2. クラウスの苦難
ティアナのことを心から愛していた。
ただ、辺境育ちで間違っていることも多かったから、正しく導く必要があると思った。
自分を慕って見せる笑顔が愛おしかった。
そこに偽りはなかった筈なのに。
自分の腕の中から出ていかないで欲しかっただけなのに。
◆◆◆
人類最前線の街の領主の館。そこに、『救国の乙女』一行は滞在していた。
ティアナが単身魔王に挑み初めてもう一週間になる。
朝出ていって、夜にはぼろぼろの体を引きずって帰ってくる。
それがこの一週間のルーティンだった。
もう夜更けだ。いつもならとっくに戻ってきてもおかしくない時間なのに、ティアナは戻ってこない。
クラウスは苛立って机の足を蹴り飛ばした。
ユーリアが怯えたように身を強張らせ、それを見たクラウスは更に苛立ちを募らせた。
「おい。ティアナは生きているのか? まさか死んだんじゃないだろうな」
「い、生きている筈ですわ。命が失われれば、ティアナさんに渡している指輪と対になっているクラウス様の指輪が砕けますもの」
クラウスは舌打ちした。王子にあるまじき態度だったが、誰も見ていないので構わない。
ユーリアは幼馴染なのでとっくの昔にクラウスの本性等知っている。
「じゃあ、ティアナは逃げたのか? 私から?」
「いいえ! そんな筈ありませんわ! クラウス様から逃げるなんて……。ティアナさんはクラウス様のことを愛していますわ」
慌ててユーリアが言う。
ユーリアは怯えていた。クラウスの暴力性には幼い頃から気づいていた。
なるべく距離を置きたかったのだが、彼は「聖女」の手札が欲しかったのだろう。
気づけば二人は愛し合っているという噂が流れており、絶望した。
そのため、ティアナが現れてくれて助かったのだ。
聖女より『救国の乙女』の方が価値があると判断したらしいクラウスは、あっさりとユーリアを手放してくれた。
クラウスはそれは別としてもティアナのことを気に入ったようで、彼女に向ける愛情の眼差しは本物に見えた。
歯車が狂い始めたのは、彼女がその天才性を発揮するようになってからだ。
軽々と難易度と高い訓練をこなすティアナを見て、何を思ったかクラウスはティアナを洗脳しはじめた。
ティアナを孤立させ、自分しか味方はいないと信じ込ませ囲い込んだ。
愛と依存が区別できなっていく様は哀れだったが、巻き込まれてはたまらない。
ユーリアはそれを遠巻きに見ることしかできなかった。
クラウスは椅子を強く蹴り飛ばした。
そして、表情の読めない顔で呟く。
「もう私は寝る。私の気を引きたいのかしらないが、こんな時間に帰ってきても会う気は無い。朝まで外で反省すると良い。――ティアナが帰ってきても、部屋に入れるんじゃないぞ」
そう言ってクラウスはベッドに潜り込んだ。
良かった、今日は彼の相手をせずに済みそうだ――そう思いながらユーリアも自分のベッドへと身を沈めた。
ユーリアはもう嫌だった。
クラウスに命令され、ティアナを回復する際は痛みを感じるようにしながら癒やさないといけない。
簡単に敵に突っ込まないようにするための躾だとクラウスは言う。
まるで言葉通り獣の躾だ。
ティアナが逃げても仕方ない、と心のどこかで思っていた。
もう戻ってこないのかもしれない、とも。
そしてそれはそのとおりだった。
ティアナは戻ってくることなく、赤い月は満ち、スタンピードは発生した。
暫く戦闘に参加していなかったクラウスとユーリアは為すすべなく死んだ。
それが始まりだった。
◆◆◆
クラウスは大声をあげながら目を覚ました。
(生きてる……?)
自分はスタンピードに巻き込まれ、生きたまま全身を魔物に食われて死んだ筈ではないのか。
慌てて起き上がり外を見るが、スタンピードが発生した形跡などまるでない。
平和な街並が広がっていた。
「クラウス様……。ティアナさんはまだ帰ってきておりませんよ……」
叫び声で目を覚ましたらしいユーリアが眠そうな声で言う。
「全部、夢か……」
クラウスは胸をなでおろし、身支度を整え始めた。
スタンピードが発生して、自分が死ぬなんてありえる筈がない。
だって、それはティアナが逃げたということだ。
ティアナは自分を愛している。自分のためならなんでもしてくれる。
ティアナが負ける可能性については端から考えていなかった。
『救国の乙女』なのだ。前世で一度倒した魔王をもう一度倒すことくらい出来て当たり前だ。
コンコン、と控えめなノックの音が響く。
クラウスが返事をすると、メイドの少女が扉を開けて入ってきた。
「失礼いたします。領主様がいらしております。お通ししてもよろしいでしょうか」
「構わない」
そう返事すると、痩せぎすの神経質そうな中年の男が入って来た。
この地の領主だ。
いつもびくびくとクラウスの顔色を伺っており、こうして直接部屋を訪れるなんて珍しい。
いや……一回だけあったか。
「殿下、聖女様。ご機嫌麗しく……。『救国の乙女』様はいらっしゃらないのでしょうか?」
クラウスは腹を立てた。
つい先日も同じことを聞いたばかりではないか。
「何度同じことを言わせるんだ。ティアナは今魔王を討伐しに行っている」
領主はわかりやすく慌て、顔色を悪くした。
「それはそれは申し訳ございません! わたくしの記憶違いがあったようでございます!」
「……良い。何の用だ」
「いえ! あの……満月まであと僅か。『救国の乙女』様のお姿が見えないので、もしも、もしものことがあれば、我が領地の軍をお出しできますというご提案をしに参っただけでございます!」
クラウスはますます腹を立てた。
それも先日聞いた。
「だから要らないと言っているだろう! ティアナは問題なく魔王を倒せると!」
「大変失礼致しました!」
そう言うと領主は慌てて部屋を後にした。走り去る音だけがその場に響く。
暫くイライラしてあるきまわっていたクラウスだったが、ふと、あることに気づいて足を止めた。
(もしかしたら、夢と混同していたかもしれないな)
彼が似たようなことを言っていたのは夢の中だったかもしれない。
最終的には死んだ、あの夢の中。
(しかし……夢と全く同じ、なんてこと、あるのだろうか?)
クラウスはその後何もしなかった。ただティアナが戻って来るのを待った。
ティアナが戻ってくることはなく、スタンピードは発生し、クラウスは死んだ。
夢と同じ様に。
◆◆◆
クラウスは大声をあげながら目を覚ました。
(生きてる……?)
自分はスタンピードに巻き込まれ、生きたまま全身を魔物に食われて死んだ筈ではないのか。
慌てて起き上がり外を見るが、スタンピードが発生した形跡などまるでない。
平和な街並が広がっていた。
「クラウス様……。ティアナさんはまだ帰ってきておりませんよ……」
叫び声で目を覚ましたらしいユーリアが眠そうな声で言う。
「全部、夢か……」
クラウスは胸をなでおろした。
(――いや、違う! 自分は確かに死んだ筈だ!)
何度も同じ夢を見るものか。
死ぬ度に戻っているのだ。同じ日の朝へ。
「どうなっているんだ……。クソッ」
クラウスは腹を立て舌打ちし、素早く身支度を整える。
コンコン、と控えめなノックの音が響く。
クラウスはドアを乱暴に開けると、怯えた様子のメイドとその後ろに立っている領主に向かって怒鳴った。
「ティアナは今魔王を討伐しに行っている! 軍は不要だ!」
呆気にとられている二人を横目に、クラウスは外へと駆け出した。
ティアナを探すのだ。
どこかで動けなくなっているのかもしれない。流石に助けに行ってやらないとまずいだろう。
クラウスはティアナがいつも通っている道を一人で捜索したが、ティアナを見つけることは出来なかった。
そればかりか、途中で魔物に見つかり、あっさりと殺されてしまい、同じ日の朝また目を覚ますことになってしまった。
(もしかしたら、魔王城の中で倒れているのか?)
だとしたらまずい。自分一人では流石に乗り込めないだろう。
クラウスは嫌がるユーリアを無理やり引き連れ、魔王城に乗り込んだ。
敵から隠れたり、後ろから倒したりしながら、何度も死んでなんとか隅々まで捜索したが、ティアナは見つからない。
魔王の居室ではないだろう。
そこで倒れているなら、既に殺されている筈だ。
結局、ティアナを見つけることは出来ずに再びスタンピードに巻き込まれ命を落とすことになった。
クラウスは、ティアナがどこかに逃げたのだ、というのを漸く受け入れる気になった。
見つけ次第、その甘えた根性を躾け直す必要がある。
ティアナがどこかに逃げてしまったという前提で捜索すると、あっけなく見つけることができた。
ティアナは彼女の生家にいたのだ。
以前はどこで暮らしていたのかを聞いておいてよかった。
クラウスが足を踏み入れた時、彼女はのんきに料理などしていた。
人の気持ちも知らないで。
クラウスは、感情を抑えることなどできなかった。
ティアナに詰め寄り、その薄い肩を揺さぶる。
「ティアナ! おい、何考えてるんだ。とっとと魔王を倒してくれないか? また私を失望させる気か?」
「ク、クラウス……」
ティアナはそのルビーのような瞳に涙を一杯に溜めてクラウスを見上げた。
「そんな顔で私を見るな! 悪いのはティアナだろう? 何を被害者みたいな顔をしてるんだ、いいから行くぞ」
そう言い放ち、無理やりティアナの腕を掴む。
ティアナは抵抗せず、大人しくついてきた。
そうだ。こうでなくてはおかしい。ティアナはいつでも自分の言うことを聞くべきだ。
クラウスはこのループが始まってからようやく満足感を覚えた。
しかし、そんなクラウスの行く手を見知らぬ男が阻んだ。
特徴のある長くて尖った耳。エルフだ。生き残りが居たのか。
エルフが飄々とした口調で言う。
「おっと。ティアナをどこに連れて行くつもりだい?」
「なんだお前は。ティアナの新しい男か? 綺麗な見かけに騙されてるのかもしれないが、こんな愚図を正しく扱えるのは私だけなんだ。悪いことは言わないからもっと良い女を探した方が良い」
エルフは表情を崩さず、ただ指を鳴らした。
「がふっ……っ!?」
瞬間、腹に鋭い痛みが走る。
木の根のようなものが、クラウスの腹を貫いていた。
急速に意識が薄れるのを感じながら、クラウスは遠くに響くエルフの声を聞いた。
「そんなんじゃあ、ティアナは渡せないなあ。ちゃんと、なんでこうなったのか反省してから来なさい」
◆◆◆
「なんなんだあの男は!」
目覚めるや否やクラウスは叫んだ。
隣のベッドでユーリアが小さく身じろぐ。
怒り狂ったクラウスは再びティアナの家に行き、自分は何も間違っていないと主張したがやはりあのエルフに殺されてしまった。
ティアナもティアナだ。
自分を捨てて、あんな得体の知れないエルフと一緒にいるだなんて。
尻軽にも程がある。これだから躾がなっていないなんて噂されるんだ。
クラウスは自分がその噂を流した張本人だということも忘れて苛立ちをあらわにした。
(もう良い。あんな女知るか。ティアナ無しで魔王を倒してやる。その後縋って来ても、もう遅い……)
「おい、ユーリア。魔王を倒しに行くぞ」
「二人で、ですか!? ティアナが今倒しに行ってるんじゃないんですか!?」
「うるさい! 知るか、あんな女。わかったらとっとと準備しろ!」
こうしてクラウスは、遂に自ら魔王を倒す決意をした。
――が、勿論そう上手くは行かない。
まず最初は魔王城にたどり着けずに死んだ。
たどり着けても、魔王の居室に行く道中で敵に倒され死んだ。
魔王の居室までたどり着けたのは、何回も死に戻った後だった。
クラウスはその過程で気付きつつあった。
己がティアナに押しつけていたものの重さを。
己が如何に愚かだったかを。
しかし、そんなことは認めたくなかった。
「よく来たな……。おや? いつもの小娘ではないな。もっと弱い、小虫が二匹。時間をかけて遊んでやる価値もないわ」
おぞましい姿をした魔王はそう言い放つと、何かを二人に向かって放った。
放った、のだろう。次の瞬間には死んでいた。
(こんなに歯が立たないなんて思わなかった……)
ティアナはいつもあれに一人で挑み、帰ってきていたのか。
ぼろぼろになりながら、何度も。
自分が暖かく安全な屋内で待っている間に。
「な、なんなんですの!? あんなの絶対無理ですわ!」
隣でユーリアが叫んでいる。内容からすると、前回の記憶があるようだ。
なんとも都合の良いことだ。
クラウスはユーリアに言い放った。
「もう一回行くぞ。今度こそ絶対に倒してやる……」
「なにを言っているんですか!? 無理ですよ。あんな化け物。ティアナさん無しだと絶対に無理です!」
「なに弱気になってるんだ!」
「クラウス様こそ意地を張るのをお止めになってくださいませ! 仮にも一国の王子なら、自分の間違いを認める度量くらい見せたらどうなんですの!?」
クラウスは悔しさで歯噛みした。
何が「仮にも一国の王子」だ。そんなの知るか、自分は自分だ。
そう思い――改めて、思った。
この繰り返しの中で、薄々感じていたものが形になった。
ティアナには、いつも『救国の乙女』であることを強いて、行動を制限していなかったか。
彼女がどうしたいか、聞いたことはあっただろうか。
彼女一人に全て押し付けたことが、彼女が逃げてしまった原因なのではないだろうか。
ティアナ一人に戦わせず、始めから一緒に、横に立って戦っていれば、とっくに魔王など倒せていたのではないだろうか。
建国の勇者エーファだって一人で戦っていた訳ではない。
どうしてそれに今まで気づかなかったのか。
いや、気づいていた筈だ。目を背けていただけで。
クラウスはようやく己の過ちと向き合った。
彼女の戦いを追体験することで、ようやく。
これだけ何回も死に、文字通り生まれ変わらないと、どうやら自分は己の罪を認めることすらできない人間らしい。
クラウスは苦笑した。
(謝ろう。ティアナに。そうしてもう一度愛していると告げよう。始めから、私達の関係をやり直そう。対等な関係を……)
クラウスは居ても立っても居られずに立ち上がった。
ユーリアが慌てて叫ぶ。
「また魔王に挑む気ですの!? わたくし、行きませんわよ! どれだけ脅したってこればっかりは嫌ですわ!」
「違う、迎えに行くんだ。私の『救国の乙女』を。――共に戦ってもらうために」