12.M マークとウィル
リラの顔に触れないようにギリギリの中空に手を掲げていたウィルが、リラが眠ったのを機に顔に直接触れるのをマークは黙って見ていた。
傭兵団に9年も居たというウィルが何者なのか、マークは見当を付けていた。
有名な傭兵だ。本名はウィルフレッド・ヴェスナー。
ウィルというのは仲間内での呼称だったのだろう。
リラを見守るようにしながら、マークはウィルの手を見下ろした。
彼がマークが当たりをつけた傭兵、ウィルフレッドならば、元は剣士だった筈だ。
ゴツゴツと巌のような手もさることながら、腰に刺した剣も使い込まれたもののように見える。
おそらく、間違いない。
チラリとマークはウィルの横顔を盗み見た。
穏やかで静かな表情の男だ。
とても、非情なことができるようには見えない。
だが彼がウィルフレッド・ヴェスナーであるならば、彼は人を殺したことがある。
不幸な事故が起きたのは3年前。
迷宮の地下20階に降りた唯一のパーテイとして有名なシラー傭兵団のルシアーナ・パーティが、その日、地下16階で壊滅的な事故にあった。
パーテイのリーダーで治癒師のハンス・ルシアーナが、ソウルブレイカーという精神を錯乱させる魔法に掛かり、2名のメンバーを刺殺した。
更に3人目の犠牲がでそうになったため、サブリーダーのウィルフレッドがやむを得ずルシアーナを斬ったと伝わっている。
結果的に3人の優秀な傭兵が犠牲になった最悪の事故だ。
その時のウィルフレッドに落ち度はなかったが、ハンスは治癒師でウィルフレッドは剣士であったため、斬る必要が本当にあったのかと物議が醸され、ウィルフレッドはシラー傭兵団を去ったと聞いている。
その彼が、戻ってきたということだろうか。
マークは僅かに眉をしかめた。
マリ傭兵団にはその事故の生き残り、3人目の犠牲者になりかけたニキータ・コーエンが在籍している。
彼もまた、あの事故を機にシラー傭兵団を離れ、あまり面倒なことを言わないマリ傭兵団に移ってきたのだ。
助けられたニキータと、助けたウィルフレッドの間に確執があるとは思えないが、ないとも言い切れない。
そしてなにより、ニキータはマリ傭兵団に移籍するときに、ハンスの妹アンナを帯同してきていた。
アンナ・ルシアーナ、昨日、レフとリラを診てくれた治癒師だ。
マークは内心ひやりとするような物を感じ、密やかにため息をはいた。
マルセルのような薄情なリーダーも困りものだが、厄介ごとを持ち込むリーダーも歓迎できない。
マークは迷宮に置き去りにされるのも御免だが、揉め事も御免なのだ。
とはいえ、仲間の傷を癒やしてくれる、治癒師としてのウィルの実力は認めざるを得ない。
リラの顔の火傷を治癒し始めて半刻ほど、ウィルがリラの顔から手を離すと、火傷の痕が薄れていることは素人目にも明らかだった。
それは、様子を見に来たクリスが思わず息を呑んだほどの変化だった。
まだ眠ったままのリラから離れてゆくウィルの背を見ながら、マークは首を傾げた。
彼はなぜ、古巣のシラー傭兵団に戻らず、あまり良質とは言いかねるマリ傭兵団に来たのだろう。
そっとリラの手を布団に下ろし、マークも立ち上がった。
部屋の隅に腰を落とし、軽く息をついたウィルに歩み寄る。
隣に腰を落としながら、マークは言った。
「お疲れさまです、ウィルフレッドさん。マーク・フォールです」
手を差し出すと、ウィルは黙ってマークを見つめ、ややあって微かな笑みを顔に浮かべて握手に応じた。
「お疲れ様。協力してくれてありがとう、フォールさん」
「俺のことはマークで」
「了解マーク。さっきは本当に助かった。女性に心を許されるような風貌じゃないのは分かってるんだが、こういう時にはほんとに困る」
「そんなに怖い顔ではないと思いますが?」
「身体がデカいから、居るだけで圧迫感があると言われたことがある」
「女性にですか?」
コクリとウィルはうなずいて、軽く苦笑いした。
「アンナに言われた。ここに、いるだろ?」
「ええ。ニキータさんのパーティの治癒師で、マリ傭兵団の宝と言われてます」
「治癒師……」
視線を俯かせ、ウィルは口をつぐんだ。
そうしてレフを見て、更にリラに視線を向けて問うた。
「二人を診たのはアンナか?」
マークがうなずくと、ウィルは音を立ててため息を吐いた。
「そうか……。そのアンナに面会を求めたら、マリ団長に部外者には会わせられんと言われて、それでここで世話になることにしたんだ」
「なるほど、団長の嫌がらせのせいでしたか。本当はシラー傭兵団に戻る予定でしたか?」
「一応そのつもりだったんだが……」
答えて一旦言葉をきり、ウィルはマークに目を戻した。
軽く笑って言う。
「俺に敬語なんか使う必要ないよ」
「貴方はリーダーだし、この方が楽なんです」
「奥ゆかしいんだな」
「奥ゆかしい……初めて言われました」
思わずマークは笑った。
無用な争いが起きないように、リーダーには敬語で接すると昔から決めているだけなのだ。
相手を尊敬しているわけでも、謙っているというわけでもない。
奥ゆかしさとはだいぶ違う。
奥ゆかしいのは、むしろウィルの方ではないだろうか。
そう思ってウィルを見やると、更にウィルは奥ゆかしいことを言い出した。
「でも、ここに来て良かったようだな。彼らの役には立てたようだ」
ウィルは今ではイビキを掻いて眠っているレフを見やり、レフ同様ぐっすり眠っているリラを見て、その目を一巡させてマークに戻した。
「マークもクリスも事情は知ってるだろうから、出て行けと言われれば素直に従うが、彼らの治癒だけはもう少し続けさせて欲しい」
「いやいや、貴方を追い出すような権限は、俺にはないですよ」
「権限の問題じゃなく、気持ちの問題だ。俺とパーテイを組むのは、勇気がいるだろう?」
マークは沈黙した。
3年前の事故は、ウィルにも避けがたい不幸な出来事だったのだと理解している。
だが、もし自分が同じ立場に置かれたら、仲間だと思っていた人を斬り殺すことが出来るだろうか。
例えばクリスが精神錯乱に陥り、リラやレフに斬りかかったら、マークはクリスを斬れるだろうか。
その場に立たねば分からないが、少なくとも、ウイルはそれをやったのだ。
そんなウィルを、信じ切ることが難しい。
マークがそう感じていることは確かだった。
その迷いが目に現れたのか、真っ直ぐにマークを見ていたウィルが僅かに笑った。
「安心してくれ。二人の治療が済んでアンナと話が出来たら、そうしたら出ていくから」
「えっ!? 出ていっちゃうの!?」
ウィルの言葉に被せるように、レフの大声が室内に響いた。
マークは驚いて声がした方に目を向ける。
レフが布団の上に起き出して、両目をしっかりと見開いてマークたちの方を見ている。
「レフ、おまえ、目が……」
レフの右目に光が戻っていることにマークは気が付き、言葉を詰まらせた。
良かったと、幸福感を伴う喜びが身体の底から湧き上がる。
ウィルは本人が好むと好まざると、今まさにレフの恩人となり、二人を案じていたマークの心も救ってくれたのだ。
ウィルを信じきれなくとも、このパーティに居てほしい。
それもマークの偽らざる気持ちの半分だった。




