稀有なる壁越えの映像記録 裏 Ⅴ
夜空が広がっている。
星空の下。高く聳える環形の城壁の内。芝の庭。
間合いをあけて、向かい合って立つ、二人の人物。一方は真っ白く、もう一方は、紫。
「わざわざ人払いまで要求して。どんな厄介毎を運んできたことやら」
落ち着きと上品さのある声で、学園長は、向かい合う者に尋ねる。
「見合う価値があると先見したからでしょう? お止めになるべきだと、忠告しているでしょう? いつやってくるか分からない、決して軽くない代償。現に、痛い目を見続けているではないですか。たかが一回。されど致命的。運が悪かった、で片付けるつもりですか?」
白紙がそう言うと、星が消える。夜が、色濃く漂い始める。瘴気でも漂っているかのように、暗く、陰鬱に、空気が、冷たく、乾いて、その冷たさが、粘りつくように。白紙に纏わりつく。
「未だ狂っておられない、と。奴らも本当に悪趣味なものです」
「垣間見ていたからこそ、耐えらえているんだ。頼りきるにはあまりに危険と分かっていても。もしも。もしもだよ? 彼が、消失する危機を、察知できなかったなら?」
紫のローブ越しの学園長の声は、確かに震えていた。白紙はそれを察知しつつも、言葉を続ける他ない自身の役割に心底嫌気が差しつつも、それを自分がやらなければどうなるかを、目の前の相手が垣間見て頼んできたその時から、役を降りることができなくなっている。
「手立ては、見つかったのでしょうか……?」
「可能性を手繰り寄せた、とだけ」
「こんな遣り取り、早いこと止めてしまいたいものです。どう転ぶにしたって、結末は早い方がいい。わたしはそう思っていますが、貴方はそういうたちでは無いですよね。できる限り早めに動くことをお勧めしますよ。大事件の種火は増え続けています。動けるうちに」
「分かっているよ。言われ、なくとも……」
「では、友人としての話は終わりにして、商売相手としての話を、しましょうか。これを」
と、懐から放り投げ、二人の間の地面に落ちる、黒いガムテープのロールのような物体。
それは、薄蒼い発光を放ちながら、ひとりでにめくれてゆく、めくれた先から、縦に幾重に裂けて糸のようにバラバラに広がっていき、空間に、青み掛かってはいるが、フルカラーの映像を形作り始めている。
映像の光が消えて、重力に逆らって立ち上っていた糸たちは、力を失ったかのように、ベッドの真ん中に落ちる。すると、ぎゅるるる、と蛇のようにうねり、束なって、ろくろを巻いて頭らしい塊になっている部分を、ぶらん、と力無く垂れたかと思うと、自身の逆の末端、尾に噛みつく。すると、溶けるように、形を失い、最初の形、未使用の黒いガムテープのロールへと元通りになっていた。
「彼を弟子に取ることにしました。話はもうつけています。わたしの部屋。用意お願いしますね」
「勿論だよ。あれほど弟子を採りたがらなかった君が、漸く、ねぇ。それで、本題は?」
「つれませんね。少しくらい余韻に浸りましょうよ……。貴方にとって、時間何ぞ、それこそ、腐る程あるでしょう?」
「無駄遣いは好かないだけだよ。永遠なんてありはしないのだから」
「貴方が言うのなら、否定なんてしようがありません。でも……。そう、ですよね……」
それ以上突かないだけの分別は、白紙にもあった。彼女の喪ったもの。それを知っているが故に。彼女は辛うじて、折れておらず、諦めておらず。だからこそ、本来堕ちるところで堕ちずに留まっている彼女を、友人として難とか留めてやりたいのだ。愛はない。恋でもない。ただ、恩がある。
彼女の生徒でもなく、師でもなく、嘗てより、変わらず、友人であることは未だ変わっていない。
「面白い話を持ってきました。話を聞いてくれるなら、手付にこれを渡すよう言われています。どう、します?」
懐から白紙が差し出したのは、掌に収まるかどうか程度の大きさで、コルクの栓がされ、文様の刻まれた何枚かの札が貼られてた小瓶。
透明であるその瓶の中に浮かぶ、黒水晶のような何か。
左右対称な両翼を広げて真っすぐ飛ぶ鳥を扁平にしたような意匠をしており、水など入っている訳のない瓶の中で、それが頭側らしき部分を真上に向けて、頭部から尾までを軸にして、時計回りにゆっくり回転しながら浮かんでいる。
「闇魔……? そ、揃ったぁああああああああああああああああああ――」
ぴくつきながら、狂った目をして涙を流し、叫び、高笑う。
学園長は、懐から何か取り出した。それは指輪の形をしている。白銀の無垢の指輪。掌の上のそれは、崩れ、白く半透明な、小さな蛇のような頭を持つナマモノに変化し、つぶらな黒い二つのまなこで、その小瓶の中身を見つめている。
「はははははははは――、はぁ。ふぅ」
声が止んで、沈黙したところで、白紙は話を再開した。
「抽出先は恐らく、彼、だね。ウィル・オ・ライト君だったかな。特別過ぎて、わたしの食指は動きませんでしたが」
「何か確信があるようだね」
だらっと、汗と涙に塗れた顔で、唾で汚れた口元を拭い、学園長は、会話を続ける意思を示した。
そして、白紙は、
「彼が冠する筈だった二つ名。救騎士、というそうですよ」
確証を以て、そう言った。
「まさか……」
「名は体を現す。騎士の二つ名は祝福の如き呪い。貴方が教えてくれたことです。正騎士である父を持った、他ならぬ貴方に」
「記録に名称が残るだけの、魔法騎士。ライト少年が至るかどうか、未だ運命は決まってはいないよ。しかし、腑に落ちたよ。彼に深く関わった、少なくとも4人。運命が変動し始めている。君が見知っているのはそのうち三人だろうか。もしかしたら四人とも知っているかもしれないが。ライト少年。そして、君が弟子にしたブラウン少年。そしてわたしの不肖の弟子。最後は、ライト少年の騎士としての師匠だよ」
「向こうの内情、よぉくお調べのようで」
「ちょっと気になることがあってね。ライト少年の背景を洗っていたんだよ。弟子にとって、運命の相手だよ、彼は」
「それは、何といったらいいか。おめでとうございます……」
「悪いね。もう気を遣わずとも大丈夫だよ。君のお蔭で算段は立った。これで鍵は創れる。誰に依頼するかはもう決まった。断らないだろうさ。ライト君なら。だからもう、君の思う儘にしてくれたらいい。一任するよ。報酬も君が受け取るといい。経費はこちら持ち。ま、君なら、無茶苦茶することはないと信じているよ。だから許すよ。わたしに一言なくその映像ばらまいたことも」
「流石に不味かったですか?」
「君分かっててやっただろう? どこまで分かってたのかは知らないし、知りたくもないけれども。まっ、許すよ。君はわたしへの恩を返し終えた。過多になる程に。だから多少の面倒毎くらい、許容するとも。さあ、行きたまえ。わたしはこれから忙しくなるのだから」
夜の城の光景は消え、逆さまの宮への転移口の前に転送された。気づかぬうちに手に持たされていたのは、くしゃっとなった紙。ほんのり重い。広げてみると、部屋の鍵がくるまっていた。紙はそのまま、割り当てられた部屋の位置を示す地図になっていた。
「仕事の早いことで」
白紙はそう呟いて、転移口の中へと、消えていったのだった。