16.L 涙の理由
パボが用意してくれたお菓子は、びっくりするほど美味しかった。
リラはそのお菓子の美味しさに、一瞬、負の感情を伴う全ての過去を忘れて目を輝かせた。
あまりの美味しさに、思わず両手で口を押さえる。
そうしなければ、感嘆の声が口から飛び出しそうだった。
テーブルのお菓子から顔をあげると、ちょうど目の前に座っていたレフと目があった。
レフもまた、見開いた目をキラキラと輝かせている。
レフの目が「美味しいね」と訴えているように見えて、リラは思わず二度、コクリコクリと頷いた。
そんなリラとレフの様子に気がついたのはクリスだった。
マークが地下10階であったことを冷静に話すのに任せ、クリスは酒を飲んでいたようだった。
だが、横目に二人の様子が映ったのだろう。
「美味いのか?」
小声でリラにともレフにともつかぬ問いを投げるのに、リラは素早くコクコクと頷いた。
美味しさに震える感情を、どうしても抑えることが出来ない。
ふぅん、と鼻を鳴らして、クリスが手を伸ばして菓子を1つ摘んで口に放り込んだ。
リラもレフも、期せずクリスの口元を見る。
パッとクリスの表情が一瞬で変わった。
いつになく大きく目を見開いた表情は、驚いた子供のように無邪気だ。
「うまいな」そうクリスの口が動いた。
リラはまたコクコクと忙しく頷いた。
このお菓子が食べられただけでも、生きていて良かったと思える。
もう1つ、大切に手に取って、少し眺めてそっと口に入れる。
蕩けるような甘さとほろ苦さが 口の中いっぱいに広がって、リラは喜びに身を震わせ目を閉じた。
こんなに美味しいものがこの世にあるとは、夢にも思ったことがなかった。
これは何というお菓子なんだろう。
もう1つ食べても、いいかな?
1つ口の中に溶け切ると、もう1つ欲しくなる。
その気持はレフも同じだったのだろう。
少なくなってきたお菓子を見つめ、もう1つ取るかどうかを迷うように視線を彷徨わせている。
だがそのお菓子に、クリスの手が無遠慮に伸びた。
「ああああ! 2つも取った!!」
レフがびっくりするような大声を上げた。
さすがにその声にはウィルとマークも目を見張る。
そしてすぐに何が起きたのか察したウィルが、クツクツと喉で笑った。
マークも苦笑いしたが、そのときお菓子の存在に気づいたらしい。
「チョコレート? ですか?」
「よく知ってたな。ニア・ハルマイルじゃ、あんまり出回ってないだろ」
「娘が以前買ってきてくれて、一度だけ食べたことが……」
「マークは既婚者だったのか! 娘さんいるのか! 道理で落ち着いてる筈だ」
「結婚に関する相談だったらいつでも乗りますよ」
「予定はないけど、そのときは是非頼む」
「喜んで」
ウィルとマークが打ち解けて笑い合うのを、リラはホッとして見守った。
地下10階で起きたことは思い出すのも恐ろしい体験だったが、結果的に今がある。
リラには、それが幸運としか思えない。
さっきは唸るような低い声で怒ったウィルのことも、リラは怖いと思わなかった。
ウィルは彼らのために怒ってくれた人だ。
もちろん仲間を見捨てるマルセルが悪かったのは理解しているが、無力故に打ち捨てられた自身もまた、傭兵として決して良くはなかったのだとリラは思っている。
リラを助けるために、クリスが火傷を負ったこともリラは知っていた。
クリスが自身の火傷に薬を塗り込んでいたのを、リラは寝たふりをしながら見ていた。
なのに、クリスも誰も、リラが悪かったとは言わない。
本当は、こんなに美味しいお菓子を食べる権利はリラにはない。
悲しい気持ちで見下ろしたお菓子は残り3つ。
「リラ、2つ食べなよ」
「ううん! 私はもういいから、後はレフが」
「おいらが3つも食べちゃうわけいかないよ。リラが食べなよ」
年下のレフにまで気を使わせて、本当に私はだめな子だ。
義母が常に言っていた通りだと、リラは唇を噛んだ。
そのリラの頭を、ポンと大きな手が撫でるように優しく叩いた。
驚いて見上げると、ウィルがニコニコしながら後ろに立っていた。
「もう少しないか聞いてきてやるから、心配しないで食え。辛い思いをした子供は、それを我慢したご褒美をもらう権利があるんだ」
「え……?」
「リラもレフも、辛かったろ? これは、それを我慢したご褒美だ」
ポロリ、リラの目から涙がこぼれた。
止めようがなかった。
泣いては駄目だと思っても、泣くような権利はないとわかっていても、泣くのを止めることが出来なかった。
ずっと辛かった。
物心がついてから、ずっと。
泣いたら困るだろうと思っても、止められない涙が幾筋も頬を伝ってポタポタと落ちた。
「ごめん…なさい、ごめんなさい……」
ただただ詫びるリラの髪を、大きくて温かい手がゆっくりと撫でてくれる。
そうすることで与えられた温もりと安心感に、少しずつ心は落ち着いても、優しさに触れて流れた涙は、なかなか止まってはくれなかった。




