稀有なる壁越えの映像記録 裏 Ⅳ
「済まんな……嬢ちゃん」
げっそりした様子で、ローブを着込んだ師匠と、流したてのシャンプーやリンスの、濃いシトラスな匂い。
ベッドサイドの、背もたれの無いシンプルな木の椅子に、力尽きたように座る師匠に、少年は呆れた。
「呼んだの貴方でしょう……」
と、少年は愚痴る。傍の、引き攣った笑顔の彼女の代わりに。
「まぁまぁ。キミのせいでもあるんだよ? ライト君」
ぽんっ、と、たたらは何かを、不自然なくらい整えられて太陽の匂いがしてくるベッドの真ん中に、未使用の黒いガムテープのロールのような物体を投げ置いた。
それは、薄蒼い発光を放ちながら、ひとりでにめくれてゆく、めくれた先から、縦に幾重に裂けて糸のようにバラバラに広がっていき、空間に、青み掛かってはいるが、フルカラーの映像を形作り始めている。
「これさぁ、ボクの読みでは結構な数が出回ると思うよ。何処までかは知らないけれど」
映像の光が消えて、重力に逆らって立ち上っていた糸たちは、力を失ったかのように、ベッドの真ん中に落ちる。すると、ぎゅるるる、と蛇のようにうねり、束なって、ろくろを巻いて頭らしい塊になっている部分を、ぶらん、と力無く垂れたかと思うと、自身の逆の末端、尾に噛みつく。すると、溶けるように、形を失い、最初の形、未使用の黒いガムテープのロールへと元通りになっていた。
青褪めた顔の少年。
それを、ほほぅ、と、何やらの値踏みに少年が合格したらしい様子を見せつつも、げっそり感を拭いきれないやつれた少年の師匠。
キミはどうなんだい? と、少年が連れてきた青藍に言葉でなく表情で尋ねる、たたら。
首を傾げ、どうってことないでしょ? といった風な青藍。
「嬢ちゃん、事の重大さを理解してないかもしれねぇなぁ。ライト、どうする?」
そう、げっそりしている癖に、少年の師匠は、少年に対して意地悪そうに言う。
少年の眉間がぴくつき、苦悩が顔に色濃く浮かび、そして、
「青藍……。私は、どうすればいい……。このような事態、想定していない……。種の割れた手品ほど、使い道の無いものは無い……。そして、先ほどの光景には、今の私のできる7割くらいが収められている……。明日から…―いいや、今日から……どうやって、やり過ごしていけばいい……」
碌な説明もせず、地に膝をつけ、崩れ落ちた。
「ライト……」
可哀想に、といった風に、そう発しただけの青藍。
「ボクの言う通りだっただろう?」
何やらそう、少年の師匠に対し、耳打った、たたら。
「そうだな……。まあ、しゃあねぇよなぁ。嬢ちゃんはこんなもの無くたって…―」
黒く靄掛かった塊が、少年の師匠の首元をいつの間にか、包んでいた。
指輪を外し、圧を向ける青藍を直視して、少年の師匠はそれまでと顔色一つ変えていない。
「はは。言わねぇよ。今は。それに、別に。こいつのことだから、それが何か問題あるのか、とかで済ませると思うけどなぁ。ん? 分からないか?」
余裕ぶるだけのことはある。靄は散らされ、それにはっとする青藍。気づけば、指輪は、たたらによって、指に嵌め戻されていた。
青藍の耳元に手で筒を作って、他に聞こえないように耳打つ、たたら。その表情は、
「不安がることは何も無いってことだよ。彼が君に向ける態度って、黒亜がボクに向けるそれと、多分同じ種類のものだから」
何か懐かしむように穏やかだった。
扉の外。
少年は、力無く、もたれかかっていた。
追い出されたのだ。自身の師匠に。
「いつまでの凹んでんじゃあねぇよ! 後は嬢ちゃんに話しとくから先帰っとけ!」
といった風に。
だからといって、ここから出て、学園の敷地に戻ったなら――
ブルルルルルルル――
手が、震える。
ここが魔法使いの学園である以上、使える手札が相手に一方的にばれている恐ろしさは並大抵のものではない。少年はしっかりと自覚していた。
自分のそれは、殆どが、魔法によらない類のものであり、相手となる者たちが、騎士の戦い方や業を知らないからこそ、息をするように業を放つ域に達していない自分の業でも、通用しているのだと、
それは半分当たっていて、半分外れているのだが。
ここ数日、対策されているという風には感じていないことからして、戦いの当日にあの映像が出回り始めたとかではないだろうと推測する。
あの師匠が、自分をあのざまでありながら呼び出して、彼女まで連れてくるように言って、わざわざ目の前で映像を流したのだから、出回ったのは今日であり、多分それが濃厚だろうと。
出回って恐らく今日が初日であるというのは不幸中の幸いではあるが、あのような物品形式で、しかも、誰でも何度でも、複数人での視聴が可能、遡って見ることも、止めて、業の重要な仕草、動きの初動の癖、身体の可動範囲、魔法の射程や威力、何もかも、丸裸……。
時間があれば、それなりの手札を持つ者であれば、ガチガチに対策してくるだろう。複数人で組めるような者たちなら、完封される恐れも……。
元・師匠に言われていた。
戦術規模の嵌め手や絡め手に弱い節がある、と。自身の身に降りかかる目の前のことに振り回されがちだと。
直る類のものではないから、自覚して、そもそもそんなことが起こる可能性自体を戦略で潰せと言われてはきたが、情報が無さ過ぎた。浮かれすぎていた。夢がかなったような心地で。まだまだ、最初の第一歩を踏み入れた程度で。
叶う訳がないと、諦めきっていたからこそ、はしゃがずにいられない訳がない。
仕方がない。終わったことだ。それに、彼女ですら、対応策を打ち出せなかった……。いいや、そもそも深刻に思っていないような気が……。師匠たちもそういえば、あまり、焦った様子ではなかったが……。
何れにせよ、だ。
終わってしまったことは仕方がない。誰によって、どれだけの数出回ったかもどうせ掴みようが無いのだ。あれはどう考えたって、魔法の品だ。用途なんてそれこそいらくでもある、価値のある。
切り札とかの類だろう? 血眼になって探そうにも、そうすぐ見つかるか。それどころか、どれだけ探そうが見つからないなんてことも十分に。
なら、私にやれることは――知られていることを織り込んだ戦い方を心掛けつつ、手札の質や量を高める他、無い。
こんなことで、夢に、折り目をつける訳にはいかないのだから。




