魔法奪奪 Ⅴ
ちょっと乱れた、肩に掛かる程度に長くもささくれた薄赤い髪はもう、すっかり乾いていた。
密着している訳でもなかったのに感じていた熱波のような熱の放出は、沙羅からはすっかりなくなっており、汗も引いている。
漂ってくるのは、先ほどまでとは違って、汗の臭いではなく、ジャスミンの香り。
「青藍さん」
「何よ? 改まって」
「お願いがあるんです」
「……言ってみて」
「わたしの、大切な友達たちを、止めて、ほしいんです」
改まって言われてたのがそれ。
青藍は困惑した。
「貴方を助けてくれた彼、ライトが止めてくれるわ。ああ見えて、とっても優しいから彼。そういえば貴方、彼を見ていなかったわね」
と、青藍は、腰を下ろしたままで、両手で水を掬うような仕草で虚空を掬い、闇色の靄を、立体的な墨で描かれた岩肌のような形に展開し、その表面をうねるように、調整してゆく。
それは、形になった。両掌の上に生成された、立体的な墨描きの、ローブ姿の巨躯で筋肉質で、険しい表情をした、少年の姿。
普段の険しい真顔の表情。
「まぁ、逞しい。勇者さまですね」
なんとも能天気で物怖じしない反応。
御世辞でもない。おべっかなんて混じっていない、純粋な感想。非常に好感的な第一印象を、沙羅が抱いたらしいことに、青藍は不安を覚えた。
(こんなふわふわでかわいらしくて、無垢な子……)
像を消す。
両手を後ろにやり、指輪を押さえ、ぎゅぅっとしながら、
「でしょ?」
薄っぺらく繕った。
そうして、沈黙が続いて。作り笑いな微笑みを浮かべ続けて目を合わせ続けるのも辛くなって。青藍は、沙羅に話の続きを催促した。自分の話、少年の話、になる流れを断ち切って。
「その人たちのこと、教えてくれるわよね?」
「わたしたちは、ここではない世界から来た霊樹の精霊なんだって」
「? 何でそんな他人事みたいに……」
「双ちゃんがそう言ってたの」
と、沙羅は、まるで青藍に倣うかのように両手を翳し、その量の手の指先から、にゅきにゅきと、細長く曲がりくねる、樹木の幹のような枝のような何かを小さくうねり生やして、ねじり、ぎゅううっと、人の形を作った。
青藍が作った墨色の立体像とは違って、雑く、荒いが、それでも、目付きや顔つきは分かる程度の出来。
それは、ひょろ長い、ひょうきんな顔をした、ほっぺの膨らんで、鼻のデカく、三白眼の男。
見たのだ。憶えている。
「こいつね……」
瘴気が漏れ出す。聳え、ねじれ、巻きついて、形作られたその像に向かって、漂っていったかと思うと、ガサッ、とひしがれるように、枯れた。
「もしかして、双ちゃんに、悪いこと、された……の……? ……っ! ……。…………」
何か言いそうで、言葉にならなくて、沈黙して――震え、哀しそうに涙を流す始末。青藍は、目の前の、自分よりは年上そうな見掛けの少女である沙羅に、罪悪感をおぼえた。
幼い子供を泣かせてしまったかのような心地の悪さ。
「……。わたしは別に何もされてない。そいつが、彼のことをゾンビ騎士って呼んだの。それだけよ……」
嫌な気分にはなったのは間違いなくとも、自分にそんな意思表明をする資格はあるのかと、自己嫌悪。ありのままに口にしただけで、心に痛みが走ったような気がした。
(バカ……みたい……)
沙羅は沈黙し、頭を落としたかと思うと、突然、樹木から背を起こし、立ち上がったかと思うと、潤んだ目をして、青藍の目の前に立って、
「ごめんなさい……」
地面に頭をこすりつける勢いで、謝った。
「……。貴方のせいじゃ無いのでしょう?」
困惑しつつも、自然に心に浮かんだ言葉で返してみると、頭を上げた沙羅が、
「双ちゃんとわたしは、ふたりでひとりだから……」
何とも意味深なことを言う。
心を読んでみても、明瞭な答えは見えない。ふたりでひとり、というのが偽りない真実ではあるが、それは具体的にどういうことか、という情報が、イメージとしてすら沙羅の中には存在していないようなのだったから。
「あとは、双ちゃんの近くに、真っ赤な毛皮みたいなローブ着た無表情な子と、のっぽで緑の葉っぱのローブ着た子がいたよね。赤…―」
「……見てないわ。その二人……。どうして! もっと! 早くっ! 言わなかったのぉおおおっ!」
(ライトじゃあ、相性が悪過ぎて、勝ち目が無い……)
会話しながら沙羅心の中のビジョンを伺っていた青藍の表情が、青褪め、立ち上がり、発狂するように叫ぶ羽目になった。
手を引っ張るように取り、
「ほら! 抑えるわよ! そいつらを! わたしたちで! 」
(運を司る魔法使いと、心を試す魔法使いだなんて……。似たものをよく知っているわたしじゃないと、対抗すらできない。あとは、この子がどれだけそいつらの手口を知っているかに掛かっている……)
青藍は、沙羅を立たせ、自身の世界を、消し去った。