魔法奪奪 Ⅳ
青藍の――領域。
学園内に構築した、異空間。外の騒動から切り離されたそこは、小川の流れの穏やかさの通りに、緩やかな時間が流れる。夜の星空の下。森の入り口に位置する木の幹に凭れかかって座り込んでいる薄赤髪の女の目はぱっちりと開いている。
真っすぐ見ている。
果て無く続く、平原の地平線。落ち着いた背中を見せて、立っている青藍。
「あら?」
青藍は首を傾け、振り向いた。
「おはようございます。魔法使いさん」
「……。分かる……?」
青藍がそう尋ねると、
フゥゥゥウウウ、と、冷たい風が大きくゆっくり吹き、流れて、間ができる。
「精霊ですもの」
そう、薄赤髪の女が、穏やかに微笑みながら答えた。
「ふぅん。そっか。あっそっか」
そう、不機嫌そうに青藍は返す。
「あっ、わたし、沙羅っていいます! 貴方は?」
今度ははしゃぎ始めた……、と、青藍は強い苦手意識を目の前の相手に覚えた。
「……」
沈黙する青藍。
何だか、メンドクサイ客引きに引っ掛かったような気分。いいや、その方がずっとましだったような気がする。売りつけられるモノが食べたらなくなってしまう野菜や果物ではなくて、尾を引く関係性だと分かりきっているから。
(このコ、絶対……絡んできそう……)
そんな青藍を、木に凭れ掛かったまま笑顔で見上げ続ける薄赤髪の女こと沙羅。悪意も皮肉もなく、無垢に、愚鈍に、首を傾げる。
そして、そのくせ、目線はずっと外さないという。曇りなきまなこで、青藍をぱっちりと眺め続けている。
変な汗が、青藍の背を流れる。
「……。せ、……青藍よ」
気圧されるように、青藍は答えた。
ああ、やってしまった、と、両手で頭を抱えそうになって、自身の指のそれが見えた。
(……。厄介払いには……)
スッ、と指に嵌めたそれを外した。
ゴォォオオッ! っと、黒い靄が立ち込めて、向こうには見えている筈だ。
(……。えっ……?)
立ち上がって、ぱああっ、と笑顔で、駆けよって、青藍の手をとって、ぐいぐいと尋ねてくるのであるのだから。
まるで――呪いをもろともしないような。
「それ、男の人のにおいがしますね! 青藍さんのいい人ですかぁ?」
嘗て憧れたこともあった。とてもとても距離感の近い、仲の良い同性の友人。しかし――現実になってみれば、理想は理想でしかないのだなと、青藍は複雑な面持ちだった。
呪いを越えてきてくれた。暑苦しいくらい好感的だ。
だけど、贅沢を言うなら、苦手意識を自分が持たないでいられるような相手であればよかったな、と。
こみ上げてくるものの正体は知っている。でも、零したくはない。そんなの、みっともないだけだから。目の前の相手はそれを目にしたら喜ぶだろうけど、とやはり困惑が胸を占める。
そして、青藍は、
「……っ! え、ええ……。あっ! ……。はぁ……そうよ。彼がそう思ってくれているのかは分からないけれど……」
答え過ぎた。そのことに気づいてすら、もういいや、と続きを口にしてしまうくらい、目の前の相手との相性は悪いのかもしれないと思いつつ。
だが、それでも。自分を嫌悪を以て距離をとってきていた数多よりはずっと、目の前のその相手は、関わり合うにはましなのだと。
他と違って、可能性がある相手なのだと。
そう。本質的に、餓えていた。人との関わりそのものに。
そのことに、青藍は気付いていない。心を読む力があるのに。自分というのは、見えない。自分のことこそ、誰もにとって、最も近くて、最も遠い。
ザァァァァァァァ――
小川の音が響く。
「いち、にぃ、さん、し。ごぉ。ろく、なな、はち」
立ち位置は入れ替わっている。
木の幹に凭れ掛かっているのが青藍。
眺めている。
星空の下。その貧弱な筈の身体で、踊ってみせる。体の軸のブレも無く、危なげすら無い。
くるくると、跳んで、廻って、澄ました顔で瞳を閉じて。
(準備運動……ねぇ……)
何故ダンスなのだろう? と青藍は首を傾げる。
両の目でしっかり捉えて、読む。
(「タタンタンタン! トンッ! トンッ! クルッ! ここいい場所ですね! 青藍さん!」って……。このコ、判りにくいわね……。ホント、どっち?)
裏表がないように見えて、それ故に、実質読めていないのと何ら変わりない。
「っと! 青藍さぁんんん! ありがとぉおおおおおお!」
満足いくまで踊りきったのか、沙羅は良い汗流しながらも、息を切らすことなく駆け寄ってきて、青藍に抱き着いた。
「っ! ……はぁ……」
青藍は抵抗も抗議も諦めた。
ちょっと乱れた、肩に掛かる程度に長くもささくれた薄赤い髪は未だ湿っている。
そんな沙羅の顔は青藍のすぐ横にある。
木に凭れ掛かるように肩を並べて、座り込んでいる。
汗、臭い。
近い。熱い。
なで肩で、身長も厚みも控えめで、もやしっ子みたいに不健康気味に白い。そんな体で、どうしてそんな熱も汗も出続けていて、汗も止まらないでいるのだろうか?
青藍にとっての他者という比較対象は、これまではたった二人だけであった。少年と、自身の師匠である学園長。
そのどちらとも違う。そもそも、人間ではなく精霊である、と言っている訳で。自称ではあるけれど、偽る理由は無いし、と、困惑する訳である。
少年とは違った意味で読みやすくて、少年とは違った意味で読みにくい。
少年のそれは、裏はあるが、表と同様で素直で、見てとれる通りではある。しかし、この相手のそれは、裏も表も全く同じで、困惑する訳である。何やら対抗手段とかがあるのだと言われた方が変な猜疑心浮かべなくて済むだろうと思う位、信じられないくらいに裏表も恣意も無いように見受けられるから。
見掛けの通り、未熟で無垢なのだろうか? と、自分も十分に未熟で幼い癖に、青藍は目の前の相手を値踏みしようとする。できもしないと分かっていても、落ち着くためにそうしてしまうのである。それすら自覚できない青藍はやはり幼いのだ。
心が読めるとしても、精神年齢が高くなり、心がスレていくとは限らないのである。
かわいらしさと上品さが混じりあった肩に掛かる程度に長くもささくれた薄赤い髪を持つ、エメラルド色の瞳の、少年たちよりは年上であろうが、乙女と少女の間くらいの年頃の精霊な女魔法使い、沙羅。
青藍にとっての最初の、同性の親友となることになる沙羅との始まりはこんなであった。




