3. ヴァーリの愛情
ストロベリーブロンドの髪にルビーの瞳。その色彩と、小柄な体躯と可愛らしい顔立ち。
その笑顔の輝きは太陽のようで、まるで妖精のような人だった。
前向きで、いつも明るくて、人のために怒ったり泣いたり出来る人だった。
「ヴァーリの話、もっと聞かせてほしいな。旅の仲間だもの。貴方のことがもっと知りたい」
そう言って自分の隣に腰を降ろす。
恋に落ちない方が無理だった。それだけ魅力的な人だった。
ただ、想いを告げることはしなかった。
彼女――エーファと、クリストフが愛し合っているのは、一目瞭然だったから。
もっとも、お互いはお互いの想いに気づいていないようだったが。
それが焦れったくて、橋渡しもした。
なにが悲しくて惚れた女を恋敵に渡さなきゃならないんだ、とも思ったが、それも仕方ない。
エーファには幸せになって欲しかった。
クリストフは自分の想いに気づいていたらしく「絶対に幸せにするから」と涙目で宣言されてしまった。
彼も良い奴だったから、笑って身を引くことが出来た。
その子孫を見守れるだけで良い、とそう思っていた。
◆◆◆
その日、ヴァーリは彼女を見つけた瞬間、心臓が止まる思いがした。
数百年前に愛し、今も心の中心に居座る女がそこにいた。
容姿もまるで同じなら、魂の気配も同質だ。間違い無くエーファの生まれ変わりだろう。
傷ついた彼女に声をかけずには居られなかった。
ティアナは『救国の乙女』として魔王を討伐するのだという。たった一人で。
あまりの腹立たしさに、彼女の言う「仲間」を殺してしまおうかと思った。
みんな殺してしまっても、ティアナとヴァーリの二人なら魔王を討伐することは難しくないだろう。
しかし、彼女の仲間がシュピラーレ王国の王子だと聞いて気が変わった。
あの国の王子なら、エーファとクリストフの子孫だ。
殺す訳にはいかないが、その腐った根性を叩き直してやらないと気がすまない。
というか、こんな子孫を放っておいたらあの世でクリストフに顔向けが出来ない。
しかも、どうやらティアナと王子は恋人関係なのだという。
(それは、ますます更生させてあげないといけないな)
ヴァーリは心に誓った。
今世のエーファ――ティアナとも結ばれることは難しそうだが、このまま不幸への道を歩むのを見過ごすわけにはいかない。
ヴァーリはティアナの幸せのためには何でもする覚悟があった。
ヴァーリは彼女の家を聞き出すと、彼女を連れてそこへ向かい、とりあえず休ませることにした。
責任感からか魔王城の近くを離れることに抵抗するので、眠らせた上で連れて行かなければならなかった。
また、彼女の家に連れ帰ってもすぐ魔王城へと向かおうとするので、出ることが出来ないよう結界を張り、長く休めるように結界の中は時間の流れが遅くなるように魔法をかけた。
「ティアナ、君の恋人から貰ったものは何かもっているかい?」
「え……? あ、そうですね、指輪を以前貰いました」
そう言ってティアナは指に嵌めた指輪を見せてくれた。
物自体は粗悪としか言いようがない劣悪品だが、いくつか魔法がかかっている。
ヴァーリはそれを何の気なしに引き抜いた。
「ちょっと借りるよ」
「えっ、あのっ、ちょっと」
慌てるティアナを無視して、その指輪を触媒にして呪いをかける。
指を鳴らすと同時に、その指輪は忽然と消え去った。
今朝を起点に、送り主が死ぬとその日まで巻き戻る呪いだ。
流石にこんな大魔法を使うのは久しぶりで、あまり手応えがなかった。
恐らく成功しているだろうが、何回か繰り返すと綻びが生まれるかもしれない。
対象者に近い位置にいる他の人を巻き込んでしまう、とか。
「まあ、些細な問題だね」
そう言って満足気に頷くヴァーリは、目に涙をいっぱいに溜めて自分を見上げるティアナを見て焦ることになる。
「な、なんで指輪消しちゃうんですかあ!? 返してください、大事にしてたのにい……!」
「わ、わ、ごめん、ごめんね?」
ヴァーリはオロオロしながら彼女を慰めることしか出来なかった。
人間に関わるのが久しぶりですっかり忘れていたのだ。
人間が、モノを大事にする習性があることを。
「本当にごめん、何でもするから許して……?」
「じゃあ返してくださいよぉ……」
「うーん、ちょっとそれだけは無理かな……」
呪いの媒介にしてしまったので、何回巻き戻ろうがあの指輪は返せないだろう。
それを聞くと、ティアナはますます大泣きした。
結局、ティアナに許してもらうのは次の日になってしまった。
翌朝起きてきたティアナはヴァーリの側まできて拗ねたような口調で言ったのだ。
「エルフは……あんまりモノを大事にする文化じゃないって、どこかで聞いたことがあります……。だから、まあ、仕方ないのかなって思いました……。あの、ヴァーリさんのお話を聞かせてくれませんか? もっと知りたいです。そして私のことも知ってください。すれ違いが起きないためにも……」
ヴァーリをそれを聞いて、思わず瞠目した。
以前エーファに言われたことと、同じだった。
価値観の違いを許容し、歩み寄ることが出来るのが彼女の美徳だった。
少しどころでなく卑屈なきらいがあり、前向きさは幾分が失われているが、彼女はやはりヴァーリの愛した人に間違い無かった。
(……やっぱり、彼女の輝きを損ねたアホ子孫くんは、気合いれて更生させる必要があるなあ)
◆◆◆
クラウスにかけた呪いは、魔王を倒せば解けるようになっている。
話を聞く限り、単身で魔王に打ち勝つのは不可能だろう。
ティアナに謝りにきて、ティアナが許せばヴァーリは一緒に魔王を倒してやることも吝かでは無かった。
彼が自分の何が悪かったかを反省すれば、だが。
実際それはすぐには難しかったようで、幾度となくこの生活は巻き戻った。
ティアナが初めてこの家で目を覚ますところから始まり、数日暮らして終わる。
ヴァーリは別に永遠にこの生活が続いたって構わなかった。
数百年ぶりに出会った愛する人だ。
同じ生活を繰り返していても一向に飽きないし、そもそも長命なエルフは人間では考えられないほど気が長い。
それに、変化もあった。繰り返しを重ねるにつれ、徐々に初対面の筈のヴァーリへの態度が柔らかくなっていった。
また、クラウスを話題に上げることが減り、焦がれたような顔を見せなくなった。
記憶は残っていないが、年月を重ねるに連れ彼への想いが薄れてきたのだろうか。
そのクラウスが初めてこの家を訪れたのは、ループが始まって日数的には数ヶ月経った頃だった。
感情のままにティアナを怒鳴りつけるクラウスを見て、ヴァーリは迷うこと無く彼を殺めた。
最後に彼に聞かせたいことがあったので、即死しないように腹を狙った。
次からは面倒だったので、心臓を狙って一瞬で殺した。
何回も繰り返したが、暫くすると来なくなった。
諦めたのだろうか。
それならそれでも別に良かった。
飽きるまでティアナとこの生活を繰り返し、飽きたら一緒に魔王を倒しに行こう。
ティアナは大分ヴァーリに心を開く様になっており、微笑む回数も増えていた。
良い変化だ。クラウスに対する罰としての同じ月日の繰り返しだったが、ティアナに対しても思わぬ効果を生んでいた。
しかし、数週間でまたクラウスはやってきた。
そのときの彼はそれまでとは違う、どこか晴れやかな面持ちをしていた。
いつもと同じく怯えるティアナに、クラウスは優しく声をかけた。
「申し訳ない、ティアナ。私が間違っていた。もっと君を尊重するべきだった。ちゃんと君と肩を並べて戦うべきだった。君一人に全てを押し付けず、一緒に全てを背負うべきだった。君をぼろぼろにしたのは私だ。私の責任だ。……許してほしい。そして、一緒に魔王を倒しに行こう。私は君のサポートに徹する。何の役にも立たないかも知れないが、それでも、一緒に戦わせてほしい」
それを聞いたティアナの眼から涙が溢れ落ちた。
「……私、クラウスにずっとそう言って欲しかったのかもしれません。わかりました。一緒に戦います」
ティアナが許すなら、ヴァーリに是非はない。
(やれやれ、今回も失恋か)
やや寂しさはあったが、ティアナが幸せになってくれるのが一番だ。
ヴァーリは笑みを浮かべて言った。
「僕も一緒に戦ってあげよう。――賢者ヴァーリが一緒だなんて、心強いでしょ?」
◆◆◆
ティアナとクラウス、ヴァーリと、そして仲間だという聖女のユーリアが力を合わせれば、魔王は一瞬で倒すことが出来た。
エーファは仲間を守る際に普段の何倍も力を発揮する戦士だった。
クラウスとユーリアが直接戦闘の役に立ったようには見えなかったが、実際居るだけでも効果はあったのだろう。
魔王を倒すと同時に魔王城は音を立てて崩れ落ち、急いで脱出すればそこにはただ平穏な草原が広がるばかりだった。
こうして世界に平和は訪れた。
静かな草原で、クラウスはティアナの方を向き直る。
心なしかその顔は赤い。緊張しているようにも見えた。
「ティアナ。私はずっと、君のことをないがしろにしてしまっていた。これからは、もっと君を大事にすると心に誓うよ。……私と、結婚してくれないか」
ティアナは微笑んだ。
そして、少し間を置いて口を開く。
「……お断りします。今までのことは許しましたが、それはそれ。今後、クラウスを信用できるかって考えると、流石にちょっと難しいです」
側で聞いていたヴァーリとユーリアは唖然とした。
今の、断る流れだった?
当の本人のクラウスは、怒った様子もなく苦笑している。
「ま、仕方ないか。……帰ろう、ユーリア。私たちの国へ」
「い、いいんですの?」
「仕方ないさ。ティアナ、気が変わったらいつでも言ってくれ」
それだけ言うと、クラウスとユーリアは姿を消した。恐らく転移魔法を使ったのだろう。
衝撃から立ち直ったヴァーリは、改めてティアナに問う。
「良いのかい? 彼を、愛していたんじゃないの?」
「……多分、あれは依存でした。どちらにしろ、一度私達は距離を置いたほうが良いと思ったんです。……それに」
そう言ってティアナはヴァーリの顔を見上げる。
その悪戯っぽい表情に、思わずヴァーリは胸が高鳴るのを感じた。
「私、もっとヴァーリと暮らしてみたいなって思ったんです。数日一緒にいただけなのに、何故だか何年も一緒にいたかのような、昔からの旧友のような、不思議な感じがして。……おかしいですか?」
「いや! 全然! 大歓迎さ!」
そう言ってヴァーリは小柄なティアナを抱き上げた。
「ずっと言おうと思ってたんだ。君の想像も出来ないくらい昔から。あのね……愛してるよ」
ティアナはニッコリ笑った。
太陽のような笑顔だった。
◆◆◆
クラウスは即位した後、人の痛みがわかる賢王として人々から讃えられ、良く国を治めた。
傍らで聖女ユーリアが王妃として支え、口喧嘩は多かったがなんだかんだ仲睦まじい夫婦として、周りからは微笑ましく見守られたという。
一方『救国の乙女』ティアナはと言うと、魔王との決戦後行方が知れない。
ただ、クラウスとユーリアがお忍びで出かける時はティアナに会いにいっているのだと噂されていた。
クラウス王の息子であるラインハルト王太子が、恋人としてどこからともなく連れてきたハーフエルフの少女は『救国の乙女』の娘だと言われているが、これも噂の域を出なかった。