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大迷宮の闇  作者: 文弱
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09.R レフとウィル



「そいつに触るな!」


クリスの鋭い怒声にレフはホッと息をついた。

貴族のおもちゃのように、治癒の実験のように、痛む右目を弄ばれるのは嫌だった。

クリスが新しく来た治癒師を追い払ってくれることを、レフは心から願った。

だが、新しいリーダーは諦めた様子がない。


「事情がよく分からんし、俺を信用しろとは言わない。だが治癒師が怪我を診て、今以上に悪くなることは絶対にない。それは理解してくれ」

「だから、こいつの傷を見せろというのか?」

「うん、診させてくれ。その後、追い出されても文句は言わないと誓う」

「駄目だ! 貴族は信用できねぇ!!」


クリスのいつにも増して激しい怒気に、その背に庇われているレフですらビクリとした。

だが、相対する治癒師はそれに怯んだ様子は全くなく、穏やかな声でクリスを宥めるように言う。


「頼むから、怒鳴るのはやめてくれ」

「俺に怒鳴られたくらいで恐れるような臆病もんが本気で傭兵になろうってのかよ! 傭兵は貴族の遊びじゃねぇんだ! いい加減にしろ!」

「頼む。けが人を怯えさせないでくれ」

「!!」


クリスが言葉に詰まった。

その僅かな隙に、治癒師は穏やかな声でレフに話しかけてきた。


「驚かせてすまない。先に、ちゃんと自己紹介をするべきだった。俺の名前はウィル。アルヴィ魔術学院を卒業したばっかりで貴族出身なのは確かだが、実家にはもう10年以上帰ってない。貴族と言っても名ばかりだ」


静かな声で話す人だ。

レフは背を向けていた室内に向き直った。

顔を見てみたいと、そう思った。


貴族を何人も見てきたわけではないが、ウィルはマルセルより庶民的な顔をしている。

クリスの横に並ぶように立ったウィルを見ながら、レフは問いかけた。


「なんで家に帰らないの?」

「勘当されてるんだ」

「それなのに、学校には通えるんだ?」

「兄貴が魔学で教鞭を取ってるんだ。親には内緒で、兄貴を拝み倒して入れてもらった」

「裏口入学ってヤツ?」

「うん、近い」


ウィルは柔らかく笑った。

優しい笑顔だとレフは思った。

貴族なんかを信じてまた痛い目に合うのは御免だけれど、今は迷宮の中にいるわけじゃない。

治癒を試みて治らなくても、これ以上悪くなることがないというのも、嘘ではないだろう。

信じるワケじゃない。でも、試してみてもいいかも知れない。

そう思ったレフは、思い切ってクリスに言った。


「クリス、もういいよ。ありがとう。おいら、この人に診てもらう」


一瞬眉根を寄せて不機嫌な表情になったが、クリスは黙って身を引いた。

その様子に目を細め、ウィルは小さくクリスに会釈してレフに歩み寄ってくる。

直ぐにレフの前に膝をつき、大きな身体を丸めるようにかがみ込み、レフの顔に手をのばす。


無意識にレフの顔はその手から逃げかけた。

だがそれを無理に追うようなことはせず、ウィルは柔らかく微笑んだまま口を開いた。


「目は、治癒師に診てもらったのか? それとも、回復魔法で治療をしてもらった?」

「先に、魔術師が回復魔法掛けてくれて、その後で治癒師が診てくれた」

「回復魔法と治癒か…。右目、見えてないよな?」


昨日、治癒師は瀕死のリラを診ることを優先し、レフの右目は魔術師の回復魔法で応急処置をした。

それでも貴重な魔法を掛けてくれて、リラの治癒の後にはちゃんと治癒師も診てくれた。

本来ならば、受けられなくても可怪しくなかった治療だ。

マリ傭兵団の最底辺にいる彼らが、最上位に居るパーティに、診てもらえただけでも有り難いと思わなくてはならない。

そんな経緯も何も知らないウィルが、治癒師たちを否定したように感じて、レフはムッとした。


「ちゃんと診てもらったよ! それで、おいらの目、もう治らないって言われたんだ。だから、見えなくても、可怪しくない……」

「そうか、それは辛いことを言われたな。でもな、怪我の治療をする人は、絶対に治らないって言っちゃいけないんだ」


また治癒師たちを否定している。

そう思ったレフは、ムッと口を尖らせた。

治らないものは治らないのだから、それを正直に患者に伝えるのは当たり前だ。

まだちゃんと傷を診たわけではない眼の前の貴族が、昨日レフたちを診てくれた魔術師と治癒師を非難していいハズかない。

再燃した怒りを顕にレフが睨みつけると、ウィルは困ったように苦笑いした。


「ここの治癒師や魔術師を疑ってるわけじゃないんだ。俺は君に、治癒のことを正確に知って理解して、その上で治癒を受けて欲しいんだが……」


小首を傾げてそう言って、ウィルは静かに言った。


「もうちょっとだけ、俺の話に付き合ってくれ。実はな、人の体の中には、治す力ってのが住んでるんだ。自然治癒力とか免疫力とか難しい言葉で呼ぶんだけどな。血液の中にたくさん住んでる、小人みたいな、妖精みたいな連中だ。生き物の中にはみんな、この治す力ってのがいるんだ」

「……」


レフは少しだけ、その小さな妖精のことを考えた。

血の流れに乗って、元気にはしゃぎ回る羽の生えた小人たちだ。

少し怖いような、愉快なような、そんな気になってウィルの顔を見た。

ウィルの顔には、微笑みがある。


「それで、さっきの話だ。回復や治癒を専門にしてる人に治らないって言われると、患者は治らないんだって思い込んじゃうだろ? そうすると、治す力の小人たちは不貞腐れて『ああ、ご主人さまは俺たちを無能だと思ってるんだな。じゃあ、治すのなんて適当でいいや』ってサボりだしちまうんだ。でもな、怪我した本人が治ると信じれば、身体の中の治す力は『おお! ご主人さまが信じてくれた。頑張るぞ!』って張り切るんだ。治す力ってのは、単純な奴らだからな」

「……ホントに、そんな風に思うの?」

「いや、思うってのは例え話なんだけどな。そんな感じが、治癒してると伝わってくるんだ。その治す力を手助けして、怪我を自然に任せるよりも早く治すのが治癒師の仕事だから、そりゃあもうハッキリ分かる。『ああ、今治る力たちは面倒に思ってるなぁ』とか『すっごいやる気だな』とか『やる気ねぇなぁ』とか」

「分かるの!?」

「うん。それが治癒師だからな」


ニコリと笑ったウィルに、レフは知らず知らずのうちに、おそらくは好感を抱いた。

面白い話をする人だと思い、優しい人だと思った。


だがそのとき、黙って聞いていたクリスが急に立ち上がって怒鳴った。


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