稀有なる壁越えの映像記録 Ⅰ
仲直りできたと、お礼を言われ、いっしょに来ていた青藍に引っ張られていって。
もう、女傑も立ち去った後だ。
未だ、ベンチに座っていたブラウン少年は、実は、知っていた。空いた間隙をつめて、先ほどまで、自身の隣に座っていた女傑と、決闘の末に、少年ことウィル・オ・ライトが死に掛けたことを。
話を――持ちかけられたのだ。
少年との共闘を終えて、ブラウン少年は、ある、悩みを抱えていた。
仲良くなりたい。
自分を下に扱ってこないし、真っすぐで、それでいて強くて、胸を張っていて、立派で、大人びていて。その手は大きく、こんな場所ですら、女の子を女の子扱いして、守ろうとできてしまう。
やり方や、後先の考えなさは酷いものだけど。
それでも、打算も無く、仲良くしたいな、と、人見知りな自分が思えた、数少ない相手。ブラウン少年にとって、それが、ウィル・オ・ライトだった。
強さに怯えはしないが、暴には嫌悪感があり、意思はあるが貫き通すだけの力が無い、無力を感じてばかりのブラウン少年にとって、ウィル・オ・ライトの存在は大きかった。
もう既に、ずっとついて回りたいくらいに好んでいた。
それでも、そうできないのは、かの彼女の存在に依るところでもないし、ウィル・オ・ライトに拒絶されたり嫌がられたりした訳でもない。
それはひとえに――ブラウン少年自身の、自身の、問題である。
学園。講義と講義の間の人だかりの中にいた筈なのに――
「ほぅ。未だ入学したてでもう、蕾ですか」
キンキンとしてか細く高い声。短い言葉の中に不規則に時折金切るような掠れが入る。
物凄く、やせ細っていた。ひょろく長く、もやしのような手足の、声に反して、男だった。高い。いや、長い。ウィル・オ・ライト位の背丈がある。
髪の毛の無い。目元は隈が深く、頬は痩せこけている。青白くはないが、真っ白い。白塗りか? と思わせるくらいに。
眉毛は無く、鼻も無い。鼻の穴すら無い。目元以外、のっぺりとした、細長な、顔。
人間離れして見えた。
「どなた……ですか……」
ブラウン少年は、不安そうにそう尋ねた。
「怖がらないのですね! 不気味がらないのも実にいいですね! 資質も並々ならない!」
会話が通じない空気が、もう流れ始めている。
自分とその人物以外の誰もいない、延々に灰色が広がり続けている空間。壁もなく。天井もなく。床は、見えないが、灰色の地に立っているのだろう。落下している訳でもないのだから。
十歩の距離を開けているのは、こちらへの配慮か、それとも、向こうの都合か。
「答えてくれないんでしたら」
と、ブラウン少年は目を瞑って、両耳に、指を突っ込んで、不動になる。
すると――
「強く、してあげますよ。あの少年に、並び立てる、いいや、前に立てる位に」
塞いだままのはずの耳の中に、掛かり、通ってくる息遣いと声。
はっとして目を開いて、指を耳から抜くと、相手の位置は、密着するかのような耳の傍ではなく、最初に現れた、十歩の距離。
「知っていますよ。君は渇望していますね?」
身体は傾けていないようである。首が、不自然なくらい、傾いているように見える。人の傾けられる首の角度をゆうに超えている。もうすぐ逆向きそうなくらいである。
「できるん……ですか……?」
そう、ブラウン少年は尋ね返す。
「信じたいが、信じきれない。藁にも縋る気持ち! いいですねぇ! 実にいい! できますとも! これでも、この学園の教師! ですから! たった今、この瞬間から、ですけど!」
と、その人外染みて痩せた白塗り染みた男が見せたのは、透明な紫の水の中に、浮かぶ巻かれた紙片。そんな水を包むカプセル大の透明な密閉容器と、そこに癒合する、紫色の首に掛けるための紐。爪の無い指先に紐を通し、ぶらぶらとさせて、ブラウン少年の様子を伺っているようであったが、ブラウン少年のそれが何、というような反応しか見えない様子に、仕舞おうと見せかけて――
ブゥン! バリンッ!
叩きつけて、割って、未だ湿っている中の紙をブラウン少年の掌へと押し付けて、それを握らせた。
「できるとも。君は見出されて来た訳じゃあなかったと分かったからには。早い者勝ちだからね。誰を弟子に取るかは。そして、弟子を最初の一人すら取っていない者に、学園の教師たる資格は無い。あぁ、やっと得られた」
ぽかんとするでもなく、迷惑そうに困惑するばかりで、それでいて拒絶も憤怒も無い、立ち去ろうともしない、攻撃しようとも、交渉しようともしないブラウン少年。そんなだから、彼は、今後も、こういった人種をホイホイし続けることになる。
この人外染みて痩せた白塗り染みた男が、ただ、その最初の一人だった、というだけのことである。




