新たなる師、新たなる世界への旅路 Ⅰ
ゴトゴトゴトゴト――
箱のような荷馬車に揺られて、何処へ行くのか。
青空の下、穏やかな風を浴びながら、乾いた血色をしたぐるぐる巻きの包帯と、柿色のローブをたなびかせながら、思う。
荷台に乗っているのは、私以外には荷物だけ。馬を手繰っているのが――あの男。
そんな男の、濃緑の分厚そうな質感のローブの、大きな背の後ろ姿を見ながら、思う。
もう、あの街の領域から離れて久しい。他の馬車とも別れて、完全に孤立した。
(いい加減そろそろ――尋ねてもいいかもしれない)
「そろそろ、お教え願えませんか。貴方の名前を」
そう。そこからだった。
試験は昨日。今はその次の日。……。多分……
包帯ぐるぐる巻きのこの身だが、時間経過でもう治る、ということだけは、この男は教えてくれており、確かに、痛みはそう無く、滲みは新しくできてはいない。
パカッ、パカッ、ガララララララ――
少し、揺れた馬車。そして、男が、こちらを向いていた。
あのときの、霞み、朧ろな意識の中で、ではない。男の顔をまともに見て、認識したのは、このときが最初だった。
無精髭を生やしているのに、一見中年未満に若く見える、けれども、中年なのは、首の皺の密度から分かる。しかし、童顔な、浅黒く、派手な乱れ髪をたなびかせる、薄く整って筋肉質な肉体の、ほくろや傷やできものといった痂疲ひとつ無い、美しい顔をした二重で鼻の高い、黒くも輝く目をした、綺麗な、男だ。
……。変わりない。
……? 意外と、というか、はっきり、憶えている……?
「断る。俺は名前を言えなかったんじゃあ無い。言いたくなかったんだよ。何故なら俺は、自分の名前が嫌い、だから、だ、よ!」
そして声が、そう。こんな風に、年相応に、渋みとドスがある。そうだ。確かこれが、師匠よりも年配者と私は判断したのだった。
……。そういえば――マントの色が、違う。
パカッ、パカッ、ガララララララ――
「まあ、だから、師匠と呼べ」
そう言われ、困惑した。
「……。師匠。本当にありがとうございました。師匠のこと……。……」
戸惑いながらも、口を開いて、そして、ぐっちゃぐちゃになった。
「あぁもう……。嫌味だって気づけよぉ……」
そう言って、男は手を自らの額に当てて、髪の毛をくしゃくしゃと乱し、男は、私に背を向けた。
パカッ、パカッ、ガララララララ――
渦巻く。ただ、苦しい……。だから、
「じゃあ……どうしたら……よかったんですか……」
らしくない、泣き言を零してしまった。
(ああ……。やってしまった……。私は、選択、したのだろう、がぁぁ……)
「何にだよ!」
そう、男が、身を乗り出すようにして、こちらを向いていた。……。あぁ……。手綱、離さないでください……。頼むから……。
男はそんな私の気も知らず…―
「……。あぁもう。あいつより酷いじゃあねぇか。なぁ、坊主。お前それでやってけるのか? 待ち構えているのは共同生活だぞ……?」
知ら……ず……? ん……? あぁ……。そうか……。
現実感は、未だ沸かない。
ぴらり、とめくる。
柿色のローブの内、乱雑に突っ込んだ、符のような白い紙片と、文字の赤が見えた。
男は、こちらをただ、じっと見ていた。返答を、待っていた。
「それは……慣れて……ますよ……。慣れて……まし……た……」
そう、言い淀みながらも、私は、言って、言い直した。
(そんな感傷を抱く――その資格は無い)
「一応、丸く収まっただろ? あいつは許された。お前はちゃんと魔法使いの卵だったし、それも唯の卵じゃあないって証を立てた。お前の実家はどうでもいいとして、あの王子様はこれで罪悪感も消えて全部上手く事が運んだってはしゃいだっていうオチまで付く」
「どうでも、いいって……」
「『死んだことにしてくれ。卵として価値ありそうなら、それでよいのだろう?』だとよ。ご当主様のお墨付きだ。よく言うだろう? 死人に口なし。そして、死人は、罪に問われない。もはや、咎の刃は届かぬ彼方」
「……」
「……(地の果てまで追ってでも、消すって言わなかったんだ。あれだけのことをして、お前が生きてられたっていう結果が、全てを物語っている。まあ、分かれとは言わんよ。分からん奴には一生分からん儘だ)」
「お蔭で、騒ぎになることなく、あの街を出れたじゃねぇか。お前、正騎士、切り捨てただろう? そっちの抑え、俺、押し付けられたんだぜ? ん? あいつは、王子様には任せられないからって、自ら王様の元に報告にあがったのさ」
「……」
「ああ、そうだ。あいつからの伝言。『ライトよ。この男が今日からお前の師匠だ。俺のことは無かったことにしろ。ガキに無理強いさせちまうような奴に、師匠なんて呼ばれる資格は無いんだ』」
「……」
「別に――その通りにする必要なんて無ぇじゃ無ぇか」
目を見開いて、男を、凝視した。
「……」
「あいつがそう、本当にされたいと思ってると思うか?」
「……」
「はぁ……。よく分かったよ。見立て通り、お前は集団生活してたんじゃあなくて、御守りされてることにも気づけなかった唯の餓鬼だってよく分かったよ。別にいいんだ。お前は子供だった。昨日までは。だから、意地悪を言った訳じゃあない。まっ、良くも悪くも、ある意味お前のような奴ばかりさ。今から向かう場所は」
「……。魔法……学園……?」
「まっ、そうだな。だが、他とは違う。耳に挟んだことは、あるか? 【始まりの園】」
その言葉。まさか――
「そう。それは、世界で唯一の、ホンモノの魔法学園、だ」