忘却の少女と魚になった竜 Ⅱ
忘却の少女と魚になった竜 Ⅱ
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魚になったドラゴンは少女に昔話を語りました。
それは、空から落ち、その下にある、海という新たなる空に魅了され、ドラゴンを辞め、魚になった魚…アレンのお話。
それを聞いた少女は…ふと口を開いた。
「もう一度空を飛びたいと思ったことはあるの?」
少女は尋ねる。
何故こんなことをアレンに訪ねたのか。
自身もよくわからなかった。
素朴な疑問…というものなのか、それとも自分の中で何かが引っかかったのか。
少女には記憶がない。きっと元あった記憶の中に、何か引っかかるものがあったのかもしれない。
アレンは答えた。
「…無い…かな。」
「…そう。」
「でも。」
アレンは言葉を続けた。
「君が空を望むのであれば私は竜に戻っても良いんだよ。」
アレンが言う。
「えっ?」
少女は驚いた。
「なぁに、ここは死後の世界。私も、君も。強く願い、望めばどんなことだってできるんだ。」
「でもアレンは空が嫌いなのでしょう?私なんかの為に戻る必要なんて」
少女は問う。
「君は不思議な子だ。」
「え?」
アレンは笑顔で言う。
「君が思うことを叶えてあげたいと思ってしまう。それに、君と一緒に飛べるなら…私はまた空を愛することができるかもしれない。」
「どうして?私はまだあなたと出会って間もないのよ?」
少女は問う。
「私にもわからない。だが、君と…飛びたい。この海も君と泳ぎたい。」
まるで告白のような言葉に、少女は少し戸惑う。
「おかしいな私は。何故こう思ってしまうのだろう。それほどまでに、君は魅力的なのかな?それとも…」
「…私には…わからない。」
少女は困った顔をした。
「ははは、困らせてしまったね。ごめんよ。」
「ううん、良いの…」
「でもね、さっき言ったことは冗談じゃないんだよ。」
「えっ?」
アレンは目を瞑りながら海を泳ぎ続ける。
「時折懐かしく感じることがあるんだ。海から空を見上げると…ね。」
「姿を変えられるのなら時々ドラゴンになって飛べるんじゃないの?」
少女は言う。
「…私はね、怖いのかもしれない。私を落とした空が。私を否定した空に住む者たちが…」
「…」
少女はアレンにしがみついた。
「どうしたんだい?」
「なんだか…悲しいの。」
「どうして?君が悲しむ必要なんてないのに。」
アレンは悲しんでいる少女を心配する。
「何かに恐怖を抱いてしまうことはとても怖いことだと思ったの。私も昔…生きていたとき…とても強い恐怖感を抱えていたような…気がする。」
思い出せてはいない。だが、少女は何かに怯えたり恐怖を感じることに恐ろしさを感じたのだ。そして悲しみを覚えたのだ。
「君は優しいのだね。」
「…そんなこと…」
「…私はね、この海が好きだよ。」
「うん、知ってる。アレンは今こうして泳いでいるとき、とても楽しそう。とても優雅に…美しく舞うその姿が素敵だと思う。私は…好きだよ。」
「ありがとう。では、空を飛ぶ私を君は好きになってくれるかい?」
「アレンはアレンだと思う。」
少女はすぐに答えた。
「ありがとう。」
その言葉と同時にアレンは海面に一気に上昇した。
「えっ!?」
「君は本当に不思議な子だ。」
アレンの魚体がとてもきれいで、澄み渡るような青い光に包まれる。
ザバッと大きな水飛沫と共に、“それ”は空に舞い上がった。
「…!」
20mはあろう、大きな巨体が、翼を広げて空を舞う。
青く輝く鱗に、翠色の瞳。
しなやかだが、しっかりした体つき。
それはまさに竜そのものであった。
「ア、アレン…なの?」
「そうだよ。ありがとう、私は忘れていたよ。海も、空も、同じなのだと。どちらもとても美しいということを。君が思い出させてくれたんだ。見てごらん。」
「…わぁ…」
その空から見るこの星はとても綺麗だった。
森の間から小動物たちの背が見える。
湖ぐらいの大きさの海はとてもキラキラと輝いていた。
そして空。
透き通る青空がアレンの鱗をキラキラと光らせる。
「凄い…凄いよアレン!」
少女の眼は輝いていた。
海の中をアレンと泳いだ時と同じだ。
海も空も、同じなのだ。どちらも、とても美しい。
「…しばらく飛んでいてもいいかい?」
「うん。私も飛んでいたい。」
「君と一緒だったから私はまた飛べたんだ。感謝しているよ。」
「私は何も…」
少女は顔を赤らめる。
「…ん?」
森の中、老竜ガデンが空をゆっくりと見た。
「アレンか…ふむ、どうやら自分が持っていたものを思い出したようじゃ。あの少女は実に不思議じゃの…魂を燻る何かがあるのじゃな…」
ガデンは小さく微笑んだ。
(もう…悔いはないか?アレン。)
「フッ、ハハハハハ!!」
空を飛んだアレンはしばらくして、とてもうれしそうに笑いだした。
「アレン?」
「そうか、そうか!私は…私はやはり…空も好きだったのだ!当たり前だと思っていた空が…私は好きだった!もちろん海も好きだ!私は…幸せだ。」
「アレン…」
背に乗る少女は嬉しそうに微笑む。
その時だった。
アレンの身体が薄くなっていったのだ。
「身体が…」
「ありがとう。私は…私はもう満足してしまったようだ。この魂が今、元の場所へ還ろうとしている。」
小さな粒子があふれ出る。
「アレン…お別れなの…?せっかく仲良くなったのに…」
少女は悲しい顔をする。
「そんな顔をしないでくれ。私は君の笑っている顔が好きだ。それに私は還っても忘れないよ。この星での思い出、海の美しさ。空の美しさ。そして…君の顔を…君のすべてを忘れない。」
「…うん。分かった…私も忘れない。短い時間だったけど…私がこの先どんな道を辿ったとしても…絶対に忘れない。」
「ありがとう、最後に…名を覚えていない君に…新たな名を授けたい。」
「私の…名前?」
「駄目かい?」
「ううん、良いよ。アレンに決めてほしい。」
どんどん薄くなっていくアレン。
「…君はこれから…“カナタ”と名乗ると良い。」
「カナタ…」
「遠い場所、過去や未来を含めて遥か遠いものを指す言葉だ。君はこれから多くの魂と出会うかもしれない。私のようにお別れすることもあるかもしれない。でも、その思い出は決して消えない。例え遠く離れていても…遥か彼方に位置するこの星での出会いを大切にし、君だけの答えを見つけてほしい。変な話かもしれないが、そんな思いを込めてみた。」
「…うん。」
「じゃぁ、もう行くよ、カナタ。ガデンにもよろしく言っておいてくれ…まぁあの方は見ずとも…わかっているだろうけどね。」
「うん…ありがとう、アレン。」
少女カナタは、アレンの身体に寄り添い、優しく撫でる。
「ありがとう、さようなら…カナタ。」
「さようなら…アレン。」
その交わした言葉を最後、アレンの身体はフッと粒子と共に消え去り、カナタは最初来たところとは反対側の岸にゆっくりと着地した。
一つの大きな粒子がカナタの周りをぐるっと回り、空へと舞い、消えていった。
少女…いいや。カナタは一度呟いた。
「…ありがとう…」
少女はしばらく空を見上げ、海を見て、ガデンの元へと歩いて行った。
「アレンは還れたかい?」
森の奥。ガデンが待っていた。
「…うん、とても…幸せそうだった。」
「…それでは、儂もお主を“カナタ”と呼んでも構わぬか?」
「うん。」
「そうか、ではカナタ。まずはその涙を拭くとよい。」
老竜はそっと吸水性のある毛皮を手渡した。
動物の毛皮で作られた柔らかいタオルのようなものだ。
「…えっ…あれ…ほんとだ…私、なんで…」
カナタの目には涙があふれていた。
「悲しいか?」
「…そういうんじゃ…ないと思う。」
「そうか。」
「…ガデン…」
「ん?」
「しばらく…寄り添ってもいい…?」
「構わぬよ。気のすむまで、傍に居ると良い。」
「…ありがとう。」
(この気持ちはなんだろう。)
悲しいとは少し違う。お別れは悲しい。ちょっとはあると思う。
だが、これは…きっと、アレンが自分の生きる道に悔いを残さずに還ったことによるよかった。よかったね。という意味での涙なのかもしれない。
今カナタが流している涙の本当の理由も、ここに居ると…
分かるようになるのかもしれない…
忘却の少女と魚になった竜 完