20.L 想い
リラはレフと連れ立って、真っ直ぐマリ傭兵団に戻ってきた。
狭く暗い廊下をレフの後ろから歩きながら、リラはお菓子が落ちないかと、何度も箱の中を確認した。
暗い廊下で茶色のチョコレートを落としたら、食べられなくなる前に見つからないかも知れない。
いつもよりも慎重に廊下を歩く。
レフもそうなのだろう。
部屋までの長い廊下を一気に駆け抜けることの多いレフが、今日は静かに歩いている。
その様子を直ぐ後ろから見やり、リラは知らず笑みを浮かべた。
その時、急にレフが足を止めた。
リラも慌てて立ち止まる。
レフにぶつかるところだったと思いながら、なぜレフが立ち止まったのかと前方に目を向ける。
リラたちが寝起きしている部屋の前に、ホッソリとした人影が佇んでいる。
リラは首を傾げ、呟くように独り言ちた。
「誰だろう?」
「アンナさんだ」
リラのつぶやきを聞き漏らさず、直ぐに答えたレフの声は、酷く緊張している。
リラも身を固くした。
リラもレフも、昨日迷宮から戻って直ぐに、アンナに治癒を受けている。
それで治りきらなかった傷が、今日、ウィルに大分癒やされた。
そのことを、アンナはどう捉えるだろう。
気を悪くはしないだろうか。
怒られはしないだろうか。
それよりもと、リラは自身を案じる思考を振り飛ばすように頭を振った。
アンナとウィルの間には、もっとずっと気がかりなことがある。
アンナに会いにこの傭兵団に来たというウィルだが、アンナの兄を斬殺したのもウィルなのだ。
それを、リラもレフも、もう知っている。
アンナにどう接すればいいのだろう。
それでなくとも、人と話すことなど苦手なリラは、すっかり臆して逃げ腰になった。
むしろこのままマリ傭兵団を飛び出して、ウィルたちを追ってシラー傭兵団まで行くべきだろうか。
しかし戸惑う二人に、先にアンナが気がついた。
「あ、良かった。帰ってきた」
明るい声でそう言いながら、アンナはまっすぐ二人の元へと歩み寄ってくる。
少し身を引いたレフが、リラに肩をぶつけ、弾かれたように振り向いた。
リラを見上げるその瞳に「どうしよう」と焦る様子がありありと表れている。
リラは唇を軽く噛みながら、レフと体を入れ替えて自ら前に出た。
レフは一番の年少だ。大人たちが誰もいないなら、リラがしっかりしなくてはいけない。
そうは思うが、噛んだ唇がピクピクと震える。
そうする間にも、アンナはもう目と鼻の先にまで歩を進め「まあ」と柔らかく感嘆の声を上げた。
昨日見た、長く綺麗な指を口もとに当て、リラの顔を凝視した。
そして直ぐに、昨日は見せなかった笑みを、美しい顔に浮かべて言った。
「良かった……。貴方達のところに新しいリーダーが来たと聞いて、それも治癒師だと団長が言っていたから、少し、心配だったの」
言いながらリラの顔に細く長い指先を伸ばし、リラの頬をそっと包んでまた微笑んだ。
「貴女の顔に傷が残ってしまったのが気になって……。でも本当に良かったわ。それと……」
リラの後ろを覗き込むようにアンナは半身を横に傾け、笑顔のまま更に言う。
「貴方も、見えるようになったのね?」
その問いに、レフがリラに並ぶように少し前に出てきた。
「あの、ありがとう。最初に、アンナさんが診てくれたから、だから……」
「ううん。私は貴方の目をどうすることも出来なかった。本当に、良い治癒師が来てくれて良かったわ」
「あの、その治癒師なんだけど……」
レフはそれがウィルであると告げるのだろうか。
告げたほうがいいのだろうか。
リラは判断がつかず、固唾を飲んでレフを見た。
だが、そのままレフはまた口を閉ざした。
レフもまた、自分がウィルのことをアンナに告げてよいのか迷っているのだろう。
「どうしたの? あまり、良い人じゃないの?」
「う、ううん。すごく、いい人だけど……」
「何か問題があるの?」
「う、う〜ん」
自分たちとウィルの間にはなんの問題もない。
だが、アンナとウイルの間はどうだろう。
アンナは、自分が先に治癒したリラやレフを、今日来たばかりの治癒師が治療したことに関して不快に思っている様子はない。
むしろ、二人の傷が昨日よりも良くなっていることを喜んでくれた。
だが、兄を斬殺したウィルを許しているかどうかは別問題だ。
好きで斬ったのではないとウィルは言ったし、斬ったことで今も苦しんでいることは、会ったばかりのリラが見てもわかる。
だが、家族を殺されたアンナはどうだろうか。
ウィルが苦しみ悲しんでも、それが家族を殺されたことを許す理由になるだろうか。
リラは家族との仲が極めて悪かった。
むしろ家族だと思われていなかっただろうし、リラも恐らく家族とは思っていなかった。
もし父や義母、義妹が誰かに殺されたと告げられても、リラは悲しむことが出来るか自信がない。
アンナはどうだろう。
兄と仲が良かったのだろうか。
アンナと名前を呼び捨てにしていたウィルとの関係は、どうだったのだろう。
親しかったのだろうか。
それとも、親友の妹と兄の友人、程度の仲だったのだろうか。
サラサラの金の髪、薄暗い廊下で見ても光り輝くような白い肌、薄紅色の唇から吐息と一緒に漏れる綺麗な声。
真剣にアンナを見つめ、リラは小さく頭を振った。
この女神のように美しい人は、ウィルの大切な人だったのではないだろうか。
こんなに美しい人がいつも側で微笑んでいたら、リラだって、この人が好きになってしまうだろう。
しかもこの人はとても優しい。
昨日は迷宮に行くのを諦めてまで治癒をしてくれたばかりか、今日はリラやレフの傷を案じて、わざわざ部屋を尋ねてくれた。
小首を綺麗に傾けて、レフとリラを交互に見る眼差しまで優しく美しい。
見惚れかけたリラの袖を、グイっとレフが急に引いた。
「あ、あのさ、アンナさん、本当に昨日はありがとう。それで、オイラたち、そろそろ部屋に入ろうかと思うんだけど……、ね、リラ!」
「う、うん」
急いで頷くリラを、一瞬アンナが驚いたような顔で見た。
そしてフワリと綺麗に微笑むと、アンナは言った。
「素敵な名前ね。私、リラの花って大好きなの」
ウィルに治癒を受けながら眠りに落ちたその直前に、ウィルから感じられた、切なくなるほど何かを愛おしむような感情。
その想いが行き着く先は、リラの花ではなく、目の前の美しい人に違いない。
それを確信したとき、何故か、リラの胸はチクリと傷んだ。




