10.C クリスとウィル
クリスから見るウィルという新任のリーダーは、マルセル以上に胡散臭く見えた。
怪我をして心細くなっているまだ年少のレフを相手に、興味を引きやすくするためなのか、幼稚な例え話をしている。
例え話をするのは百歩譲ってよしとしても、レフの気を引いて治癒を受けさせ、結局駄目でしたと希望を打ち砕くような真似をすることは許せない。
勘当されてるのか何か知らないが、どうせこの男も貴族で、遊び同然の気持ちで迷宮にきたのだろうから。
そう思うとまたクリスは腹が立ってきた。
「幼稚な例え話で誤魔化してんじゃねぇよ! お前たち貴族からしたら、治癒もただのお遊びなんだろ!」
驚いたようにレフがクリスを見た。
ウィルもクリスを見たが、その瞳は変わらず静かだ。
その落ち着きが、余計にクリスを苛立たせる。
「なんとか言えよ!」
半ばやけになって叫ぶと、ようやくウィルは苦笑いを見せた。
だが直ぐにクリスから視線をレフに戻し、その頭をポンポンと柔らかく撫でて言った。
「ちょっと待っててくれな。お仲間の説得から先にしてくるからな」
そうして立ち上がり、まっすぐにクリスに視線を合わせた。
怒り出すかと、クリスは少し警戒して身を引く。
ウィルは右の腰に剣を下げている。
対するクリスは、迷宮に剣を置き去りにしてしまったため、今は完全に丸腰だ。
だが、緊張は一瞬だった。
ウィルはクリスの様子に苦笑いをくしゃりと崩し、静かにしかし早口に言い出した。
「これな、子供だましの例え話に聞こえるかも知れないが、本当のことなんだ。まあ、治す力が何かを思考することはないから、それは作り話なんだけどな。でもな、大人の言葉で言うなら、それは『心労が溜まって免疫力が落ちてる』とか、『気力が衰えてるから自然治癒力も上手く働かない』とか、『心身ともに充実して免疫力も活性化してる』とか、そういうことなんだ。被治癒者の気持ちは治療にダイレクトに作用しやすいから、いくら治癒師が頑張っても、被治癒者が諦めきってると、本当に治りが悪くなるし、最悪治らないんだ」
「俺は何か言えとは言ったが、こんなくそ長い説明をしろとは言ってない…」
クリスは口をへの字に曲げて、ウィルを睨みつけた。
だが、言っていることは分かるような気がした。
怪我は日常茶飯事の傭兵だから、クリスも怪我は少なくない。
それでいて、治癒師や回復の魔術を使える者がパーティにいないことが多かったため、余程の大怪我でなければ自力で治療して治してきた。
だからこそ分かる。
心身ともに疲れているときほど怪我の回復も悪く、生活にも気持ちにも余裕があるときほど怪我も治りやすい。
「二日酔いとか風邪も、早く治るときと治らんときがあるだろ?」
不本意ながらも納得し始めたクリスに笑顔を残し、ウィルはレフの傍に戻ってまた床に膝をついた。
さきとは違い、ウィルは今度は足を閉じて完全に床に座り込み、ポンポンと自身の膝を叩いて言った。
「さ、目を診てみよう。ここに頭を乗せてくれ。大丈夫、お前はまだまだ成長期で治る力も元気あるから、直ぐに治る。成長期ってのはなぁ、治る力も、背が伸びる力も、頭が良くなる力も、全部の力が元気一杯でものすごく強いんだ」
「へへ。じゃあリーダーの大きくなる力は、子供の頃、ものすご〜く元気だったんだ?」
「ああ、そうだな! そういやあ俺は、背もガタイもバカデカいもんな」
「うん。オーガみたいにデカい」
「あははは、そうか、オーガか。それは初めて言われたな」
楽しそうな笑い声まで乗せてレフとウィルが話すのを、クリスは複雑な心境で見守った。
レフが元気になったのは純粋に良かったと思う。嬉しいとさえ思う。
迷宮では足手まといだと思っては居たが、嫌っていたわけではない。
目が治るなら、その方がいい。
だが、駄目だったら…。
立ち尽くすクリスの肩を、ポンとマークが叩いた。
「クリス。一杯やらないか?」
「……あいつ、見張ってなくていいか?」
「レフが自分で診てもらうと決めたんだ。診ても診なくても、どのみち俺たちは祈ってやるくらいしかできない」
「…あんたが、神を信じてるとは知らなかった」
フッと軽く笑って酒の瓶を差し出したマークからそれを受け取り、クリスはラッパ飲みに中の酒を飲んだ。
マークが飲む酒は比較的アルコールが軽く、少しクリスには物足りない。
だがそれを、美味しいと思いながら、クリスはその場に腰を落とした。
あまりレフから離れるのも嫌だった。
もしウィルが怪しい真似をしたら、クリスしかそれを止める者はいないだろう。
そうクリスは思っていたが、マークもその隣に座ったところを見ると、何かあればマークもウィルを一緒に止めてくれたそうだ。
そのことに、少し安堵してクリスは息を吐いた。
レフはすっかりウィルを信じ切っているのか、いつの間にかウィルの膝を枕に寝転び、臆する様子もなく右目を診せている。
治癒師の傷の診方は医師や魔術師のそれとはやや異なる。殆どが触診のように傷に直接手を当てて治療するのだ。
ウィルもレフの目の上に手を置いて、しばらく原因を探るように少し難しい顔を僅かに傾けていた。
治癒師らしいポーズだけは一人前だと、クリスはフンと鼻を鳴らしてそれを見ていたが、ウィルを全く信じていないわけではなかった。
出来ることならば、あれがポーズでも遊びでもなく、効果のある治療になって欲しい。
そう思うクリスに、レフの目に手を乗せたままウィルが問うた。
「ブラックスライムに遭ったのか?」
「ブラックスライム? いや、アッシドスライムの群れだったが…」
「何階に行ったんだ?」
「10階に」
「そうか。ありがとう」
問うだけ問うて、ウィルは直ぐにまたレフに目を戻して笑顔になった。
子供にいい諭す優しさで、ウィルはレフに言った。
「アッシドスライムは赤黒いだろ? その中に、時々真っ黒なブラックスライムが紛れてることがあるんだ。お前の目は、あいつの毒にやられたようだ。解毒すれば痛みも引くし、治癒が終わったら少し見えるようになるはずだ。だから安心していいぞ」
「あんときの…」
「うん。目に何か吹き付けられたんじゃないか? 痛かったろ? ブラックスライムの毒液は噴射力が高いんだ。お前くらいの背丈だと、立ったままでも顔に毒液吹きかけられることがある。目に入ると猛烈に痛むし、視神経をやられると、一時的に目が見えなくなったりする」
「じゃあ、おいらの目は……」
「うん。何度かに分けて治癒することになるが、元の視力に戻ると思う」
ウィルの笑みを含んだ柔らかい声に、レフだけでなく、クリスも思わずほっと息を吐いた。
だが安堵すると同時に疑問も生まれる。
マリ傭兵団で一番と言われる治癒師に分からなかったことが、どうして学校を出たばかりの治癒師に分かったのか。
思わずクリスはウィルに問う。
「あんた、何者なんだ?」
「後でな」
ウィルは簡潔にそれだけ答え、クリスを振り向くことはしなかった。




