりの剣の試し斬りもしたい。
実際には、地下1階をうろつく傭兵はほぼいないのだから、訓練をしていても馬鹿にしてくるような傭兵はそうはいない。
地下1階で他のパーティに会うとしたら、それこそ、彼らと同じように訓練を目的に来た者たちに、ほぼ限られる。
だから喧嘩の心配などは、恐らくは無用だろう。
そもそも迷宮入り口の、転移装置もしくは転移陣などと呼ばれる魔法陣は、地下5階、地下10階、地下15階と5階刻みに迷宮内部と繋がっている。
訓練階を抜けた先に行く傭兵たちは、わざわざ地下1階などを通り抜けはしないのだ。
迷宮から出るときは、魔法陣が一方通行であるために、帰還魔法や帰還のスクロールを使うのが一般的だが、まれに、歩きで戻ってくるパーティがないわけではない。
だが、他の階層から歩いて戻ってくる者たちに、訓練する傭兵たちをからかう余裕など有りはしない。
すでに魔物と戦ってきた後なのだ。
そう思考を巡らせて、マークはあることを思い出して少し眉をしかめた。
昨日マークはスクロールを使用して戻ったが、それは一度限りの使い切りだ。
出来ればまた帰還のスクロールを入手しておきたい。
今度は娘からのプレゼントなどという付加価値のない、惜しげもなく使えるものがいい。
そんなことを思いながら、マークはニア・ハルマイルの商店街に目を転じた。
何気なく何軒かの店を眺め渡し、武器屋の店先のクロスボウで目を留める。
レフに買っていってやろうかと思ったが、直ぐに思い直す。
レフ本人やリラも連れて皆で見に来た方が、きっと、レフを驚かせるより楽しいだろう。
レフの持ち金がおそらくは足りないだろうから、その時に援助してやればいい。
わずか2日ばかりの間に、仲間に対する思いが優しく深くなっていることに気づき、マークはこっそり苦笑いした。




